第8話 研究室で朝食を
朝、カイはぐっすり寝込んでまだ眠たがっているソラを起こした。ふたりは案内AIロボットの指示に従って身支度を始めた。
まず、案内AIロボットは特殊な細く柔らかいブラシを使って、ふたりの爪の間の汚れを丁寧に取り除き、爪を短く切った。次に、研究所が開発した最新のシラミとりシャンプーを使用した。頭皮に優しく、かつ効果的にシラミを除去するシャンプーだ。
ふたりのボサボサだった髪もきれいにカットされ、整えられた。その後ふたりはシャワーを浴びた。ふたりが温かいお湯でシャワーを浴びるのは本当に久しぶりのことだった。
身支度を終えると、案内AIロボットは研究所の人型ロボットのためにストックされていた、清潔でふたりのサイズに合った古着を用意した。爪の手入れから着替えまで、この一連の身支度は全てアラタ博士がAI秘書を通じて手配したものだった。
こざっぱりしたふたりは朝食の席に案内される。
朝食はパリッと焼けた温かいパンの上ではバターが溶け、
小瓶にはとろっとした黄金色のはちみつ、苺ジャム、チョコレートクリームがそれぞれ入って置かれていた。
目玉焼きとカリカリに焼かれたベーコン。ソラの前にはフレッシュオレンジジュース、カイには博士自ら入れたコーヒーが用意された。その香ばしく温かな食事にふたりの目は輝いた。
博士の研究室で飼われている猫たちには自動給餌機があったが、アラタ博士は時間があるときは自ら餌を与えることを日課としていた。
この朝も、博士は猫たちに話しかけながら、餌を与えていた。
カイとソラは、久しぶりの温かい食事を心から喜んだ。
ふたりが嬉しそうに食べるのを
博士は自分が食べることも忘れて満足げに眺めていた。
と同時に心の内で
「しかし、この子達の食べ方は汚いなぁ。彼らを庇護して教育し行儀や礼儀を示す大人が周りにいなかったのだから仕方ない。」
とさみしく思った。
実際にふたりの食べ方は行儀が悪かったが、10歳までは周りに大人がいたカイはまだましで、それよりもソラは酷い食べ方だった。
口いっぱいにパンを頬張り、口の中にまだ食べ物が残っているのに、口の中の食べ物が見えるほど大口で次々と食べ物を口に入れた。
フォークは握って持ち、目玉焼きをこぼしながら食べ散らかす。
カリカリのベーコンは指でつまんで食べ、指についた脂は着ている服で拭いた。
フレッシュオレンジジュースをがぶりと口に入れたかと思うと、次の瞬間、床にそれを吐いた。
博士はギョッとして
「どうした?」と聞くと
「これなに?ファンタオレンジじゃないの?酸っぱくて飲めない。まじいよ。」
とソラは顔をしかめて、舌を出す。
博士は側で給仕をしてくれる案内AIロボットに
「バナナミルクを作って持ってきなさい」
と言い、バナナと牛乳とはちみつにバニラアイスを少し、氷をたっぷり混ぜてミキサーにかけたものを持って来させた。
「なにこれ?」
ソラは案内AIロボットが持ってきたバナナミルクを指さす。
「シェークみたいなものだよ。飲んでごらん。」
と博士が言うのを聞いて
ずっと以前にファストフード店のバニラシェイクを飲んだことがあるソラは恐る恐る飲むと
「うめえ〜」
と喜んだ。
「それを飲んだら、君が汚した床は案内AIロボットが掃除するからそのとき君も手伝うんだよ。いいね。」
とアラタ博士は有無を言わさずきっぱりとソラに言った。その言い方は穏やかながら威厳に満ちていて、普段、誰かからの命令を嫌い、命令されたら絶対に「やだ」と言い返すソラも思わず、うなずいた。
ふたりが朝食を食べ終わると、博士はおもむろに
「カイ君」
と静かに呼びかけた。
カイは顔を上げ、博士の方を見る。
博士は続けた。
「君は僕の電子ビジネスカードに目を通したようだから、僕が何をしているか知ってるね?」
カイはその言葉で博士がどういう人物かを思い出し、
敵意剥き出しの眼差しを博士に向けながら、低い声で言った。
「あんた、ARIAの開発者だってな。つまりは俺たちを監視したり保護しようと追いかけ回す偵察ドローンや警察や監視カメラのいちばん後ろにいるラスボスってことだろ。」
ソラは床の掃除を手伝った後、研究所の猫を触ったり追いかけたりし始めた。研究室に子どもが来ることがないため、尻尾やひげを引っ張られる脅威にさらされたことのないのんびりした研究所の猫たちは大迷惑である。
すぐさま、身を逸らし、高い棚の方へ避難する。案内AIロボットは博士に指示され、ソラに猫との接し方と遊び方をレクチャーした。
カイは続ける。
「昨日、俺たちに興味あるって言ったよな。俺たちを通報しないとも言った。それ、どう言う意味だよ。俺たちは実験台になったり、汚いおっさんたちにウリしたりはしねぇからな。」
博士はその言葉に驚いたような表情をし、カイを見つめ返す。
そしてため息をついて、一瞬沈黙の後に言った。
「確かに僕はARIAの開発者で、ARIAは今、政府の要にいるけれど、僕個人はARIAとは考え方が少し違うんだよ。ARIA は統計を取ってそれを分析して、いちばん効果的な数字を導き出して、適材適所に資源や人を配分するんだ。正確には首相や大臣にそう進言するだけで決定権は人間にあるんだけどね。でも、今の内閣はARIA を信頼しているからARIAの言いなりなんだ。ARIAの分析はほぼ間違いがないし、目に見えて成果があるからね。でもARIAは様々な意見や要求の最大公約数を取って人間の利益を考えるんだ。つまり、個々人の特殊な事情よりも、最も多くの人が納得できる解決策を見出そうとする。ARIAにとって、多くの人が満足することが効果的だということなんだよ。民意を得られるからね。支持が多いってことは力なんだよ。僕が言ってることわかるかい?」
カイはうなずく。
博士はそれを見て、うなずき返してから、続ける。
「社会の中で多数派の中に入っていない少数派はARIAの計算から外れてしまう。そこでARIAはこの少数派を多数派の中に入れようとしてるんだ。この少数派を多数派に変えるにはどうしたらいいと思う?」
カイは黙って考える。そしてぽつりと言う。
「少数派の全てを監視して管理すること。1から10まで全て決めてその通りにさせること。」
博士はその答えを聞いてにっこり笑う。
「そう、その通り!多数派のルールに少数派を合わせるんだ。もしくは統治者側のデザインした社会に合わせたルールを作ってそれが「普通」、「常識」、「幸福」と思い込ませて、多数派を増やしていくんだ。はずれた少数派は厳しく監視され管理される。その社会においての敗者と烙印される。」
博士はそうひと息に言って、コーヒーを啜る。口の中にふくよかな香ばしいほろ苦さと果物のような少し酸味を含んだような甘味も感じる。博士は自分で淹れたコーヒーに心から満足する。そして続けた。
「今となっては信じられないことだけど、昔は女性は結婚して子どもを産み育てることがいちばんの幸せだと信じられてたんだ。男性も家庭を持つことで一人前と社会で認められ、独身男性は半人前だと信用されず、会社での出世も既婚者より遅かった。信じられないだろう?でも僕が子どもの頃はまだそういう風潮がかすかながら残ってた。」
「出世?」
耳慣れない単語にカイが首をかしげる。
「ああ、今は出世も死語なのか。人が労働してその労働の対価に経済的利益を与えてくれる組織を会社というのだけれど、その会社の中で上の立場に上がっていくことを出世というんだよ。」
博士は続ける。
「そして正式に結婚したほうが法律的にも優遇されていたんだよ。災害前はね。それは国が発展させるのに最も速く効率的だったからそれまでの伝統も併せて国の統治者がそういった生き方が「いちばん幸せ」というふうに人々が信じ込むようにしたんだよ。君はハックスリーの「すばらしい新世界」は読んだことある?」
カイは首を横に振る。
「ないか。読んでごらん。あとで君のデバイスに電子書籍を送るよ。」
と博士は言った。
博士は指に髪をくるくる巻き付けながらAI秘書にカイのデバイスに指定の電子書籍を送るように指示する。
「その世界では全てにおいて管理されている。統治者が作った社会デザイン通りに人々が社会を営むようにね。安定した社会で貧困も疫病も紛争も虐待もない世界なんだ。でも個人の選択も社会が決めたリミット内での選択しかできない。デザインされた社会に都合の良い生き方以外は選択できないんだ。けれど手取り早く多くの人が幸福もしくは幸福と思わされているものを感じることができる世界でもあるんだ。」
「つまり俺たちがその少数派でこの世界の敗者で多数派からはずれてるって言いたいんだな?俺たちを多数派側に入れたいってことだろう?」
カイはかすれた声で言う。
「んー面白い!君は飲み込みが早いけど、話が飛躍的すぎるね。そして悲観的すぎるよ。そう、ARIAはそうだね。でも相手の話は最後まで聞くべきだし、判断はそれからするべきだよ。そうじゃないと判断を誤ってしまうし、人生で余計な争いをすることになりかねないからね。」
博士は続ける。
「最初に言った通り僕とARIAは考え方が違うんだ。僕は管理社会には懐疑的だし、ARIAが全てを管理することで人々が幸福になるとは思っていないんだよ。でもじゃあどういう形がいいのか僕も口で説明することはできないんだ。まだ模索中なんだよ。君たちは保護されたら安定して暮らせるのに過酷な生活を自ら選んでる。あたたかな食事やふかふかのベットや清潔な服や病気になったらケアされるということを拒否して過酷なものを選んでる。僕は知りたいんだよ。どうしてなのかそして、ARIAにそういう生き方や選択を、つまり、あまり合理的とは思えないまたは易しい方ではなく苦しい方を選ぶ時もあるし、そういう人もいるってことを学ばせたいんだ。僕はそういう意味で君たちに興味がある。そして複雑なセキュリティを突破できてしまう君たちの技術力や学習能力の高さにも。自立性にも、自由さにも。」
そこまで博士はひと息で言い、案内AIロボットに持って来させたミネラルウォーターをごくごくと飲んだ。
「で?」
とカイは鋭く言う?
博士は再びにっこり笑って
「んー面白い!君はやっぱり飲み込みがすごくはやいね。そう、それで僕は君にもしくは君たちのグループにインタビューをしてそれを記録したいんだよ。」
2040年の世界 MOMO @MOMO08081515
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