第6話 彼らはアラタ博士の研究室へ

カイは重そうな袋を抱え、廃墟ビルの5階に戻った。深夜2時を回っていたが、年長組の何人かはまだ起きていた。

アヤは廃墟の壁にもたれかかり、無線イヤホンで音楽を聴いていた。その横でユウキとナオはVRゴーグルを装着し、バーチャル空間でバスケットボールの1on1を繰り広げていた。ユウキの鋭いドライブにナオが翻弄され、バランスを崩すしているところだった。

袋から漂う匂いに気づいたユウキとナオは、顔を上げて喜びの声を上げた。カイは無言で袋を床に置き、寝ているメンバーの分を取り分けた後、起きているメンバーたちと食べ始めた。


ハンバーガーを頬張るユウキが

「うめぇ」

とつぶやくと、話し声と笑い声、紙のがさがさした音と匂いで何人かが目を覚ました。ソラとタツキも起きてきて、眠そうな目をこすりながらポテトを手に取った。

「どこで手に入れたんだ?」

とユウキが尋ねた。

カイは

「知らねーおっさん」

と短く答えた。

ユウキは眉をひそめ、

「まさかお前、ウリやったんじゃねーだろうな」

と警戒するように言った。

「ちげーよ」

カイは鋭く否定した。


やがて朝方になり、みんなが眠りについた。

しかし、カイは寝つけずにいた。

カイは寝袋の中で何度か寝返りを打った後、小型デバイスを取り出した。アラタ博士の電子ビジネスカードのスキャンデータを見つめ、しばらく迷った末に検索を始めた。

カイのデバイスに保存されていたアラタ博士の電子ビジネスカードの情報が、画面上に立体的な映像として浮かび上がった。この映像は、名前、所属、連絡先などの情報が、まるで空中に浮かんでいるかのように鮮明に見えた。

カイは慎重に画面に触れ、この3Dの電子ビジネスカードの追加情報を表示させた。

画面に次々と情報が表示される。アラタ博士の経歴、「未来創造科学技術研究所」での役職、そしてARIAの開発に関する記事。

カイは、政府がピラニータの保護に力を入れていること、ARIAが管理する偵察ドローンの存在など、彼らの生存に関わる情報を頭の中で整理した。

電子ビジネスカードの詳細な情報に目を通しながら、カイの頭の中で、今夜の出来事と新たに得た情報が複雑に絡み合っていく。彼は眉をひそめながら、何度も画面をスクロールした。


外の空が白み始める頃、カイはようやくデバイスを閉じた。カイは寝袋の中で身動きをせず仲間たちの寝息を聞いていた。



真夜中の静寂を破り、警報音が鳴り響いた。カイたちのグループは、最新の垂直農場に侵入していた。食料確保が目的だった。

「急げ!」

カイの声が響く。

ユウキが素早い動きで高い棚から野菜を取り、ナオに投げ渡す。ナオは器用にそれを受け取り、袋に詰めていく。その横では、リョウとケンタが協力して重い果物をバックパックに詰めていく。

アヤは入り口付近で見張りを続けながら、時折無線で外の様子を知らせてくる。

そして、ソラは小型のハッキングデバイスで農場のシステムに侵入し、セキュリティを一時的に無効化していた。しかし突然、ソラが叫んだ。

「やばい!

バックアップシステムが起動した。セキュリティボットが来る!」

「みんな逃げろ!」

カイが命令する。グループのメンバーたちは事前に決めてあった脱出経路から散り散りに脱出していく。


しかし、ソラが躓いて転んでしまった。セキュリティボットが迫ってくる。カイは迷わずソラの元へ駆け寄った。

「行け!」

ソラが叫ぶ。

「置いていくわけないだろ」

カイは冷静に答える。


カイはソラを抱き上げ、全力で走り出した。セキュリティボットの足音が近づいてくる。


「こっちだ!」

カイは抱いていたソラを降ろす。ふたりは農場を出て狭い路地に飛び込んだ。


息を潜めながら、カイはソラを見つめた。この9歳の少年の特殊なスキルは群を抜いていた。

今回の作戦でも、ソラの直感的なハッキング能力で複雑なシステムを操作し、彼らの侵入を可能にした。


カイはソラに対して相反する感情を持っていた。ソラを将来有望な「後継者」として期待する一方で、彼の才能をさらに伸ばせるような安定した「普通の生活」を送ってほしいという思いもあった。


カイはソラを年少組の中でも特別に目をかけ、弟のようにも思っていた。


そもそも4年前の7月の埃っぽい暑い日、路上でうずくまっていた5歳のソラを見つけたのはカイだった。


12歳だったカイは、その当時のグループのリーダーと一緒に無人店舗の窃盗をして寝床に帰るところだった。

物陰に隠れるようにしゃがみ込んでいる小さな男の子を見つけた。サイズに合わない汚れたぶかぶかのTシャツと下は下着を身につけているだけで、裸足だった。一目で親に置いていかれたことがわかった。リーダーが止めるのも聞かずカイは声をかけたが、男の子は怯えた目で見上げるだけだった。


カイは躊躇なくポケットから小さいコカコーラのペットボトルの蓋を開けて男の子に差し出した。男の子は一瞬躊躇したが、すぐに手を伸ばしてペットボトルを両手で掴み、恐る恐る飲み始めた。


その日から、ソラはカイたちのグループの一員となった。5歳のほぼ何もできない幼児をグループに加えては足枷になるとリーダーは大反対したがカイは頑として譲らず、ソラを寝床に連れてきたのだった。

災害で両親は亡くなり、生き残った親戚にたらい回しにされて結局は施設に入れられた5歳の自分と、親に捨てられ、みすぼらしく路上に放置されたソラが重なったのだ。


カイはソラの食料を確保するために必死でグループの役割をこなしたし、食料が足りない時は迷わず自分の分をソラに回した。


カイはソラの並外れた才能にすぐに気づいた。記憶力とそして驚異的なハッキング能力。カイはソラを守りながら、その才能を伸ばそうと決意した。


今、狭い路地で息を潜めながら、カイは当時のことを思い出していた。ソラを見つけた日から、カイの中で何かが変わった。


カイはソラの肩に手を置いた。

ソラは小さくうなずいた。その目には、カイへの絶対的な信頼があった。


農場のセキュリティシステムから連絡が入り、すぐにでもこの辺り一帯に偵察ドローンや警察が回ってくるだろう。


息を潜めながら、彼は小型デバイスを取り出した。迷いながらも、アラタ博士の連絡先を開く。


そして、カイは決意を固めてメッセージを送信した。「助けて、追われてる」




その頃、アラタ博士は研究室でM博士による代替的養育環境の研究に関する論文を読んでいた。

カイに出会ったことによって、災害孤児やピラニータについての情報を調べ、結果的にM博士の血縁関係のない養育者と子どもの関係性構築に関する研究や、施設養育と個別養育の比較研究に行き着いたのだ。前者は、血のつながりのない大人と子どもがどのように信頼関係を築いていくかを探る研究で、後者は大規模な施設での集団養育と、より家庭に近い環境での個別的な養育の効果を比較するものだ。


博士は考え事をする時のいつもの癖で指にくるくると髪を巻きつけた。


M博士とは10年前に政府の特別委員会会議室で育母制度の費用対効果と導入時の予算について幾度か会議に一緒に出席したことがあった。


余談ではあるが、その際会議に同席していたコウヨウ氏は当時はまだAIガバナンス責任者ではなく、前任の責任者の補佐役だった。酒豪のM博士は同じく酒豪のコウヨウ氏と意気投合して今では彼らは飲み仲間である。​​​​​​​​​​​​​​​​


ひと息ついたところで、博士がコーヒーを飲もうと立ち上がると、AI秘書が即座に反応した。


「博士、カイから緊急メッセージが届きました。高度に暗号化されていますが、解読しました。内容は『助けて、追われてる』です。」


AI秘書は続けて報告した。

「メッセージの発信元の位置情報も受信しています。現在地は第7区画垂直農場複合施設南側、旧市街地エリアの路地B-23です。この エリアは再開発の遅れている地域で、狭い路地と放置された低層建築物が混在しています。位置情報も暗号化されており、カイのデバイスからのみ発信可能な認証済みのものです。」


博士は画面のAI秘書に向かって指示を出した。「カイの回線と繋げて会話できる?もし難しければ、次のメッセージを送信して。」


「今から君のところに僕名義で自動運転車を手配するから、それに乗って研究室まで来てほしい。君は乗車するだけでいい。僕の電子ビジネスカードのデータを保持している君のデバイスから発信される暗号化された位置情報を基に、車両を誘導する。車が到着したら、車体に表示される僕の識別コードで確認できる。」


その後、博士はAI秘書に自動運転車の手配を指示した。AI秘書は瞬時に最寄りの自動運転車サービスと連携し、カイの位置情報を基に最適な車両を選定し、派遣した。


この世界では、個人のデバイスに搭載されたAI秘書が、通信、スケジュール管理、情報検索など、あらゆる秘書業務を担っている。AI秘書は物理的な実体を持たず、異なるデバイス間で一貫して機能し、ユーザーがデバイスを切り替えても途切れることなくサービスを提供している。


電子ビジネスカードのデータを介した位置情報の共有は、高度に暗号化され、セキュリティプロトコルによって保護されている。この技術により、個人のプライバシーを守りつつ、必要な場合のみ特定の相手と正確な位置情報を共有することが可能となっている。自動運転車は、この暗号化された位置情報を元に、効率的かつ安全に目的地まで誘導される。

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