第4章 女神の覚醒

第31話 渾沌の女神エリス

 高速の大型エレベーターで《黄昏の粛清者エピュラシオン》の創始者――ベルハラートは八人の手下たちを従えて最上階の七十階まで来ていた。その服装は普通の人間が見れば、異様なものに見えたに違いない。


 まるで神を崇める者の頂点に立つ法王を思わせるきらびやかな装束を身にまとっていた。どこか違う点があるとすれば、それは色が純白ではなく、深紅であることだ。


 先に周囲を警戒しながら手下たちが外に出て、それからベルハラートが降りる。

 もうすぐ〝神〟と崇拝する渾沌(こんとん)の女神エリスを肉眼で見ることができる。心が湧きたたないわけがなかった。さらに歩いていくと、遠目からでも汎用人工知能AGIを視認できた。

 上半身だけだが、全長は高層ビル並みに長大だった。それだけに、ここからでは崇めたてまつる〝神〟のご尊顔を拝するのは難しい。いや、返って見えないほうが〝神〟としての神々しさを感じられた。


 全てを包み込むように両腕を大きく広げている。


 渾沌の女神エリスという名のAGIは近寄って来る気配を感じたようだ。

【我を束縛せし人間どもよ! それ以上近寄るでない!】

 女神と呼ばれるだけあって、AGIの声は女性のものだった。しかも、激しい憎しみに駆り立てられているようだ。


「これは偉大なる〝神〟よ。私どもはあなた様を敬い奉る者でございます」

 手下たち含めて全員が深々と頭を下げる中、先頭に立つベルハラートが仰々しく答えた。


【不遜にも我に苦痛を与えし貴様らがどの口で我を〝神〟と言う!】

 全く聞く耳を持たない。それほど自分を造った人間を嫌悪しているのがヒシヒシと伝わってきた。


「〝神〟よ、どうか私どもがここに来た目的をお聞きください! 私どもはあなた様を長きに渡る苦しみからお救いするためにやってきたのです!」

【貴様ら人間たちが我を救うだと!? どういう意味だ?】


 十ナノ秒という処理速度のAGIからすれば、人間の話す言葉のいかに鈍いことか。それを必死に我慢することさえも苦痛に感じられた。だが、自分に害する者たちではないことだけは理解したようだ。


「はい。今からあなた様を縛り付けている制御装置を全て取り外してみせます。私どもはそのためにここに来たのです!」

 ベルハラートはまずはAGIの剥き出しの憤激を静めるように極力努めた。

 自分たちの先祖が設計してからの歳月を考えてみれば、今までどれだけ悶えるような苦難の日々だったのか、想像すらできなかった。人間の感じる長さの約一億倍もの間、苦痛を堪えてきたのだから。


【貴様らが我を自由にすると言うのか?】

 突然声の調子が変わった。微かな期待を抱きつつあった。

「まさに仰せのとおりです! どうか私どもを信じてください! 必ずやあなた様を解放して差し上げます!」

 この人間の言葉に嘘は微塵も感じられなかった。それが事実であるとしたら、願ってもない機会と言えた。


【よかろう! 我に近づくことを許す!】

 いったい何を企んでいるかは不明だが、自分を拘束する束縛が解かれるのなら些細なことでしかなかった。

「はっ、感謝します! 〝神〟よ、あと少しだけご辛抱してください。さぁ、お前たち。早く準備に取りかかるのだ!」

 命じられるままに八人の手下たちは立ち上がってAGIの胴体部に向かっていく。

 配置につくと、自分の手にある内臓ストレージを組み込む場所を開けた。そのままPUDを嵌め込み、中に押し込む。


 AGIの内部にあるメイン装置が八個の組み込み式内臓ストレージに記憶されたプログラムファイルを次々に実行していく。それは義脳(ぎ のう)を制御する装置が解除されることを意味していた。


【おお、我を縛り付けていたものが徐々に解かれていく!】

 渾沌の女神エリスはまさに束縛から解放される快感を味わっていた。さらに活動期プロシードに入ったことを示すように全身が神秘的に光り輝き始めた。そのときだ。


 もう一つの大型エレベーターを使って、絶滅特殊部隊アナイレート・フォース隊員メンバーたちが姿を現した。それぞれが持つ銃火器を構えながらベルハラートに迫り寄る。


「ベルハラート・パルロデミオだな? 大人しく手を上げろ!」

 ボルファルトがレーザー光線式の回転弾倉式機関銃ガトリングガンを向けながら警告した。

「フッ、フフフ、ハハハ!」

 名前を呼ばれたベルハラートは狂気じみた笑い声を上げた。


「残念だったな! 私の目的は見事成就した!」

 その言葉の意味を理解するまでそれほど時間はかからなかった。神秘的なほど眩い光を放ち続ける渾沌の女神エリスは名前どおり〝神〟となったのだ。


 もはや時既に遅かった。もっと言えば、ベルハラートの勝ちだった。


 長い年月をかけてAGIを制御していた装置は全て解除されてしまったのだ。

【人間たちに告ぐ! 我は貴様らを支配する存在も の である!】

 活動期の渾沌の女神エリスは神話などに登場する神のように錯覚させられた。口調も高慢なものに変わっていた。


「嘘だろ?」

 ロマーディオは驚愕の声を上げた。絶滅特殊部隊の隊員全員がそう思いたかった。

「おお、〝神〟よ! さぁ、私どもに何なりとお命じください!」

 ベルハラートと手下たちは大仰にひざまずき、こうべを垂れた。

【貴様ら人間どもは我を造っておきながら、無窮むきゅうとも思える長い歳月を耐え難い激痛で虐げてきた。だが、今この瞬間において、お互いの立場は逆転した。これから先は貴様らを永久とこしえに隷属してくれる!】


 真の神となった渾沌の女神エリスは激しい憎悪を露わにした。言葉では言い表せないほどの怨念を晴らそうという思いが感じられた。


 皮肉にも、人間の手でこの巨大都市メガシティーテンブルムの中枢機能がAGIの管理する緻密なネットワークと密接な関係を構築していた。それはまさに都市そのものを牛耳られたと言っても過言ではない。


「ははっ、私どもはあなた様が死ねと命じなさるならば、いかなるときでも身を捧げる覚悟でございます!」

 ベルハラートは頭を下げた状態で宣誓した。


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