第3話 佐々木さん

 私は一度、家に帰ると夕飯を食べ、風呂に入り、夜食と寝袋を持って会社へと戻った。暇つぶしに昔読んだ小説も持ってきた。


「俺たちは、仮眠室にいますから。もし、端末にエラー音が出て赤くなったら内線で教えて下さい」


 夜勤の人たちは、そそくさと退出していった。よほどおじさんの幽霊が怖いらしい。


 私は更衣室でジャージに着替え、メイクを落とし、マシンルームに夜食を持ち込み寝袋に入る準備をしていた。普段ここは飲食禁止だが、今日は特別に許可してもらった。


 寝袋に片足を突っ込んでいると、マシンルームの入り口が開いた。さっそくおじさんの幽霊が出たのかと思ったが違った。生きた人間だった。それも結構なイケメンだった。メイクを落としたことを少し後悔したが、自分の人生にイケメンなど関係ないかと思い、気を取り直した。


「えっと、佐々木さんですよね。去年中途入社された」


 佐々木さんは、ぱっと嬉しそうな表情をした。イケメンなのに、子犬みたいだ。


「覚えてくださってたんですか? 嬉しいなあ」


 年上なのに、下っ端の私に敬語とは。いい人だ。

 

「総務人事部ですから」

「でも、社員は二百人以上いますよね」

「それくらい覚えています」


 イケメンは特に、とは言わなかったが。


「凄いなあ。僕なんか人の顔を覚えるのが苦手で、尊敬します」


「あの、佐々木さんはマシンルームに、何か御用でしたか?」


「あ、ちゃんと入室の許可はとってます。いえ、その……人からマシンルームに幽霊が出ると聞いて……。ちょっと興味が……」


「幽霊にですか?」

「はい。マシンルームに出る幽霊ってどんな人なのかと……」

「もしかして、話をするつもりなんですか?」

「話……できるんですか?」


「人によりますが。怒り狂った人だと話になりませんね。でも、こういう人前にでてくるのって、たいてい誰かに話を聞いてもらいたいとか、そういうことが多いので……」


 言いかけて、はっと気づいた。


 (しまった。気のせいにしておくんだった)


 つい、イケメンに気を取られ、素が出てしまった。


「火浦さん……そういうのがわかるんですか?」

「いえ、佐々木さん。忘れて下さい。気のせいですから」

「火浦さん……」


 佐々木さんは、ますます子犬のような顔を近づけてきた。

 

「気のせいです。佐々木さん。気が済んだら帰りましょう。残業は、ほどほどに」

「あ、もう退勤処理してますから」

「なら、帰りましょう」

「でも、火浦さん一人でしょう? 女性一人では危険ですよ」

「一人より、二人の方が危険です。変な噂がたっても困りますからお帰り下さい」

「でも……」


 頼むから、その子犬のような目を止めて欲しい。面倒事はごめんなのだ。佐々木さんは、女性社員の中でも狙っている人が多い。変な勘繰りを受けるのは勘弁して欲しい。最悪、仕事に支障が出る。それだけは何とか避けたい。人間関係が面倒になる。私はゆったりまったり過ごしたいのだ。


 人生において最も面倒な事といえば、なんといっても恋愛だろう。まあ、私には無縁のものだが。

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