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 明良の生家である安倍家はその昔、大陰陽師の家系として有名だったという。恐ろしい妖怪から弱い人を守る、自分達はそんな一族の末裔なのだと両親は笑って話していた。正直なところ、明良にとっては至極どうでもいい話だった。そんなことよりも経済力のない両親の頭の方がずっと心配だったからだ。事業をはじめては失敗し、どこかの会社に勤めてはクビになり、詐欺に遭っては貯蓄を奪われる。そんなことの繰り返しで、食事すらまともに食べられないことがある。


 だが、明良は両親の話が真実であることも理解していた。運がいいのか悪いのか、自分が先祖返りしていることに気づいたからだ。烏天狗はじめという幼なじみがいなければ、霊力が高いことを知る機会はなかっただろう。


 そして霊力が高いというのは、妖族に狙われやすい体質というデメリットがある反面、非情に便利だった。


 まず直感力が優れている。危険を察知したら避けられるという利点があり、両親と同じ失敗を繰り返す心配がなかった。というより、これまではこの直観力で両親の不甲斐なさをカバーしていたといってもいい。


 次に、妖力を跳ね返すことができる。力のコントロールや訓練は必要となるが、霊力を盾にすれば妖族の妖力による攻撃は全て無効化できた。今の明良がこうして無事でいられるのも、烏天狗一族のおかげで霊力をコントロールできるようになったからだ。


 ――とはいえ……そう簡単に都合のいいバイトなんて見つかるわけないよなぁ。


 まだ講義が残っているというはじめと別れたあと、明良はアルバイトの求人を眺めながら家路を辿っていた。歩きながらスマホを触るのは危ないとわかっているが、この一刻を争う状況ではなりふり構っていられない。


 風が吹けば飛ぶような家だろうと、数万の家賃と光熱費がかかる。だから食費を抑えるために今朝からご飯も食べていない。だからといって、そんな路頭に迷う瀬戸際であっても大学を辞めるという選択肢はない。そんなことをすれば、自分の人生は瞬く間にどん底に落ちる。直感が、そう訴えている。


 そんな言い訳と葛藤を繰り返しながら考えに耽っていたから、油断した。

 明良は前方から近づいてくる人の気配に気づかず、左肩をぶつけてスマホを落としてしまった。さらには衝撃に耐えられず尻もちをついてしまい、臀部から強い痛みが走った。「イテテ……」と腰を擦りながら顔を上げると、そこには深くかぶった帽子の陰からこちらを睨みつける金色の瞳がある。視線が合うと隈の多い目元がさらに鋭くなり、明良の背筋にひやりと冷たいものが流れた。


「す、すみません……」

「ちっ」


 咄嗟に出た謝罪のおかげか、妖族の男は大きな舌打ちだけを残して立ち去った。

 通行のマナーが悪かったのは自分だ。下手に絡まれるよりマシだと理解している。しかし、どうも今のは腹いせのつもりでぶつかられたみたいで腑に落ちない。


 不満の代わりにため息を吐き、落ちているスマホを拾って立ち上がる。

 それから再びアルバイトを探そうとした明良は、周囲の目も気にせず絶叫した。


「うそっ……マジ!? なんで!?」


 画面には大きくひびが入り、求人サイトを表示したままフリーズしている。電源ボタンを押して再起動も試みるが、うんともすんとも反応しない。落とした衝撃で完全に壊れてしまったようだ。

 修理代金を想像した明良はがっくりと項垂れた。確かに今日の自分は行いが悪かった。だけど、これはあまりにひどいタイミングだ。不運の連続に、精神的なダメージも大きくなる。


「最悪……ほんと、どこかいい指導員のバイトないかな……」


 国家資格を要する妖力調整指導員なら、バイトでも時給はそこそこある。そう考えて最初に求人を探してみたものの、やはり大学生という身分ではシフトの調整が難しい。

 世の中はとにかく理不尽で、現実は明良に厳しかった。

 もう何も考えたくない。明良は俯いたまま、とぼとぼと歩き出す。


「君、指導員なの?」


 ふと聞こえた声に、明良は足を止めて振り向いた。

 そこは地元で有名な団子屋だ。店内で飲食ができる茶屋でもあり、お土産屋としても人気がある。扉のない入り口から店内が見えるが、思ったより若い客が多かった。

 声をかけてきたのは、その店先でみたらし団子を打っている老婆――ではなく、購入した商品の受け取りを待つ女性らしい。


 黒目普通の人だ、と明良は無意識に相手を判別した。

 綺麗に染まった茶色の髪と、薄く化粧を施した綺麗な肌、そしてベージュのハイネックトップスに丈が長い若草色のカーディガンという爽やかな組み合わせ。明良に負けず幼さの残る顔立ちは年齢を正確に推測できない。髪を揺らしながら首を傾げる仕草や、真っ直ぐに自分を捉えるダークブラウンの瞳も子どもっぽさを感じる。


 そんなことより、と明良は彼女の腕の中に注目した。

 黒猫だ。紅梅色の瞳をした、毛艶のいい黒猫がいる。しゅっと細く凛々しい面構えはとても賢そうな印象がある。否、事実賢いのかもしれない。黒猫は大人しく抱かれたまま、じっとこちらを見つめていた。

 観察されているのだろう。少し居心地が悪くなり、明良は女性に目線を戻した。


「ねえ、君。資格持ってるの? 指導員の」

「え、と……はい、まあ……」

「で、バイトも探してる?」

「……そうですけど」


 どうしてそんなことを尋ねるのだろう。明良は戸惑った。怖い雰囲気は少しも感じないが、猫を抱いて歩いているのも奇妙な話だ。見ず知らずの人間ということもあり、警戒心が強く働いた。


「はい、お待ちどうさま。いつもありがとうねえ、悠里ちゃん」

「ありがとう、おばちゃん。また来ます」


 悠里、と呼ばれた女性は商品を受け取ると、すぐに明良の方へ歩み寄って来た。

 その表情はさっきよりもにこやかで、ますます明良は身構える。


「私、佐倉悠里さくらゆうりっていいます。で、この猫ちゃんはウカ君」

「はい?」

「君、桜ノ宮さくらのみや神社って知ってる?」

「はあ……知ってます。有名ですし……」

「私はあそこの宮司の孫なの。……っていってもこの前祖父は亡くなって、今はもう他の親族に代替わりしちゃったんだけどね」

「はあ……」


 桜ノ宮神社といえば、桜庭市の中でも花見スポットで有名な観光名所だ。だから桜が満開の時期になると参拝客の姿が多くなり、比較的静かな八ヶ坂町は賑わいをみせる。縁結びのパワースポットでもあるので、明良もバイトの面接前に何度か祈願に行ったことがあった。そのおかげで今のバイト先とご縁が結べたのだと思っている。


 ――悪い人ではなさそう……かな。


 これがはじめなら、耳も貸さずに立ち去っただろう。しかしお人好しな一面がある明良は、友好的に歩み寄ってくる悠里を無視できなかった。

 それに、悠里は先に名乗って自己紹介をしてくれた。身元を隠さず教えてくれたという部分は、明良としても好感が持てた。団子屋さんの知人という情報も安心できる。

 つまり、彼女は無害だ。直感がそう告げていた。


 そんなことを明良がぼんやり考えていると、悠里は困ったように眉をひそめた。


「あー……あのさ。できれば名前、聞いてもいい?」

「あ、俺は――」


 ぐううぅぅぅ。ぐきゅるるるるる。名乗ろうとした声を遮るように、地鳴りのような空腹の音が鳴った。それも一度だけでなく複数回に渡って鳴り響くので、明良はつい音を隠すために腹部を押さえてしまう。

 ちらりと悠里を見れば、彼女は口をぽかんと開けていた。腕の中の黒猫も同じ表情をしている。


「えっと……安倍、明良です……」

「あ、うん……えっと……お腹、空いてるの?」

「実は、朝から何も食べてなくて……」


 ごおぉぉ、と再び音が鳴る。悠里は「うそやん」と小さな声で関西弁を呟き、黙り込んでしまう。

 気まずい。逃げたい。今すぐに。明良は顔を手で隠しながら背中を向ける。

 そんな明良の肩に、ぽんっと優しく手が乗った。悠里の手だ。


「今からタダ飯食べに行くけど、明良君も一緒に来る?」

「もちろん行きますっ!」


 飢え死になんてしたくない明良は『タダ飯』というワードに全力で振り返り、元気よく即答した。

 あまりのいきおいに悠里が肩を震わせたのは、あえて知らないふりを貫いた。


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