第3話

朱利の全力疾走は体育館入り口までに終わった。

両ひざに手をつきながらグランドの方を見てすぐさま体育館の方へ視線を移す。

呼吸を整え体育館内を覗き見る。

「バドミントン、卓球。あ、ドッジボールなら――」

ボソボソ呟いていた朱利が一歩踏み出そうとした足を戻す。

みれば、ドッジボールのところにはすでに見学者がいた。

朱利は覗き見るのを辞めて冷たい体育館の扉によりかかる。

春風が吹いた。その春風に乗って叫んでいるような声が朱利に届く。

「なんだろ」

半べそになりながら声のする方へ歩き出す。

グランドからではなかった。体育館の先、小体育館と呼ばれている武道場近くから声が響いている。

「えい!やあ!」

白い道着に白袴を身に纏った女子生徒が小体育館前で木刀を振るっていた。

木刀を振るうたびにちらりとみえる腕は引き締まっており、首から肩にかけてがっしりとしてながら女性的な柔らかさも窺える。

かれこれ振るっていたのだろう、白い肌に玉のような汗をかいていて、木刀を振るたびそれが飛んだ。

ふぅ。と息つく女子生徒と朱利の目が合う。

朱利は慌てて物陰にしゃがみ込んだ。

「なんで隠れたんだろう」

自問自答する朱利の肩をそっと女子生徒が叩いた。

「キミ、もしかして見学者?」

「あ、え、やっ。すみません!」

朱利は鞄に抱き着きながら深々と謝った。

呵々と女子生徒が笑う。

「この学校部活の数じゃ県内上位だからね、きっと『これだ』というのがみつかるよ」

女子生徒はそういうと木刀を使って伸びをし来た道を戻りだした。

朱利の口が開き遅れて言葉が出る。

「――あの、先輩は剣道部なんですか?」

「うん?そうだよ。ちょっと見ていく?と言っても素振りぐらいしかやることないけど」

女子生徒は呵々と笑い手招きした。


再び女子生徒が木刀を振るいだす。

にわかに風が吹き、桜をちらつかせる。

そんなのお構いなし、と女子生徒は炯眼な目つきでただただ振るった。

木刀が風を切る。桜の花びらが巻き込まれる。それを叩き落とす。

汗が飛び呼吸が大きくなる。

そんな姿を朱利はまじまじと見つめた。

「と、まあこんな感じ――こんな感じと言われてもピンと来ないよね」

汗を拭きながら呵々と笑い、近くにあった水筒の水を頭からかぶった。

「他の部活ならアピールポイントチャンスなんだろうけど、剣道のアピールポイントてなんだろうってずっと考えてるんだよね」

朱利はなにも答えられないでいた。というよりも見惚れていた。

「と、早めのお昼にしようかと思うんだけどキミもどう?」

「あ、はい」と朱利が反射的に答えた。

「靴はそこね」と女子生徒が言い一礼し武道場に入る。

朱利も続いて武道場へと入った。

「お弁当、お弁当。腹が減っては戦は出来ぬ、と」

女子生徒が持ってきた大きめのタッパーの中にはおにぎりが並んでいた。

そうだ。と腰を下ろす前に小さな小部屋へと向かって歩き出す。

「キミ、きな粉とか牛乳って大丈夫?」

「大丈夫、です」

「そっか、そっか」と少しして女子生徒が湯飲みを二つ持ってきた。

「剣道部印のきな粉牛乳。あ、無理して飲まなくていいからね」

朱利は湯飲みを受け取り一口。

「あ、おいしい」

「剣道部印なんて言ったけど市販のきな粉と牛乳を混ぜただけなんだけどね」

女子生徒は呵々と笑い腰を下ろし胡坐を掻く。

チラリと覗かせたおみ足は太くありながら締まるところは締まっていた。

「いただきます」と手を合わせ別に持ってきていた海苔をおにぎりに巻きかぶりつく。

一個目を二口で食べ終わると一つ、また一つと手を伸ばす。

「ん?」と女子生徒が朱利の方をみた。

「キミお昼持ってないの?て、そっか、今日は基本的に午前の半日だけだっけ」

忘れてた。と額に手を当てうなだれた。

「あの、えっと、私のことはお構いなく」

そうだ。と女子生徒が顔をあげタッパーを朱利の前に出す。

「よかったら食べない?」

「いいんですか?」

「いいの、いいの。食事は大勢の方が楽しいし」

呵々と女子生徒が笑う。

それじゃあ。と朱利が手を伸ばした――かと思えば胸前で合掌し「いただきます」と言った。

海苔を巻き小さく一口。もう一口。

「うー」と口をすぼめる。

「お、梅おにぎりを引いたね。塩だけに昆布にミートボール――とにかく私の好きな物を入れたんだ。さ、どんどん食べて」

朱利は女子生徒の顔を窺いながらもう一つと手を伸ばした。

女子生徒も一つ手に取り大きくかぶりつく。

「ん!」と中を朱利にみせる。ミートボールだった。

朱利もさっきより大きな口でかぶりついた。中身は牛しぐれ煮。

「大当たり!」と女子生徒が嬉しそうにいう。


「はぁ。食べた、食べた」

ごちそうさまと手を合わせる女子生徒に遅れる形で朱利も手を合わせる。

「ごちそうさまでした。その、いっぱい食べちゃってごめんなさい」

「いいって。いい食べっぷりだったし。キミ――そういえば自己紹介まだだったけ?」

私から。と女子生徒が胡坐から正座に足を組みなおす。

あひる座りしていた朱利も慌てて正座する。

「私は竹本志姫(たけもとしき)言うまでもないだろうけど剣道部部長をやらせてもらってる」

「わ、私は道本朱利です。一年生、です」

段々と尻すぼみになりながら朱利が言う。

「朱利、ね。それで部活見学してたんでしょ?どこかよさげな部活みつかった?」

「あ、いえ――」と言う声音は完全に沈み切っていた。

「そっか。もしかして目星をつけてた部活の印象が違ったりした?」

学校説明会や見学会のときに現在活動している部活のパンフレットが配られていた。

「――その、そもそも決めてなかったというか。行き当たりばったりというか」

朱利が人差し指同士を突き合せる。

志姫は再び胡坐を掻き朱利に楽になるように言った。

「私は中学の時は帰宅部で、かといって勉強熱心だったわけでもないんですけど。あるときうちの中学から全国大会出場を決めた部活がでてきて、それで自分がみじめに思えて」

朱利が背を曲げ深くうつむき、スカートを強く握りしめて続ける。

「ここなら変われるかなって、そう思ったんです。自分から動けないなら動かしてもらおうって、そういう環境に行こうって。でも――やっぱり、私は――私は」

朱利が洟を啜る。大粒の涙が頬を伝い手の甲を濡らす。

志姫がそっと小さく切りそろえた手拭いを手渡した。

「朱利、君は未だに自分が変われてないと思ってるかもしれない。けど、この高校を選ぶていう大きな変化をもう成し遂げてるじゃないか。自分を責めるばっかりに見落としているものもあるんじゃないのかな」

止まりかけていた涙が再びどっと沸いては手拭いを濡らした。

「ここにはもう私しかいないから気が済むまでいるといいよ」

志姫はそういうと立ち上がり小部屋へ向かったかと思うと、くたびれた座布団を片手に戻って来た。

お気に入りの場所なのだろう、そこへ座布団を投げると枕にして横になる。

数分もせず、すうっ、と寝息をたて眠りだす。

朱利は涙を拭いては大きく息を吸ってを繰り返していた。

落ち着いた朱利はタッパーの蓋を締め包みなおし、飲みかけのきな粉牛乳を飲み干すと外の水場で志姫の分も洗った。

一陣の風が吹き朱利の涙跡をなぞる。

自分のハンカチで湯飲みを拭いた朱利は小部屋に向かった。

「失礼します――」

顔だけで中を覗く。小部屋の中には志姫が枕にしているくたびれた座布団の他に長机がいくつかと小さな冷蔵庫。それとポツンと事務机が一つ。

「ここに置いておけばいいかな」

湯飲みをそっと机の上に置く。

机の上には写真立てがいくつかと丁寧に畳まれた長い和紙。

朱利は背を屈め両開きの写真立てをみた。なにかの大会で優勝した時の写真が写っており、一枚は全員凛々しく、もう一枚は全員笑うなり表情を崩している。

「竹本さんと部員の方だよね――」

瞬間、開けっ放しにしていた小部屋に春風が吹き荒れ、和紙が畳に落ちる。

あわわ。と急ぎながらもそっと拾うが持ったところが端すぎたらしく、するすると広がっていってしまう。

あばば。と朱利が慌てふためいたかと思えば和紙をまじまじと見つめる。

「目指せたまりゅう?たまりゅう、て読まないんだろうな。よく、この高校入れたな私」

先ほどの慌て具合が嘘のように落ち着いて和紙を畳み写真立てを戻す。

「失礼しました――」

そっと小部屋を締め、抜き足差し足で寝ている志姫を起こさないように歩き出す。

「帰るのかい?」

志姫が両手を頭の下に持ってきて、視線はそのまま天井を向きながら言った。

「あ、はい。その勝手に部屋に入ってすみませんでした」

ん?と志姫がさっきまで食事していたところに目線をやる。

「もしかして後片付けしてくれたの?や、こっちこそごめん」

よっ。と立ち上がり伸びをする。

「気を付けてね。朱利が『これだ』ていうものみつかるといいね」

「はい、あの今日はありがとうございました」

呵々と笑う志姫に見送られながら朱利は小体育館を後にした。

正門を抜け朝に茅と写真を撮った場所で朱利は端末を起動した。

「『さっきは、ごめんね』と」

謝罪文を打っては消してようやく茅へと送信する。

『私の方こそごめん。首尾はどう?』

「く、くびお?」朱利が文をコピーし検索にかける。

「しゅび。物事の成り行きや結果、ね。それじゃあ『なんとかなるかも?』と」

茅に返信し端末をしまう。

そうだ。とポケットに突っ込んだ手を引き戻す。

「たまりゅう、と。んー、たまりゅう 剣道なら――」

検索結果が表示される。

「――玉竜旗(ぎょくりゅうき)高校剣道三大大会の一つ」

朱利がふと見上げた空には星が瞬きだしていた。

家へと着き「ただいま」と一言いって朱利はすぐさま二階の自室へ。

朝の騒がしさそのままの布団へ飛び込み、鞄を手繰り寄せ中からクリアファイルを取り出し見る。

「『これだ』か――」

腕を伸ばし大の字になり天井をまじまじとみつめる。

数分してゆっくりと起き上がり、おばあちゃんが買ってくれた姿鏡の方を向いて素振りのまねごとをはじめた。

「全然違うや」ぼそりと呟き深く息を吐く。

夕餉の支度が出来たらしく下から朱利を呼ぶ声がする。

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