第13話

「ただいま」と朱利は帰宅すると荷を背負ったまま夕餉の支度をしている母の元へと向かった。

あのさ――と、どこか後ろめたさを含んだ物言いで、弁当箱を母に手渡す。

「明日から、自分で弁当を作ろうかなぁ、て」

「なに?弁当、おいしくないの?」

朱利の母は弁当箱に残った、齧り掛けのハンバーグを朱利にみせて言った。

「それは落としちゃったから残しただけで、お母さんの弁当をおいしくない、なんて思ったことないし。ただ、その――」

「部活でなにか言われたの?自分で弁当を作ってこい、て。まさかとは思うけど、剣道部でいじられてるんじゃないでしょうね?急に『剣道部に入る』なんて言い出したのも、不本意なんじゃないの?」

朱利の母が言い切ると「違うよ!」と朱利が怒鳴る。

一瞬、驚いた表情をみせた朱利の母は弁当箱の残飯を捨てながら言った。

「朝、起こさないからね?自己責任よ、わかった?」

「わかった」と朱利は言い、自室へと向かった。

荷を机の上に置き、敷きっぱなしの布団の上に身を投げる。

ふぅ。と息を吐いては布団の上を夕餉の時まで転げまわった。

朝になり、いつもの一時間以上早く端末が鳴り、朱利は端末を布団の中に引きずり込むと時刻を確認した。

もぞもぞと布団の中で動いていた朱利が顔だけ布団の外に出す。

目線の先、カーテンの向こうにまだ陽はない。

布団を跳ね除けた朱利は、起き上がろうとして太ももをさすった。

いてて。と足を震わせながら立ち上がり、部屋の明かりをつける。

欠伸をし、太ももをさすりながら部屋を出ると、ちょうど炊けた米の甘い匂いが二階まで昇ってきていた。

台所へと行きプラスチック製のボールに水を入れ、塩の入ったケースを手に居間へと向かう。

「えっと――」と朱利は炊飯器を開け、手を水で濡らし、立ち昇る米の香りを嗅ぎながらしゃもじで米を掬い手に移す。

「あっつ!」

思わず払い落とした米は朱利の寝間着に散らばった。

「あぁ」と落胆の声を漏らしながら、こぼした米を拾っては口に運んだ。


温かな陽光差し込む通学路で「おはよう」と茅が後ろから朱利に声をかけた。

「おはよう」

「元気なさげだね。お疲れ、て感じ?」

ちらりと横に来た茅を見て「まあ、そんなところ」と朱利は返した。

小体育館に志姫はいたが黒の姿は見当たらない。

「黒は『朝練は休みます』て。おし、ウォーキングに行こうか」

小体育館内で動的ストレッチをして外に出る。

他の運動系の部活の迷惑にならないよう、グランドの外側、校庭の端を散歩のペースで歩いてゆく。

途中、学校一のイチョウの木を志姫が指さし足を止めた。

「秋になると、この下に銀杏が落ちてさ。門無と弦、ああ生徒会長ね、と一緒に踏まれる前に拾ってね、購買部で簡単な茶碗蒸しを作ってもらったりしてさ」

志姫の嬉しそうで楽しそうな顔に木漏れ日が射す。

「あの!」と、どこか強く茅が言う「私もっと走れます!」

茅はその場で腿上げをしてみせる。

その姿を見て、志姫は面食らったような顔をみせたかと思えば、眉を下げた。

「じゃあ、行こうか。朱利は?大丈夫?」

「はい」と朱利が返事を返す。

ウォーキングを終え、小体育館へと戻り志姫が掛け時計を見た。

ホームルーム開始までまだ時間があった。それを確認した志姫は、小部屋へと向かうと座布団を三つ持って、うち二つを朱利たちに手渡した。

「見取り稽古ですか?」

「いや、膝立ち伏せを一緒にやろうと思ってね」

朱利たちと面と向かい合うようにし、志姫が座布団を膝の位置に持ってきて立てた。

見よう見まねで朱利たちが志姫の格好をまねる。

「とりあえず十回やってみようか」

「あの、膝は曲げたままでいいんですか?」

朱利の質問にうなずき答え、志姫が肘を曲げ上体を落とす。

続くように朱利と茅が上体を落とした。

「――十、と。どうかな?」

朱利は息を吐き、右手で体を支えると左手を振った。

「無茶しないでいいから、三十数えてそこからまた十回やってみて」

志姫はそういうと膝立て伏せを再開した。

「ふ、ふ――」と志姫と合わせるように茅も上体を落とす。

何か言いたげに、もごつかせていた志姫は、視線を茅から床に落とし眉を下げる。

「きゃっ」という茅の声がしたのはそのときで。力が入らず、上体がそれた茅が手首を捻っていた。


「軽くひねった感じだね」

養護教論の先生がそういい、茅の手首に湿布を巻いた。

「今日、体育があるなら見学したほうがいいかもね」

茅はうつむきながら「はい」と答えた。

「ありがとうございました」と志姫と茅が言い、保健室を出るとホームルーム開始のチャイムが鳴った。

「教室まで一緒に行くよ。先生に事情も説明しないと」

「いえ、自分で説明するので。すみませんでした」

茅は一礼して廊下を駆けだした。

三時限目の終わり、次の美術の為に一年生の教室前の廊下を通る必要があり、志姫は廊下手前で足を止めていた。

そんな志姫に「なにしているの?」と声をかけたのは、同じクラスでドッジボール部の部長、久末懇だった。

懇に合わせ、教室側ではなく窓側を歩きだしながら「実はさ――」と、志姫は朝あったことを話した。

「そんなことが」と懇が美術室で、風に煽られるスケッチブックを押さえながら言う。

美術の時間、特に席は決まっていないので志姫は懇の正面に座っていた。

「この前、弦に『教えることは難しい』そう言われたのを身をもって体感してるよ」

「確かに、教えるのは難しいわよね。ただ、今回はそういうことじゃなくて、一年生の子は志姫にいいところをみせたかった、それだけなんじゃないかしら?」

「私に?」と志姫が鉛筆を持った手を止める。

くすくすと笑う懇へ向かって志姫が身を乗り出す。

「なんで?」

「さあ、なんででしょう。ふふ、気になる子がいると、ちょっと張り切りすぎちゃうのよね」

そういう懇の視線の先に渡浪がいた。

「私から言えることがあるとすれば。その子とは普段通りに接してあげることね」

「私は」と志姫が腰を下ろす「本当に疎いんだな。門無に箔をつけられるわけだ」

「そうね」と懇が笑う。

「否定してくれよ」と志姫が呵々と笑った。

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