第11話 涙
俺には過去の記憶がない……というのは誇張した言い方になるが、記憶が抜け落ちている部分が多くある。
以前の俺は父さんや北野さんから聞いたところ、何にでも一生懸命で学業優秀、学校で人望も厚かったらしい。
今の俺からは、考えられない。
四年前……。
母さんが亡くなった後、俺は一週間以上ショックのあまり学校にも行かずに部屋に閉じこもっていた。
引きこもって何日目かの朝、とてもスッキリした気持ちで目を覚ました。
今までの心のつかえが取れたような……母さんが亡くなったことが遠い昔のことのように感じた。
それと当時に、今までの色々な記憶が頭の中で薄れていることに気が付いた。
それ以来、俺は消極的な性格になり他人と必要以上に関わることをやめた。
▽▼▽▼
「結斗君、起きてる?夕食できるわよ」
俺の部屋の扉をノックしてくる夕子さんの声が聞こえる。
「あ、はい。今、行きます」
どうやら、少し眠ってしまっていたようだ。
部屋は真っ暗になっていて、もう夜になっている。
「そういえば俺、何してたんだったけ。学校から帰ってきて、洗濯物を取り込んで……陽菜に……あっ!……そうだった」
ここでようやく陽菜に、酷い言葉を発してしまった事実を思い出した。
「そうだ。早く謝らないと……いや、こっちから謝るのも少し違うか」
俺には、もうさっきみたいな怒りの感情はない。
陽菜の機嫌が悪くなったのは俺に原因があるのかもしれないが、こちらから謝罪をすることには釈然としない。
「まあ、陽菜のことだからケロッとしてるかもしれないしな」
俺は、ベッドから立ち上がり自室を出てリビングへ向かった。
リビングのテーブルには、もう食事が並べられていて父さんと陽菜はすでに着席している。
「ゆ、結斗……」
俺を視界に捉えたのか陽菜は突然立ち上がり、そう呟いた。
「あら、陽菜どうしたの?急に立ち上がって」
「え?……うん。な、なんでもない」
静かに椅子に座り、俺のことを横目で見つめてくる。
「夕子さん、父さん、おかえり。夕食、俺が用意しようと思ってたんだけど……少し寝てしまって」
「いいのよ、結斗君。私たちも定時で上がれたから。さあ、早く座って食べましょう」
「あ、あの、すみません。せっかく用意してもらったんですけどお腹減ってなくて」
「え?どこか体調でも悪いの?寝てたって言ってたけど」
「いえ、ただ眠かっただけです。今日は風呂入って、もう寝ます」
心配してくれる夕子さんと父さんにそう告げて俺はリビングを後にした。
今、陽菜と同じ空間にいることは少し気まずく感じた。
▼▽▼▽
翌日の朝7時30分。
俺は、すでに学校に登校していた。
昨日と同様の理由から、俺は陽菜を避けてこんなに早く学校へ来てしまった。
「って、教室開いてないし」
教室の扉に手を掛けるが、まだ鍵がかけられている。
俺は、この早い時間でも開いているであろう自習室へ向かった。
少し廊下を歩いて到着した自習室には誰もいない。
「せっかくだし、少し勉強するか」
適当な椅子に腰かけてテキストを広げる。
自習目的で早く来たわけではないけれど、不思議と集中することができる。
いや……現実逃避したいだけか。
「笠井君?」
「え、はい?」
俺を呼ぶその声で集中は途切れた。
「おはよう、どうしたの?こんなに早く」
「あ、北野さん。おはよう。少し早く目が覚めてな。そっちは?」
「私は、いつもこのぐらいの時間に登校して少し自習してるんだ」
「そ、そっか」
北野さんは、俺の隣の椅子に腰かけて話を続ける。
「……笠井君、何かあった?」
「え?どうして?」
「最近は昔みたいに元気な表情見ることが多かったのに、今日はまた暗い顔をしてるから……」
図星を突かれて、少し固まったが軽く相談してみることにした。
「実は……妹と喧嘩して」
「新しくできた妹さんだよね?」
「うん。まあ、大した内容でもないんだけどな。俺が最終的に酷いことを言っちゃって、気まずくなったっていうか」
「そっか。どの程度こじれちゃったのか分からないけど、焦って距離を戻すのは悪手だと思うよ」
「お互いに気持ちを落ち着かせてから、か」
「うん、その方が賢明だと思う。向こうも関係改善を求めてるなら、きっと仲直りできるよ」
「そうかな……そうだな。ありがとう、北野さ……美玖」
「ふふ、どういたしまして。結ちゃん」
そこから、俺たちは予鈴がなるまで二人きりの自習室で勉強に集中した。
予鈴が鳴り、俺たちは教室へと急いで向かった。
北野さんに目線で別れを告げて教室へと入ると、いつも通り陽菜の周囲にはクラスメイト達が集まっている。
また陽菜を中心に話が盛り上がっているのだと思っていたが、少し様子が違っているようだった。
「陽菜、大丈夫?さっきから黙ってばかりで。体調悪いの?」
「大丈夫ですよ、波留さん。少し寝不足なだけで……」
南田さんが心配そうに声を掛けていて、他のクラスメイトも同様だった。
俺は、そんなクラスメイト達を横切って自分の席に着く。
「あ、笠井君。おはよう……ございます」
「おはよ……」
陽菜は、ぎこちなく挨拶してくる。
(気まずいなら、無理して声を掛けてくれなくてもいいのに)
その後の授業中や休み時間にチラチラこちらを伺う陽菜の視線を感じながら放課後になり、帰り支度をしていた時だった。
「か、笠井君。あ、あの昨日のことなんだけど……洗濯物の時」
(陽菜の奴、何言ってるんだよ!?ここ学校だぞ)
「あ、ごめん。俺、もう帰るから。それじゃあ」
一人で帰るから待たないぞ。
そういうニュアンスも込めて言葉を発した。
俺は、少し慌てて教室を出て帰路に就く。
今の陽菜と会話することは、緊張し気まずくて仕方なかった。
自転車で下り坂を駆け抜ける時の涼しい風が、熱くなった俺の頭を冷やしてくれる。
自宅に到着すると、恒例の洗濯物を取り込むことなど忘れて部屋に引きこもった。
再び、現実逃避をするようにテキストとノートを出して勉強に勤しむ。
勉強を始めてから少し経って、玄関の扉が開く音が聞こえた。
陽菜が帰ってきたのだろう。
そして、すぐに俺の部屋の扉をノックする音が耳に届く。
俺は、返事をしなかった。
北野さんの助言を思い出して、焦って顔を合わすと逆効果になると考えた。
それから一時間程、陽菜のことは忘れて再び勉強に集中した。
「あ!……洗濯物取り込んでないな」
ようやく通常運転の頭に切り替わり、俺は部屋を出た。
「っえ?陽菜、何してるんだ?」
俺の部屋の前で、膝を抱えてうずくまっている陽菜の姿が目に入り驚いた。
「お前、帰ってきてからずっとそうしてたのか!?」
「……結斗。あの、これ」
陽菜が差し出してきたのは、温かいコーンポタージュの缶飲料。
もう一方の手には、おしるこも所持している。
「くれるのか?って、もうぬるくなってるな」
「ゆ、結斗。昨日のことだけど……その」
「あー、先に洗濯物取り込まないと」
「結斗!」
ベランダに向かおうとした俺の服の袖を強くつかんで、陽菜は俺の名前を呼んだ。
少し気まずさを残しながら、俺は振り返った。
「ご、ごめ……ん。ごめ……ん…なさい。あぁっ、ごめんなさい!あぁぁあ!!!」
号泣しながら俺に謝罪をする陽菜の姿に驚愕したが、彼女のそんな姿を見るのが初めてではないような気がした。
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