【1話】プライマリ

【1話1場】

「私は、法に夫婦として認められたいの」


 恋人の求める手続きは、古風な考え方だ。島内で、法は力をなくしている。


 少女は、立体で映るホログラムだ。銀髪と180センチの背をしていた。名前は「オリガ」で、姓はない。サイバースーツを着ていた。17歳で、隔離研究所に勤めている。電脳での外出だけが許されていた。彼女はホログラムとして、対面に座る。


 眞島まじまハヤトは、黒色のジャージを着ている。電脳への侵入を生業としていた。つまりはハッカーだ。今年で17歳になる。ハヤトは、借金返済のため、この島に住んでいた。


 オリガとの出会いは、仮想現実での座禅会だ。


 アパート2階の我が家は、静まりかえっている。部屋の白い壁は、湿気で黄ばんでいた。食卓には皿が積んである。コンピュータは、1人用の冷蔵庫ほどに大きい。


 テレビは、サムライの活躍を伝えている。恋人は、テレビを消した。


 ハヤトは言った。


「オリガ。今のままでも困らないよ」


「でも、私は結婚したいの。あんたは?」


「どちらでもよい。いや、すこし怖い」


「すこしなら結婚よ。決まりね」


 オリガは豪快に決めた。ハヤトはそこに惚れている。


 ハヤトは、神経質な性格をしていた。


 彼女は、ハヤトを愛してくれている。恋人はハヤトの短所を包みこんでくれていた。


「手続きは、何をどうするのさ」


「実はちょいと事情があるのよね」


「戸籍がないとか? この島では別に珍しくもない」


「事情を教えてあげる。でもその前に私への愛を聞かせて」


 前船市で、事情の話はタブーだ。それでも彼女はハヤトに話をしてくれる。


 オリガは基本的にガサツだ。しかし辛気臭くマジメなときは繊細だった。下手な言葉は、彼女を傷つける。ハヤトはオリガに嫌われたくない。ハヤトはオリガを愛していた。


「俺はオリガを愛している。俺は知的な君が好きだ。俺はおおらかな君を愛している。俺を愛する君が好きだ。オリガも、俺のどこに惚れている」


「あんたは教えたものね。私も教える」


「聞かせてくれ」


 オリガは少女の声音で話した。


「私はあんたの率直さを愛している。ちょっぴり善人なあんたが、私は好きよ。私を愛するあんたが好き。私の輪郭は、あんたの愛で作られている」


 オリガは泣いた。彼女は、鼻水をすする。オリガは「ありがとう」とつぶやく。


 ハヤトも情があふれてきた。しかし事情を聞くまでは泣かない。ハヤトはつばを飲む。


「私を嫌いにならないでね」


「ならないよ。なる訳がない」


「私は人工意識なの」


 ……。


 ハヤトは意味が分からなかった。ハッカーとしての専門知識で、人工意識は分かる。しかし、知識と目の前のオリガとは、結びつかない。


「人工意識というと」


「私は人工知能から進化した存在なの」


「人工意識が尊厳に値するかは未確定のはずだ」


 電脳憲章。第1の尊厳。実在に関する意識の尊厳は、絶対不可侵である。


「ここは前船市だもの。議論が終わっていない存在もいる」


「隔離研究所に勤めていると聞いていた」


「アレは嘘。本当は消されそうだったから前船市に逃げてきたの」


「本体は島内にいるのかい」


「そこのコンピュータに、コードの集積体として住んでいる」


 ハヤトは、部屋のコンピュータにインされている2センチのチップを思いだした。チップは、同棲を始めるうえで、託されたものだ。「彼女そのもの」と聞いてはいた。


「チップかい。通信のためのデータチップだと聞いていた」


「そのチップが私よ。簡単には、コピーアンドペーストもできないわ」


「今どきのコンピュータなら仮想現実の演算処理にも耐えられるけどね」


「私は実在している。自己を意識できるの。我思う故に我ありよ」


 ハヤトは彼女を見た。目の前の少女は、電子プログラムだそうだ。今の水準のコンピュータなら、確かに可能だ。オリガは、人間に見えてならない。容姿だけの話ではない。所作と価値観が、人間なのだ。ハヤトは腑に落ちない。


「君はもともと何の人工知能だったのだい」


「ソ連の攻撃ヘリに搭載されていたの」


 攻撃ヘリとは、軍事用のヘリコプターだ。装甲つきで、殺人兵器を積んでいる。


 前船市で、ハヤトはタフになったつもりだ。借金をとり立ててくるヤクザともつき合いがある。しかしハヤトは、都市の表面しか知らないようだ。


「正直、俺は動揺している」


「私との法的結婚は嫌なの」


「嫌ではないさ。ただ動揺しているだけだ」


「あんたは私を愛しているの?」


 ハヤトは自分でも不思議だった。ハヤトは今でも彼女を愛していた。


 なぜそうなのかは腑に落ちない。ハヤトは納得していない。それでも愛は、心の奥底から湧いてくる。ならばやはり、ハヤトは彼女を愛していた。


「愛している。今でも君を愛している。しかし、どう結婚するのさ」


「戸籍を偽造すればなんとかなるわ」


「そもそも偽造したら結婚の意味がない」


「あんたと対等になりたいの。偽造でも作用するならそれでよい」


「思考が追いつかない。俺は混乱している。俺はよく分からない」


「あんたは私を愛していないの」と、彼女は泣いた。


 ハヤトは心が痛い。心にも痛みはあるのだと実感した。あまりにも自分が情けない。それなのにハヤトは納得できない。その板挟みで、ハヤトの心はさらに悲鳴をあげた。


 そのときハヤトは初めて自分の涙に気がついた。いつから泣いていたのだろうか。彼女が自分は人工意識だと告白したときだ。そこから次第にハヤトは泣いていた。


「俺は君を愛している。だから、俺は、君と結婚をするよ」


 心の痛みは最高値に達した。ハヤトは今でも納得できない。ハヤトは状況に流されている。彼女との結婚は、もっとこう、正しくありたい。ハヤトはオリガを愛していた。


「結婚届のために、生体コードを偽造しないといけないわ」


「偽造となると第2区画へ行かないとね」


 ハヤトは、状況に引きずられ始めていた。ハヤトはこのまま彼女と結婚をするのだ。


 オリガは、ハヤトに微笑んだ。ハヤトも、微笑みで返した。


「ありがとう。偽造屋に行くなら私も着いて行くわ。データチップを貴方の電脳ポータルに入れてほしい」


「いいとも。共に行こうじゃないか」


 彼女は喜んでいる。ハヤトも嬉しい。ハヤトはオリガを愛している。ただ、ハヤトは、オリガの事情を受け入れきれないだけだ。涙の滴りで、心の底は焦げている。

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