薄明の魔法使い 序章 竜骸迷宮と黒燿の剣士

式見 汀花

プロローグ

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 遙か古代――


 かつての――気が遠くなるほど遠い過去の――地上には、人族、森人族、小人族、地人族という四つの異人種族が、手を取り合い、互いに協力し合って高度な文明社会を築いていた。


 森人族の高度な魔法技術、小人族の細工技術、地人族の冶金・鍛冶技術を人族が統合、応用し、流通させる。その社会は現在とは比べ物にならないほど豊かで、発展したものであった。


 生老病死という生物にとっての摂理すらを克服し、彼らにとっての敵はもはや、地上を闊歩する魔物や、魔族だけとなっていた。


 そして古代文明は魔物、魔族との勢力争いにも勝利を収めると、地上の栄華を思うがままにしていた。


 しかし――

 古代文明は、突如天より襲来したたった一匹の巨竜によって、終焉を迎えた。


 神をも怖れず、この世の全ての理をも手中に収めんとしたその古代文明であったが、たったの一夜で、その九割が滅んだ。


 驕り高ぶる愚者どもに対して、至高神から遣わされたのだと信じられている滅亡の使者――恐るべき神罰の代行者が、それを担ったのだという。


 古文書にいわく、その名は、紅髄竜インフォルム。


 インフォルムの体躯は巨大な山ひとつに匹敵し、その咆哮は天地を引き裂いた。その顎は都市を丸ごと食らい、すべてのものを飲み込んだ。


 森人族の魔法も、地人族の兵器も、その鱗には傷ひとつ負わせられなかった。


 瞬く間に文明を蹂躙した巨竜は、かろうじて生き残った人々にこう語った。


「我より後、さらに汝らを試す三騎の使者来たるべし。そして、その後に来たる至天の王――白冥の王により、この世は滅ぶ」


 竜の語った使者の名は、後の世にはこう伝わっている。


 ――紅髄竜 インフォルム。

 ――緑髄鳳 アンゴル。

 ――青澪獣 メトゥス。

 ――黄眠狐 コルン。

 ――白冥王 インペリタス。


 紅髄竜に加え、更なる三騎の破滅の使者の存在。


 そして、この世を滅ぼすという至天の王の存在。


 それは預言ですらない、約束された滅亡の宣告であった。


 残った人々は、その破滅の恐怖に震えながらも、必死で逃げ惑い、生き延びようとした。


 生き延びつつ、森人族の長老を中心として結成された各種族の知恵者の集い――賢者集会を通じて、対抗策を模索した。


 はたして、賢者集会はいかなる対抗策を編み出したのか。それは古文書の記述からは欠落している。


 欠落しているが、あらゆる叡智を集結し、あらゆる困難を乗り越えんとした古代の賢者たちの執念が実を結び――紅髄竜インフォルムは討伐された。


 破壊の限りを尽くした巨竜は、完全に息の根を止められた。だが、その亡骸は死しても決して腐らず鎮座し、周囲に瘴気を撒き散らし続けた。


 竜の亡骸の周囲には魔物が集まった。動物や植物が姿を消した。


 そこは、死の大地と呼ばれるようになった。


 生き残った人々は、残る使者の襲来に怯えつつもこの巨竜の亡骸を浄化し、なんとか自然へと還そうと試みた。


 永い時をかけて浄化は成功し、巨竜の骸は巨大な岩山となった。死の大地に緑は戻らなかったが、瘴気を退けることには成功した。


 だが……

 竜の骸であった巨大な岩山には、その内部へと続く大きな穴が開いていた。


 かつて、巨竜の顎があった場所である。


 自然に還っても、その巨竜が内面に孕んだ特異性と神秘性はいささかも衰えず。地上の魔物たちが、その顎から岩山の中へと潜り込み、ねぐらとした。


 それを監視し、魔物たちによる悲劇を起こさぬために、人族の女王グラレアはその岩山近くに都を築き上げると、兵を集めた。それは実を結び、やがて不動の王国となった。


 王国は女王の家名よりメリディス王国と呼ばれ、その王都は初代女王であるグラレアの名を冠して王都グラレアと呼ばれた。


 人々はメリディス王国の治世を基板として、長い平穏の時を迎えた。再び異人種族同士手を取り合いながら、しかし、多くは求めぬよう、慎ましやかに……。


 平穏に時は流れ、現在より数百年ほどの昔に遡る――

 

 滅亡を経験した遙か古代の教訓も徐々に風化し始めた頃、人々が再び栄え、生を存分に謳歌する時代が到来した。


 そして、かつて文明を蹂躙した巨竜の骸として知られる岩山は、この時代より、異なる意味を持つこととなる。


 初めは、女王の命による、魔物討伐のための探索行であった。


 巨竜の顎であった穴よりその内部に初めて足を踏み入れた王宮直属の探索部隊は、その様子に愕然とする。


 岩山の内部には、地人族が設えたかと見紛うような、石畳で整備された通路が延びていたのだ。


 その報告を受けた王宮は、それから幾度となく、岩山の内部を調査するための部隊を送り込んだ。


 巣食う魔物に悪戦苦闘しつつも、その努力によって分かってきたことがあった。


 岩山内部は複雑に入り組んでおり、まさしく『迷宮』と呼ぶに相応しいこと。


 迷宮の規模は不明であること。一説には、一辺数キロメートルに及ぶ可能性があるとも言われた。


 そして、瀕死で帰還した、当時最も優秀であった探索隊のもたらした情報――


「迷宮は、さらに上へと、深く、深く続くようです……」


 これを聞いた当時の人族の女王は、さらに迷宮へと執着するようになる。探索隊がその情報だけでなく、見たこともない財宝を持ち帰ってきたからであった。


 人族の女王は森人族の長老、小人族の長、地人族の王を王宮へと呼び寄せて、再び賢者集会を結成することを決定した。


 各異人種の首長たちによって選び抜かれた賢者たちと勇士たちの手によって、迷宮の謎に内外から迫ろうとしたのだ。


 そうして、分かったことは――


 ひとつ、岩山はかつての巨竜の亡骸であり、その内部の迷宮には巨竜が食らった古代文明の遺産が、財宝としてそのまま残っていること。


 ふたつ、迷宮内に巣食う魔物は、そこに充満する瘴気を吸うことで、地上を闊歩するそれよりも強靱に進化したものもある、ということ。


 みっつ、迷宮内に巣食う魔物は徘徊型と門番型とに分けられるということ。


 よっつ、迷宮深部には高度な知能を持つ魔物――古代に地上の覇権を争った魔族が潜み、地上世界を侵蝕せんと企んでいる可能性があること。


 いつつ、最深部には、人智を超越した神の秘宝が眠っている、ということ。


 これらの事実の判明を受けた賢者集会は、この岩山の迷宮を攻略するための術を体系立てた。遙か古代の滅びを生き抜いた祖先たち。その命脈を受け継ぐものとして、この迷宮の攻略こそが最大の使命であるとの結論に辿り着いていた。


 かつて紅髄竜インフォルムを退けた業はすでに失伝した。頂点を極めた技術も後退し、ほとんどを失った文明が来たるべき滅びに備えるには、皮肉にも巨竜がかつて食らった古代の財宝、秘宝に頼るほかなかったのである。


 そのために生まれたのが、地上での戦闘、戦争を想定して育成される兵士ではなく、混沌渦巻く迷宮に潜り、まだ見ぬ財宝を蒐集し、生還することを目的とした『探索者』である。


 数百年が経った、現在――


 探索者たちは、その誕生から今日に至るまで、研鑽と屍を積みながら岩山の迷宮に挑み続けている。最深部に眠るという、神の秘宝を手に入れるために。


 そして、岩山の迷宮は、いつしかこう呼ばれるようになっていた。


 『竜骸迷宮』と――

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