第25話 名前
「母さん、誕生日おめでとう!」
「夕子さん、おめでとうございます」
「おめでとう。夕子さん」
今日、夕子さんの誕生日を迎えた。
土曜日出勤だった父さんと夕子さんが先ほど帰ってきて、俺たちはテーブルを囲んでいる。
「皆、ありがとう。この年になって盛大にお祝いしてもらえるなんて思ってなかったわ」
「はい、母さん。私たちからのプレゼント」
俺たちのプレゼントを受け取った夕子さんは、嬉しそうにしている。
「ハンドクリームに化粧水ね。消耗品でよく使うから嬉しいわ、ありがとう。結斗君、陽菜」
「夕子さん。僕からは、これを」
父さんが手に持っていたのは、高そうなシャンパンだ。
「ありがとう、孝之さん。さっそく頂くわ」
父さんと夕子さんは、シャンパンを美味しそうに飲んで楽しく談笑をしていてる。
「なあ、結斗。あの酒ってどんな味すんのかな?」
「シャンパンなんだからワインみたいなものなのかな」
陽菜は刺激的な味が好みなので、お酒にも興味があるのだろう。
「陽菜ちゃん、一口飲んでみるかい?」
「え~?いいんですか~?」
「父さん!なに言ってんだ!もう酔ってるな!?」
父さんはお酒があまり強くないくせに、夕子さんの前だからなのか浮かれて飲みすぎてしまっている。
「陽菜ちゃんも16歳なんだし、いいじゃないか」
「何がいいんだ?普通に未成年だろう!」
「ドイツでは、もうお酒飲んでいい年なんだよ」
「ここは日本だろうが!」
「固いこと言わないで、結斗もどうかな?」
「いらんわ!」
酔ってるとはいえ、未成年にお酒を進めるなんて……。
「結斗は固すぎるんだよ!ちょっとぐらいならいいだろうが」
「陽菜、何を言ってるんだ?ダメに決まってるだろう!」
「実は私、ドイツ語少し勉強したことがあるんだ」
「それがどうした!?」
「だから、セーフじゃね?」
「アウトだ!」
「皆、仲が良いわねぇ」
そんな俺たちのことを微笑ましく見ている夕子さんは、本当に楽しそうだった。
▽▼▽▼
「陽菜。父さんは少し甘い性格だから、言っている事を真に受けるなよ」
「固いこと言うなって。本当に結斗はクソ真面目だな」
なんとかシャンパンを飲むのを阻止できたが……父さんと陽菜はアバウトな部分が妙に似ている。
「それよりも陽菜……なんで俺の部屋にいるんだ!?」
入浴を終えて後は寝るだけだが、陽菜は俺の部屋のベッドに我が物顔で寝転んでいる。
「なんでって、ここで寝るからに決まってるだろうが」
「新しいエアコン設置しただろう?自分の部屋に戻れ」
「は?嫌だ」
「嫌だじゃない!いいから戻れって!」
強引に陽菜の手を引っ張ってベッドから降ろそうとするが、激しく抵抗してくる。
「せ、節電だ!エアコン一台でも電気代は馬鹿にならないんだぞ!」
「よく言うな。今日、扇風機つけっぱなしでコンビニへ出掛けたの知ってるんだぞ!」
「あれは、たまたま電源を切り忘れただけだ!電気代と地球の未来を案じて、私は結斗の部屋で寝るんだ!」
「嘘をつくな!地球温暖化問題に1ミリも関心なんてないだろうが!」
俺は、さっきよりも強い力で陽菜の腕を取ってベッドから引きずり下ろす。
「あっ!痛いよ……初めてなんだから、優しくし……して」
「変な声を出すな!何が初めてなんだ!?まったく……」
「いやー、こんなに強引に迫られたことなんて他にないぜ」
「そうかよ。ほら、幕引きだ。早く自分の部屋に戻れ」
「まだ、
「そ、そんな恥ずかしいこと大声で言うな!ほら、出て行け!」
「お願い!もう一日だけ一緒に!」
「ダメだ……早く行け」
「ケチ!」
ようやく諦めたのか、露骨に苛立ちを見せて扉に向かい歩いている。
「おやすみ、陽菜」
「結斗……そんな性格だと一生童貞で終わるぞ」
「余計なお世話だ。まあ、でも……そうかもな」
陽菜は俺の方へ振り返り、なぜか笑顔で口を開いた。
「心配すんな。もしもの時は、私が結斗の童貞もらってやるからな!」
「は!?な、何言ってんだよ!?」
「あ!今、想像しただろ?このスケベ!」
動揺している俺を見てニヤニヤと笑みを浮かべる陽菜は、とても楽しそうに見えた。
また、俺を玩具にして遊んでいるな……陽菜のやつ。
「そ、そういう事はだな……想い人としろ。いるんだろう?好きな人」
「うん。本当に……好きなんだ。絶対、振り向かせてみせるよ」
そう言った陽菜は、幸福感に満ち溢れているような表情をしていて……。
「……そうか。まあ、頑張れ」
「はぁー、仕方ない。今日はユイトザメと一緒に寝るか」
「そのぬいぐるみの名前、改名しれくれないか?なんかこっちが、恥ずかしいんだけど」
「やだね!じゃあな、結斗。おやすみ」
さっきまでの苛立ちは、どこへいったのやら。
少し上機嫌に見えた陽菜は、ようやく俺の部屋を退出した。
「陽菜の……好きな人、か」
陽菜が好きな人について語ったその姿が……不覚にも可愛いと、俺は少し思ってしまっていた。
▼▽▼▽
翌日、日曜日。
父さんと夕子さんは、ゆっくりする暇もなく今日も仕事に出掛けた。
「あ、結斗。私、これから波留の家に遊びに行くから」
「南田さんの家に?そうか。気をつけて行くんだぞ」
「は?何言ってんだよ。結斗も行くんだぞ」
「え?なんで俺まで?」
「なんだよ、私たちと遊びたくないのかよ。どうせ暇だろう?波留も、ぜひ結斗も来てって言ってたぞ」
「そ、そうか……じゃあ準備してくる」
そんなこんなで南田さんの家を訪ねることになった俺は陽菜を自転車の後ろに乗せて、炎天下の中を走る。
「ひ、陽菜。やっぱり電車で行った方が良かったんじゃないか?暑すぎる」
「なに弱音吐いてるんだよ。自転車で30分もかからないだろう?それに電車代も浮くし。ほら、頑張れ」
運転している俺の身にもなれ……と、言ってやりたかったが、この暑さで言い返す気力もない。
「あ、結斗。そこのマンションだ」
俺たちは20分ほどで南田さんの自宅マンションに到着した。
自転車を駐輪所に置いて、広いエントランスへ向かうと南田さんが俺たちを出迎えてくれた。
「陽菜、笠井君。暑い中、よく来てくれたね」
「やっほー、波留」
「こ、こんにちは。南田、さん」
俺は汗びっしょりで、疲労困憊であった。
「だ、大丈夫!?笠井君!?」
「大丈夫だぞ、波留。結斗は運動不足だから、たまには体を疲れさせないとな」
また勝手の事を言って……まあ、運動不足は事実なので否定はできない。
三人でエレベーターに乗り込み、四階にあるという南田さんの部屋(自宅)に向かう。
「ここの部屋が私の自宅だよ。さあ、上がって」
「「お邪魔します」」
3LDKの南田さんの自宅は、広々としている。
室内はエアコンが利いていて、俺の噴き出ていた汗も次第に引いていく。
「笠井君。汗かいてるでしょ?これ使って」
南田さんは、俺にタオルを差し出してくれる。
「ありがとう。使わせてもらうよ」
そのタオルからは、柔軟剤の優しい香りがして自然と気分が落ち着く。
「波留、何かお菓子とかある?」
「ごめん。何もなくて……近くにコンビニあるから、これから買いに行こうと思ってたんだけど」
「そっか。じゃあ、私買ってくるよ」
「陽菜、また沢山お菓子とジュース買っちゃうでしょ。一人で持てる?」
「うん、大丈夫だぜ。今の疲れてる結斗は役に立たないしな」
「いや、買い物ぐらいついて行けるよ」
「休んでろって、結斗。帰りも自転車漕ぐの頑張ってもらうんだからな」
そう言った陽菜は、意気揚々とコンビニへと向かった。
「笠井君、お茶どうぞ」
「何から何まで、ありがとう」
笑顔を向けてくれる南田さんだが、俺は一つ気になっていることがあった。
「南田さん。この前の奴らとは、何もない?大丈夫?」
「あ、うん。この前、出くわしたのは偶然だから。大丈夫だよ」
「それなら良かった……南田さん、今日は少し髪型違うな」
「え!?う、うん。ショートヘアでも耳が隠れちゃうから。クリップで髪を上げて耳を出してみたんだ」
「そうなんだ」
「笠井君。前に顔全体が見えて……か、可愛いって言ってくれたから。その……どうかな?」
「うん。凄く良く似合ってるよ。それに、南田さんは大人ぽっく見られたくてロングにしたって言ってたけど。今も十分、大人っぽく見えるよ」
「そ、そうかな!?」
少し照れくさくなったのか南田さんは、顔を伏せている。
「あ、ありがとう。ゆ、結斗君」
「え?あ、名前で呼んでくれた?」
「ひ、陽菜も!今は苗字が笠井だから、そう呼ぶのは少し違和感があるかなと思って!それで!」
「な、なるほど。確かに、南田さんの言う通りかもな」
「南田さんって呼ばれるのは……他人行儀すぎると思う……かな」
「あ、そっか。じゃあ、波留……さん?」
「陽菜には、さん付けなんてしてないでしょ?結斗君」
「陽菜は家族だし……な」
彼女は、少し膨れっ面で俺を凝視してくる。
他人行儀が嫌だって話だから、当然か……。
「わ、わかったよ。これからもよろしく。波留」
「うん!結斗君!」
陽菜が帰ってくるまで俺たちは他愛もない話をしていただけだが、波留の笑顔が終始眩しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます