第4話

 尋常じゃなく滑った。人ってこんな表情できるんだってくらい、スタッフ一同、無の表情だった。MCの会話は別の部屋で撮ってるらしいから聞いてないし、「放送を楽しみにしていてください」とか言われて、彼らがどんな感じで俺をイジっていたのかも教えてもらえなかった。


 というか、正直めちゃめちゃショックだったし、俺ってこんなにも面白くないのかという現実を突きつけられて、ちょっと泣いてしまった。


 悔しさもることながら、これ多分トラウマになってもう舞台に立てなくなるんじゃないかってくらいにダメージを負っていた。

 そして放送された番組を観る。超滑ってる。もうやめてくれ。


 いや、でもMCの会話がこの番組の肝でもあるし、ベテラン芸人に色んなツッコミを入れられることで評価が上がることだって十分あり得るよなとか都合の良いことを考えてた俺に罰が当たったのか、彼らは「なんか笑ってあげたいのに笑われへんって辛いわ」と終始苦笑いを浮かべ俺を憐れむだけだった。その発言に対してはスタッフの笑いが聞こえる。そしてその言葉を聞きながらテレビの前で俺は彼らと同じく苦笑いを浮かべ、涙も浮かべる。


 もう終わったのかな、俺。

 落ち込んでると、有村から電話が来る。


「飲み行こーぜー」「いや、やめとく。金ないし」「えーマジかよー。でも俺も今無職だしなー。じゃあまた今度にするか」「そういえばさ……」「ん?」「あー、いや、いいわ」「なんだよ。なんでも言えよなー」「……有村さ、俺の出た番組観た?」「……あー、録画してあるけどまだ観てないや」「……そか」「うん。どうかした?」「いや、観てないなら別にいいんだけど」「観る観る。なんならこれからうち来て一緒に観るかー?」「……やめとく」「そっか。じゃまた」


 観て欲しいような観て欲しくないような。だってあんなの恥ずかしいというか、絶対気を使うだろ。「俺は面白かったと思うよ」とか気まずそうに言う有村の様子が容易に目に浮かぶ。


 あーあ。やっぱり言うんじゃなかった。収録でウケたって手応えがあった時に初めて伝えるべきだったんだ。


 やっちまったなー。もう俺に掛ける言葉が見つからずに気まずくなって連絡もしてこないかも。とはいえこのタイミングで俺から連絡するのもなーとか思ってると、二日後にいつも通りの感じで飲みに誘われる。こいつほんと飲みに行くの好きだなとかってことよりも、俺は当然ネタの感想が気になって仕方ないのだけれど、特にそのことは口にしない。お互いに。


 で、安いチェーンの居酒屋で会って、お互い三杯ずつくらい飲んだところで「……どうだった、ネタ番組」と俺の方から切り出す。


 なんかやきもきしながら、この気持ち悪いぐじゅぐじゅとした感覚を腹の中に抱えながら探り探り話すみたいなのに耐えられなかったからだ。

 で、有村はというと、「あーあれね。観たよ」と特に表情を変えずに言う。


「よくわかんなかったわ」

「わかんないって、ネタの意味が?」

「いや、ネタというか、そもそも聞こえねーんだもん」

「聞こえない? どういうこと?」


 俺もオンエアチェックしたからボリュームがおかしいとかそんなことはないことを知っているし、もしかしたら有村の家のテレビの調子が悪いのではと指摘すると彼は否定した。


「そういうことじゃなくてさ。なんか女のうるせー笑い声でネタが全然聞こえなかったんだよ」

「は?」


 ますます俺は混乱する。いや、女というか、そもそもあそこにいた人間は誰一人笑ってなんていなかった。俺の耳は正常だし、それは間違いない。笑い声は苦笑すら漏れていなかった。


 では、SEで笑い声を足したんだろうか。いや、それもない。何故なら俺はあの番組を観ていて、そこにはあの日と同じ、まるで深海にいるかのような静寂を画面とスピーカーから視聴者にお届けしたことを知っているのだから。


「いやーほんとだってば。キャハハハハハハハハみたいな女の声。すげーうるさかったんだってば」


 あまりにもしつこくそう言い続ける有村はまだ酔っ払うほど飲んでいなくて、冗談を言っている感じでもない。しかし、そんな声が入っていることはあり得ない。視聴するテレビによって音声が変わるなんて技術は流石に現代科学でも不可能じゃないだろうか。


「そんじゃ、一緒に観る? 今からうちいこーぜ」


 俺はその提案に乗る。そうだよな。それが一番手っ取り早い。録画してあると言っていたし、俺もそれを実際に観ればそれが間違いかどうか一目瞭然だ。恐らく幻聴か、もしくは同じ時間にスマホで観てた動画の声だったりラジオだったり隣の家のテレビの音だったり他の機器から出た何かしらの音を笑い声だと勘違いしただけという可能性があるし、ほぼそれで間違いないだろう。


 ほろ酔いの俺とほろ酔い未満の有村は、歩いて彼のアパートへと向かう。そしてくだんの番組を一緒に観る。そして俺は有村が何一つ嘘を吐いていないことと、世の中には俺の知らないことが山程あるんだろうなということを思い知らされる。


「な?」「……マジだ」「だから言ったじゃん」「いやこれどういうことだよ」「俺が知るわけないだろー」「いやだってうちのテレビだと――」「じゃあ後藤んちのテレビが壊れてんじゃないの?」


 そんなやり取りをしながら俺はふと思い立つ。

 これって俺達以外の視聴者にはどう受け取られているのだろう。みんなこの笑い声を聞いているのか? それとも有村のテレビだけの現象なのだろうか。


 俺はSNSをチェックしてみる。検索ボックスに『番組名』と『笑い声』と入力。するとずらりとヒットする。その呟きはどれも「マジ女の声うるせー」とか「スタッフか? 笑い声デカ過ぎうざい」とか「SEにしてもやりすぎだろ」とか「どんだけウケてなかったんだよ……虚しくないのか」みたいな、番組に対する批判的な意見がズラリと並んでいた。


 ということは、やっぱり正しいのは有村の方で、俺の家のテレビがおかしいんだろう。というか、おかしいのは俺か? 本当にトラウマみたいになってしまっていて、家でひとりで観た時は、あるはずの笑い声すら聞こえなくなっていたんだろうか。自信喪失のせいで、笑い声なんて起こるはずがないという思い込みから。


 ただ、正直疑問も残る。まず、ネットで書かれている通り、そして有村が指摘した通り、明らかに笑い声がでか過ぎるのだ。本当に俺のネタが聞こえないし、俺が口を動かしているからなにかしら言ってるんだろうなってくらいのことしかわからず、とにかく女のキャハハハって声が一分間続く。


 そうだよ、一分続くんだ。ネタが始まった瞬間からその声も始まり、ネタが終わるとほぼ同時に終わる。こんなの編集で声を入れてると思わないほうがどうかしてる。しかし、当然プロである編集者がこんなミスをするだろうか。問題外ってくらいに下手過ぎる。下手とかそういう問題ですらない。どうしたらこんなことになるんだ。若手や新人の出演者が多かったから、スタッフも新人で組まれていたのだろうか。


 根拠の判然としない詮索をしていても仕方ない。まあどっちにしろウケてなかったんだし、むしろネタが聞こえていない方が俺の芸人としての傷も浅くて済むという受け取り方もあるのではないかという現実逃避をしていると、マネージャーから電話がくる。


「いやー連絡が遅くなってすいませんですー。あれ、観ました?」


 いきなりあれと言われてどれだよって苛立つのはいつものことだけど、この時ばかりはあれと言われればあれしかないので「観ました」と応じる。


「いやー、局に凄いクレーム入ってましてねー。うるさいとか不愉快とか。後藤さんに殺害予告したクレームもあったみたいですよー」

「それはクレームじゃないと思うんですけど」

「あははーまあいいですけどね。で、反響が大きいのは良いことでもあるんですけど、あんまり良いことばかりでもないんですよね」

「まあ不愉快だと言われたのが僕が出たシーンなので、僕に対する怒りみたいなのがあるのは仕方ないのかもですしね」


 100%俺のせいじゃないが、それでもまあムカつかれたり嫌われるのは我慢しよう。これで顔と名前が売れたという側面もあるし、悪いことばかりではないんだし。殺害予告される筋合いはないけどな。


「いやいや、それもあるんですけどね、なんかあの放送みて気分が悪くなったとか体調悪くなったとか、親が死んだとかペットが死んだとか、あと学校の成績が下がったとか――もう呪いのシーンになってるらしいんですよ」

「……全部こじつけですよね、絶対」

「まーそうなんでしょうけどねー。で、後藤さん、お祓い行きません?」

「え? いや、行きませんけど」


 俺が呪われてるってことなのか? いや、呪われるような心当たりもないし、別に何か悪いことが起きてるなんてこともないけれど。もしかしたらこないだの滑りまくったのは呪いのせいだったとかいう話だろうか?


「いやあれは実力ですよ、嫌だなあ」


 あははと笑うマネージャーは俺が冗談を言っていると思っているらしい。というか、マネージャーなら嘘でも収録の時に笑っておけよ。


「ま、いいですけどね。でも何かあったら言ってくださいね」

「あの、なんで僕がお祓いに行くんでしょうか」

「だって、後藤さんの時だけですよ、あの変な笑い声が入ってたの」

「それは……あんまり自分で言いたくないですけど、あそこまで滑ってた僕だけだったからスタッフさんが気を使って入れてくれたんじゃないんですか」


 一人前の芸人振るつもりはないけれど、でもテレビの作りくらいはなんとなく把握してるつもりだ。芸人が世間に受け入れられようが見向きもされなかろうが、テレビ局としては正直どうでもいい話で、基本はだけだ。メディアで人気者を作り上げることもあるけれど、それにはたくさんの広告費がかかるし、外れた時はその分マイナスになってしまうので、多くの場合はネットで人気を集めた者が出演するというのが今や通例みたいになっているはずだ。そういう意味では俺なんかがこんなに注目を集めるのは良いのか悪いのかわからなくなってくるけれど。


「いや、編集してないらしいですよ。後藤さんとこ、全部無加工です」

「……………………」


 俺は何も言葉を返せない。笑い声を入れてない? そんなことあるわけないだろ。いよいよ訳がわからなくなってきた。まさか本当にスタジオに住み着く幽霊の笑い声だとでも言うつもりか?


「というわけで、ほんとになんかあったらお祓い行きましょうねー」


 軽い調子で通話は終わり、俺は暫くスマホを握りしめたまま呆然としていた。

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