第5話 勝負

(英語の小テスト30点満点中の22点か……半分以上は取れてるから良しとするか)


 英語の授業で数日前に行った小テストが返却された。

 俺たちの通う花蓮学園は全国的にも有名な進学校ということもあり、勉強に力を入れている生徒は多い。

 テスト返却の時は小テストであっても皆が一喜一憂して教室は騒がしくなる。


「笠井君、結果はどうでした?」


 隣の席に座る陽菜は、優しく微笑みそう聞いてくる。


「え?あー。まあ、大した点数ではなかったよ」

「そうですか。私も英語は苦手の方で……いつもテスト返却の時はドキドキしてしまいます」


(嘘つけ。お前がテストごときで臆することはないだろうが)


 いつも通りの西条モードで大人しく気品のある佇まいは、まさに優等生のそれである。


「一つ勝負をしませんか?笠井君」

「ん?勝負?」

「ええ。小テストの点数が低かった方が、一つなんでも言うことを聞くという」


 そんな西条モードの陽菜らしくない言動に驚き、俺は小声で言葉を返した。


「ちょっ、お前何言ってんだ?教室でそんな優等生らしくないことを」

「大丈夫ですよ。クラスの皆さんは、テストの点数に夢中で今私たちの方に視線は全くありません。それで、どうされます?」

「勝負しないよ。学年トップクラスの成績のお前に勝てる気はしない」


 俺は念のために小声で話しているが、陽菜は何も気にせずに堂々と話しかけてくる。

 こいつの心臓には毛でも生えているのか?と思いたいほどである。


「それは残念ですね。私は今回の小テストで過去に取ったことがないほど低い点数をとってしまいましたのに」

「え?本当か?」

「はい。この言葉に嘘偽りはありません。どうされます?」


(い、いや待てよ。落ち着いて考えるんだ。まず、あいつが自分が負ける勝負を仕掛けてくるはずがない。しかし、西条モードのあいつが嘘をつくとも思えない。この後の休み時間に陽菜の点数を知りたがる野次馬が殺到するだろうから、どうせ点数は露わになる。おそらくさっきの陽菜の言葉は本当だ)


「どうされますか?私は、どちらでもよろしいのですよ」

「わかった。勝負しよう」


(たとえ負けたとしても、いつも酷い目に合ってるんだ。大して変わらないだろ。それよりも勝てる可能性が少しでもあるのなら立ち向かうべきだ)


「ほら、俺の点数……」


 俺は自分のテスト用紙を彼女に見せつける。


「なるほど……平均的な点数ですね」

「ほら、そっちも見せろ」

「はい。どうぞ」

「……な、に!?」


 陽菜が見せつけてきたテスト用紙を目にして俺は言葉を失った。

 30点と大きく書かれ、間違い一つない完璧な点数。


「どうされました?どうやら私の勝ちのようですね」

「お、お前……さっき低い点数だって……」

「はい。30点なんて低い点数初めて取りましたよ」


 確かに他の科目の小テストは40点満点が殆どで、いつも満点に近い点数を取っている陽菜からすれば初めて経験する点数ではあると思うが。


「その言い分はないだろうが!」

「私は最初から悪い点数とは言ってませんよ」

「くっ、また屁理屈を」

「帰ったら楽しみにしておいてください」


 陽菜は一瞬だけ素の表情で不敵に笑った。



 ▽▼▽▼


「でさ、母さん!結斗の奴、テストで22点だったんだ!ダッサいよな」

「うるさい!誤解されるような言い方するな!30点中の22点だ!」

「なに威張ってんだよ。結局大した点数じゃねえだろう」


 俺と陽菜、父さんと夕子さんでテーブルを囲み夕食を食べているのだが、陽菜のテンションが少し高いようで俺の悪口が止まらない。


「結斗、陽菜ちゃん。本当に二人は仲がいいな!」

「「どこがだよ」」


 父さんと夕子さんは、こんな俺たちのことを微笑ましく思っているらしい。

 俺が毎日陽菜のことで何かしら苦労しているのに気楽なものだ。


「結斗君、ありがとね」

「え、はい?」

「陽菜ったら、家だと性格こんなだから大変でしょ。本気でぶつかってくれるの結斗君ぐらいだから」

「母さん!余計な事言うなって!」


 その後も陽菜は、俺のことを小馬鹿にする話をしてお茶の間は盛り上がりをみせていた。


 食事と入浴を終えて自室で漫画を読んでいると、突然部屋の扉が強引に開いた。


「おい!結斗」

「陽菜!部屋に入る前にノックぐらいしろ!」

「え、なに?一人でいけないことでもしてたのかな?」

「やかましいわ」


 俺の言葉なんて聞く耳を持たずに勝手にベッドに腰かけて手に持っているドライヤーを差し出してくる。


「はい、髪乾かせ」

「いや、そのぐらい自分で……もしかして、それが勝負で勝った見返りか?」

「いいから、早くしろって」

「はいはい」


 風呂から出たばかりであろう陽菜の髪からリンスの香りが漂ってくる。


「結斗。今日体育の授業、グラウンドで派手に転んでただろう?」

「い!?なんで知ってんだよ。女子は体育館だっただろう?」

「たまたま休憩中で、女子生徒殆どが見てたぞ。皆、大笑い」

「ま、マジか。これでも昔は運動得意だったんだけどな」

「……そっか。まあ、典型的な運動不足だな」

「その通りですよ。ほら、大体終わったぞ」

「お、サンキュー」


 陽菜は立ち上がり、こちらに振り返って言葉を発する。


「おい、頭撫でろ」

「はあ!?いうこと聞くのは一つだけだっただろう?」

「また、尻蹴るぞ!」

「はあー、わかったわかった」


 俺は仕方なく乾かしたばかりの陽菜の頭に優しく手を置いて静かに動かす。


「ふふ、家来に丁重に扱われるのも悪くないの~」

「誰が家来だ!」

「あ!バカ、やめろ!髪の毛乱れるだろうが!」


 憎たらしい陽菜の髪の毛をクシャクシャにして、俺は再び漫画を手に取った。


「ほら、もう出ていけ。俺は忙しいんだ」

「その漫画の主人公、最後の方でヒロインに振られるぞ」

「え?なんでそんなこと知ってるんだ?っていうかネタバレするな!」

「私も漫画とかラノベ好きで読むし」

「でも、引っ越しの片づけの時に陽菜の荷物見たけど漫画なんてなかったような……」

「いや、だから結斗が持ってるじゃん。何言ってんだ?」

「お前、勝手に俺の部屋に入って読んでたのか!?」

「いいだろう?減るもんじゃないし」

「普通は、一声あるんだよ」

「ちなみにベッドの下にあるエッチな本も……」

「そんなもんないわ!」


 ケタケタ笑いながら、陽菜は言葉を続けた。


「結斗。週末の土曜日、出掛けるから空けとけよ。まあ、ぼっちは他に用事なんてないだろうけど」

「は?なんだ急に?なんで陽菜と出掛けなくちゃいけないんだ?」

「今日の勝負のこと忘れたのか?言うこと聞け」

「髪乾かしただろうが。頭も撫でたし」

「それは結斗の親切心でやってくれたんだろう?」

「なんだよそれ。陽菜には親切心はないのか?」

「あるからデートに誘ってやってるんじゃねーかよ」

「デートね。で?どこ行くんだ?」

「週末までに適当に決めとくよ。じゃあ、おやすみ。22点」

「俺を点数で呼ぶな」


 ようやく出て行った陽菜の表情が、少し楽しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 激しい嵐が去っていった後の部屋は、とても静かで微かにリンスの香りが残っていた。

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