第18話 看病

 7月に入り、本格的に夏が到来した。


「はあー、暑いな。エアコンのタイマーもう少し長く設定するか」


 外から聞こえてくるセミの鳴き声と蒸し暑さで目を覚ます。


「支度して学校行くか」


 気怠い体を起こして、身支度を済ませ朝食を作る。

 もうすでに父さんと夕子さんは仕事に出ていて、その姿はない。


「陽菜、起きてこないな」


 彼女の部屋の前まで行き、扉をノックをするが返事がない。


「陽菜、起きてるか?……入るぞ」


 扉を開けて、部屋に足を踏み入れると廊下との寒暖差に体が震えた。


「な、なんだこれ?さむ!」


 部屋を見回すとベッドの上で夏布団を頭から被って丸まっている陽菜を発見した。

 寒さの原因であるエアコンのリモコンを手に取って、それを停止させる。

 リモコンに表示されていた温度設定は25℃。


「この部屋のエアコン壊れてるのか?」


 俺は、こんな状況でも眠っている陽菜の体を揺すって声を掛けた。


「陽菜、起きろ。早く起きて準備しないと遅刻するぞ」

「ん、ん?あ……結斗。おはよう。うっ、さむ」


 目を覚ました陽菜は、のそのそとベッドから起き上がり背伸びをしている。


「この部屋のエアコン壊れてるだろ。いくら何でも寒すぎる」

「あ、うん。昨日までは普通だったのにな」

「ん?陽菜、顔赤いぞ」

「え?あー、そういえば少し頭痛いかも……」


 リビングで熱を測らせると37.2℃、微熱だ。


「あのエアコンのせいだな。今日は学校午前中までだし、大事を取って休むか?」

「はあ?冗談だろ?この程度で休んでたら優等生は務まらないぜ」

「まあ、それだけいつも通りなら大丈夫か」


 俺たちは朝食と身支度を素早く済ませた後、それぞれ学校へ向かった。

 この時俺は、陽菜が相当無理をして普段通り過ごしていることに気が付かなった。


 ▼▽▼▽


「今日の三者面談怖いわ。先生に何言われるか……」

「主に進路についてだろう?高校二年生で、まだ決まってないっての」

「西条さんは、もう面談終わったんだよね?進路どんな感じで考えてるの?」


 今週は保護者を交えた三者面談期間で授業も短縮されている。

 俺には父さん、陽菜には夕子さんとで数日前にそれぞれ面談を終えている。


「そ、そうですね。私もまだ具体的には何も。でも、大学には行きたいですね」


 いつも通り学校に到着した陽菜は、大勢の生徒に囲まれている。


「ねえ、笠井君」


 突然、小声で俺に話しかけてきたのは陽菜の親友の南田さんだった。


「なに?南田さん」

「陽菜、少し様子おかしくない?」

「実は朝から微熱があって。まあ、本人も平気って言ってたけど」


 親友の南田さんには、陽菜の些細な行動がいつもの調子とは異なって見えたらしい。


「ほら、皆。そんなに陽菜の周りに集まらないの。暑苦しいでしょ」


 陽菜のことをフォローするようにクラスメイトたちを遠ざけていく南田さんは本当に友達想いなんだと思った。


 午前の授業が終わり放課後になった学校にはチラホラと保護者の姿が見え始める。


「あ、結ちゃん」

「美玖、これから面談か?」

「うん。ほら、お母さん。結ちゃんだよ」


 美玖の隣にいる母親の姿を見て、俺は少し懐かしい気持ちなった。


「え!?結ちゃん!?久しぶりね!大きくなって!身長何センチになったの?」

「お久しぶりです、おばさん。あ、175センチです」


 そういえば、おばさんにも結ちゃん呼びされてたな。

 こんな感じで少し騒がしい人だったような気がする。


「最近、美玖ったら、家でよく結ちゃんの話をしてね」

「もういいから!早く教室行くよ、お母さん。じゃあ、またね。結ちゃん」

「ああ」


 美玖たちと別れて、俺は急いで自転車を押しながら裏門へと向かうとすでに陽菜がそこで待っている。

 しかし、様子がおかしく彼女はしゃがんで俯いていた。


「お、おい陽菜!大丈夫か!?」

「あ、あぁ。やっと来たな結斗。早く帰ろうぜ」

「体調は!?」

「あー結構、頭痛いな……でもまあ、大丈夫だ。帰って寝れば」


 しかし、陽菜の足取りはふらついている。


「そんな状態だと二人乗りは危ないか。お金掛かるけどタクシーを呼ぶか……」

「家まで自転車で10分程度だろ?大丈夫だって」


 そう言って俺の自転車の後ろに彼女は腰かけてくる。


「おい、しっかり俺に掴まっておくんだぞ!絶対に手を離すなよ!」

「わかってるって。大きい声出さないでくれよ。頭に響く」


 俺は少しでも自転車の振動が陽菜に伝わらないように、ゆっくりと安全運転で自宅に向かった。


 ▽▼▽▼


「家に着いたぞ。立てるか?」

「あ、うん。頭、痛った!歩くと響く……」


 陽菜の体を支えながら、家に入りリビングで体温を測らせる。


「38.9℃……これはさすがにしんどい、な」

「よくそんなんで今日学校で平然としてたな!」

「いやー、我ながら天晴あっぱれだな」

「まだ、それだけ話せるうちに病院行くか?これからもっと熱が上がるかもしれないぞ」

「正直今、かなりきつくて……ちょっと横になりたいかな……薬は市販のを飲むよ」


 相当辛いらしく病院に行きたがらない陽菜にお粥を食べさせた後、頭痛薬を飲ませる。


「本当に病院はいいのか?今逃したら、明日の朝まで行けないぞ」

「ああ。寝たら何とかなるよ。ちょっとシャワー浴びてくる」

「何言ってんだ!余計に熱が上がるだろうが!」

「だって汗かいてて気持ち悪いから」

「お湯とタオル用意するから、体拭くことで我慢しろ。着替えも持ってくるから」

「なあ、結斗のベッドで寝てもいい?」

「え!?な、なんでそうなるんだよ?」

「いや、私の部屋のエアコンあの調子じゃ……安眠できないだろう」

「そ、それもそうだな。仕方ない」


 俺は陽菜をベッドに連れていき急いでお湯とタオル、下着を含めた着替えを用意した。


 陽菜は呼吸が荒く苦しそうにしながら、着替えるが着ている制服を脱ぐ動作さえも苦戦している。


「ゆ、結斗……ちょっと脱がせてくれない?」

「え?で、でも」

「体の節々が痛くて……ちょっと、しんどい」

「わ、わかった」


 制服を脱がせると、当然目の前にいるのは下着姿の陽菜である。


「ご、ごめん。結斗、ブラも外して」

「え、え!?いや、それはちょっと」

「お願い、早く体拭いて横になりたいの」

 

 彼女の体は、シミ一つない白く綺麗な肌をしている。

 なぜか弱っている陽菜は、いつもとは雲泥の差で女の子らしく見えてしまう。

 

「ゆ、結斗?」

「う、うん。じゃあ外すぞ」


 俺は何を考えてるんだ。

 目の前でこんなにも苦しそうにしている陽菜に対して……。

 ここからの俺は心を賢者へと入れ替えて、やましい気持ちは捨てる。


 俺が背中を拭いてやった後、タオルを渡し胸や腕は自分で拭いている。


「結斗、パンツも……お願い」

「うっ!わ、わかった」


 今の俺は賢者。

 女性のパンツを下ろすことなど造作もない。

 しかし、流石に賢者にも一般的なモラルは存在している。


 俺は目を閉じてから陽菜の履いているパンツをゆっくり下ろした。


「だ、大事なところは自分で拭けよ」

「う、うん。ありがとう」


 着替えを終えたところで、陽菜は俺のベッドで横になる。


「はあー、結斗の匂いがする」

「おい。あんまり人の枕を嗅ぐな。ほら、冷えピタ張って寝てろ」


 俺は陽菜の額に冷えピタを張って布団を掛ける。

 横になったことで、少し体が楽になったのか陽菜は笑顔を見せてくる。


「俺、このことを父さんに連絡してくるから」

「ま、待って。行かないで結斗!」


 俺が部屋を出て行こうとすると大きな声で呼び止めてくる。


「そ、傍にいて……」

「大丈夫だ。すぐ戻ってくるから。だから、安心して寝ろ」


 俺は陽菜を安心させるように優しく頭を撫でた。

 俺の言葉を聞いた陽菜は、目を閉じてすぐに眠りに落ちていったようだった。


 ▼▽▼▽


「ひ、陽菜。大丈夫か?救急車呼ぶか?」

「だ、大丈夫……多分、今がピークなだけだよ」


 現在、午後9時。

 父さんと夕子さんは、残業で帰ってくるのは夜中になるかもしてないと連絡を受けた。

 陽菜のことを心配した夕子さんは帰ってくると言ったが、俺がいるから大丈夫と偉そうなことを言ってしまった。


 陽菜の脇に挟んである体温計が音を鳴らす。


「40.3℃……全然市販の薬効かないじゃないか。ど、どうしたら」

「大丈夫だって。ゆ、結斗が傍にいてくれるだけで私、頑張れる」


 俺の震える手を取って、陽菜は自分が辛いのにも関わらず笑顔向けてくれる。

 本当は俺から陽菜の小さな手を握ってあげないといけないのに……なんて情けない。


 俺は呼吸が荒く苦しそうな陽菜の額の汗を拭いながら、小さな手を優しく握り返して朝まで彼女を見守った。


「……いと……ゆいと……結斗」

「あ……陽菜」

「起きたか、結斗」


 外が明るくなってきた辺りで陽菜の体調がとおげを越えたことに安心した俺は眠ってしまっていたようだ。


「陽菜!大丈夫か!?熱は!?」

「37.6℃。まだ少しあるけど、凄い爽快の気分だぜ」


 俺はいつものお気楽に笑う陽菜の笑顔を見て心から安堵した。

 

 なぜ陽菜が高熱でうなされている時あんなに動揺して、不安になったのか……今わかった。


「傍にいてくれて、ありがとな結斗」


 陽菜は俺にとって間違いなく……大切な家族になっていたんだ。

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