第14話 宣言

「あれ、結斗。もう学校行くのか?」


 起きたばかりで、パジャマ姿の陽菜が声を掛けてくる。


「おはよう陽菜。早めに行って自習室使おうと思って」

「そうか。結斗も本腰入れて勉強するようになったか!それにしても随分早く出るんだな」

「この時間に行けば誰もいないから集中できるんだよ」


 俺は昨日、陽菜にされたほっぺのキス…………じゃなくて、マーキングを思い出し気恥ずかしさから彼女の顔を直視できない。


「そ、そじゃあ……先に行くぞ」


 そう告げた俺は家を出て自転車にまたがり学校へ向かった。


 ▼▽▼▽

 

 時刻は午前7時20分。

 学校に到着して早速向かった自習室は、予想通りまだ誰もいない。


「さて、始めるか」


 今日の授業で行われる古文の小テストの勉強を開始する。

 昔の文語体である古文は正直かなり苦手で、とりあえず範囲の部分を丸暗記する。


「あ、笠井君。おはよう」

「おはよう。北野さん」


 今日、自習室へ来たのは勿論勉強するためでもあるが北野さんに会うのも目的の一つだった。

 妹と喧嘩したことを相談した彼女に、無事解決したことを伝えたかった。


「今日も来てるんだね」

「うん。静かで集中できるしな」


 北野さんは俺の隣の椅子に腰かけてテキストを広げている。


「あ、そこはね。ハ行四段活用は合ってるけど用言が後にくるから連用形が正解だよ」

「なるほど。これが連用形で、体言の後が連体形か」

「やっぱり理解力早いね。結ちゃんは」

「いや、北野さんの教え方が上手だから。あ、昨日相談した事だけど」

「妹さんのこと?もしかして仲直りできたんじゃない?」

「うん。何でわかったんだ?」

「今日の結ちゃんは昨日よりずっと良い顔してるからかな」

「そっか。昨日相談できて良かったなと思ったから……ありがとな、美玖」

「ふふ、どういたしまして」


 それから俺はわからない問題を美玖に教えてもらいながら時間は過ぎていく。


「ごめん。ちょっと、お手洗いに行ってくるね」

「ああ」


 美玖が席を立ち、自習席で一人になった俺は再び集中してテキストに向かう。


「結斗~」


 俺を呼ぶ少し弾むような声が聞こえて振り返った。


「え!?陽菜!なんで、もう学校にいるんだ?」

「何本かバスの時間早めて来たんだ。結斗が一人寂しく勉強してるだろうから」


 上機嫌でニコニコしながら俺に近づいてくる。

 昨日、思い悩んで涙を流していたようには見えない堂々とした立ち振る舞いである。


「ん?なんだ、この荷物。……他に誰かいたのか?」


 俺の隣の席に置かれている美玖の鞄を見て、陽菜はそう呟く。


「結ちゃん、次の問題解けた?」

「ん?……っえ!?北野……さん」

「あ、西条さん……おはよう」


 さっき陽菜の姿を見た瞬間こうなるのではと思ったが、まんまと美玖と鉢合わせた。

 美玖のことを陽菜が目の敵にしているのを知っている俺は、この状況に謎の緊張を感じた。


「か、笠井君。もしかして北野……さんとお勉強してたんですか?」

「あ、ああ。偶然居合わせて、な」

「そうだよ、西条さん。私と結ちゃんは別に待ち合わせとかしてたわけじゃないよ。偶然、昨日から自習室で一緒に勉強してるだけ」

「き、昨日も!?」


 俺の方を振り返った陽菜は、眼光鋭く睨みつけてくる。


「まだ時間あるし、西条さんも一緒に勉強する?」

「……しない。私、そんなことしなくても成績良いですから!」


 上手く取り繕っているつもりだろうが、いつもの西条モードが崩れかけている。


「そっか。そんなんだから、いつも私に点数で負けちゃうんだ。西条さんは」

「ちょっと、美玖。そんな言い方しなくても」


 美玖の方も、らしくない態度を取り始めて場の空気が重くなる。


「わ、わかりましたよ!私もここで勉強します!北野さん、次の試験は私が勝ちますから!」


 陽菜と美玖は、俺の左右の隣の席にそれぞれ腰かけた。

 そこから、朝の予鈴が鳴るまで重苦しい雰囲気のまま時間は過ぎていった。


 ▽▼▽▼


 古文の小テストは美玖に教わったところが見事にヒットして、なかなか良い手応えで終えることができた。


「笠井君、小テストはどうでした?」

「ああ、結構できたと思うよ。自習室での成果かもな」

「そうですよね。北野さんと楽しくお勉強できたおかげですよね」


 笑顔でそう言う陽菜は、なぜか机の上に大量にある消しカスを俺に向かって飛ばしてくる。

 なんて低劣な攻撃だ……優等生が聞いて呆れる。


 放課後になり自転車を押して裏門に向かうと、すでに待っている陽菜の姿が見えた。


「早いな、陽菜」

「うるさい!さっさと帰るぞ!」


 またなんで、こんなに機嫌が悪いんだか……。


「ほら、早く後ろに乗れよ」


「結ちゃん!」


 少し遠くから美玖の声がして俺は振り返った。


「チッ」


 自転車を押して近づいてくる美玖の姿を見て、舌打ちをした陽菜の機嫌はさらに悪くなっている。


「結ちゃん、良かったら一緒に帰らない?」

「え?ああ、その……」


 陽菜を乗せて帰らないといけないし、一緒に帰ったら俺たちが兄妹だってバレる可能性も……どうしたものか。


「私、教室にスマホを忘れてきたみたいです。笠井君、机の中にあると思うので取ってきてください」


 突然、陽菜が口を開きなぜか俺に取りに行かせようとしてくる。


「え?なんで俺が……」

「取ってきてください」

「いや、自分で取りに」

「取ってきてください」


 そう連呼する陽菜の笑顔が怖い。


「わ、わかったよ。仕方ないな」


 俺は、その場に陽菜と美玖を二人残すことに不安を感じながら速足で教室へ向かった。


 ▼▽▼▽


「西条さん。忘れものなら、自分で取りに行くべきなんじゃないの?」


 私は、目の前にいる西条さんのことを前から少し不気味に感じていた。

 学園の人気者で学業も優秀で、いつも大勢の人に囲まれている。

 その時の彼女は素敵な笑顔をしてるけど、目だけは笑っていないように見えた。


 隣の席に座る笠井君……結ちゃんと話している時は心の底から楽しそうにしていることが私にはわかる。

 私も結ちゃんと会話している時は楽しくて仕方がないから。


 だからなのかは、わからない。

 私は、そんな西条さんのことが不気味で……気に入らなかった。


「少し北野さんと二人で話がしたくて、笠井君にこの場を離れてもらったんです」

「私に、話?」


 私は、なぜか緊張して固唾を呑んだ。


「北野さんは、笠井くんのことが好きですか?」

「え、え?!な、なんで、そんな急に……」


 私は西条さんのあまりに急な質問に困惑して言葉が出なかった。

 

「あー、別に北野さんが笠井君のことが好きかどうかは、どうでもいいです。ただ、私が言いたいのは……」


 少し沈黙の時間が流れた後、彼女は口を開いた。


「笠井くんのことは、渡しません」


 その言葉に、私の心の奥底にあった結ちゃんへの想いが顔を出す。


「西条さんは……結ちゃんのことが好きなの?わ、私だって────」

「渡さない!」


 私の言葉を遮る彼女の大きな声に驚いた。


「お前に、結斗は渡さない!」


 私に粗暴な言葉と目つきをぶつけてくる西条さんは、私の知っている優等生ではなかった。

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