閑話

思い悩める異世界人(ツカサ視点)

「よう、おはよう」


 なんとなく空を見上げていると、横合いから声をかけられた。


 知り合いの店主がお店の前にでてきて、両腕で大きく伸びをしている。

 その頬に大きな湿布薬がはられてあることに、私は目を丸くした。


「おはようございます、レクスさん。――ほっぺた、どうしたんですか?」

「昨日、ツカサちゃんが上がったあと、ちょっとなぁ。飲みすぎたわ」


 私がお世話になっている宿は食堂と酒場を兼ねていて、夜遅くまでたくさんの人で賑わっている。深夜になるとちょっとばかり羽目を外してしまう常連さんもいて、鍛冶屋のレクスさんもその一人だった。


「もしかして、フレッドさんとケンカでもしたんですか?」

「ああ? いやいや、ちょっとすっころんで、テーブルの角で打っただけよ。フレッドの野郎が笑いやがったもんだから、小突いてやったけどな」

「……やっぱり、ケンカじゃないですか」

「わはは、あのくらいじゃケンカのうちにも入らねえよ。ちょいとじゃれあっただけだ」


 呆れたように言うと、レクスさんは豪快に笑った。

 このあたりは元々お店が多いエリアなこともあって、住んでいる住人も職人気質な人ばかりだった。変わった人も多いけれど、皆、いい人ばかりだ。


 もちろん、最初から仲良くできたわけではなかったけれど……


 ――チラチラと、人の頭のうえばっかり見やがってよ。相変わらず、気持ちの悪いヤツらだぜ。

 そんなことを言われたことも、あった。


 傷ついたことがなかったわけではないけれど、仕方のないことだった。それらの言葉は中傷ではなく、事実だったから。



 この世界の人たちは、人間に自分の頭上を見られることに敏感だ。

 不気味だ、という人もいるし、失礼だ、と怒る人もいる。


 彼らは言う。



 ――異世界の連中は、顔を突き合わせても目を合わせようとしない。

 まるで自分たちと会話をしながら、――


 そして、それは事実だった。



 今も、フレッドさんと会話する私の視界には、彼の頭上に画面のようなものがポップアップしているのが見えている。


 ――【ステータス】。

 私は意識して、そちらに視線が向かないように気をつける。


 今ではあまり苦もないけれど、昔はどうしてもそれができなかった。話をしていると、ついそちらに目がいってしまうのだ。


 そして、そこに書いてあることを読み取ってしまう。

 聞かなければわからないことでも、わかってしまう。


 相手はもちろん驚く。

 そして不気味に思うだろう。


 ――異世界人は、こちらの心を覗いてくる。


 この世界の人たちと異世界からやってきた人間との摩擦は、こうして生まれていく。


 似たようなことは、異世界人同士でも起きた。

 頭上に【ステータス】が見えるのは異世界人でもそうだから、初対面なんかではお互いにお互いの頭のうえをちらちら見ながら言葉を交わすことになる。


 相手の名前を聞く必要はない。

 自分の名前を言う必要もない。


 すべて、相手の頭上を見れば確認できるからだ。


 もちろん、頭上に浮かぶ内容だけで、相手の全てがわかるわけではない。

 自動的にそこに見えるものは名前や年齢、レベルなど限られていて、それらは『基礎ステータス』と呼ばれていた。


 まったくの他人の場合、確認できる【ステータス】はそれだけだ。

 交友を深めるごとに、さらに詳細な確認が可能になる。他人から顔見知り。知り合い、友人、さらにその先へと。


 だけど、私はまだ誰かとそこまでの関係を持てたことがない。

 理由は、怖いからだ。



「お、ツカサ、あんま無理すんなよ」


 ある日、友人だった相手からそんなことを言われて、私は言葉を失った。


 多分、彼は何気なく言っただけだっただろう。


 きっと私のステータスを見て、状態異常の中身を確認しただけだ。

 見えたから、言っただけだ。


 わざわざ口にする必要はないだろうとは呆れるけれど、恐らくそこにも悪意はなかったのだろうと思う。


 ただ、私にはそれが、とても気持ち悪かった。


 その時はじめて、私はこの世界の人たちの気持ちが理解できた。それまでも理解できていたつもりではあったけれど、できたつもりでしかなかったことを実感した。


 それ以来、私は異世界からやってきた人たちが苦手になってしまった。

 それまで行動を共にしていた人たちから距離をとり、お世話になっていた組合からも離れた。


 それまでのコミュニティから出た私は、新しい拠り所をこの世界の人たちに求めた。

 街の人たちと交流し、少しずつ仲良くなっていく。


 ……ひどく身勝手なことをしているという自覚は、あった。


 私が街の人たちと安心して交流できるのは、彼らが私のステータスを見ることができないからだ。

 私のほうでも、なるべく彼らのステータスを見ないように気をつけてはいたけれど。

 そんなのはただの自己満足でしかない。


 目を開いている以上、どうしたって【ステータス】は視界に入ってくるのだから。

 私にできるせめてもの行いは、せいぜい、不躾な目線を相手の頭上に向けて不信感を与えたりしないように気をつけることだけだった。



「どうした? 大丈夫か?」


 ふと我に返ると、フレッドさんが心配そうに眉をしかめている。

 その気遣いに、私は心から感謝することができた。


「あ、すみません。ちょっと考えごとで」

「なんか悩みでもあんのかい? 自警団でトラブったか?」


 自警団。

 それはこのところ、街の人たちの注目を集めている関心事だ。


 この世界には魔物や盗賊がいて、その対処に異世界からやってきた人たちの協力を求めるのが普通だった。

 組合を通して依頼をだし、成果に対して報酬を支払う。

 そういう風に共生していたのだが、最近、街では異世界人に対する悪感情が増えてきていた。


 理由は一つではないし、簡単に解決できる問題でもない。

 それに対する手段として街の人たちが考えたのが、少しでも自分たちで自助努力するための組織――つまり、自警団だった。


 私の知っている人が設立に関わっていることもあって、私はそのお手伝いをしている。

 まだ出来たばかり。たしかに問題は山積していた。


「ううん、個人的なこと。自警団のほうは順調ですよ! 今日は午前中、集まれる人で作戦会議なんです。ほら、今度の」

「おお、ついに実戦デビューってやつか!」


 近いうちに、自警団に所属する有志のメンバーで、街の外にでて魔物退治に出かけることになっていた。


 街の外にはいくつか魔物が集まりやすい場所があって、定期的に見回らないと危なくなってしまう。今までは組合に依頼していたのだが、今度、自分たちで行ってみようということになっているのだ。


 責任者は私だ。レベルもスキルも高い異世界人というのがその理由だが、プレッシャーはある。

 戦闘の経験がないわけではなかったけれど、あまり得意ではなかった。もちろん、安全マージンは十分にとるつもりではあるけれど。


 私の緊張した気配を感じ取ったのか、レクスさんは申し訳なそうに、


「すまねえな。俺も参加できればよかったんだが」

「お仕事があるんだから、毎回ってわけにもいきませんよ。レクスさんにはまた今度、もっと手強い相手が出てきそうなときにお願いします」

「ま、そうだな。そん時は、昔取った杵柄、思いっきり見せてやるからよ!」

「ふふ、お願いします。あ、それと、メンバーに支給する武器のことなんですけど――」


 それから、自警団のことでいくつかのやりとりをしてから、私はレクスさんと別れた。


 ちらりと振り返る。

 店の準備に戻る後ろ姿が見えた。


 その頭上のステータスに『【状態】微症:打ち身』とあるのを見て、ほっと安堵する。たいした怪我じゃないみたいでよかった。


 同時に自己嫌悪する。

 ……私のやっていることは、盗み見と変わらない。



 お昼前には自警団の話し合いが終わって、私は外に出かけた。

 普段ならこの時間はお世話になっている宿屋で給仕のお手伝いをするのだけれど、今日は遅番だった。お昼のあいだは休み。それで、街中を散策することにしたのだ。


 たくさんのお店が立ち並ぶ一画を歩いていると、知り合いが声をかけてきてくれる。


「よう。ツカサちゃん、買い物かい?」

「ううん、散歩です」

「いい魚が入ってるぜ。見ていかねえか」

「うーん、今はパス。あとでミューさんが買い出しに来ると思うから、その時にお願いします」

「やあ、ツカサさん。昨日、お店でレクスたちが暴れたんだって?」

「あはは。それ、私もさっき聞きました。さっきレクスさんと会って、元気そうで安心しました」


 彼らの頭上で焦点が合わないように気をつけながら、私は答える。


 街の人たちは優しい。

 だからこそ、その優しさにつけこんでいるように思えて、時々いたたまれなくなる。


 私が自警団を手伝っているのも、その埋め合わせに過ぎない。


 ――結局、私は自分勝手ばっかりだ。

 今までも。そして多分、これからも。



 人込みを避けようと、広場に向かう。

 中央の泉の縁に座り込んでいる若い男の子が視界に入ったのは、その時だった。


 身につけているのは、今ではひどく懐かしく思える向こうの世界のシャツとスラックス。

 特にスニーカーが羨ましかった。こっちの世界の靴は、向こうの物よりあまり履き心地がよくないのだ。


 黒髪で、日本人っぽい顔立ちだけど、すぐに異世界人じゃないことがわかった。

 だって、異世界からきた人間は「ステータスオープン!」なんて


 きっと他所から話を聞いただけの異世界人マニアだろう。

 高いお金を払って、向こうの衣装まで買い集めて、なりきりごっこをしているのだ――個人の自由だけど、あまり感じはよくない。

 私があまりいい印象を持てなかったのは、多分、私が手放してしまった向こうの世界の残滓を、その人が持っていることへの嫉妬だろう。


 だから、最初、彼に対する私の態度はよくなかったと思う。

 あまりお金を持っているようにも見えなかった(失礼)から、もしかしたら盗品じゃないかと疑ったのだ。


 結論を言えば、私の考えは間違っていた。


 彼――ナオヤくんは私と同年代の日本人で、異世界からやってきた人間だった。

 着ているものは彼の持ち物で、当然、盗品なんかではない。


 そして、もっとも驚くべきところ。


 彼には【ステータス】が見えていなかった。

 異世界からやってきた人間が生理的に持っているその機能を、目の前の相手は持っていなかったのだ。


 最初、私はそのことに半信半疑だったけれど、彼と話しているうちに信じた。


 理由は単純明快だ。

 私との会話中、ナオヤくんは一度たりとも私の頭上を気にする素振りを見せなかった。



「なるほど……。『出会ったらまず頭のうえ』か。そうしないやつは、素人ってわけだ」

「どうしても目に入っちゃうし、意識しちゃうからね。ほとんど癖みたいな。だから異世界人同士がはじめて会うと、の。逆に、初対面でこっちの目を見てくる相手は、この世界の人だなって感じ」


 ――どうして、組合の人間は一目見るなり、異世界人じゃないと思ったんだろうな。


 街中を歩きながら、ナオヤくんがふと思い出したように私に質問してきた。

 答えを聞いたナオヤくんはしきりに感心した様子で、


「ちょっと名前見れば日本人だってわかるはずなのに、どうしてだろうって不思議だったんだよなぁ。なるほどね、ステータスを読む前に足きり喰らってたってわけか」

「たしかに名前とか顔つきとかでもわかるけど、絶対じゃないから……。そもそもが『日本人』って存在を知らない人もいるし、転移してくる人って地球人だけじゃないからね」

「あ、やっぱり。たまに明らかに人間じゃないだろって相手もいたから、ビビったわ」

「わかる。私も最初、怖かった。あ、エルフもいるよ?」

「マジで! 指輪物語じゃん!」


 興奮している様子が微笑ましい。男の子、という感じだ。


 私とナオヤくんは、私の寝泊まりしている宿屋に向かっているところだった。


 組合に参加できなかったナオヤくんに、これからある人を紹介するつもりなのだ。

 ある人というのはユノさんといって、私のお世話になっている宿屋の主人で、街が進めている『自警団』の発案者でもあった。


 ユノさんなら、ナオヤくんの面倒を見てくれるだろう。


 彼にとっても悪い話じゃないはずだ。

 組合からの庇護を受けられない彼は、今日の寝床さえない。手持ちのお金もない。この世界のことをなにも知らない。


 知らない国にいきなり放り出されるようなものだ。


 私がナオヤくんにユノさんのことを紹介したいと思ったのは、そんな彼のことが心配だったからだ。

 だけど、それだけでもない。


 同郷。それも同年代の相手とお喋りするのは楽しかった。

 共通の話題で会話が盛り上がる。好きな歌手として彼が挙げたなかに、私も好きだった歌手の名前があったときは、懐かしさにちょっと泣けてきたくらいだ。


 ただ、なによりも私が嬉しかったのは、ナオヤくんが私の頭上を見ないことだった。


 ……本音を言ってしまうと、私は彼に、今日明日だけではなく、私とおなじようにこの街でユノさんのところでお世話になって欲しかった。

 

 多分、ユノさんと会ったときにそういう話がでるだろう。


 一緒に働けるといいな、と思う。

 多分、彼のためではなく――私のために。

 

 どこまでも、私は自分の都合しか考えていない。



 ――そして、今。


 ナオヤくんから、ユノさんのところで世話になるという旨の言葉を聞いて、私は思わず彼に抱き着いてしまっていた。


「ご、ごめん……!」

「……あのさあ」


 慌てて距離をとると、憮然とした表情でナオヤくんが口をとがらせている。

 照れているようで、ちょっと可愛い。彼はさらになにかを言いかけたが、その先の言葉を私はほとんど聞くことができなかった。



 ――てぃろん



 聞き覚えのある音と共に【通知】が来たからだ。


 それを認識した途端、私の頭は真っ白になった。


「っ……私、仕事に戻らなきゃ! おやすみなさいっ」

「あ、ああ。おやすみ」


 彼への挨拶もおざなりに、逃げるように部屋の外へ。

 扉の前では自分自身を抱きしめるように、私は両手で心臓を抑えつけた。


 顔が赤い。鼓動がどくどくと高鳴っていた。

 大きく深呼吸して、少しでも平静を取り戻そうと努力する。そんな自分を馬鹿にするように、自分自身の状態異常をシステムが教えてくれる。――【動悸】【動揺】【混乱】etc…


 単語の羅列を振り払うように、頭を振る。

 目を閉じた。


 覚悟を決めると、まぶたを持ち上げて、目の前に自分の【ステータス】をポップさせる。


 膨大な『個人ステータス』の最後のページにある、関係性一覧。

 出会った順番に記載されていく大勢の名前。その最後、つまりいちばん直近で出会った相手の名前がそこには載っていて、



  【ツカサ→(気になっている)→ナオヤ】



 疑いようのない事実を突きつけられて、私はシナシナになってその場にへたり込んだ。


 ――これだから、【ステータス】なんて大嫌いだ。


 自分がまだ自覚もしていないような感情まで、勝手に視覚化されてしまうから。

 同時に、ナオヤくんが【ステータス】を見れなくてよかったと心から思った。……だって、こんなの、あまりに恥ずかしすぎる。


 私はしばらくその場から動けずに。

 そのあと、ようやく落ち着いたと思って一階に戻ったところで――大勢のお客さんのニヤニヤ顔が待ち構えていた。


 どうやら、大声がここまで聞こえていたらしい。


 こればっかりは自分のせいだから、誰を恨みようもないけれど。

 ただ、これからしばらくはからかわれるんだろうなあと、覚悟するしかないのだった。


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