Life of Laughter

入月純

第1話

 人の笑顔が好きというわけでもない俺がお笑い芸人になった理由はいくつかあるけれど、その内のひとつは「人生なんてしょうもない」と思ったからだった。


 真面目に勉強なんてしてなかった大学生活が卒業という形で無事に終わり、俺は社会人として製造業に就いたけれど、毎日毎日同じ作業の繰り返しに、就業四日目にして嫌気がさしていた。


「そんなもんだよ」と知ったようなことを言う大学時代の友人や職場の先輩達に対して、「お前らはなんでこんなにつまんないことを飽きもせず毎日毎日やってんだよ」と心の中で毒づきながら、なんとか五月病を乗り切り最初の夏休みを数日もらうことができて、俺は初めての一人旅の目的地を沖縄に決める。初めての飛行機、初めての宿予約。更に、長野生まれ栃木育ち埼玉在住の俺は、その時が初めての海でもあった。厳密には、物心付く前に家族で房総半島に旅行したことがあるらしいので初めてではないのかもしれないが、それでも自分の意志で海に出向くのは初だったので、初めて尽くしの一人旅に俺は興奮と緊張を抱きながら向かう。



 二泊三日の旅を終えた俺の感想は「まあ、こんなもんだよな」だった。


 一日目は飛行機と車の両方で乗り物酔いをして、旅館に着くなりトイレで吐いてしまう。夕食で振る舞われた、テレビでしか見たことのないような沖縄料理も、美味いんだろうけどいまいち味がわからなくて、やることもないしと早々に寝た。


 二日目はと言えば、これもまた特になにもなく過ぎていった。一人だからどこに行くのも当然一人で、じゃあナンパでもするかなんて発想は当然ないし、現地で知らない人と仲良くなるスキルだって持ち合わせていない。結局、旅館から近場にある海をボーっと眺めて、あまりにも強過ぎる日差しに焼かれた身体が火で炙られたみたいに日焼けしてしまい、旅館に逃げ帰った俺は濡れタオルでずっと手足を冷やしていた。


 沖縄で最も栄えているらしい那覇にも興味があったし、西表とか久米島とか色々と行ってみたいと思っていたけれど、いざ沖縄に着いてしまうと、わざわざ一人で行っても仕方ないよなとか一気にローテンションになってしまい、挙げ句乗り物酔いと酷い日焼けで、もう考えるのも面倒になってしまった俺は二日目も二十時には不貞寝していた。


 三日目は本来観光に当てるつもりだったけれど、朝から土砂降りで、暗雲に包まれた空のせいで、昨日はあんなにも青く、太陽の照り返しを利用して俺の身体を焼きに焼いた海はグレー一色になっていた。


 もういいや。帰ろう。


 それ以上なにも考えることなく俺は帰りの飛行機に乗り込み、そしてまた乗り物酔いに苦しみながら帰路についた。

 クソみたいな旅行から帰った俺は空港で買ったぬれアンダギーを職場で配って、ありもしない土産話を数人に話す。


 イリオモテヤマネコを抱いたとか、サトウキビは生が一番美味いとか、もう半分ヤケクソになってした作話が意外とウケたのはせめてもの救いだった。


 その後も俺は不平不満を毎日口にしながらなんとか仕事を続ける。

 実家から通っていたから家賃や家事の心配は無用だった。


 ただ、父親の稼ぎは少ないし、母親もパートはしていたけれどそれも微々たる稼ぎだったので、俺は毎月十万くらいは家に入れつつ、居候みたいな感じで実家に寄生していた。


 散々だった沖縄旅行から三ヶ月後の十一月に母親の乳癌が見つかり、年末までに子宮と胃に転移した癌細胞はあっという間に母親の命を奪ってしまう。


 もうすぐ勤続一年になるってタイミングで俺は忌引を申請して、夏休み以来の連休を貰う。いつもは水曜と日曜を休みにしていたから、連休自体が随分久々で、二日以上働かないと身体って休まるものなんだなと実感したけれど、でも母親の通夜や告別式では頼りない父親をフォローする場面も多くて、気持ちはほとんど休まってはいなかった。


 こうして俺は母親を失った。そしてこれが俺のお笑い芸人を目指した理由の二つ目でもある。

 母親が死んでしまってからは家のこともやらなければならなくなって、びっくりするくらい役立たずの父親の代わりに掃除やら洗濯やらを俺はやらずにはいられない。


 飯の支度も俺がしていたけれど、朝から晩まで働きながらちゃんとした料理なんて作る気にはならなくて、基本はインスタントととかスーパーで買った惣菜やら弁当だった。


 父親は文句を言わず、黙々と、淡々と生活していた。今までは生活費を母親に渡していただけで、あとはなんにも関わっていなかった彼は、「月の生活費っていくら必要なんだろうな」と俺に訊くけれど、そんなもん俺こそ知るかよと返した。


 とにかく俺は忙しくなる。仕事と家事の両立ってこんなに面倒だったのか。いや、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるし、実際俺は疲れてる時は部屋が散らかっていようが洗濯物が溜まっていようが何もしなかったし、腹が減っていても食わないことだってあった。


 ただでさえ仕事に対して不満だらけだった俺は、いつしか「辞めよう」と独り言を口にする癖がついていて、仕事はちゃんと行ってるけれど家事は何もしない父親に対しての苛立ちが募っていった。

 多分その怒りの根っこの部分にあるのは、父親が全然楽しそうに見えなかったからだ。

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