第2話 ローマへの旅立ち
夜明け前、コルドバの空はまだ暗く、星々がかすかに瞬いていた。セネカは家の庭先に立ち、遠くに広がる山々を見つめていた。乾いた土の香り、涼やかな風、静寂に包まれた大地。ここは彼が生まれ育った故郷だ。幼い頃から遊んだ広大な畑と、彼の人生の土台を築いた場所。だが、その全てが今、彼にとっては小さく感じられる。彼の心はすでに遠く、まだ見ぬローマの地に向かっていた。
「お前は本当にローマに行く覚悟があるのか?」
父の厳格な声が、彼の背後から響く。
振り返ると、セネカ・エルダーが静かに佇んでいた。歳月を重ねた顔には深い皺が刻まれ、その目は息子の未来を見据えるかのように鋭く光っていた。
「はい、父上」
セネカはしっかりとうなずいたが、どこか迷いの色を残していた。
「ローマは、お前が考えるほど単純な場所ではない。権力の渦はお前を飲み込み、心の安らぎを奪うだろう。それでも行くのか?」
その言葉は、まるで試すようだった。父は哲学と修辞の道で名を馳せた人物であり、彼の言葉には重みがあった。しかし、セネカの胸にあるのは、未知の世界への憧れと、そこに自らの未来が待っているという確信だった。彼はそれを捨て去ることができなかった。
「私は、自分の信念を試してみたいのです。知識を深め、理想を現実に変えたい。そのためには、ローマに行くしかないのです」
セネカの言葉は静かだったが、その声には確固たる決意が宿っていた。
父は息子の目をじっと見つめ、しばらくの間、何も言わなかった。そして、静かに息を吐き、ゆっくりと頷いた。「よかろう。ただし、一つだけ覚えておけ。どんなに栄光を手に入れたとしても、決して自分を見失うな。それができない者は、ローマで生き延びることはできない。」
セネカはその言葉を心に刻んだ。彼は若く、まだ経験が浅い。だが、彼の目の奥には確かな光があった。それは、哲学への情熱と、何よりも自分自身を信じる力だった。
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翌朝、セネカは旅立ちの準備を整え、家を出た。母ヘルウィアが彼を見送るために立っていた。彼女は、静かに微笑みながら、息子の顔を見つめた。その笑みの奥には、母親ならではの深い愛情と不安が隠れている。
「気をつけてね、セネカ。ローマは美しいけれど、危険も多いわ。自分の心を守りなさい。」
セネカは母の手を握りしめ、力強く答えた。「大丈夫です、母上。私には、あなたと父上の教えがあります。それさえあれば、どんな困難も乗り越えられるはずです。」
彼女は息子の成長を感じ、目に涙を浮かべながらも、それをこらえた。「そうね、あなたなら大丈夫。」
セネカは馬に乗り、背後に広がるコルドバの風景を最後に一瞥した。乾いた大地と山々が、彼の胸に深く刻まれていた。しかし、その風景が次に目に入るとき、彼は別の人間になっているだろう。栄光の都ローマが、彼を待っている。
ナレーション(セネカの心の声):
「ローマ――。そこで私は何を得て、何を失うのか。だが、進まなければわからない。私の哲学が、私の信念が試されるのは、まさにそこだ。私は、ローマで自分自身を証明してみせる。」
セネカの旅は、こうして始まった。
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