第19話
小体育館に入ると、志姫が昼餉の準備を済ませていた。
「もう話はいいの?」
「はい、元気でしたし。いつもの部長さんだったので」
「そっか。おし、ごはんにしようか」
朱利はいつもの場所に座布団を敷き、鞄からタッパーを取り出しラップに巻かれた丸いおにぎりを一つ手に取った。
ラップにふりかけをまぶし、その上にごはんを乗せ握ったもの。
朱利が一口かぶりつくと、酷く脆いおにぎりがボロボロと崩れてゆく。
「ちゃんと水気が飛んでなかったかな」
そんなことを言いつつ、ラップの上に広がった米を一ヵ所に集める。
「朱利」そんな様子を見ていた志姫が呼びかける「おにぎり一つもらえないかな?」
「え?はい。どうぞ――」
朱利がタッパーを向け、志姫がその中から一つ手に取った。
緊張した面持ちでみつめる朱利の前でおにぎりが崩れ去る。
「うん、おいしい」
手についた米を口に運びながら志姫が言った。
「朱利のおにぎりが美味しそうにみえてね。ありがとう、ごちそうさま」
そう志姫に言われ、照れくさそうにしている朱利を黒が肘で小突いた。
「やったじゃん」
朱利はにやけ顔を隠すように、おにぎりを一つ手に取りかぶりついた。
「あの、あの。私のサンドウィッチはどうですか?」
「もちろん、美味しいよ。あ、そうだ今度作り方教えてくれないかな、いつでも食べられるようにさ」
「はい!」と嬉しそうに茅が答える一方で朱利が真剣な表情をみせた。
食べるものを食べ、きな粉牛乳を飲み干し、白くなった唇を手の甲で拭い昼寝の態勢になろうとする志姫を朱利が止めた。
「あの――」と間が広がる中で茅と黒を見て、伏し目から目を見開いた「竹本先輩に話があるんです」
「――なにかな?」
驚きも迷いもない。ただ、冷静とはまた違う落ち着いた物言いで志姫が聞く。
「その、私たち一年生大会にでたいんです!」
「理由を聞いてもいい?」
「えっと、竹本先輩になにか返せたらと思って。最初は玉竜杯にでようと、ただ勢いだけで思ったんですけど、現実的に一年生大会になら、て話になって」
「玉竜杯――」そう呟く志姫の眉がピクリと動いた。
その――。と朱利が続く。
「小部屋の机の上にあった和紙を見ちゃって、そこに「玉竜杯」て書いてあって。その、いろいろ勝手にすみません」
朱利が必死に言うと、笑いをこらえきれなくなった志姫が顔を崩して呵々と笑った。
ひとしきり笑いその場を立ち小部屋に向かう。
「これだろ?」
志姫が和紙を持って広げる。
和紙には「目指せ玉竜」の文字が。
「それです」と朱利が申し訳なさそうにした。
「別にみられてマズいものじゃないし、気にしなくていいよ」
志姫は朱利たちの目の前に和紙を広げてみせた。
「高校生活の中、新人戦を始点として玉竜杯を終点にしよう、そう新人戦の後に話したんだ。ま、みんなやりたいことができて出るどころじゃなくなったんだけどな」
呵々と志姫が笑う。
「もし」と朱利たち一人ひとりを志姫がみる「私たちの代わりにでよう、とか考えてるならそれは善がりだし、自分たちのためにならないからやめたほうがいい。剣道一生の中で大会がどうだのより、毎日の鍛錬と心のありようのほうが大事だからさ」
志姫はそういうと和紙を畳み、座布団の横に寄せると眠りだした。
志姫が眠りだした後、朱利たちは黙ってお互いの顔を見合わせていた。
その中で黒が横になったのを見て、朱利と茅もそれに倣い寝っ転がる。
「――見透かされてたね」
朱利が小さく、ぼそりと誰に向けるでもなく言った。
「別に」と黒が寝返りを打つ「見透かしてたわけじゃなくて、心配して言ってくれたんだと思うよ。私たち最近になって竹刀を振り出したのに『試合にでたい』なんて、朱利の言葉じゃないけど勢い任せすぎたんだよ」
黒はそういうと再び寝返りを打ち、顔をそむけた。
「でも――でも、試合出てみたくない?」
「茅?」
朱利が顔だけ横に向け茅を見た。茅は天井を真っすぐみつめていた。
「志姫さまたちが新人戦を始点にした、というなら私たちもそこを始点にしてみない?無茶を言ってるのはわかってる、無謀なのは百も承知。だけど、なにか私たちの目標を見つけたいじゃん」
「私たちの始点」朱利がそういって黒に方に寝返りを打つ「ねえ――」
「いいんじゃない。私たちの始点」
朱利が言い切る前に黒がそっぽを向いたまま言った。
それを聞いた朱利の口元が綻び、そっと瞼を閉じる。
時間となり、志姫に起こされる形で眠りから覚めた朱利たちは、改めて話がしたいと志姫に言った。
「あの、昼寝の前に私たちで話し合ったんです。それでやっぱり新人戦にでたいです。まだ碌に竹刀も振れてないですけど、そこを私たちの始点にしたいんです!」
「そうか、なら頑張らないとな」
「え、あ、はい。頑張ります」
おう。と志姫が返したかと思えば呵々と笑った。
「あの」と、ばつが悪そうにしながら朱利が言う「止めたりはしないんですか?」
「止める理由なんてないだろう。さっきは善がりだったら、て話で自分たちでやりたいと思うならやるべきだよ」
志姫が掛け時計を見た。
「とりあえず、放課後ね」
はい。と朱利たちが返事を返す。
教室へと向かう道すがら、どこか落ち着きのない朱利は指をいじくりまわしていた。
「出るといった手前、やるしかないじゃん」
「そりゃ、そうなんだけどさ」
朱利が指先を突き合せる。
「試合にでたい、て言いだしたのは私なんだし不安なら私にぶつけていいよ」
茅がそういうと朱利は横腹を突っついた。
「ひゃっ。て、物理的にじゃなくて!」
茅の怒鳴り声にかぶさるように五時限目の予鈴が鳴り、朱利たちは慌てて駆け出した。
放課後、駆けて小体育館へと着いた朱利だったがすでに開いていた。
いつもは足を止めず、ながら礼をしていたが深く深呼吸からの一礼で入場する。
「お、来たな。やる気十分、てところだな」
志姫は安座に組んでいた足を解き、立ち上がりながら言った。
ちょうどその時、急いてる様子の茅と顔色が優れない黒が入ってくる。
「大丈夫ですから」と黒は軽く深呼吸をし、朱利たちが入っていった更衣室の中へ。
ジャージに着替え、竹刀を持って出てきた三人に対して志姫が横一列に並ぶように言う。
「んじゃ、手首はしっかりまわして」竹刀を置き、各々が準備運動をはじめる「おし、帯刀しようか。竹刀を拾い上げるときは右ひざを立てて」
見よう見まねで朱利たちが竹刀を持ちあげ、左手に持つ。
「正面に礼」志姫は振り向き、朱利たちはそのままで一礼「お互いに礼」
志姫が向き直り朱利たちと一礼を交わす。
帯刀から竹刀を抜き構える。
「一度、大きく振りかぶって――そう。で、振り下ろす時、目線の位置で右手を離す」
実際に動きを見せ、志姫が竹刀をピタリと止めてみせる。
朱利たちも振りかぶっては下ろすを繰り返すが、左手で支え切れず竹刀がだらしなく垂れては左右にブレる。
「当分の目標はこれができることだな」
「はい!」と朱利たちは紅掛空色がほの暗く染まりだすまで汗を垂らした。
外の部活が締めの追い込みをはじめた頃、志姫が「止め!」と叫んだ。
「蹲踞、納め刀」
ふらつきながら朱利たちが竹刀を納め正面「心技体」の額へ礼をする。
「ありがとうございました」
疲れた様子で朱利が手を開いては閉じている。
「捻ったか?」
「あ、いえ。ただ力が入らなくて」
呵々と志姫が笑う。
「しっかり握ってた証拠だ。どれ――」
志姫が朱利の左手を触っては、軽く何度かうなずいた。
「おし、水汲みは私が行ってくるから、その間によく揉んでおきな。茅と黒にもそう伝えておいてくれ」
志姫はそういうとバケツを手に一礼し外にでると鼻歌交じりに水場へと歩き出す。
「どうしたの?」と更衣室から制汗剤のにおいを漂わせた茅が、どこか惚けた様子の朱利に言った。
「硬かった」
「なにが?」
「竹本先輩の手、私の手より厚くて硬くて」朱利が握りこぶしを作る「まだまだ、全然だ」
朱利は自分の手を見た。
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