第4話 ネロの宮廷での再会

セネカがローマに到着して数年が経過した。彼はすでに哲学者としての名声を得つつあったが、宮廷での地位を築くにはまだ十分とは言えなかった。彼が目指す道には常に権力の影が付きまとっていた。しかし、その時はやってきた。ネロ――かつて彼が家庭教師として教え導いた少年が、今やローマ帝国の若き皇帝として君臨している。そして、そのネロが自らセネカを宮廷へ呼び戻した。


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宮廷の広大な廊下を歩くセネカの心には、かつて教えた頃のネロの姿が浮かんでいた。まだ幼い彼は、賢く感受性豊かで、セネカの哲学に対して強い関心を抱いていた。あの頃のネロは、将来のローマを背負う存在として、希望に満ちた若者だった。しかし、皇帝となった今のネロはどうなのか。噂では、彼が権力に毒され始めているという声も聞こえていた。だが、セネカはその噂を信じたくなかった。彼が教えた教え子が、そんな風に変わるはずがない――そう思いたかった。


広間の扉が開き、セネカはゆっくりと中へと入った。そこには、かつての少年とは似ても似つかない姿のネロが、玉座に座していた。豪奢な衣装に身を包み、周囲には側近や軍人たちが集まり、彼を崇拝するように見つめている。ネロはセネカを見ると、笑みを浮かべたが、その笑顔にはかつての無邪気さはもう残っていなかった。


「セネカ、久しいな」

ネロの声は、以前よりもずっと低く、重々しいものになっていた。かつての教え子が、今や一国の支配者となり、しかもその口調にはどこか冷徹さが感じられた。


「陛下、お呼びいただき光栄です」

セネカは深く一礼し、丁寧に言葉を選んだ。かつての親しみとは異なる、慎重な態度だった。彼はネロの変化を肌で感じ取っていた。


ネロは立ち上がり、セネカの方にゆっくりと歩み寄る。「お前の教えは、今でも覚えているよ、セネカ。だが、このローマの宮廷では、お前の言葉通りに生きることは難しい。権力の世界では、哲学だけでは何も解決できないのだ。」


セネカは一瞬息を呑んだ。ネロの言葉には真理が含まれていたが、同時に失われた理想への諦めも感じられた。セネカが教えた哲学、ストア派の信念――冷静に、理性的に生きること――それはもはや、ネロにとって過去のものとなっていたのだろうか。


「陛下、私は――」

セネカが言葉を発しようとしたその瞬間、ネロが手を挙げて制した。


「もういい。お前には感謝しているが、今は私がローマを導く者だ。お前の助言はもう必要ない。これからは、私が選ぶ道を歩んでいく。」


その言葉には冷酷さが滲んでいた。セネカは、ネロの中にかつての少年を見出すことはできなかった。彼は自分の教えが、もはやネロには届かないことを痛感した。権力と欲望の渦の中で、ネロは変わってしまったのだ。


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広間を後にしたセネカは、宮廷の長い廊下を一人で歩いていた。かつての教え子が、こんなにも変わり果ててしまったことに対する失望と無力感が胸を締めつける。だが、それでも彼は心の中でつぶやいた。


「ネロ、お前の心にはまだ何かが残っているはずだ。私は決して、お前を見放すことはしない。」


セネカは拳を固く握りしめ、宮廷の出口に向かって歩みを進めた。ネロを救うための方法を、彼は探し続けることを誓った。

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