第18話、cygnus

 扉からしばらく歩き続けた。フォトンは何も言わず、アクシオンの手を握りしめたままだった。

 僕はもしかしたらとてもフォトンに悪いことをしてしまったのかもしれないと不安になり、何か話すことはなかったかと頭の中をひっくり返したが、何も見つからなかった。今までのことがすっぽり抜け落ちたようだった。


 そのうち二人の眼前につき立っていたのは、巨大な閃亜鉛鉱の十字に組まれた柱であった。それは濡れたような黒色をしており、しばしば虹の帯が現れる。これ以上ないくらい切りつめられたその形は、大いなる術の象徴とも思えた。

 それは、墓標のようでもあった。

 手から伝わる熱が消えゆく。まるで、あの煙を掴んでいるような。僕はフォトンを見ることができずにいた。


「フォトン」


 しかしその声は、無慈悲な空気を震わせることはなかった。

 アクシオンは自分の周りに誰もいないことに気づいた。あたりは暗闇に引きずり込まれつつあり、時間は次第に遅くなってゆく。次元は消滅し、空間は無限に広がる。特異点をすり抜け、突然世界は逆転した。


 時間と空間が入れ替わった世界にアクシオンはいる。裏返った宇宙では、仄かに音楽が聞こえてきた。アークの無限旋律のようだった。その音は無限の歴史とその歴史に生きた人が作りだしたものだ。それらはやがて、時の風化の中に忘れ去られてゆく。

 アクシオンは、その空間と時間の交点を見ていた。宇宙の、僕が感じることのできる宇宙の中心はここなのだ。輪廻の輪は再び閉じられる。自分の体を構成している元素が、土や水や大気だった頃のことを思い出した。

 全てのものはこの中に流れ込み、ある一点で反転する。時間も、光も、喜びも、哀しみさえも。論理より上位にくる者が支配するこの半永久的な世界で。


 あの羅針盤を渡した男の声が聞こえた。


「故郷は今や、遠のいた。歴史を継ぐ者は絶えて久しい。心を継ぐ者も消えつつある。記憶を遡れ。伝承を確かめる術を保て。いつか三千世界が裏返る時のために」

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