5

 古民家へと続く一本道は、出口まで生い茂る木々に天井が覆われていた。悠里曰く、この天井になる木々は妖力で操作されており、開店日になると開けるらしい。

 まるで魔法のように自由自在に妖力を使いこなしている、と明良は感心した。この敷地内全体が妖力で覆われている。何か古い術式が使われているのだろうと推察したが、気持ち悪さは少しも感じなかった。


 そして明良は、ついに古民家の入り口に佇む鬼と対面する。


「ああ。やっと帰ってきたか」


 その鬼は、ひどく気高いオーラを纏っていた。風に揺れる短い黒髪。額から伸びる二本の角。冷たい輝きを放つ金色の瞳。紺色の和服の袖に腕を隠しながら立つ姿まで貫禄がある。唯一その厳格な雰囲気を無駄にしているのは、その和服姿で身に着けている可愛らしいインコが描かれたエプロンだ。


 もう一つ気になる点があるとすれば、その怖い鬼から妖力を感じないことだ。もしこの辺りに立ち込める妖力がこの鬼のものだとすれば、それはとんでもない力である。


 身震いする明良の隣で、悠里がにこやかに手を振った。


「ただいまー。お団子買ってきたよ」

「遅い。もう少しで迎えに行くところだった」

「心配性だなぁ、慶一君は。いつも頼りになる護衛がいるじゃない。ねえ、ウカ君」

「まあね」


 慶一と呼ばれた鬼はクールな印象に違わず静かな口調だったが、その声はひどく穏やかだった。言葉通り、悠里の心配をしていたのだとわかる。

 ウカは行儀よく座り、尻尾を揺らしていた。頼りにされていると知ってご機嫌な様子だ。


「それより、さっきの音は何? 明良君が驚いちゃったんだけど」

「また性懲りもなく私に見合い話を持ってきたバカがいたから片づけたまでだ。お前がいるというのに、実にくだらない……親族とはいえ、あの諦めの悪さには呆れを通り越して感心すら覚える」


 しかめ面で答えた慶一は近づいて来た悠里の頬を撫でたあと、彼女の額にそっと唇を寄せた。恋人らしい触れ合いを見せつけられた明良は頭から首まで赤くなる。だが、悠里に触れている慶一の目が自分に向けられた途端に頭から血の気がなくなるのを感じた。


「それで、悠里……『明良君』とやらは誰だ? まさか浮……客とはいわないだろうな? 今日は店が閉まっているはずだが」

「朝から何も食べてなくてお腹空いてるっていうから連れてきちゃった。慶一君、お願い。何かあったら食べさせてあげて?」

「……」


 鬼は沈黙した。それはもう、なにか訴えるような眼差しで悠里を見下ろしていた。

 悠里も負けじと見つめ返していた。ただし、彼女のそれは期待に満ちている。裏切られることを知らない瞳だ。

 明良は察した。この軍配がどちらに上がるのかなんて、いわずもがな。


 慶一が、目を閉じながら深いため息を吐く。角がだんだんと小さくなり、少し長く尖っていた爪も短くなった。再び目を開いた彼は先ほどとは打って変わり、柔和な笑みを浮かべて温かい眼差しを明良に向けた。


「君も運がいい人ですね……ようこそ『たまゆら』へ。僕が作ったものでよければ、どうぞ食べていってください」


 敵意が消えたことには安心するが、これはまるで別人だ。人格が変わる妖族とは初めて出会う。

 とんでもない場所に来てしまったのかもしれない。そう後悔しても、もう遅かった。


 くんっと右側の袖を引っ張られ、肩を震わせた明良はぎこちない動きで振り向いた。


 同じ妖族の顔が二つ、こちらを見上げている。どちらも明良の腰ぐらいの背丈しかなく、愛らしい面差しをしている。違いがあるとすれば、一人は青い着物の少年で、もう一人は白い着物と桜色の玉の髪飾りを身につけた少女だということだ。

 気配も感じさせずに近づいてきた幼い妖族に、明良は頭が真っ白になった。


黒目くろだ」

黒目くろが来た」

「誰?」

「悠里の知り合い?」

「うん、そうだよ。あとで私の代わりに遊んでもらってね」


 いつの間にか自分が遊び相手にされている。双子が無表情のまま「わーい」と揃って両手を上げたので、明良は否定することもできなかった。どうせ喜ぶならもっと嬉しそうにしてほしい、と明良は遠い目で空を仰ぐ。


 この時ばかりは、やれやれと肩をすくめる慶一の苦労がほんの少しだけ理解できるような気がした。


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