第8話:「秘密と疑問の狭間で」
初夏の陽光が差し込むカウンセリングルーム。蒼井凛と美園紫苑は、昼休みのひと時を共に過ごしていた。凛の白衣の袖口には、さりげなくシャネルのカフスが光っている。紫苑のナース服は、ラベンダーの優しい色合いで、胸元にはさりげなくティファニーのペンダントが揺れていた。
二人の前には、それぞれ手作りのお弁当が並んでいる。凛のお弁当箱は深い藍色の有田焼で、中には季節の野菜を使った彩り豊かな料理が詰まっていた。紫苑のは軽やかな竹製で、ヘルシーながらボリュームのある料理が盛り付けられている。
「紫苑、このお弁当、とても美味しそうね」
凛は箸を持ちながら、紫苑のお弁当を眺めた。
「ありがとうございます。凛先生のお弁当も素敵です。その玉子焼き、ふわふわで美味しそう」
紫苑は微笑みながら答えた。
「ふふ、ありがとう。実は最近、ル・クルーゼのフライパンを買ったの。これを使うと、本当に玉子焼きが上手くできるのよ」
「まあ、素敵! 私も欲しいわ。でも、ちょっとお高いんですよね」
「そうね。でも、料理が楽しくなるから、私はお勧めよ」
二人は他愛もない会話を楽しみながら、ゆっくりとお弁当を食べていった。
凛が立ち上がり、電気ケトルでお湯を沸かし始めた。
「紫苑、お茶でも飲みましょう。私、最近マリアージュフレールの紅茶にはまっていて……」
言葉の途中、凛の手が滑り、電気ケトルが倒れてしまった。
「あっ!」
熱湯が床にこぼれる。凛と紫苑は同時に手を伸ばし、タオルで拭き始めた。その瞬間、二人の手が触れ合う。
「あ、ごめんなさい紫苑」
「いいんです、凛先生。あとは私が片付けておきますから」
そう言って紫苑は後片付けを続ける。
「悪いわね、紫苑」
凛は申し訳なさそうに言いながら、自分の治療室に戻った。
治療室に戻った凛は、深い思考に沈んだ。窓際に立ち、外の景色を眺めながら、さっきの出来事を反芻する。
(確かにさっき手が触れ合った……でも紫苑の心の中は見えない……なぜなのかしら?)
凛の眉間に、小さな皺が寄る。これまで出会った全ての人の心を覗くことができた彼女にとって、紫苑は唯一の例外だった。その事実が、凛の心に小さな不安を植え付ける。
(紫苑には気づかれないように、もう少し調べる必要がありそうだわ……)
凛は静かに決意を固めた。しかし同時に、親友であり信頼するパートナーである紫苑に対して、このような秘密を持つことへの罪悪感も感じていた。
一方、カウンセリングルームで後片付けを終えた紫苑も、深い思考に沈んでいた。
(凛先生の催眠療法は、明らかに他の先生と違うわ……でもいったい何が違うのかしら?)
紫苑は、凛の治療を何度も目にしてきた。患者たちの驚異的な回復ぶりは、単なる技術や経験だけでは説明がつかないものだった。
(あの穏やかな声、優しい眼差し……それだけじゃない、何か特別なものがあるはず)
紫苑は、自分の直感を信じていた。しかし、その直感の正体がつかめないことに、もどかしさを感じていた。
二人は、互いへの深い信頼と友情を持ちながらも、小さな秘密と疑問を抱えていた。それは、彼女たちの関係に微妙な影を落とすものだった。
凛は窓際から離れ、診察台に腰掛けた。
(紫苑の存在が、私の能力の限界を示しているのかもしれない……)
その考えは、凛に新たな視点をもたらした。自分の能力に絶対的な自信を持っていた凛にとって、これは大きな転換点となる可能性があった。
一方、紫苑は次の患者の準備をしながら、ふと立ち止まった。
(もし凛先生に特別な力があるとしたら……いいえ、それは考えすぎかしら? でももしそうだとしたら凛先生が行っているのは通常の催眠療法とは異なることになるわ……)
紫苑のプロフェッショナルとしての意識が、新たな疑問を投げかけていた。
二人は、それぞれの思いを胸に秘めたまま、午後の診療に向かっていった。彼女たちの関係は、これからどのように変化していくのだろうか。そして、互いの秘密は明かされることになるのだろうか。
その答えは、まだ誰にもわからなかった。
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