第8話、argo navis

 初めアクシオンはそのままの空間が続いてるのだと思ったのだけれど、白銀の陽炎に影の魚が跳ね、ぴいんと言う音を立てたので、水があると気がついたのだった。

 滑らかな藍玉を敷き詰めたような水に浮かぶ船は、昔、本で見たバロック調の照明に似ていた。華奢な硝子細工でできていて、時折弱い光を反射してはその形を浮かび上がらせた。


「これは、どこに行くのだろう」

「これはどこにも行かない。ずっとここに繋がれている」


 アクシオンが誰にともなく訊くと、フォトンは兄の顔を見上げて、いっそう悲しそうな顔をして言った。フォトンの見ているのは、藍玉の中で鈍く光る燻銀の錨だった。


「この船が出航いたしますのは、ずうっと先のことでこざいます」


 舳先に立っている、燐を掲げた黒服の女が言った。燐光に、女の表情が分かった。


「この船はずうっと昔にたった一度だけ動かされました。そして未来にたった一度だけわたしが動かすのでございます。わたしはその時まで待っているのでこざいます」


 女はそう言って、またその場に黙って立っていた。アクシオンは何かを言おうとしたのだけど、黙ってしまった女に声をかけるのはできなくて、ひとつ頭を下げると船の舳先の方に歩きだした。フォトンがその後ろを少し離れてついてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る