第5話

「ごめんね急に。友達と昼食とろうとしてたんでしょ?」

小体育館に向かう道すがら、志姫はそう朱利に聞いた。

「大丈夫、だと思ってます。幼馴染で付き合いは長いので」

「そっか。わかってもらえる友人がいるって素敵なことだよね」

小体育館につき志姫が一礼し中へ。

「あの、前々から思っていたんですけど、どうして一礼して中に入るんですか?」

「お、いい質問だね。ただ、それは午後ね。今はごはん」

昨日と同じ場所で志姫がタッパーを広げる。

「昨日のアレ、飲む?」

「あ、いただきます」

志姫が小部屋に向かう。

朱利も弁当箱を取り出し包みを広げた。

ふと、なにを思ったのかタッパーと弁当箱の大きさを比べだす。

「おまたせ。と、どうした?」

志姫が湯飲みに入ったきな粉牛乳を手渡しいう。

「その、大きいなって。あ、いえ、よく食べる――じゃなくて」

どうどう。と志姫が朱利を落ち着かせる。

「すみません。私もそれぐらい食べたほうがいいのかなって」

「ああ、量のこと?」

志姫がタッパーを開けると今日もぎっしりとおにぎりが。

「私も最初はこんなに作るつもりも、食べるつもりもなかったんだけどね」

いただきます、と志姫が手を合わせ三口で一個を平らげる。

朱利は自分の弁当箱をみた。よくある、ごはんとおかずに別れたお母さん作の弁当。

「あの」と朱利はチキンナゲットを箸でつまみながら五、六個平らげている志姫に聞いた。

「そのおにぎりって手作りなんですか?」

「うん、そうだよ。一つ食べる?」

朱利は自分の弁当を見て「一つだけ」と手を伸ばした。

目一杯口を開けかぶりつく。

「おいしい」

そう一言もらすと嬉しそうに志姫が笑みを浮かべた。

「ごちそうさまでした」と二人が手を合わせる。

「食べた、食べた」と志姫が呟きながら小部屋に入り、くたびれた座布団を二枚引っ張り出してくる。

一枚を朱利に手渡して志姫はお気に入りの場所へ行き横になった。

「あの――」

「食べたし、お昼寝。午後も授業あるし。あ、湯飲みはそのままでいいから」

ふわぁ。と志姫が欠伸をしたかと思うとすぅすぅと寝息をたてだす。

座布団を抱きしめ辺りを窺っていた朱利は端末を取り出しアラームをセットした。

「五分。いや、十分」

座布団を枕にごろんと横になる。

「変な感じ」そう一人ごちりゆっくり瞼を閉じた。


「――利。朱――、朱利――」

志姫が朱利の肩を揺らした。

んぅ。と寝惚けた様子の朱利が志姫をみる。

「だいぶぐっすり寝てたね。部活といい、なれないことで疲れたかな」

朱利が目をぎゅっとつぶっては開けるを繰り返して端末を見る。スヌーズになっていた。

慌てた様子で志姫をみる。

「大丈夫、大丈夫。私、いつも五分前に起きてるからね。で、今がその五分前」

「あ、本当だ」

「それじゃ、午後も頑張ろうか」

呵々と志姫が笑う。

こっちだから。と三年生側と一年生側で別れる場所で朱利が志姫に聞いた。

「あの、今日って午後錬ありますか?」

「あるよ。どう、くる?」

少し間を置いて朱利はこくりとうなずいた。

朱利が教室へと戻ると茅含めて数人が朱利を取り囲む。

「切り傷、なし!」

「青あざ、なし!」

「目の腫れ、なし!」

いいようにされていた朱利が一言「え?」と漏らす。

「なに?どうしたの?」

「それはこっちの台詞だよ!昨日あの後剣道部に脅されたの?」

「脅――え?竹本先輩が?」

混乱する朱利の後ろから、ぬうっと白髪交じりの教師が姿を現すと、雲の子を散らすように生徒が席につく。

「――あとで」

そう朱利は斜め右後ろの茅に小さな声で言った。

午後の授業も終わり『今日どこ見に行く?』と、にわかに賑やかになって来た教室を抜け、朱利と茅は昇降口に来ていた。

「え、それじゃあ自分から入部します。て、言ったの?」

「うん」と朱利は潰れた靴の踵を直しながら言った。

「そう。無理やりじゃないっていうなら。ただ、大丈夫なの?」

「はは、私も不安。まあ、やれるだけやってみるよ」

それじゃ。と朱利は茅に手を振った。

昇降口を出てグランドを抜けて外から小体育館へと向かう。

電気は点いているが中に志姫はいなかった。

一歩踏み入れた足を引っ込め直し、ぎこちなく一礼し中へ。

「ランニング、かな?」

朱利は隅の方に移動し正座を組んだ。

しばらくしてマスクとポリエチレン手袋を身につけた志姫がトイレから出てきた。

「お」と朱利を見て声を上げる。

「トイレ掃除してたんですか?」

「そうだよ。と、ごめん。来てたの気づかなかった」

こっち。と朱利を手招きする。

「ここが更衣室ね。とりあえず荷物は――空いてる場所使って」

はい。と手前左下に鞄を突っ込む。

「それじゃあ着替えるから。あ、見ていく?」

「い、いえ。外で待ってます」

おまたせ。と白道着白袴の志姫が姿を見せる。

「さてと、どうしようか」

うーん。と木刀を使って伸びをしながら志姫が言う。

「あ、そうだ。朱利、あそこの額みえる」

「心技体、て書いてあるやつですか?」

そうそう。と志姫がうなずく。

「朝、朱利がどうして一礼するんですか?て聞いたでしょ。まず道場内は神聖な場所なんだ、その場所で刀を振るい心身を磨く。一礼し「お願いします」というのはその前準備。一度気持ちを落ち着かせ整理し感謝して『礼』、あの心技体の『心』だね」

朱利の目線が志姫から額へと移動する。

「小難しく考えなくていいよ。感謝の『礼』だとか、気持ちを入れ替えるための『礼』だと思ってくれれば」

「――はい」と朱利が答える。

「で『技』と『体』についてはまた今度ね。いきなり理念聞かされても一杯一杯になっちゃうからね。それに私も勉強の途中だし」

よし。と志姫が準備運動をはじめる。

「座り心地最低の座布団の上で楽にしてていいから、鍛錬みててくれる?もしかしたら他の子も来るかもしれないから、その時は座布団出してあげて」

志姫が木刀を構えると場の雰囲気が変わる。

右足をすっと前に出し木刀を振りかぶり、左足を右踵へ引き付けながら胸元まで振り下ろす。

息を吐き力強く振るう様に朱利は見惚れていた。

「少し休憩しようか」

汗を垂らしながら志姫が言う。

朱利が時計を見た。かれこれ三十分以上経っている。

この間に見学者は誰もいなかった。

「誰も来ないか。朱利が入部してくれたことだし、ちゃんと動かなきゃマズいかもね」

誰に言うでもなく志姫は直接グランドにでれる大扉から外を眺めていった。

「さすがに朱利一人、ていうのは寂しいもんね」

その言葉は朱利へと向けられていた。

朱利はハッとしながら「そうですね」と答える。

「そっか、竹本先輩は今年で――」

朱利の表情が曇った。


志姫が蹲踞し納め刀をする。

「ありがとうございました」と正面に礼をし『心技体』の額へと向きなおり一礼をした。

竹刀を片し道着を若干緩めた志姫が更衣室から出てくる。

「よおし、掃除して終わりにしようか。朱利、悪いんだけど外にあるバケツに雑巾入れて水汲んで来てくれる?」

はい。と朱利が外へと飛び出す。

「雑巾、雑巾――これか」

下駄箱の上の方に吊るされていた数枚の雑巾を手に取り、小体育館前、体育館脇の水場へと向かう。

置いてあったアルミバケツに雑巾を投げ入れ水を入れる。

顔をあげると体育館でモップ掛けがはじまったところで、グランドの方に目をやれば外を使う部員が集まってトンボを引きずっている。

少しよそ見しているうちにバケツから水が溢れ、撥ねた水が朱利のスカートを少し濡らした。

急いで蛇口を締め、水を少し捨て横歩きで小体育館へと向かう。

「どうしたの?」

入り口で待っていた志姫が肩で息をする朱利にそう聞いた。

朱利のスカートは大きな楕円を描くように濡れている。

「少し、こぼしちゃいまして。ごめんなさい」

「いや、謝ることじゃない。それより早く拭かないと」

志姫が拭くものを、と戻ろうとしたとき「拭くものなら――」と慌てながらポケットの中をまさぐる。

するすると出てきたのは昨日の小さく切りそろえた手拭いだった。

「あ」と朱利が声を上げる。

「ごめんなさい。洗って返そうと」

志姫が呵々と笑った。

「それ、雑巾にしようと思って、切って縫った奴だから。そんな物渡してごめんね」

「あ、いえ」と朱利がバケツの中沈んでる雑巾を見た。

「これ全部切って縫ったんですか?」

「私一人じゃないよ?みんなとね」

よし。と志姫が腰を下ろし袖を捲り雑巾を手に取った。

朱利も腕まくりし一つ手に取る。

ギュッと雑巾を絞り志姫が山を作っていく傍らで、朱利はギュッギュッギュッと二、三個並べていった。

絞った雑巾を小体育館の端に並べてゆく。

「雑巾がけの経験は?」

志姫にそういわれ朱利は首を振った。

「楽しいぞー」と一番手前の雑巾に両の手を乗せ、駆け出し向こう側から折り返してくる。

朱利も一つ隣りの雑巾に手を乗せ蹴りだす。が、つっかえつっかえの上、よろけてしまい志姫のようにはいかない。

掃除を終え施錠し外に出る。外は宵闇に包まれ出していた。

「明日から軽く体でも動かす?」

帰り道、志姫が朱利に聞いた。

「ほ、程々でお願いします」

呵々と志姫が笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る