第3話

 それなりに忙しい生活を送っていると知らない番号から電話が来る。


「久し振り。声でわかる? 俺だよ俺」と有村雄平ありむらゆうへいは馴れ馴れしい口調で話すけれど有村なんて知り合いでいたっけ? と一瞬記憶を探りながら「事務所の方でしたっけ」と返す俺の言葉のどこがおかしかったのか、ブーと吹き出して「事務所って! 誰がヤクザだ!」とクソみたいなツッコミをする。


 有村は俺の中学時代の友人で、部活が一緒だったこともあって中三の夏休みはほぼずっと遊んでた。好きな漫画とかテレビ番組の趣味が結構被ってたから話も弾んだし、中学三年間で一番会話をしたのは恐らく有村だろうってくらいには仲が良かったけれど、卒業してからは一度も話してなかったので、すっかりおっさんみたいな声になっているから五分くらい話しても誰だかわからなかった。


後藤ごとうさー、最近なにしてんの? 仕事は?」

「芸人」

「げ、芸人って何? え、あの芸人?」

「多分その芸人」


 夜勤明けで眠かったから心底面倒だったけれど、一応旧知の仲だし、適当にあしらうのも何だかなと、俺はここ数年の近況を掻い摘んで伝える。


「なんか色々あったんだなー。いや俺もさー」


 訊いてもいない近況報告を返され、俺は眠気にギリギリ抗いながら閉眼しつつ上の空で話しを聞く。


 とりあえず限界だったので、また連絡すると言って電話を切る。

 それから有村とは時々会って話すようになった。


 彼は健康器具みたいな怪しいグッズを訪問販売しているらしく、上司は顔に入れ墨を彫った強面の大男で、「先月より売上下がったら埋める」と毎月冗談っぽく本気で脅してくるらしいので、精神を病んでしまった有村は心療内科でうつ病と診断され、すったもんだの結果漸く来月退職できる運びになりそうだとのこと。


「仕事ってさー、辞める時ってなんであんなめんどくせーんだろうなあ。引き継ぎとかはわかるけどさ、なんか引き止められたりとか、次の仕事決まってんのかとかさ、いやそんなんおめーに関係ねーだろって思うわー」


 俺自身も転職経験があるから、有村の言わんとしていることは理解できる。それでも俺はすんなりと辞められたからまだ良かったけど、世の中には半ば脅迫みたいな形で退職を取り消すことになるケースもあると聞くし、そういう意味では前職はホワイト企業だったんだろうな。


「いやー後藤はツイてるよ。俺んとこ絶対やべーもん。上司小指ねーし。今時小指切るか? いや知らないけどさー。昭和のヤクザ映画じゃあるまいし。しかも両手だぜ? どんなミスした時の落とし前だよ」


 両手の小指がないからといってそっち方面の人間だと見做みなすのはやや短絡的な気がしなくもないけれど、人相と脅し文句を聞く限り、まあ十中八九そっちなんだろうなと想像はつく。


「んで、後藤はどうなの? お笑い番組とか出てんの?」

「全然。劇場ではネタやったりしてるけど」

「え、すげーじゃん。ってこの前聞いたっけ。でもさー、劇場ってベテラン芸人とかも出てんじゃん。同じ舞台に立つってことはもう完全にプロってことなんだし、単純に凄いと思うわ」


 褒められることは嫌いじゃないけれど、自分自身が全然凄いと思っていないことを褒められるのはあまり良い気がしない。でも当然悪気なんてないんだし、ここで拗ねてしまうのは格好悪過ぎるから俺は適当に流す。


「今度見に行くわ」と言う有村はやっぱり見に来なくて、チケットだってそんなに高くはないと言っても三千円くらいはするから、これから無職になる有村を強引に誘う気にはなれないし、かといって俺がチケットを買って渡すほど余裕もない。


 バイト、バイト、劇場、有村と飲み、バイト、バイト、バイトみたいな日々を何度も繰り返している内に有村はなんとか無事に退職して晴れて無職になる。

 そして俺にはテレビの仕事の話が来る。


「深夜枠なんだけどさ。ネタ番組。やる?」

「やります」


 考える余地なんてなくて、俺は番組名どころか出演者含め詳しい内容なんて全く聞かずにオファーに応じた。


 その番組は結構有名で、MCのベテラン芸人二人が若手のネタを見ながらツッコミを入れたり面白いと太鼓判を押したりと、若手の登竜門みたいになってる人気番組だった。


 俺はまだ二年目なので当然新人として出ることができるし、お茶の間の認知度といえばほぼ皆無なのだから、出演資格は完璧に満たしている。

 それどころか、MCの二人は俺の名前なんて当然知らないだろう。

 でもむしろその方がいいかもしれない。構えずに済むから。なんの期待もされていないって方が、肩の力を抜いて勝負できる。


 そう、勝負なのだ。紛れもない真剣勝負なのだ。気づけば養成所にこなくなってしまった筑紫さんに作り笑いをしなかった俺はやっぱり間違ってなくて、芸人にとって「ネタを見せること」は、命がけで行う勝負の場でしかない。芸人として生きるか死ぬか、それはネタの出来に掛かっている。


 それから俺は牛丼を客に提供しながらどんなネタでいくかを考える。いつもやってるのは正直自分自身が飽きてしまっていて、鮮度のなさ加減が視聴者にも伝わってしまう可能性は極めて高いと思われる。


 では新ネタを作るか? いや、本番までにあと四日しかない。ゼロベースで作り出して練習して更に練度を上げて本番に臨むには時間がなさ過ぎる。ほんと、どうしたものだろうか。



 悩んでいると有村から電話が来る。相変わらずの愚痴を聞かされた後に、今度テレビに出ることを教える。「すげーじゃん! いつ?」と言われ日時を伝えると「絶対見るわー」とかなり期待してくれている様子だった。俺は嬉しい気持ちもあるけれど正直プレッシャーも感じていて、こんなことならテレビに出ること言わなければよかったなとか今更後悔する。


 しかし、そのせいもあってか、どこか吹っ切れた俺は唯一ウケた漫談っぽい感じの小話をすることを決める。


 今はもう顔も朧気にしか思い出せない筑紫さんが大いに笑ってくれたあの話をしよう。なんというか、他のネタは如何にも「ネタを繰ってきました感」があって、ちょっと見る方も構えてしまうのだけれど、多分あれなら軽く聞き流してもらえるだろうし、初めてのテレビ出演と考えると俺のキャラクターを知ってもらうという意味でも無難な気がする。


 そうしていざ当日を迎えると、本番直前になってマネージャーが「一発ギャグっぽいのでいきましょう」とか言い出す。いやいや、あと十分で始まるのに今更考えられるわけねーだろと思うけれど、「番組的にもそっちのキャラの方がMCのお二人もいじりやすいですし、何より尺が一分だからだらだら話すの無理ですよ」とか、これまた直前で持ち時間を報告してくる。いやいや、「あの番組三分とかネタやってますよね?」と確認する俺に「今回は新人芸人がいっぱい出るから一人一人の尺は短いんですよ」とのこと。それなら尚更もっと早く言えよ。


 そんな風に心の中で毒づいていても状況は改善することはないし、俺は必死でギャグを考える。いや、俺、そういえば今までギャグ的なネタなんてやったことないぞ。ここで初めてやるのってハードル高すぎるだろとか独りごちてる内に残り時間は三分になっていて、前の出番の奴は超緊張した面持ちで舞台に向かう。


 ……無理だろ。どう考えても無理だろ。棄権するか? ――それこそ無理だろ。もう二度と使ってもらえなくなるわ。じゃあどうする。付け焼き刃とすら呼べない出来の刃を振るうか? 玉砕覚悟どころかただ無駄に砕け散るだけだろうな。下手したらONAIRされない可能性だってある。


 どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうす――

「後藤さーん。本番お願いしまーす」というADの声に心臓を吐き出しそうになるけれど、もうこうなったらヤケクソだと開き直る俺。


 カメラの前に立つと、ああ出演者側が見てる光景ってこんな感じだったのかという小さな感動が沸き起こる。いつもはテレビの視聴者側目線でしか見てこなかったけど、でも演者はこういう現場でネタ見せしていたんだな。そして今、俺もそこに立ってるんだ。


 段々と緊張より震え立つ気持ちが膨らんでくる。良い緊張感だ。これならいける気がする。スポーツでもなんでも、ほどよい緊張感が一番ポテンシャルを引き出せる条件だとか聞いたことがあるし、今の俺は爆笑をさらうことができるという自信に満ち溢れつつも武者震いしている。


 一か八か。やってやる!

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