5:被害者3
八月三十一日
志茂郷がいじめを苦にして自殺した。
僕がそれを知ったのは、夜七時ごろ。母がママ友経由で仕入れてきた情報。
詳しいことはわからないが、学校の体育倉庫で首を吊っていたのだという。現場には遺書があり、そこにいじめられていたという記述があったため、警察はいじめによる自殺だと断定したそうだ。
それを聞いて真っ先に、僕は、あり得ないと呟かざるをえなかった。
あんなに明るく、前向きな彼がいじめを苦に自殺するなど、少なくとも彼だけはそんなことあり得ない。
次に、そういう本の読みすぎか、僕の頭を他殺という文字が掠めていく。
そうだ、その可能性も否定できない。
しかし、誰が志茂を自殺に見せかけて殺したのか。いじめが原因の自殺、に見せかけて殺したということは当然、志茂がいじめられていることを知っている人物だ。
となると、誰なのだろう。
そもそも、いじめの発見は難しいため、志茂がいじめられていることを知っていた人物はそういないと思う。事実、僕自身も『サンシャイン同盟』サーバーに入って初めてその事実を知った。
とりあえず、『サンシャイン同盟』の通話にて、情報共有をして、志茂の自殺について何か知っている人物を探そう。通話に参加するとそれを待っていたかのように数人が通話に参加してきた。
「どういうことなんだよ!」
通話に入ってきた森木が叫んだ。
「誰か何か知らないの?」
と僕が尋ねるけれども、皆、知らない、と返事をする。
「志茂がいじめを苦に自殺した? そんな馬鹿な...」
西藤の声は震えていた。まるで、何かに怯えているような震え方だった。
「あり得ない。あいつはいじめられても立ち直るタイプだと思ってた...」
と僕も、志茂と最後にゲームをした時のことを思い出しながら言う。
あの時、何か自殺を仄めかすようなことを言っていただろうか。いや、言ってなかったはず。寧ろ、キャラの育成に必要なアイテム集めが最後まで終わらず、またやろうと言っていたような気がする。そんな彼が自殺するわけがない。
やはり、他殺か。でも、誰が彼にそんな恨みを持ったのだろうか。明るく、温厚で、それでいて話題も豊富で、お喋りで。
人から嫌われるタイプの人間ではない。その騒がしい性格故にいじめに遭っているようだけれども、僕が見る限りそれは、いじりにも似たものだった。当然、裏で何かされているのかもしれない。けれど、ただ、なんというか...。
志茂をいじめていたのは確か、木村とかいうやんちゃものだったはずだ。小柄だけど、顔が広くて、僕をいじめている大滝らとも仲が良い。
、もしかしたら、その木村がこの事件に関与しているのかもしれない。しかし、どのような形での関与だろうか。
そういう推理に耽っていると森木の、僕を呼ぶ声が聞こえた。
「浜辺はどう思う? お前ずっと黙って何か考えてただろ。思い当たるものでもあるのか」
「あればいいんですけどね...残念、ないな」
「まあそうだよなぁ」
「とりあえず森木の予想に沿った方向性で考えるのが良さそうだな」
と西藤が言ったが、僕は森木の予想、を聞いていなかったので少し当惑してしまった。以前なら、自分の世界に入ってしまって会話についていけなかった時は、こっそり、志茂にDM(ダイレクトメッセージ)で質問をしていた。けれども、今は...。
志茂の死は僕に近い人としては初めての死だった。僕の身内はみな健康で、祖父母は母方父方両方が健康。当然、父も母も健康で、弟もスポーツに励んでいる。 そんなわけなので、志茂があんな風に死んでしまって、僕は近い人の死とはどのようなものなのか若干理解した。何故か、いちいち、その故人のことを思い出させられるものなようだ。
当然近しい人が亡くなれば、そこに穴ができて、その穴の周囲を通るたびに思い出してしまうのは仕方ないことだ。しかし、ここまでその穴が深いとは思っていなかった。だから、僕は嫌でも悲しい気持ちや虚しい気持ちを抑えることができず、一滴の涙がこぼれた。
「つまり、犯人は志茂がいじめられていることを知っていた者だということに、なるってこと?」
と坂田がぼそっと言った。その言葉が妙に気になり、僕の意識は一気に通話の方へと引き戻された。
「志茂がいじめられていることを知っている者って、志茂をいじめているやつと、ここのサーバーにいる人...」
と僕が考えながら言う。僕自身、このサーバーに入るまで志茂がいじめられていることは知らなかった。それを考えると、このサーバーにいない同級生で志茂がいじめられていることを知っている者は少ないだろう。
「そうだなあ...なんていうか、でも、その、意味ないかもしれねえぞ、それ考えても、なんていうか、やっぱり、意味ない。うん、意味ない」
「どういうこと?」
西藤の反応のキレがないので、僕はそう尋ねた。
「いや、だってさ。志茂がいじめられていること知ってるやつって探すのも大変だし...」
「そう多くもないと思うけれど」
「多くなくてもどう見つける?」
「まず、このサーバーにいる人から疑っていきたい。志茂が敵意を向かない人と言えばこのサーバーの人だし」
僕の脳内で何かのスイッチが入った。
「一つ聞いておきたいことがあるんだけど、いい?」
「どーぞ」
「この中に志茂と古くからの付き合いでとても仲がいいって人はいる?」
誰も反応しない。
「なるほど。じゃあ、少しわかったことがあるね」
「名探偵モードキタァァ」
僕は茶々に見向きもせず推理を始める。
「僕はとりあえず除外して、死亡推定時刻とかはわからないので、とりあえず、動機から考えて行きたい。けど、このサーバーにいる人で動機がある人もいないと思う」
「ならどう考えるんですか、探偵さん」
森木が茶々を入れる。
「簡単な話だ、このサーバーに犯人はいない」
「それは少々強引じゃ?」
「いいや、そんなことはない。志茂は、誰かから体育倉庫に来いと呼び出されたのだとすると、その誰かは志茂にとって相当な信頼ができる人物ということになるのではないか」
「俺らが信頼できないってことですかー」
今度は西藤。
「放課後、体育倉庫に呼ぶなんて普通ないと思うけどなぁ。しかも、他殺だとしたら睡眠薬を飲まされていることになる。放課後、体育倉庫で、睡眠薬?」
「犯人は睡眠薬を単体で渡したわけではないと思うけど。例えば、水に混ぜるとか」
坂田が指摘するが、僕はそれも想定内なので、推理の続きに入る。
「だからといって、志茂は放課後、体育倉庫で、いきなり水を渡されて飲むかなぁ」
「まあ飲むだろ。ジュースとかだったら志茂の性格柄食いつきそう」
「なるほど。でも、赤の他人ってことはないはずだ」
「確かに。では、そもそも、誰が志茂を殺したのか。志茂を殺す動機がある人間。ある程度志茂と親しい可能性が高い。もっとも、志茂の古くからの友人もだ」
「それで、さっきあんなこと聞いたのね」
と西藤は納得した様子。
「そう。つまり、犯人を探すには...」
「志茂の古くからの友人を探せばいいんだな! 名探偵冴えてるぅー」
一番いいセリフをよりによってずっと茶化してきた森木に取られて、僕は少し気分を損ねたが、名探偵はそんなことで機嫌を悪くはしない。
「なるほど。これなら例えば、志茂と同じ小学校だったやつを辿ればいい話だな」
「中高一貫校だから、小学校だけで済んで効率いいね。中高一貫校じゃなかったら中学校も当たらないといけなかった」
坂田が嬉しそうに言う。
「まるで中高一貫じゃない学校に通ってたみたいな言い方だな。ただ、その通りだ。お、幼稚園もあたるか」
西藤が煽りを交えつつ、うまく場を盛り上げる。
「一人であたっとけ」
「いいや、幼稚園も当たっていいかも。幼稚園からの友人、つまり、幼馴染は相当気を許せるだろうから」
「おし、じゃあとりあえず小学校から当たっていこう。志茂と小学校が同じだったやつからその時志茂が仲良くしてた人間を聞き出すんだ。志茂の仇取るぞ」
こうして場は纏まった。ここまで纏りの無い僕らが纏まったのも志茂だからこそなのだろう。
しかし、僕は何か考え忘れがあるような気がしてならなかった。何か、推理のどこかに欠陥のような、抜け穴のようなものがあるような気が...しなくもないような。
九月一日
学校に登校すると、確かに警察が来ており、体育倉庫近辺には非常線が張り巡らされていた。周囲には大量の野次馬が集まっており、体育倉庫の入り口の様子は遠くからじゃ確認できない。
やっぱり、素人の僕らでも他殺の可能性を疑ったぐらいだから、警察もその可能性を考えて捜査しているのだろう。趣味も趣味で、僕は好奇心を抑えられず、その野次馬をなんとか押し退けて、非常線のすぐ前まで行くことができた。
体育倉庫の入り口は頻繁に警察の人が出入りしており、トランシーバーで連絡を取っている人がいれば、手帳に何かを書きながら出てくる人もいた。
そういう様子を見ていると、数人の警察官が、証拠品を刑事ドラマでよく見るプラスチック性の透明の小さい袋に入れたものを持って出てきた。
僕は最初は、実際でも、これ使ってるんだな、と感心しながら見ていたのだが、その証拠品の一つに妙なものがあることに気づき思わずはっと声を漏らした。
その妙なものとは、ストラップである。
割とマイナーなアニメ「デイズおん」の主人公のストラップだ。これは、確か、そう。坂田にあげたやつだ。
知り合えた記念にといつしか坂田に郵送でこれを送った。まさにそのストラップなのではないか。
いや、もしかしたら、それとは別のものなのかもしれない。ただ、「デイズおん」を見ている人間は少なくともこの学校にはいないだろう。それだけマイナーなアニメなのだから。
あれがもし坂田のものなら、これはどういうことだ。志茂の自殺現場を坂田が訪れた? もしくは、もっと前に坂田が体育倉庫に落としていった? いいや、坂田が体育倉庫を訪れるわけがない。彼はこの学年、いやこの学校一の運動音痴で、運動に興味を見せたこともない。では、なぜ、坂田は志茂の自殺現場を訪れたのか。当然、明快な答えが一つあるのは言うまでもないのに僕は気づいている。考えたくは無いけれど、でも。
志茂を自殺に見せかけて殺したのは坂田。昨日考えた通り、坂田は『サンシャイン同盟』のサーバーにいるので志茂がいじめられていることを知っているのは別に違和感のある話ではない。
しかし、これも昨日考えた通り、坂田には志茂を殺すに至る強い動機がないのではないか。無口な坂田がお喋り好きの志茂と深く関わりがある? いいや、そんな訳がない。ただ、坂田が無口であるということはこうとも取ることができる、坂田は自分の過去を隠している、と。過去に(例えば小学生の頃に)とても志茂と仲が良くて、中学に入って坂田は人と喋るのが苦手になり、志茂との縁はほとんど無くなってしまったが、『サンシャイン同盟』をきっかけに志茂に再会し、そして、そこで何かの諍いが...そんなまさしくミステリー小説のような展開があったのだろうか。
ただ、この妄想も、坂田が志茂を殺したという可能性も、全てはあのストラップが、僕が坂田に渡したものか、あるいは全然別の人のものなのか、そこで話がまるっきり変わってくる。
他にもまだ見たいものはたくさんあったが、野次馬を払うために大石先生が来てしまったので、僕は仕方なく退散することにした。
その日は、大滝たちも志茂のことの話題で盛り上がっていたらしく、カツアゲされる程度の攻撃で済んだ。カツアゲは痛かったが僕も志茂のことで頭がいっぱいだったので、どうでもよくなった。
そして、家に帰るなり、『サンシャイン同盟』の通話に参加した。全員が揃うなり、西藤が調査結果を発表する。
「結果発表ー。志茂と同じ小学校だった人物は一人だけいました」
「おお、誰だ?」
「本田直勝」
おお、とどよめく声が複数聞こえた。意外な名前が出てきて僕も驚きはしたものの、例のストラップのことで坂田への疑いが高まっていたので、どよめくまでは行かなかった。
「じゃあ、本田が犯人なの?」
坂田が尋ねる。
「そこはまだわからない。本田と志茂がどれくらい仲良しだったかもまだわかってないからな」
西藤がそう説明し、皆納得して黙ってしまった。そして、今がチャンスなのでは、と僕は口を開いた。
「坂田に一つ質問。正直に答えること」
「どうしたの?」
坂田が不安げに聞き返してくる。その聞き返し方が更に僕の語気を強めさせた。
「お前、体育倉庫行った事ある?」
「おいおい、どういうことだよ」
西藤が言ったが僕はそれを無視して再度尋ねる。
「行った事ある?」
「ないよ」
坂田はそう答えた。もし、あのストラップが坂田に上げたものであれば、坂田は嘘をついているということになる。まさか、ひとりでにストラップが体育倉庫へ移動するなんていうことはないだろう。
しかし、結局これは仮説に過ぎない。もしかしたら、本田直勝が犯人なのかもしれない。もしかしたら、これは狂った通り魔による殺人なのかもしれない。そして、僕らの思い違いで実際は志茂の自殺なのかもしれない。どれも同じくらいの可能性を秘めているのだ。
「大丈夫か?」
僕がしばらく喋らないので心配になったのか西藤が言った。僕は、大丈夫だけど疲れたから今日は寝るわおやすみ、とだけ早口に伝えて通話を去った。
九月二日
本当にこれは自殺なのか? そして、自殺でないとすれば犯人は誰なのか? 僕は自問自答する。
これは自殺ではない。他殺だ。志茂は自殺するような奴じゃないし、またやろう、と確かにDMで言われたのだ。なのに、なぜ志茂が自殺するなんてことがあるだろうか。絶対に他殺だ。
では誰が殺したのか。まさか、本当に坂田が殺したのか。しかし、坂田は否定した。いや、坂田が犯人だったとしても坂田は否定するだろう。それは当たり前だ。あと、もう一つ考えなければならないことが。それは、警察に関する問題だ。
もし、僕がこれが他殺であると推理し、根拠を発見し、犯人を特定したとしても、警察は子供の戯言だ、と話を聞かないだろう。警察はそもそもどう考えているのだろうか。自殺か。あるいは、他殺か。正直、現場がどのようになっていたのかも情報がない以上、警察がどういう方針で捜査しているかは分かりようがない。
試しに警察の捜査状況を調べてみるのはどうだろうか。例えば、こっそり警察の話を盗み聞きするとか、そういう方法で。こんなことができる機会はもう二度とこない。リアル探偵ごっこなんて誰しもが一度はやってみたいと思っていることの一つだろう。それができる上に、友人の、志茂の自殺の真相を探ることができる。
僕は決心し、放課後、事件現場である体育倉庫へ向かった。
体育倉庫は非常線が張り巡らされており、二人の刑事が出入りしていた。野次馬なのか近くのベンチに座って体育倉庫の様子を見ている生徒も数人いる。
僕は刑事が出て行ったのを確認して、非常線を超えた。緊張はあったが、前の模範解答を盗んだ時より全然安全だ。バレてもこっぴどく叱られる程度で退学にされることはないだろう。
僕は体育倉庫の八段跳び箱の裏に隠れた。周囲には他の跳び箱や体育祭でのみ使う紅組白組の得点板などが散らばっているためそう易々とバレることはないだろう。
数分待つとさっき出て行った刑事たちが戻ってきた。僕は彼らの会話に耳を傾ける。
「おい、まだ捜査を続けるのかよ」
「仕方ないだろ。言われたんだから」
「自殺で解決なんじゃないのか」
「俺に言われても」
「現場を見たら明らかに自殺だとわかるだろ。睡眠薬を服用後、首を吊って自殺した。ただそれだけの単純な話だ」
「まあな。にしても、あんなでかいものが都合よく体育倉庫にあるとはな」
「ああ、あれか、鉄棒の」
「そうそう」
「あんな高い鉄棒があるとはな。2.5メートルぐらいあるぞ高さ。あんな高さのやつ、新体操の日本選手権とかでしか見たことない」
「日本選手権とかのやつはもっとでかいがな。あと、俺がちょっと気になって調べたところによると、あれは開校当初使われていたもので今は使われてないらしい」
「そりゃあそうだろ。あんなでかい鉄棒あってもな」
「でも、開校当初は戦時中でトレーニングに使われていたらしいな」
「まあ確かに、あれに縄で輪っか作って引っ掛ければいい感じに首を吊れる」
「まあな。それにしても本当に他殺なのかね」
「俺の名推理が炸裂しただろ」
「ああ、床の水の件ね」
「あれは自殺するために使われたって俺が推理しただろ。絞首台を氷にすることによって、輪っかに頭を通してから死ぬまでに時差を作った。おおよそ、苦しみたくなかったからだろう。睡眠薬を服用、氷の台に立ち天井から吊った輪っかに頭を通す。そして、睡眠薬の効果で眠っちゃう。その間にも段々氷は溶けていき、氷が溶けきったところで首が締まり、死亡。前も話しただろ。完璧な俺の推理だ」
「まあなぁ。確かに現場を見る限りそう取るのが自然だよな」
「だろ。なのに何で上は」
「近々家宅捜査をするそうだし、まだ他殺の可能性を否定できていないんだろ」
「俺の推理も聞く耳持ってないんだろうな。くそ、偉い奴らは自分達しか見えていない」
刑事は悪態を吐くと足音を立てて体育倉庫を出て行き、もう一人の刑事もそれを追うように出て行った。
警察はまだ他殺の可能性を残している? しかし、なぜ。警察が他殺の可能性を残すに至る証拠が見つかったのだろうか。
そして、刑事が語っていた氷の件は何なのだろうか。あの刑事は頭が切れるようで多分、あの刑事が語っていた推理が正しいだろう。なら、本当に志茂は自殺したのか? では、遺書は。そして、志茂の性格は。
全くわからない。疑問が頭の中をずっと飛び交っており、その疑問に収集が付く様子はない。
志茂が自殺したというふうに考えられるデータと他殺だと考えられるデータが入り混じっている。結局どちらなんだ。
僕が混乱しながら、頭を抱えて考えていると、さっきの刑事が戻ってきた。
「そろそろ帰るか」
「ま、家宅捜査したら何か見つかるだろ」
「遺族は家宅捜査許可出したの」
「出てるって。明日あたり家宅捜査をして、自殺の証拠見つけてきて解決ってオチだろうな」
「いい加減上が他殺の筋を考えている証拠を教えてくれねえかな」
「俺に言われても」
「俺はストラップが臭いけどな」
「ストラップ?」
「初日に現場に落ちてた奴だよ」
「ああ、あれ」
「あれに何か証拠があったんじゃないのかなぁ」
「まあ上の捜査方針はわかんねえからな、俺らみたいな平には」
二人はため息をつきながら去って行った。そして、少しして車のエンジン音がした。どうやら、警察は帰ったようだ。
僕はのっそりと立ち上がり、八段跳び箱を大きく脚を上げて跨ぎ、体育用具の山を抜け出した。ここは埃の量が尋常ではなく、身体中の穴という穴から埃が入ってくるという地獄。今考えれば、よく僕は数分間刑事の話を盗み聞きできたもの。
とりあえずその場を立ち去る。埃は激しかったが、また来てみてもいいかもしれない。
『サンシャイン同盟』では引き続き志茂殺しの犯人探しが、行われている。
「本田は事件発生時アリバイがあった。彼は塾に行っていたのだ。アリバイの証人も十分にいる。」
芝居がかった口調で森木が言った。
「塾の先生とかか?」
「他の塾の生徒も本田のアリバイを証明できます」
「なら信じてやろう」
西藤は納得した様子で引き下がったが今度は僕が突っかかる。
「どうやってその情報を?」
「友人に本田と同じ塾のやつがいてね」
「なるほど。本田地震にはアリバイがあるのね。けど、例えば本田が誰かに指示を出していたとしたら?」
「本田が指示? 誰があいつの指示を聞くんだよ」
「例えば...本田に脅されてたとか。本田にいじめられてたとか」
「その条件でいくとお前が犯人になるよ。残念」
確かにその通りだ。ただ、僕は犯人ではない。無意識のうちに殺していた、やら
二重人格、なんてこともないはずだ。アリバイはないが、しかし、まさか、いや、そんなことはない。
「じゃあ本田は犯人じゃないのか?」
西藤ががっかりした様子で言った。
「でも」
場が重たくなった時、坂田が口を開いた。
「何かしらのトリックを用いたのだとしたら?」
言動が怪しい、僕は咄嗟にそう思った。なぜ本田犯人説を否定しないのだろう。それもやはり、彼が真犯人だからなのでは...、しかし、考え始めるとキリがない。
「なんだ、本田が二人いたとでも言うのか」
「いや、そんなことはないだろうけど...」
「だから無理だよ。では、本田以外となると誰が犯人なのか。それはズバリ」
西藤はそこで言葉を切って溜める。
「ズバリ、誰なんだ」
森木が鬱陶しそうに言った。
「ズバリ...誰なんだ?」
素っ頓狂な西藤の発言に皆がずっこける。
「何だそりゃ」
僕は期待外れの答えに呆れて言った。
「わかんないなら言うな」
と森木も同様の反応だ。
「もう候補が浮かばない」
「まあそれはそうだな」
「何かしらの情報が手に入るのを待つか」
「そうだね」
ということで通話は終わったのだが、『MWS』は一人ぼっちだ。僕は孤独に『MWS』をしながら、志茂のことを偲ぶ。
九月三日
朝、いつもより遅れて(昨晩遅くまで『MWS』をしていたせいだ)登校すると僕の机に落書きがあった。
『志茂を殺した罰を与えてやる』
乱暴に書き殴られたその字。字は汚いがそう読み取ることはできた。
志茂を殺したのはお前だ、そういうニュアンスで書かれていると考えて間違いはなさそうだ。まあ、誰がやったかは大体推測ができる。僕の頭の中にはお、から始まってき、で終わる苗字の人物の顔が浮かんでいる。
僕は念のため彼がやったということを確認することにした。
心配性なので、もし他の人がこんなことを書いたのならどうしようという不安ゆえだ。
D組には大滝も井伊も本田もいない。
続いてC組の教室の前へ向かい、教室を覗く。三人の姿はない。
続いてB組。ここにもいない。姿勢良く座り勉強をしている森木と目があっただけだ。賢い人は休み時間から勉強をしているのか...。
そして、最後にA組。ここにいないはずはない、はずだったのだが。いない。大滝は学校に登校していないのか? いや、そんなはずは。彼の他に誰がこんな意地の悪い悪戯を。
そうだ、外に遊びに行っているのかもしれない。僕はそう考えて、大滝井伊本田それぞれの机を見て回ったのだが。何もない。引き出しには何も入ってないし、両脇にも何もかかっていない。つまり、まだ登校していないということだ。
おかしい。彼らがやったのではないとすれば誰がこんな悪戯を。まさか、誰かまた別の人が僕をいじめの標的としてマークしたのか。いや、そんなはずはない。だって僕はここまで大滝ら以外からは虐められたことが基本的にはないからだ。基本的に、というのは、多少冷たい態度を受けたりしたことがあるからだ。しかし、いじめに発展したことはない。その理由は多分大滝の存在がある。大滝はガタイが良くて力も強く、周囲からしたら怖い存在だ。だから、僕に手を出せば何かの弾みで自分が攻撃されないか、と他者を不安にさせているのだ。つまり、僕は大滝にいじめられているおかげで他からいじめられることはないのだ。
では、誰が。僕を個人的に恨んでいる人間の仕業? あるいは、そう、あるいは、志茂を殺した犯人を強く憎んでいる生徒が。しかし、なぜ僕に目を付けたのだろうか。僕と志茂はネット以外では付き合いがないはず。なのに。そうなると、怪しくなってくるのは『サンシャイン同盟』のメンバーたちだ。そうだ、そう考えたら大滝らも容疑者から除外できるだろう。
しかし、まさか。そして、なぜこんなことを。
僕は自分のクラスに引き返すようにA、B、C、Dと教室を覗いていく。森木は相変わらず勉強をしている。まさか、森木が? しかし、森木はわざわざそんなことをするのだろうか。そして、Bまで戻った時、B組の教室の端の方の席にいる男を見て僕は目を見開いた。
坂田征四郎。まさか彼が。もし彼だったとすれば彼の目的がさらにわからなくなってくる。しかし、うまくは繋がらないが、彼がやったような気がする。志茂が死ぬという異変と、僕が誰ともわからない者から攻撃されるという異変。そして、どちらも容疑者に坂田がいる。この状況で坂田を疑わないことが難しいぐらいだ。 でもやっぱり繋がらない。目的が理解できない。志茂を殺したのは何かしらの僕の知らない怨恨からなのかもしれないが、僕にこのような嫌がらせをしてくる理由は一切わからない。わからない以上彼を疑うのは失礼な話だ、と僕は自分を納得させて考えるのをやめた。とりあえず情報が足りないままではどうしようもない。そういえば昨日の警察の会話にまだ気付けていない何か有益な情報はあっただろうか。まず、氷の話、そして...。
「やあ、浜辺」
大滝の声だ。学校に登校してきたらしい。
「何」
僕は考え事を邪魔されてイライラしたまま答えてしまった。
「なんだお前、偉そうにして」
「ごめん、そんなつもりは」
「お前がキモいから誰もお前と関わってないのに、お前はそれにまだ気づかないのかよ。関わってくれてる俺に何か感謝の一つぐらいあってもいいんじゃねーのか」
お礼のパンチをお見舞いしてやろうか? と言い返してやりたかったが。
まあ、そんなことできるわけもないし、できたらこうはなっていないんだけれど。
「ごめん、ありが...」
「安心しろ、俺はお前に感謝を言わせるようなクズじゃない。ほれ」
大滝は僕の方に右手を差し出した。僕は意味がわからず彼の顔をまじまじと見つめる。
「ほれ」
「え?」
「金。三千ぐらいで済ましてやるから」
すぐ金だ。
「ごめん。今お金がなくて」
「俺も金がないから言ってんだ。冷たい奴だな。まあいい。ま、その分明日からは俺からお前の机に行くんじゃなくてお前から俺の机のところに来てもらおう」
「え」
「親友だからできるよな。じゃあな」
大滝はポンポンと僕の肩を叩くと意地の悪い笑みを浮かべて去っていった。
最悪だ。僕だって馬鹿じゃない。向こうの魂胆はわかる。わざわざ僕の席まで来るのが面倒というのもあるかもしれないが、一番の理由は、僕がこっちから向こうの席に行くことで僕と大滝の間の仲が良いと周りに見せようとしているのだ。
かといって魂胆がわかったからどうにかなる話ではない。行かなかったらどうなるかは目に見えてるし、行っても向こうの思うがままだ。
僕はそんな自分が嫌になる。ある程度相手の魂胆を理解しているのに、どうしようもない、どう対策を取ろうにも取れない、そんな自分を。
『サンシャイン同盟』捜査会議は今日も展開される。
「俺一つ思いついたんだけど言っていい?」
西藤が珍しく遠慮した様子で言った。
「参考にならない内容だったら右耳から左耳に抜けていくけどそれでよければどうぞ」
「じゃあ、言う」
「どうぞ」
「志茂は本当に自殺したんじゃねえかっていう結論なんだけど。志茂は確かに明るくてうるさくて、騒がしくて鬱陶しくて...」
「しみじみと悪口言うなぁ」
「でも、あいつは自殺する奴じゃないだろ」
「だから自殺ではないという風に考えてるんでしょ」
と僕が指摘すると、西藤はいいや、と言って
「違うんだよ。志茂のあれは全て空元気だったんだよ。よく考えてみろよ、あんなテンション高いの普通に考えたらおかしいだろ。頭逝ってるとしか思えない」
「悪口言ってるだけなら帰るけど」
森木がヤジを飛ばす。
「帰ってもいいけど名推理を聞き逃すかもよ」
僕が茶々を入れる。しかし、西藤は依然しみじみとしたテンションで続ける。
「でもあいつはいい奴だったし頭のネジはそんなに外れてない。だから、あれを頭逝ってる以外の理由で考えようとしたらもう一つしかないんだよ。空元気。何かしらの理由で苦しんでいたがそれを隠すために明るく振る舞っていたんだよ」
「その理由ってのがいじめ...? 」
と僕が尋ねたが、西藤はうんともすんとも返さなかった。しかし、彼の推理は結構的を射ていると思う。空元気だと考えれば納得できる部分もある。
「ま、半分ぐらいは耳に入ってきたな」
「あん? 全部耳に入らなくてもいいわ、馬鹿」
突然西藤が元のテンションに戻ったので、面食らったがしかし、西藤の気持ちもわかる。友人の死について語り合う時にしみじみとしてしまうのは必然的。いくら口が悪い西藤でも人間なのだからそれは変わらない。
「坂田はどう思う?」
僕は坂田に話を振ってみた。
「自殺なのかもしれないし、わからない」
「他殺の可能性はある、と」
僕は押し殺した口調で尋ねた。彼がこの事件の犯人に最も近い人物だ。彼の発言は一言一句注目しなければ、重要なミスを聞き逃してしまうかもしれない。
「否定はできない。けど、やっぱり自殺なんじゃないかな、とは思う」
「それはなぜ?」
「自殺に見せかけた他殺なんて現実にあるのかな、と」
確かにそうだ。あんなの物語の中だけの存在だ。あのストラップが現場に落ちていたことは偶然で、別にあれは坂田のものではないのかもしれない。僕は勝手に坂田を犯人に仕立てることで、現実で名探偵のような真似をしたいという幼い夢を叶えようとしていたのかもしれない。
「とりあえず自殺ってことにしようぜ。これ以上は俺らに捜査できる話じゃない。情報不足だろ。少なくとも俺らに提供されている情報を正直に受け取ったら自殺だろ」
彼の言うことが正しい。僕らは、いや僕は正直で無さすぎる。現実をしっかりと、両目でしっかりと見つめれば自殺だと考えるのが自然だ。
「ま、そういうことで、この話は終わりにしようぜ。俺らには重すぎんだよな、この話題」
「この程度の話題を背負えないようじゃ将来は不安だなぁ」
森木がわざと心配するような様子で言い
「お前も背負えてねえだろ」
と西藤が反応し。確かにこんな話題よりは今までの緩くてしょーもない会話の方が合っている。事実、僕はそのために毎日のように通話をしていたのだ。
「じゃあそういうことで」
うーん、なんともスッキリする幕切れだ。嫌なぐらいにスッキリする。
九月四日
ついに警察からの事情聴取の日がやってきた。
朝学校に来ると初めてみるスーツの男が数名廊下を歩いており、違和感を覚えたのだが、その理由はすぐに分かることとなる。
警察が志茂の自殺に関する事情聴取を行うためにやってきたのだ。僕は一番に呼ばれて面談室へと連れて行かれた。
緊張はしていたが、心構えはできていた。というのも、朝休みに西藤が僕の机のところにやってきて早口で色々と教えてくれたのだ。
「今日警察が志茂の件で生徒に話を聞くためにやってきているんだが、どうやらお前が犯人だと疑われているらしい」
「え?」
僕は突然現実で喋ったことのない西藤に話しかけられた驚きと、自分が容疑者になっていることへの驚きで頭が真っ白になった。
「A組に川原っているだろ。あいつが偶然刑事の会話を聞いちゃったらしいんだ。で、その会話では浜辺円犯人説が囁かれていたらしい」
「そんな」
「だから、今からの話をよく聞け。事件があった日お前にはアリバイがあったんだ」
「でも、あの日は」
あの日は図書館に行っていたが一緒に行っていた友人は当然いない。
「だから、アリバイを作るんだよ。俺らが協力する」
「え」
僕の頭は以前全く回らず西藤の言うことを頭に留めるのが精一杯だった。
「お前はあの日の志茂が死んだ時刻、俺と森木と一緒に下校していた。わかったか」
僕がうんともすんとも言わないので西藤がもう一度
「お前は俺らと下校していた。そう自分に言い聞かせろ」
そんな洗脳まがいのことをされても。警察を騙そうというのか。そんなこと、もしバレたらタダじゃ済まない。しかも、それが原因で真犯人ではない僕が犯人扱いされてしまうかもしれない。リスクが大きすぎる。
「僕は犯人じゃないからわざわざアリバイなんて作らなくても、僕が犯人だと仮定すればいずれ何処かで矛盾が生じるんじゃ」
「面倒臭え奴だな。そう都合よくいくのは物語の世界だけなんだよ。とりあえず、そういうことで分かったか」
「え、ああ、はあ」
僕はその場の流れで頷いてしまったが不安で仕方なかった。しかし、西藤がいなくなった後僕は今与えられた情報をもとにどうにか自分の中で警察からの事情聴取をシミュレーションし、ある程度答えることができるように準備することができた。
改めてその時のシミュレーションで考えた応対を思い出しながら、面談室へ向かう。
「君が浜辺君?」
面談室前の廊下まで来ると、刑事が一人立っていて、僕に笑いかけた。だが、笑いの裏に僕を犯人として疑っているということは忘れてはならない。
僕はその刑事に誘導されて面談室の中に入った。面談室の中にはもう一人刑事がいて、刑事二人と対面になる席に僕は座った。
「では早速話を始めようか。今回我々が来たのは志茂君の件だ。で、色々捜査していたんだが、君に話を聞きたいということになってね」
と説明したのは丸顔で優しそうな印象を受ける、年は四十半ばぐらいだろうか、の刑事。もう片方の若い刑事は手帳とペンを手に取っているのでメモを担当しているのだろう。
「なんで僕なんですか」
「君が志茂君と仲良しだと聞いてね」
なるほど。あくまで僕を容疑者として考えていることは言わないのか。
「まずは、君にこれを見てもらいたいんだが」
メモを取っていた刑事がペンを置いて横に立てかけていた鞄から小さなポリ袋を取り出し、事情聴取担当の方に渡す。
「これなんだが」
僕はそれを見て目を見開...きそうになった。「デイズおん」のストラップ、坂田にあげたストラップ、そして、志茂が自殺した翌日、刑事が証拠品として回収しているのを見かけた、あのストラップだった。僕は必死で平静を装ったので、動揺していることはバレてはいないはずだ。
「これに見覚えはないか」
僕にこれを見せてくるということは、向こうもこれを僕が手に入れているということは知った上だろう。
「これは僕が前ガチャで引き当てたストラップです」
「そうなんだよ。で、この「デイズおん」のストラップが犯行現場に落ちていたんだが、このストラップはガチャガチャで手に入るものらしいが、どうやらそのガチャを回した人は一人しかいないそうだ」
刑事はじっと僕の方を見た。
「そのガチャを回したその一人、というのは僕ですよね」
「そうだ。君だったんだよ」
「つまり、僕を容疑者として疑っているんですね」
「いやいやそんな訳じゃない。君みたいな若い学生に人を殺すことは至難の業だ。我々は君が誰か他人にこれを譲渡した可能性を疑っているんだ」
嘘だ。確実に僕を疑っている。現にメモをとっている刑事は定期的に僕の表情を確認してきている。
「そういえば、これ、ちょっと前に無くして探してたんですよ」
「それはいつのことかな」
「それは事件以前が以後か、という質問ですか」
「そうだ」
「事件以前です」
これで辻褄が合わなくなるなんていうことはないはずだ。実際は無くしたわけではない。僕はこれを事件以前に坂田に上げたのだから。
「なるほど。では、次の質問に移ろう。事件発生時、つまり、死亡推定時刻である午後七時頃どこで何をしていた?」
「その時間だったら、多分友人と帰宅していたと思います」
思い出す演技をし忘れてひやっとしたが、警察は相手の様子よりまずは証拠を大事にするはずだ。西藤がちゃんと約束通りアリバイを証明してくれれば問題はない。
「友人というのは具体的に?」
「同級生の森木と西藤です」
「君はとてもすらすら返答するね。まるで準備しているかのように」
刑事は全てを見透かしたかのような目で僕を見つめた。ここで怯んでは負けなので僕はなんとか言い返す。
「森木や西藤と帰宅したのは初めてだったんで」
「なるほどな。で、その二人と帰宅していた時の時刻が午後七時頃だったとはどうして言える?」
「帰り道に公園があってその公園の中央に大きい時計台があるんです。それが目に入ったからです」
段々刑事の質問が攻撃的になってきた。僕が犯人であるという証拠を探るような質問が増えてきたのに、僕も少したじろいでしまう。
「その公園とは...」
「西宝公園ですね」
メモしていた刑事がささっとスマートフォンで調べて言った。
「君が言っている公園はこの公園だね?」
刑事がスマートフォンの画面に表示されている西宝公園の画像を見せてくる。僕はこくりと頷いた。こんなこと調べて何になるんだろう。
「では、志茂君に関することを聞かせてほしい」
「はい」
「志茂君の件についてはあらかた知っているね」
「はい」
「体育倉庫にて志茂君は首を吊って亡くなっていた」
「自殺ですか...? 」
こちらから痕な質問をするべきではない、と少し思ったが僕の好奇心は知らぬ間に喋らせていた。
「現場を見る限りはな」
色々聴きたくなるのを僕が抑えて黙っていると向こうからいくつか尋ねてくる。
「志茂君とは仲が良かったのかい」
「まずまず、でもほとんど縁はなかったです」
学校では彼と喋ったことがないのでこう答えるのが嘘にならなくていいだろう。
「そうか。志茂君は自殺するような人柄だと思うかな?」
「思いません」
「なるほど。なら君は他殺の可能性を疑っているんだな」
「いや、そういうわけでは」
「自殺でなかったら他殺としか考えられないのではないか」
「いえ、その、えっと...殺人なんて、そんなことあるはずが...でも、彼は自殺するようなやつでは...」
僕はしどろもどろ答えた。
「ほう。とても優しいやつなのか」
「いや、そういうわけじゃないですけど...騒がしいぐらいに明るくて楽しくて、盛り上げ役みたいな感じのやつなので」
しかし、そんな性格が故にいじめられていた、などということは決して口にしないでおいた。いじめられていた、という情報を与えれば志茂は自殺した、それで間違いない、と処理されかねない。しかし、そういうわけにはいかない。警察には志茂を殺した犯人を捕まえてもらわないと、絶対に許せない。
「とりあえず、質問はこれぐらいだ。ご協力ありがとう、浜辺君」
「僕は授業の方に戻ってもいいですか」
「申し訳ないが、二つ隣の部屋で待機してもらうことになるな」
メモをしていた刑事がメモ帳を閉じて言った。隣の部屋、となるとここが[面談室A]だから[面談室C]か。この学校の廊下には連なるように面談室が並んでおりそれぞれA〜Eと名前がついている。隣の部屋ではなく二つ隣の部屋に移動させるということは、すなわち隣の部屋に移動する、ではいけない理由があるからだろう。
多分、今から森木と西藤を連れてきてここ[面談室A]で僕の証言の裏を取る事情聴取をするのだろう。それを盗み聞きされてはいけないので二つ離れた部屋に僕を誘導した、そう考えるのが自然か。
僕は面談室を出て、言われた通り[面談室C]に入った。僕が部屋に入ってから壁に耳を当ててみた。若干ボソボソと声は聞こえるような気がしなくもないが、多分気のせいで、ここから[面談室A]の音を聞くのは難しいようだ。
三、四十分ぐらい経って、部屋の扉が開きあのメモを担当していた方の刑事が入ってきた。
「待たせてすまないね。ちょっとだけ質問をさせてくれ。そうしたらもう授業に戻っていいから」
「[面談室A]で、ですか?」
「いや、そんなに時間は取らないからこの場でやろう」
刑事はメモ帳をポケットから取り出してペンを構えると質問を始めた。
「森木君や西藤君と帰宅したのは初めてだと言ったね」
「はい」
「なんでこの日は彼らと帰ったんだい」
「やはり警察は僕を疑っているんですね」
「残念ながらそうだ。しかし、君がちゃんと話してくれれば君が犯人ではないという証拠が見つかるかもしれない。どちらにせよ、黙ったままでは何も始まらない、ということだ」
やはり疑われていた。僕は刑事の口からそのことを聞いて流石に恐怖で心拍数が上がるのを感じた。血液がどんどん身体中を巡っていき、汗が額を濡らす。
「向こうから誘われたので彼らと帰りました」
「なるほど...あ、そういう」
刑事はメモをする手を止めて声を上げた。何かに気が付いたかのように。
「彼らから一緒に帰る誘いを受けたのは初めてだったんだね」
「はい」
「なるほど。ならば」
刑事の言っている意味がわからない。向こうから誘われたから何なのだ、ん? まさか。僕はある可能性に気が付き、思わず歓声を上げそうになった。彼らが志茂を殺した。嘘のアリバイを立てようという西藤の今朝の提案。嘘のアリバイを立てることによって守られるのは僕だけではない。そう、あれは僕を守るためではなく、自分、すなわち森木西藤を守るためだった。
いや、しかしストラップのことはどう考えればよいだろうか。彼らはあのストラップを持っていたのだろうか。坂田からもらった? いや、坂田はもらったものを他人にあげてしまうようなタイプには見えない。なら...ああ、そうか、別にあの店のあのガチャで当てる必要はないのか。少し離れた他の店や、ネットで購入すればいい話。全てが繋がった。
「おい、浜辺君?」
「ああ、すいません」
危うく推理の世界に意識を持っていかれそうになった。
「もう一つ質問だ。もしこれが他殺だとするならば犯人は防犯カメラを掻い潜って裏口から体育倉庫に入ったものとみられる。体育倉庫の裏口のことは?」
「一応知ってます。多分多くの生徒が知ってると思います。かくれんぼとかする時、あそこを使って隠れる人がいるので」
「なるほど。ありがとう。今日は時間をとってしまった。もうすぐ四時間目が終わってしまう、さあ早く戻りなさい」
刑事は時計を確認した。僕は一礼すると急いで教室に戻る素振りを見せたが内心では、こんな楽しいことで授業時間を潰せたラッキーとガッツポーズしていた。
大滝にも何もされず最高の一日を終えて清々しい気分で『サンシャイン同盟』の通話に参加すると既に坂田が通話に入っていた。僕が入るとすぐ彼は心配そうに
「警察に呼ばれたらしいけどどうだったの」
と尋ねてきた。僕は笑って
「全然問題なし」
と答えた。今日の僕はいつもより一回りかふた周り機嫌が良い。
「ならよかった」
「おつー」
坂田の声に被せるように西藤が通話に入ってきて言った。続いて森木も入ってくる。
「お疲れ」
「今日はマジで庇ってくれてありがとう。多分警察も僕を疑うことはやめてくれると思う」
「まあ、袖振り合うも何たらかんたらよ。お前の無実を信じて助けただけだ」
「来た、イケメン発言」
と僕が茶化すと森木がすかさず
「ひゅーひゅー」
と煽る。西藤は何か言い返そうとしたが僕はそれを遮って
「本当にありがと、結構危なかった、庇ってもらえなかったら」
再度感謝を述べた。
「ただ、あのストラップ」
森木が真面目な口調になって言った。そうだ、いよいよその問題が浮上する。あのストラップの持ち主は...。
「知ってるの?」
「今日警察から事情聴取受けた時に刑事が見せてくれたんだよ、浜辺が犯人である証拠の一つだってな」
なるほど。
「あのストラップは確か」
森木はそこまで言って言葉を切った。
誰も続きを言わない、いや言えないので僕は口を開いた。
「あれは僕が坂田に上げたやつ」
「だよな」
森木は重苦しげに言った。
「坂田、お前この事件に関与してるだろ」
「え」
「あれが事件現場に落ちていた、イコール、お前が犯人ってことになってしまうんだよ」
西藤が鋭く咎める。
「あれは、僕がもらったやつじゃ...」
坂田は弱々しくそう言い返すが西藤はそれに耳を貸さない。
「しかし、妙な偶然だよな。現場に落ちていたストラップ。あれと同じ種類のものを持っていた人間は志茂とネット上で繋がりがあった」
「そんな」
「お前を犯人と考えずに誰が犯人だと考えられるんだよ」
「別にあのストラップは持ってる人は他にもいるだろうし」
「でも、ええと、あのアニメなんていったっけ」
「『デイズおん』」
「ナイス浜辺。そう、『デイズおん』。あれは結構マイナーなアニメだと聞いているが」
「じ、じゃあもしかしたら、誰かが僕を犯人に仕立て上げようと」
「誰か、って誰だよ。そもそもお前があのストラップを持ってるってことを知っているのはこの『サンシャイン同盟』にいる人だけだぞ。俺らの中に犯人がいると言いたいのかよ」
坂田は何も返せず黙ってしまった。
「どうなの」
僕は問い詰めるように彼に尋ねた。そこには志茂を殺した恨みより、単純な自分が名探偵側の人間になっている優越感があった。
「僕はやっていない」
坂田の小さな声がイヤホンを通して僕の耳にしっかりと入ってきた。
「本当に?」
「証拠はないし、アリバイはないけど、でも」
「証拠もないんじゃあどうとも」
西藤は責めるような口調を以前やめない。
「今日は落ちる。夕飯」
坂田は早口でそう言うと通話を抜けた。
「逃げんのかよ。やっぱあいつだな犯人は」
西藤は吐き捨てるように言った。僕も坂田が犯人だろう、と大体確信していたが、やはり心の奥底ではそのことを信じられずにいた。
「引っかかるな」
ずっと黙っていた森木が言った。
「引っかかる?」
「動機がないだろう」
確かに、動機はない。しかし、動機はなくても物的証拠は上がっているのだ。
「なんか閃いたのか」
「いいやそういうわけじゃ」
「じゃあ偉そうに動機がない、とか言うなよ」
「ただ...」
なんとなく嫌な雰囲気だ。それぞれが互いに他者を批判し合っている。元々このサーバーではそのようなノリは日常的だったのだが、今の雰囲気はノリというよりガチ、ピリピリしているのは正直僕がこのサーバーに求めていることとは違う。
「一旦クールダウンしない?」
「クールダウンするか」
「じゃあ今日はここらへんで」
皆、内心ではこの雰囲気は嫌だと思っていたのだろう。そのまま各々が通話を抜けていき、今日はこれで解散となった。
九月五日
坂田が犯人。その方向で固まりつつあった僕の考えはいっぺんに覆された。坂田には事件発生時アリバイがあったのだ。
彼は事件発生時学校内の図書館で本を読んでいた。この情報をもたらしてくれたのは図書館の司書の方々だ。
「あーこの本は借りられていてね。あと二、三日で返却されるとは思うんだが」
『ジュリエット物語、あるいは悪徳の栄え』。僕は偶然マゾヒストの言葉の意味を調べているときにこの本のことを知り、タイトルを知った本はとりあえず読んでみたいという悪い癖で、この本を借りようと本棚をいくら探しても見つからず、司書の方に場所を尋ねたのだった。
「こんな本読む人いるんですね」
「結構物好きな子が高一にいてね。先週...つまり八月三十一日かな、に借りられているからもうすぐ返ってくると思うよ」
この時は八月三十一日が事件のあった日であることなどは考えずに単純な興味で
「高一に? 僕の同級生に?」
と尋ねた。
「坂田征四郎くんのこと、知ってる?」
坂田征四郎。その名前を聞いて初めて僕は八月三十一日が事件のあった日だと思い出した。
「えっと、あ、はい。ちなみに、いつ借りられたんですか」
「八月三十一日だとさっき言ったが」
「ああいえ、時間です。何時ごろにっていう」
「ああ、確か」
司書の方は貸出履歴を丁寧に調べてくれて、正確に教えてくれた。
「午後六時五十分だな」
午後六時五十分。確か志茂の死亡推定時刻は午後七時。
「それにしてもどうしてそんなことを聞くのかい?」
司書はちょこんと鼻の上に乗っけた丸眼鏡を外し、拭きながら言った。
「ええと、その、いつ頃にここに来たら坂田くんに会えるか気になったからです」
咄嗟にいい嘘を考えられた。多分この嘘はバレていないだろう。
「なるほどね。まあ基本的には彼は放課後ずっといるよ、ここの閉館時刻まで。ずっと一人で、そこの席で読書か宿題かをしてる」
「『ジュリエット物語、あるいは悪徳の栄え』を借りた日も、ですか」
「借りた日も」
「トイレに行ったりは...」
「君根掘り葉掘り聞くね」
司書も少し僕を怪しく思ってきたようだ。
「いえ、その、彼がトイレに行ってて会えなかったら」
「なるほど。まあその心配はないんだがな、彼はトイレにも行かない。ずっとそこに座ってる。いつも一人で」
「色々お聞きしてすいませんでした」
僕はささっと頭を下げると足速に図書館を出た。
こうして、僕は坂田征四郎には確固たるアリバイがあったのだと知らされたのだ。
僕はこの話を『サンシャイン同盟』の連中に報告するべきか否か迷いがあった。しかし、言わなければ坂田はアリバイがあるのに疑われたままになる。そんな理不尽は流石に嫌だ。僕はこのことを彼らに伝えることにした。その場には坂田自身もいた。
「あああ!? まじ!!??」
音割れするぐらいの大声で驚いたのは西藤であった。
「嘘ついてどうするの」
「え、いや、ああ、ええ?」
彼は結構動揺しているようだ。しかしそれも当然である。彼は昨日散々坂田を犯人扱いして酷いことを言ったのだ。
「それじゃあ坂田は犯人じゃないのかぁ!?」
「うん、そういうこと」
「やっぱりそうか」
森木はイキるのを忘れない。
「だかだ昨日の西藤の推理は全部誤りです。誤りだけに謝りなさいってね」
しばしの沈黙。最後の一言はやはり余計だったな...。
「あっ、と、昨日のは、そう、憶測だ。昨日明かされていた情報からはああいうふうに推測せざるを得なかった。これは仕方ない話だ、そうだろう」
西藤は早口でそう言ったがその口調から申し訳ないと思っているのは伝わった。
「いいよ、別に」
坂田はさらっとそう言った。
「坂田は犯人じゃない」
僕は清々しい気持ちになって改めてそう言った。坂田が犯人かもしれない、そう考え始めた時僕は結構落ち込んだ、キーホルダーを上げた頃から僕は心の内で彼と仲良くなりたい、そう強く思っていたのだ。だから、彼が僕の友人を殺した、そうなると...何とも言えない疎外感を覚えたのだ。しかし、彼が犯人ではない。彼はまだ僕のすぐ隣にいる。
「ま、色々解決したし、祝杯だ。皆酒持ってこい」
西藤が調子に乗ってそう言ったがすぐに森木が
「まだ解決していない。犯人がわからないままだ」
と格好つけて言った。
「じ、じゃあだれなんだよ、犯人は」
「わからない。だが、うん、一旦ここで解散しよう」
「お前が仕切るな」
西藤が口を挟んだが
「とりあえず、明日、こちらで調査をしてみる。ま、一瞬で犯人なんぞ特定してやるわ」
と最後まで森木が会話の主導権を握ったまま今日の通話は終わった。
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