第2話

 思えば、俺が小学生くらいの頃は毎日遅くまで働いていて、ほとんど顔を合わせることはなかった気がする。彼はいわゆるサラリーマンというやつで、仕事内容は知らないが、当時は働けば働いた分だけ稼げるみたいな時代だったと母親が言っていたことがある。しかし今は毎日十八時には必ず帰宅している。もう稼げないから最低限しか働かないのだろう。


 でもその気持ちは社会人二年目の俺にも少しだけ分かる。如何に残業代を支払わないかということに注力している会社の姿勢に辟易へきえきとしているからだ。仕事量は社員の数が増えても変わらず、社員が減れば当然仕事も増える。残業代は申請が通らないともらえないし、わざわざ理由を明記した申請書を提出しないとそもそも残業したことにすらならないというクソシステムを俺は入社当初から馬鹿らしいと思っていた。でもそれも世の中では普通のことらしく、申請が許可されれば残業代が出るというだけでもまだマシだと思わなくてはいけないらしい。でもじゃあ申請が通らないなら帰りますなんてことは通じなくて、なんで業務時間内で終わらせることができないんだとお金の代わりにお叱りを頂いてしまう始末だ。


 終わってるだろ。こんな世の中が当たり前なのか? これが普通でいいのか? うちの会社はもっと酷いよだとかそんな奴隷の鎖自慢をしてる人生に満足してるのか?


 俺は違う。

 俺はおかしいと思う。


 生気の抜けた顔で毎日なにを考えてるのかわからない父親の生き方も、こんなもんだと達観した気になってる奴隷達とも俺は違う。


 ……違うはずだ。

 いや、そんな弱気でどうするんだよ。

 今こそ変わるべきだ。


 別に一角ひとかどの人物になりただとか、一代で巨額の財を成したいだとか、そんな大それたことは望んでいなくて、でも、俺は何も成すことなく生きていたくはないとは思う。せっかく生まれたんだから、ただ流されるだけの、訳知り顔で世の中のルールが敷き詰められたレールの上をダラダラと走らされるだけの人生なんて到底我慢できない。


 沖縄旅行を思い出せ。なんであんなにも楽しめなかったんだ。なんであんなにも苦い思い出しか残っていないんだ。

 もちろんそれはゴーヤのせいでもなければ沖縄が悪いわけでもなく、飛行機の機長が悪いわけでも旅館の女将が悪いわけでも太陽と雨雲が悪いわけでもない。


 俺が行動しなかったからだ。

 そこに行けばなにかが得られると思っていた。

 そこに行くだけで、なにかが変わると思っていた。


 でもそんなことはなかった。受動的な考え方でしかなかった俺のチープな計画はちょっとした体調や天候の不良で全て露と消えた。


 そして俺は簡単に諦めてしまい、なにも成せず帰宅した。

 沖縄から持ち帰ったのは、真夜中の海みたいな暗黒の記憶と、ぬれアンダギーだけだ。


 だから俺は変わらなくてはならない。

 なんの楽しみも見いだせないこの暮らしから。この人生から。


 今思うと、母親は俺を必要以上に甘やかしてきたし、父親は必要以上に無関心だった。子供っぽいところのある母は20歳以上離れているとは思えないくらい俺ら世代の流行りに明るくて、どんな話題でもむしろ俺より詳しかった。


 家での俺の話し相手は専ら母親のみで、父親と会話をしたことなんてすれ違いざまのちょっとした挨拶程度のものばかり。

 だから今後の展望を父親に話すのははばかられたし、そもそも俺は誰かに俺のこの考えを話すつもりはなかった。


 不言実行。行動あるのみ。そして行動だけでは駄目だ。明確なビジョンを持って挑むんだ。


 思い立ったが吉日、である。その日の内に直属の上司に連絡して辞意を伝え、明日退職願を提出するという旨を伝える。「おいおいいきなり過ぎてわけわかんねーよ」と冗談っぽく笑われるけれど、俺が真面目な口調で「本気です」と返すと「……ま、しょうがない――のかな?」と曖昧なことを言って、「俺のほうから課長にも話しておくからさ。まあ元気出せよ」と彼は電話を切る。


 元気がないわけじゃないけれど、まあ退職する人間は普通に考えたら元気ではないケースが多いのかもしれないな。精神を病んだと思われたのかな。病んでないとは言い切れないけれど、俺は俺だし俺の人生は俺が決めるしって断言できるから別に精神的にダメージを負ってる感じでもないとは思うんだけど。


 そして俺の退職願は受理され、退職届を書きしたためて提出し、トントン拍子で俺の退職は進んでいき、二ヶ月後に俺は漸く自由を手に入れる。

 と同時に、俺はお笑いの養成所に入学手続きを行い、翌週から通い出す。


 なぜお笑いなのかっていうのは正直上手く説明できないし、だったらそれって何も考えてないんじゃないのかと指摘されたらそこでもまた閉口してしまいそうだけど、でもちゃんと理由らしい理由はある。


 それが先述した、「人生に対する失望」と「母親の死」だ。


 とはいえ、どっちも切っ掛けに過ぎなくて、明確にお笑いを目指そうと決めたのはたった二週間前のある日、たまたま点いていたテレビでお笑いの賞レースがやっていたんだけど、出場してる芸人が驚くほど面白くなくて、あれ、これもしかしたら俺が出たら簡単に優勝できるんじゃないのかとか、無知ゆえの自惚れから、無駄に逞しい想像力のせいでたくさんの笑い声と拍手を向けられた自分の姿を容易に想像してしまった結果、すぐにネットで養成所の申し込みを完了してしまったからだ。


 そして養成所に入った初日に俺は自分が如何に面白くないかを思い知らされる。


 俺が選んだ応募先は業界三番手くらいの規模である事務所で、それなりに誰もが聞いたことがある名前なので、養成所に来る人間も多少はお笑いに自信があるとか他人を笑わす能力に長けているみたいな自信がある奴ばかりで、簡単な自己紹介の後、簡単な一発芸やら漫談みたいなことをやらされるんだけど、俺の必殺沖縄旅行での失敗談は筑紫ちくしさんっていう二十二歳の女の子しか笑ってくれず、張り詰めた空気の中、俺は顔を赤らめながら静かに着席した。


 でもじゃあ他の奴はみんな面白いのかって言ったらそうでもなくて、十七人いた中で俺が思わず笑ってしまったのは二人だけで、後の十四人は申し訳ないけど作り笑いすらできなかった。筑紫さんもごめん、全然面白くなかった。笑ってくれたから笑い返してあげるのが筋かとも思ったけれど、でもここは真剣勝負の場でもあるから、そういう手心というか忖度みたいなのは避けるべきだと、既に玄人気取りの俺は調子に乗って勘違い野郎になってしまう。


 で、その後テレビで観たことのある中堅芸人やら事務所の人やらが来て色んな授業をやるんだけど、こんなのほんとに意味あるのかって内容ばっかりで俺は一向に面白くならない。自分では気付かない間に面白さに磨きが掛かってるのではというこれもまた勘違いで、受講生達とネタ見せをする度に筑紫さん以外はクスリともしてくれない。


 俺は筑紫さんがちょっと好きになるけれど、筑紫さんには彼氏がいて、更にその彼氏は半グレみたいな強面で、いつも授業が終わる頃になると、車高の低過ぎる車のエンジンをボウンボウンと威嚇するかのようにふかしながら外で待っているから俺は彼女に近寄ることすらしなくなる。


 テレビの仕事は全くなくて、劇場に何度か出るだけで得る収入はほんの数万円だった。それでもかなりいい方らしいので文句は言えない。


 当然生活なんてできないので深夜の牛丼屋でバイトを始める。理由は、朝から夕方まで養成所の授業があるのと、夜型だから深夜の仕事も苦じゃないのと、単純に養成所から近いから。その三点で俺は有名チェーン店のワンオペバイトを始めた。取り立てて楽でもなければ辛くもなくて、まあ給料は決して高くはないけど、こんなもんなのかなって感じだった。


 その後も劇場には月に三回くらいのペースで立ち続けて、暇な日は単発で設営とかのバイトもする。

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