第5話
マネージャーの心配を
それは、俺の仕事がいきなり増えたことだ。特に多いのはテレビの仕事で、ひな壇に呼ばれたりちょっとしたネタ番組にも出演オファーがいくつも来たりと、割と順調で忙しい日々を送っていた。
切っ掛けはもちろんというか、例の笑い声だった。あの一件で俺はネット上で一躍時の人となった。「呪われた芸人」みたいな見方をされるようになって、それは取りようによっては随分酷い言われようだけど、でも俺はそれでもいいと思った。何故なら、この世界は売れてなんぼ、知名度を上げてなんぼなのだ。知られないことには存在していないことと同じというのはどの世界でもそうかもしれないが、芸能界はまず名前と顔をどうやって売るかに掛かっている。そして、奇しくも俺は『呪い』という裏技を使って両方を売ることに成功した。
テレビも舞台も出演機会が何倍何十倍にも増え、俺は深夜の牛丼屋でのバイトを辞める。ネタもたくさん書く。今までよりもバリエーションを増やしていく。飽きられることは最も避けなければならないからだ。苦手だった一発ギャグ的なのも入れる。しかし自分でも面白くないのは明らかで、これをやるのは相当マイナーな番組とか持ち時間が余った時の舞台とかに限定する。
そんな生活が二ヶ月程続くと、俺の『呪いバリュー』もだいぶ薄れてくる。俺が出るだけで盛り上がっていた劇場も、次第にまばらな拍手に変わっていく。理由は簡単で、ウケていないからだ。面白くないのだ。名前と顔が売れたからといってそれは実力で売れたわけではないし、芸人は実力が備わっていることが最低条件だ。そして俺には備わっていない。
いつまでも新人だからしょうがないとか自分を甘やかしていることもできず、俺は日に日に追い詰められていく。今までも滑ることはしょっちゅうあったし、むしろウケる方が圧倒的に少なかったからどれだけ少ない笑い声でも嬉しく感じたりもしたけれど、一時的にとはいえたくさんの笑い声を聞いてしまうと、人気に陰りが出た瞬間にここまで露骨にお客のテンションの差を見せつけられてしまうと、舞台から逃げ出したくなる衝動に駆られる。
そして俺はやってしまう。
いつも通り、「どうもー」と袖から出てセンターマイクに歩み寄る途中で、観客の「うわー、もういいよこいつ」という声が耳に届く。
声の若さからして、二十代くらいの女性客だと思われる。その言葉に俺は心臓を突き刺されたようなショックを受けるけれど、ここで立ち止まるわけにはいかない。
明らかに貼り付けたような偽物の作り笑顔で「いやーさっきですねー」と面白くもない導入の小話を始める。
シーンと静まり返る劇場内には俺の声だけが響いている。
時折聞こえてくるパリパリとスナック菓子を頬張る音やスマホのバイブ音ですら俺の声より大きいんじゃないかってくらいに見事な静寂を作り上げた観客達は「長くね?」とか「早く終われよ」とか、俺に届くくらいの声量で不満を吐く。
それでも俺は続ける。この前テレビ局で遭遇したベテラン俳優の意外な一面を面白おかしく脚色した――つもりの話は、やっぱり誰も笑わない。
ついに俺は口を噤んでしまう。芸人は黙ってはいけない。いついかなる状況であれ、絶対に無言で立ち尽くしてはいけない。そんなことは百も承知で、養成所でも散々言われてきたことだ。でももう無理だった。笑いは笑いでも嘲笑の的になるのはもう耐えられなかった。
そして、俺の中で何かが切れてしまった。
「おめーら、スマホいじってんじゃねーよ!」
突然の怒号にどよめく客たちに俺は続ける。
「つまんねーならてめーらが帰れよ! スマホばっかいじりやがって。つまんねーのはてめーの人生だっつーの。人のこと面白くねーだのなんだのこき下ろしやがって。じゃあてめーは面白いこと言えんのかよ。そんなに周りの人間笑わせてんのかよ。偉そうに笑いのレベル測ってるつもりになってんじゃねーよ。てめーらド素人がプロの芸人を笑ってやってるみてーな上から目線で言ってるけどよー、てめーらなんてお笑いのことなんにもわかってねーからな! ひとつもわかってねーから! 人が必死で作ったネタを馬鹿にしやがって……調子に乗ってんなよ! 帰れよ! てめーを楽しませるつもりでやってねーんだよ! 笑えねーなら帰れ!」
言うまでもなく、俺は謹慎することになった。
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