第16話
土日に部活はなく向かえた月曜日。
朝練の走り込みを終え、へとへとになりながら朱利が水場へと向かうと体育館内からワッと声が上がった。
水場からは中の様子はみえない。
気になりつつも朱利が顔を洗っていると、同じく疲れ切った様子の小柄な子が水場に来た。
「あ、小梅」
「うぃうぃ」
ドッジボール部に入っている申河小梅と朱利は同じクラスで気が合うもの同士の中。
小梅は水道の吐水口を上に向け、蛇口ハンドルを捻り浴びるように水を飲みはじめた。
「そうだ」と朱利が手拭いで顔を拭きながら小梅に聞く。
「体育館が騒がしいけど、なにか知らない?」
「がぼがぼが、ごぼ――がっ?」小梅なりのボケをしている最中、盛大にむせ返した。
呼吸を整え、手の甲で口元を拭い小梅が朱利をみる。
「なんかね、卓球部で三年生のお別れ会?先輩お疲れ様会?的なのをやってる」
「そう、なんだ」
「ん?どかした?」
「ううん、なんでも。教えてくれてありがとう、また今度推しマンガ教えてね」
朱利はそういうと小体育館へと小走りで向かった。
朝練も終わり志姫と黒と別れ、教室に向かう道すがら朱利が「あのさ」と茅に聞く。
「竹本先輩、て来年にはいないんだよね」
「そりゃ、そうでしょ?」
「わかってるんだけどさ」
「――怖いの?志姫さまがいなくなるのが」
教室のドアへと伸ばした朱利の手が止まる。
「怖い、うん、そうかも。茅もそう思うの?寂しい、とか」
「全然」と茅はあっけらかんとした物言いで返した。
ホームルームの予鈴が鳴り、朱利と茅が慌てて教室へと入る。
「ねえ――」と四時限目が終わってすぐに朱利が茅に言う。
「今朝さ、茅は怖いとか寂しい思いはないって言ってたけどさ、どうして?」
「正直に言えば志姫さまに会えなくなるのは寂しいよ。けど、我がまま言ってどうにかなるものじゃないし、我がまま言って志姫さまに迷惑をかけるなんてもっと嫌。私ね、自分の『義』を『諦め』にしようと思ってるの」
え?と朱利が声を漏らす。
「諦めって、諦める、だよね?」
茅にそして自分に問うように朱利が言った。
胸を張り、茅が言う。
「志姫さまの言う五徳について調べてたら、他の古典も目に入ってね。その中に『諦め』があったの。私も『諦め』ていい意味じゃないと思ってたんだけど、仏教では『ありのままに見る』という意味らしいの。撮り時を待つ、じゃないけどしっかり見極めていこうかなって」
「だから、寂しくも怖くもない。そういうこと?」
「うん。見極めたうえで諦めた」
茅は鋭い眼差しで、そう答え。その視線から逃げるように朱利は顔をそらす。
「おい」と教室の外から黒の声がしたのはちょうどそのときだった。
「今行く」と言う茅の数歩後に続いて朱利が教室を出る。
小体育館の中、弁当箱を広げる中で朱利は小さく息をもらした。
ラップに包まれた丸いおにぎりに海苔を巻き、かぶりつく。
もそもそと咀嚼して、飲み込む。そんな朱利を黒が肘でついた。
「――また失敗したの?」
「――え?違うよ、ほら」
声を落として聞いてくる黒に対して、同じく声を落として朱利が返しおにぎりをみせた。
「なら、いい」
黒は自分のおにぎりを口の中に放り込んだ。
「ねえ」と昼食後、いつも黒と別れる場所で朱利が声をかけた。
場所を本館と体育館を繋ぐ廊下の自販機横のベンチに移し朱利が続ける。
「そのさ」と人差し指同士を突き合せる「もう『義』について考えてたりする?」
「まあ」と黒が答える。
朱利は驚いた顔をみせたかと思えば「そっか」と落ち着いた声を漏らした。
「その、聞いてもいい?」
黒が息を吸い、視線を上げた。
「私の『義』は『勇み』だよ。元々、この高校に来たのは変わろうと思ったから。けど、どこの部を見に行っても中学が同じ奴らがいて、また腫れもの扱いにされたらって勝手にひよって。
だから竹本先輩に貫き通せ、て言われたときちょっと背中押された気になってさ。腫れもの扱いした奴らに「私はここにいるぞ」て言ってやるんだ」
「強いね」
朱利が言葉をこぼす。
「強かったら剣道部に入ってないよ」
黒がそう返す。五時限目の予鈴が鳴った。
朱利と黒は顔を合わせず「また放課後」と教室へと足を向ける。
放課後になり、朱利は一人視線を下げ小体育館へ歩いていた。
月に一度の委員会の集会で、委員会に入っている茅と黒は遅れて来る予定なのだ。
朱利が顔を上げた。小体育館は開いていてその手前、踊り場で志姫が安座を組み竹刀をいじっていた。
「竹本先輩、なにしてるんですか?」
「うん?今日から、朱利たちは正式な剣道部員でしょ。だから竹刀も使っていこうってね」
志姫が竹刀の弦を引っ張り編んでゆく。
「――なにか考え事?」
答えない朱利に対して志姫は片手で隣に座るよう促す。
朱利は志姫の隣に体育座りを組み膝を抱えた。
「考えてること話せる?」
志姫は朱利の方は見ず、竹刀の調整を続けながら聞いた。
「竹本先輩に言われた『義』がわからないんです。それ以前に私は進めてるのかなって、そう思ってしまって」
志姫は唸りながら二本目の竹刀を手に取り、中結をほどいてゆく。
「正直、余計なこと言ったな、て思ってるんだよね。「みつけろ」て、言われたら「探す」よね。だけど『義』ていうのはわざわざ探すモノじゃないんだ、日々の生活から段々となってくるものだからさ。だから、朱利の言う『わからない』というのも間違いじゃない」
志姫は弦を引っ張り編み込み、中結を締めて余った場所を切り落とした。
軽く竹刀削りをかけて竹刀を置き、三本目に手をかける。
「ただ、朱利が悩んでるということは茅と黒は『義』をみつけたんだ」
「はい」と朱利が答えた。
「そっか、そっか。ところで朱利はさ、自分のこと嫌い?」
「え?」と朱利は面食らった顔で志姫のことをみた。
相も変わらず志姫はただ竹刀の方を見ている。
「嫌い、です」
そう、膝を抱え込む手に力を入れ言った。
「嫌い、か。うん、それでもいいと思う。たださ、親に「好き嫌いしちゃいけません」て言われたことない?で、食べてみたら案外平気だったり。それと一緒、というわけにはいかないけどさ、汝自身を知れという言葉があるように、一旦自分を好きになってみたらどうかな?それでも無理なら仕方ない。私も出されれば食べるけどセロリは苦手だし」
呵々と志姫が笑い、朱利の方を見た。
「――自分を好きに」
そう、朱利は呟き手の力を緩めた。
よし。と竹刀を一本担ぎ志姫が立ち上がる。
「朱利、その二本の竹刀を持ってきて」
「はい」と朱利が二本を抱きかかえ志姫の後に続く。
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