第35話 変革

 結斗と打ち解けるようになった私は、毎日彼と話をするようになっていた。


「私、どうやったら結斗みたいに……。やっぱり、変わるって怖いし……その自信もない」

「別に俺みたいになる必要はないぞ。それに、変わることが怖いなら今のままでもいいんだよ」


 放課後、私の家で結斗が相談にのってくれているのだが。


「沙智は本来賢いんだし根性もあるんだ。いいか?学校では意識して強気な態度を演じればいいんだよ」

「そ、そんなこと……できないぞ」


 壮太が突然、結斗を家に連れてきて驚いた。


「俺や壮太といる時みたいに。いや、それ以上に高圧的な態度で振る舞えばいいんだよ」

「高圧的?」

「まあ、単純に舐められないようにっていうのと。あとは、自信があるように見せることで賛同してくれる人も出てくるかもしれない」

「な、なるほど……」


 今、凄く緊張している。


「沙智はクラスメイトから嫌な役回りを与えられたら、素直に従うか?」

「臆病だから反論はしないけど、無視するかな」

「そうだろ?沙智は抗う姿勢を取れるんだよ。あとは一歩踏み出すだけだ」


 その一歩が大変なんだけど……な。


「姉貴。そんなに冷たいお茶を何杯も飲んでたら、腹壊すぞ」

「そういえば、さっきからお茶ばかり飲んでいるな、沙智」

「私、緊張したり動揺すると酷く喉が渇いて……」

「水分取ると落ち着くのか?っていうか、今は何に緊張しているんだ?」


 何にって……なんでだろう?

 結斗の近くにいると……少し平常心を失うような。


「沙智、大丈夫か?」

「あ……ああ」


 もう結斗とは気兼ねなく話せる関係のはずなのに……なんでだろう。

 最近、自分の事がよくわからない日々が続いていた。


 ▽▼▽▼


「はーい。このクラスから生徒会選挙に立候補する人はいますか?」


 学校のホームルームで数日後に行われる生徒会選挙についての話し合いが行われた。


「笠井君、出ないの?生徒会長やればいいのに」

「そうだよ、笠井君が一番適任でしょ」


 クラスで……学年で一番の人気者である結斗に注目が集まっている。

 その間に、私は水筒のお茶を一口飲んだ。


「では、このクラスから立候補する人はいませんね?」


 先生がそう言葉を口にした直後、私は静かに手を上げた。


「えっと……東出さん。立候補ですか?」


 なんであいつが?っと、周囲の視線が私に集まっている。

 日陰者の私が手を上げた事は、先生やクラスメイトからすれば思いがけない事だったのだろう。

 

 しかし、その中で結斗だけは優しい笑顔で私のことを見てくれている。

 

「はい。生徒会長に立候補します」


 それだけで私の心は強く奮闘し、踏み出せなかった一歩を後押ししてくれた。


 学校の運営に関わりたい、責任ある立場で頑張りたい。

 だから、生徒会長をやってみたい。


 でも、今はそれ以上に……勇気をくれた彼に私のことを見ていてほしいと、強く思った。


「東出さんが生徒会長やるの?大丈夫なのかな?」

「うん。ていうか、東出さんの声初めて聞いたわ」


 ホームルームが終了した後の昼休み。

 さっきの私の言動がクラスメイトには異様に映ったのか、ヒソヒソ話が聞こえてくる。


「沙智、さっき良かったぞ。堂々としていて」

「あ、結斗。ありがとう」

「どうだ?案外、大したことなかっただろう?」


 確かに。本当に緊張したのは、発言する直前だけ。


「ルーティン、上手くいったみたいだな」


 私が緊張すると喉が渇く体質を逆に安心材料にできないかと結斗が提案してくれた。


「ああ。結斗のおかげだぞ」


 行動を起こす直前に喉を潤すと自然体でいられる気がして、さっきのように立ち振る舞えた。

 一歩踏み出せたことで殻を破ることができたのか、さっき目立つことをしてしまったのに今は堂々としていられる。


「結ちゃん」

「どうした?美玖?」

「今日と明日は私と日直だよ。職員室に返却するノートがあるから取りに行こう」

「ああ、わかった。沙智、生徒会選挙の演説も頑張ろうな」


 そう言った結斗は美玖と一緒に教室を後にした。

 全校生徒の前で立候補者は演説しなければならない。

 想像するだけでも緊張してくる……はずなのに……。


(結斗と美玖……仲良いよな)


 そんなことよりも今の私は、あの二人を見てざわつく心を静めることに一心していた。


 ▽▼▽▼


「ゆ、結斗……なんで生徒会選挙の演説が立候補した昨日の今日なんだよ」


 今、体育館の舞台袖に私と結斗はいる。

 その体育館には全校生徒が集まっていて、校長の長い話に付き合わされている。


「沙智、落ち着け。大丈夫だから」


 結斗は緊張している私にお茶が入ったペットボトルを差し出してくれる。

 そのお茶を一口飲んで、落ち着く様に大きく息を吐いた。


「それにしても校長先生、話長すぎるな。もう30分近く一人で喋ってるな」


 そっと舞台の方を覗くと、肥満体系で髪の毛の薄い校長が得意げに話をしている。

 書記に立候補している川上さんという人が、すでに舞台に上がって端の方で待機しているのだが少し気の毒である。


「結斗。立候補者がそれぞれ重複してないんだから、私は会長で決定だろう?演説とかしなくてもいいんじゃないか?」


 生徒会選挙なんて言われているが、立候補者はそれぞれの役職一名ずつ。

 中学生の生徒会なんて、そんなものなのだろう。


「ここまできて何を弱気な事を言っているんだ。演説をして少しでも生徒たちの注目を浴びた方がこれからのためにも良いだろう?」


 結斗の言葉は最もだが、ルーティンの甲斐なく私の体は再び緊張感に蝕まれていく。


「では、少し長くなりましたが私の話はこれまでにしましょう。あとは勇気ある生徒会立候補者のお話を伺うとしましょうか」


 ようやく校長の話が終わり、体育館はざわつく。


「やっと終わったよ」

「話長すぎ、疲れた」


 それを聞いていた生徒たちからは不満気な声が聞こえてくる。

 校長にも、その声は聞こえているだろうに何事もないように堂々としている。


「校長先生、鋼のメンタルだな」


 結斗の言う通りだ。

 そのメンタルだけは、少し羨ましいと思ってしまう。


「では、えーっと。書記に立候補の川上さんですね。しっかりお願いしますよ」


 校長が舞台端から、マイクを握って雑な進行をする。


「この度、生徒会書記に立候補……し、しました……えっと……川上かわかみ千里ちさとで」

「声が小さいですよ!もっと声を張って、お腹から声を出して!」


 川上さんがまだ話している途中なのに校長は彼女の言葉を遮って注意を促している。


「あ、はい!か、川上千里です。わ、私が書記に立候補した理由は……えっと」

「もっと、スムーズに言葉を続けなさい」


 川上さんが相当緊張している事は誰の目にも明らかだ。

 そんな彼女に対して次々と注意を促している校長は、立派な指導者にでもなっているつもりなのだろうか?


「あの校長先生、やりすぎだな」

「結斗、どうしよう?私も絶対にあんなふうに注意されるぞ」


 私の震える体を静めるように、結斗は優しく私の肩に手を置いて言葉をかけてくれる。


「大丈夫だ。前にも言っただろう?沙智は賢いんだし根性もある。あとは一歩踏み出すだけなんだ」

「で、でも……教室で一歩踏み出せた時とは違う」


 全校生徒がいる前で。しかも、あの厄介な校長が近くにいて……。


「大丈夫だ。沙智」

「む、無理……絶対……」

「沙智……そんなに自分を信じられないか?」

「私なんかじゃ……」


 私は結斗じゃない。私なんかじゃ、結斗みたいには……。


「わかった。もういい」


 彼はそう言って、私の肩から手を離してしまった。


「え……え?ゆ、結斗……?」


 結斗と知り合って、共に過ごした時間は短いかもしれないが……私は彼と深い関係性を築けていると思っていた。

 結斗なら私の弱い部分をすべて受け入れてくれると、そう勝手に思い込んでいたんだ。


「沙智……そんなに自分を信じられないなら……」


 ここで結斗に見放されたら、私は多分立ち直れない。


「ち、違う!ゆ、結斗!私……頑張りたい気持ちはあって」


 次の瞬間、結斗が私の頬を優しく両手で包みこんでくれて驚いた。


「沙智、こんなに肌が冷たくなるほど緊張しているんだな」

「あ……結斗……?」

「沙智、自分を信じれないなら……」


 彼の温かい手のぬくもりと、その優しい眼差しに涙が溢れそうになる。


「俺を信じろ」


 その一言が、私の中にあった不安や緊張を吹き飛ばした。

 高揚感に包まれたと思った矢先、心臓がドキドキして鳴り止まない。


「沙智なら一歩踏み出せる。皆を振り向かせることだってできる」


 自分のことを信用できない私が結斗のことを信用すれば良いと頭を切り替えた瞬間、自然と自信や勇気が湧いてくる。


「では、次は生徒会長に立候補した東出沙智さんの演説です」


 私の名前が呼ばれ、薄暗い舞台袖から明るい表舞台に向かう。

 結斗のことを信じる気持ちに1ミリも疑う心は私に無い。


「結斗、行ってくるぞ」

「ああ」


 優しい結斗の笑顔に見送られた私は、全校生徒の前に立ち言葉を発した。

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