星を背負う月

氷下魚

第1話


「貴様の悪行、最早見過ごす事はできん!

 アマリィ・マクドゥガル!今この時をもって貴様との婚約を破棄する!」


まるで、朝靄のかかる静かな湖へ大岩を投げ込んだような大声に会場に流れる音楽や歓談の声が途切れ皆の目線がある一か所へと集中する。


アンタレス王国の中心に存在するアンタレス王立学院のメインホール

今日はそのアンタレス王立学院を間もなく卒業する生徒達が最後のイベントとして開かれるプロムパーティーである。

保護者も参列してはいるものの爵位やマナーに関係なく笑い合える最後の機会、ほとんどの生徒はダンスもそこそこで切り上げ、名残を惜しみ卒業しても変わらぬ友好を確かめ合う歓談の場になっていた。


そんな中で投げられた大岩…婚約破棄という言葉に反応しない貴族はいない。

ましてやそれと共に投げられた名は、アマリィ・マクドゥガル。

アンタレス王国に二家しか存在しない貴族の中の最高位である公爵家、その内の一家マクドゥガル公爵家の息女であり、この国唯一の王子ベガ・アンタレスの婚約者アマリィのものだった。


つまり、今婚約破棄を突きつけたのは―――





ホールを埋める子息、子女がまるで波のように静かにひき、道が出来る。

その両端にいるのは一組の男女と、一人の令嬢


サラリと柔らかな金髪にサファイアのような青い瞳

彫刻のように美しい顔立ちにまだ細さは残るものの均整の取れた体…恐らく、少女ならば一度は夢見るであろう完璧な『王子様』。

彼こそがアンタレス王国王子、ベガ・アンタレスその人だが…今その顔は憤怒に塗れる事で品を落とし、その腕の中に抱く令嬢…いや、少女によって王子たる彼の気品を更に落としている。


「ベガ様…そんな風に怒ってはアマリィさんが可哀想です…」


鼻にかかったような甘えた声で囁きながらベガの胸にしなだれかかる様に、淑やかな子女は頬を染め、世を知る子女や保護者達は蔑むように眉間に皺を寄せた。


「あぁ…マリア、そなたはなんと優しいのだろうか。

 しかしあの女は最早その優しさを向けられるに値しないのだ」

「でも、アマリィさんも反省しているかもしれないのに…」


ふんわりとウェーブのかかった赤毛に琥珀色の目…顔立ちこそ並より可愛らしいものではあるが取り立てて珍しいものでもないその色あいを覆うように散りばめられた大粒の宝石達。

ごく平均的なプロポーションの身体を包む桃色のドレスは柔らかく波打ち、最高級のシルクをふんだんに使ったものである事をうかがわせる。

そうやってまるで貴族が羨む至宝のように飾り立てられた姿にも関わらず、保護者達はその初めて見る少女…マリアに対し蔑みを覚えた。


その振る舞いや言葉は誰がどう見ても高位貴族…いや、貴族ですらないものである。

淑女の代表ともいえる公爵家令嬢を敬称とも言えない「さん」付けで呼び哀れみ、公衆の面前で王子にエスコートされるでもなくその腕の中で甘えるなど、一言でいえば「あり得ない」


周囲の貴族は様々な感情…主に嫌悪を抱きながら、ベガとマリアを見たのちにその向かい…数歩離れた場所に一人で立つ令嬢へと視線を向けた。


アマリィ・マクドゥガル公爵令嬢

ベガ王子からの憎悪ともいえる強い視線を真正面から受けながらも凛とした表情を崩さない姿勢は王子妃として相応しい品格を感じさせる


「…ベガ王子、発言をお許しいただけますでしょうか」


夜の海のような深さを感じさせる濃紺のドレスに合わせた、光沢のある黒い手袋に覆われた手が静かに挙げられる。

色あいだけを一見すると地味どころか不吉を感じさせるような組み合わせだが、アマリィの持つ真珠のように白い肌とクセがなくしなやかに揺れる輝く銀糸、淡い蒼色の瞳にはこれ以上ない組み合わせに見え、貴族の誰もが目を離せずにはいられなかった。


『美しい女性は花にたとえられるが、マクドゥガルの令嬢にはそれすら無礼だろう

 淡く輝くそのかんばせは花すら照らす、月の女神に違いない』


そう大陸一の吟遊詩人に謳われるほどの美貌は突如婚約破棄を言い渡されたこの瞬間も一切翳る事はない。


「貴様に謝罪以外の言葉を発する権利などない!」

「…であれば、開く口はございませんので早々に失礼させていただきます」


鼻息荒々しいベガの言葉にもひるむことなく、美しき無表情を貫いたままくるりと踵を返す。

周囲の貴族はサッとアマリィが進むべき道を開きカーテシーや紳士の礼をとって見送る姿勢を整えた。



それは本来の王侯貴族であれば、起こりえない状況だった。


王族、その中でも唯一の直系男子の前でカーテシーのひとつもとらずに去ろうとする令嬢も


それを咎める事もなく、むしろ支持するように礼をとる貴族達も。



何故そうなったのか…もしもベガ王子に周囲を把握する程の人脈や、噂話を聞くだけの耳と心の隙間があれば、理解できたのかもしれない。

しかしそのいずれも持ち合わせていないベガ王子は目の前の貴族達の振る舞いをただの無礼と断じ、更に声を荒立てる。


「貴様らっ!不敬にもほどがあるぞ!」

「そ、そうよ!なんでそんな失礼な女に頭下げてんのよ!」


喚く二人の声に少しも乱されることなく、アマリィは歩を進めホールの入り口へとたどり着く。

そこには星を象った紋章入りの鎧を纏った女騎士が4人待機しており、ベガは捕縛の命を下そうと口を開きかけたがそれよりも早く、騎士は皆アマリィの前に跪いた。


「我ら4人、今この時を以て御身の守護を賜りました」


女性にしては低いアルトの声は静かなホールに心地よく響き、酔わせる。

男女問わず見入ってしまうような清廉とした美しさと、星の紋章を持つ4人の騎士がアンタレス王国騎士団の中でも特別な存在であることは会場中の貴族ならば周知の事実だった。


「…スピカの皆様が私を?」

「はっ」


スピカ


それは、アンタレス王国で最も貴い女性を主とし、命をかけ守護する騎士の称号。

女性の身でありながら身を鍛え技を磨き、それでいて男騎士とは違う優雅な立ち振る舞いを備えた麗人達はここ近年…具体的に言えば15年もの間、主を持たなかった。



そのスピカが、主を持つ。



一体それがどういう意味を持つのか…数秒かからず理解したうら若い令嬢の息を呑む音を皮切りに、ホールの中が騒めき、やがてそれは喝采へと変わっていく。

頬を紅潮させ、喜色に彩られた貴族たちの様子にベガとマリアは暫しの間言葉を失ったがすぐに再び大声を張り上げる。


「貴様ら!王国騎士ともあろうものが血迷ったか!

 その者の首に縄をかけ、牢へぶち込め!!」

「そうよ!それにアンタたちもなんで喜んでんの!?」


先程まで響いていたものと遜色ない筈の声量は、それを上回る貴族たちの拍手や祝福の言葉にかき消され、ベガ達はますます目を血走らせることとなる。

誰も自分たちを見ていない、その屈辱のままに未だ開いたまま真っすぐに入口へと続く道を大股で(淑女にはあり得ないが、勿論マリアも大股で)進み、アマリィのドレスに覆われていない白い肩を掴もうとするが、


「殿下、控えられませい」


スピカと呼ばれた騎士達の内、最も背が高く滑らかな赤毛を馬の尾のように括った騎士が制した。


「騎士が王族の邪魔をするな!どけ!」

「我らは王国騎士にして王国騎士に非ず。

 たとえ王子殿下といえど命ずる事は相成りません」

「なんだと…!」


ベガは怒りに任せ突破しようと試みるが、それよりも早く騎士の細い…けれど鍛えられた腕に掴まれ、捻り上げられる。


「いた、痛い!おい!離せ!

 王子たる俺に暴力など万死に値するぞ!」

「ちょっと!ベガを離しなさいよ!!」

「死罪だ!この不届きな騎士共も!王国騎士を我が物顔で侍らすアマリィも反逆罪で死罪だ!!」


周囲の貴族は死罪という言葉に顔色を僅かに曇らせ、駆け付けた男の騎士達はオロオロと王子達の様子を伺っている。

そんな混沌とした場面に、アマリィが口を開く。


「ベガ殿下…この者達はスピカ、王国騎士の中でも特別な命を背負う者です。

 その役目や特権は貴族教本は勿論、平民教本の中にも書かれておりますわ」

「スピカだかなんだか知らんが騎士は騎士だろうが!」


はっきりと、この国に住まう者ならば誰もが知るものを知らないと言い切ったベガに、貴族は溜息や失笑を零し目を伏せる。

アマリィは無表情の中に失望と少しだけの怒りを含ませた後、騎士を全て自身の後ろへと下がらせた。


「…確かに、殿下や私の物心がついた頃には既に直接その姿を見る機会は失われていました。

 最後のお役目の記録は15年前…身近なものではなかったでしょう」


15年前と聞いた周囲の保護者…とりわけ生徒の母はそっとハンカチで零れる涙をぬぐった。

ベガやアマリィを含む卒業生が生まれた2年後に起きた痛ましい出来事は貴族の中でもまだ生傷として残っている。


「殿下、15年前です。

 学ばれていたのなら、必ずお心当たりがあるはずです」

「ええい!訳の分からぬ事をゴチャゴチャと!

 15年前がなんだというのだ!どうせ取るに足らぬ事だろう!」

「…正妃殿下がお隠れになられたのを、取るに足らぬと言われるのですか」


サァ、とベガの顔色が変わる。



15年前、アンタレス王国の正妃が年若くして亡くなった。

隣国の末王女と国王との婚姻は国同士の友好を結ぶ為政略的に成されたものだったが、幼い頃から続く二人の仲は親愛で満ちており穏やかな治世を約束するように思われていた。


………それが、たった一人に破られるなどとは、国民の誰一人として思わなかっただろう。





盛大な婚姻の後、王は側妃を娶ろうとはしなかった。

勿論、子に恵まれなかった場合はその限りではないが隣国から一人嫁いだ正妃を尊重する為に王は貴族から斡旋される令嬢を全て断り続けたのだ。

その頃には正妃との仲も十二分に知られており、ほとんどの貴族は1,2回断られると諦め、別の縁談へと令嬢を運んでいった。


しかし、ひとりの令嬢は何度も何度も側妃への召し上げを望み続けた。


侯爵家出身のその令嬢は王がまだ王太子として学院に通っていた頃からずっと熱く想い続けていたのだろう。

せめて側妃に、と侯爵である父に懇願し何度断られようと願い続けた。


行き先を迷わせた恋心はやがてグツグツと煮詰まり、執着へと変化していく。



王と正妃の婚姻から2年余り経ったある夜

狂気に満ちた目を輝かせながら、静まり返った王城に忍び込んだ令嬢は真っすぐに王の寝室へと向かい、眠る王へ口付け、そのまま口移しで幻覚と興奮を煽る薬を飲ませると、朦朧とする王とまぐわった。

王城内部は騎士の警備こそ敷いていたものの、長く平和が続いていた事や強大な隣国と友好関係にある事からやや緩い…所謂ザルであったことは否めない。


しかも悪い事に、その令嬢はたった一夜で王の子を宿してしまったのだ。


様々な罪がかけられるものの王の子を宿す令嬢を投獄や放逐などするわけにもいかず、令嬢の望み通り側妃として召し上げられたが…人間の欲は底知れないものだった。


側妃となった令嬢は危険性がある事を踏まえて正妃が暮らす場所から離されていたが、それにも関わらず毎日のように正妃の元へ顔を出し自らの胎を撫でて微笑んだ。

側妃につけられた護衛や正妃を守るスピカは当初側妃の行動を制限し対処していたが、それを嫌がり癇癪を起す側妃に流産の可能性を見た正妃は王の子を守る為、その制限を撤回させる。

その思いに付け入るように側妃の行動はエスカレートし、王の伴侶として忙しく執務をこなす正妃の僅かに空いた時間さえも押しかけ、王の子を宿した喜びを語った。

そうする内、やがて正妃は気を塞ぐようになりその体はどんどんとやせ細っていった。


体が弱れば子は宿りにくくなり、更に正妃を追い詰めていく。



やがて側妃が男子を産むと、もう手が付けられないまでに暴走していった。


気力だけで執務をこなす正妃の前を王子を抱いて横切り、

拒絶する正妃に王子を無理矢理抱かせ

王子こそが王の寵愛の証であると茶会に乱入し吹聴してまわった。


王は側妃に対し接触はもちろん声を掛ける事もせず、正妃にのみ心を預けていたがそれでも耐えられなかったのだろう

隣国の末王女として愛され育ち、自身を尊重してくれる夫にも恵まれていた正妃にとって側妃の吐く毒はあまりに強かった。



やがて限界を迎えた正妃は、自ら命を絶つ。



スピカが唯一席を外す、王との逢瀬。


その為に王の私室に向かう渡り廊下から、王城にある大きな池へ飛び込んだ。




王は待てども来ない正妃に焦れ私室から渡り廊下に出た瞬間、そこにある小さな靴を見て絶望した。


その後、速やかに池から掬い上げられた体は既にもう魂を失っておりスピカは主を守り切れなかった無力を悔やんだ。



「そして主を喪ったスピカは正妃殿下の葬儀を最後に騎士団へと戻り、今日まで主を持たずにきたのです」


アマリィの口から語られた痛ましい過去に、貴族たちは顔を背け扇で涙を覆う。

ベガは顔を真っ青にしながら何か言おうと口を開くが、そこからは音や呻きが漏れるだけで言葉にはならず、隣に立つマリアは話の関連性が理解できないのかベガの顔色を窺うように覗き込んでいる。


「な、なに?今の話がなんなの?ねぇベガ…」

「…マリア様と仰いましたね。

 失礼ですが、家名をお伺いしても?」

「サンダースよ!なに、爵位が低いからって馬鹿にしてるの!?」

「…サンダース家には10歳になるご子息だけだと聞いておりますが…

 あぁ、そういえば三年前に教会から女子を引き取られたと届けがありましたね」


その通り、マリアは三年前男爵家にあたるサンダース家に引き取られた養女だった。

生まれてすぐに教会前に捨てられ長い間本当の両親は不明だったが、サンダース家の当主が自身の子だと言って迎え入れたのだ。

しかし、本当に彼らが親子関係にあるのか証明する事は難しく、ただかつて当主が傍に置いていたメイドとよく似た容姿に、当主自身と同じ赤毛に琥珀の目という色のみでの根拠なので王国では血筋や後継に関与しないただの「養女」としての扱いとなっている。


「教会でお育ちになったのなら平民教育は受けている筈

 ……それで今のお話を聞いて、理解できないのですか?」

「ば、馬鹿にしないで!私はそんな役に立たない勉強なんかより困ってる人への手助けを優先してたのよ…!」


恐らく、マリアが教会での勉強をしっかりと身につけていれば

今この瞬間、その知識は十二分に役に立ったことだろう。


周囲の貴族はベガとマリアから距離を空け、騎士すらもベガよりも貴族達を守ろうと動き出す。


「正妃殿下の死後、側妃は遠い東の離宮へ送られ王子のみが王城へ残りました。

 今、王の血をひく御子はその王子のみ……そうですわね?ベガ殿下」


ちらりと、自身に向かう視線にベガは顔を逸らした。

そこまでしてようやく理解したマリアは小さく、「え」と声を漏らす。


「王は本来であれば王家の恥部として秘される筈のこの事件を公表し、正妃殿下の祖国である隣国に対し多額の慰謝料を支払いました。

 ……痛ましく罪深い身の上ではあるが王子もまた、被害者であると…そう口添えをしながら」

「…あぁ」


隣国との国交が断絶するどころか、戦争に発展しかねない大事件だ。

国民感情や隣国の王家は王子を被害者に…ただの可哀想な子供にはさせてくれなかった。

生まれながらに罪を背負う我が子に王はその罪を拭うほどの研鑽を望み、手を尽くしてきたのだが…。


「王は以後一切の側妃や妾を持たず、国の為に動かれておいででした。

 勿論王子の教育にも注力され、後ろ盾になるよう公爵家である私との婚約を結び…」


アマリィは悔しさから薄桃色の唇を噛み、掌に爪立てるほど強く小さな拳を握りしめた。


「…っそうまでして育てられた貴方が!取るに足らない事と言うのですかっ!」


王子妃…いずれは王太子妃、王妃になる者としてアンタレス王国の歴史を学び、そして義理の父親となるであろう王と交流を持つうちに、アマリィは王の苦しみや王家の罪を深く心に刻んでいた。

そして亡き正妃に対して同じ女性としての悲しみを抱き、一時はベガに対して悪感情すら抱いた事もあった。


けれど、王家に入る者として…個よりも公が優先され生きる者として、感情を呑み込み、婚約を続けてきたのだ。


「すまない、そんな、そんなつもりは」

「ではどういうつもりなのです。

 王からの慈悲ともとれる婚約を無断で破棄し、誰もが知るであろうスピカを知らぬと断言し、あまつさえ今なお絶大な人気を誇る正妃殿下の死をあのように宣言しておいて」

「ち、違う…」

「…いいえ。もう、よろしい。

 私はスピカの主となった身…王の采配次第では二度と会う事もなくなるでしょう」

「なぜだ、そもそもスピカの主とは…!」





「アマリィは正妃となるのだ」



低く、威厳のある声がホールに響く。

その声に密かに続いていた囁きは一瞬で静まり、ベガとマリア以外の全ての者が即座に頭を垂れた。


「父上…?」


一体いつの間に来ていたのか、突然の王の登場にベガは息を呑む。

ベガのものよりも深みのある金茶の髪と、夜の海…アマリィのドレスのような濃紺の瞳

国を治め、民を統べる者としての風格を備えた堂々たる容姿は歳を重ねるも尚一切の緩みなく引き締まっている。


「…皆の者、楽にせよ。

 そして本来であれば楽しむ筈のプロムをこのような場にした事、深く詫びよう」


王の言葉に貴族や学校関係者は皆姿勢を直し、けれども静かにその言葉の続きを待った。

そして、王の目配せをうけたスピカからのエスコートによりアマリィが王の傍らへと侍る。


「後日、王城より正式に通達があるが…この度、余は正妃としてアマリィ・マクドゥガルを迎え入れる事を決めた。

 この事はマクドゥガル公爵家は勿論、前正妃であるリュンヌにも墓前で報告し彼女の祖国たる隣国にも承諾を得ている。

 そして長きに渡り役目を失っていたスピカもまた、新たな正妃を守護する者として剣をとらす」


王の言葉と共にアマリィは美しいカーテシーを披露し、貴族への挨拶にかえる。


「まっ…待ってください父上!

 何故アマリィが正妃になど…悪行を働いているのですよ!?」

「その悪行とやらについて口にする必要はない。

 王家の影より其方や隣の令嬢の振る舞い、此度の断罪とその内容の真偽についても報告を受けておる」

「影…?アンタレス王国にそのようなものはない筈では…」

「……前正妃の死後にできた役目だ。まだ歴が浅い故、知らぬのも無理はない。

 しかし、その影がいなくともアマリィの潔白を証明することは容易い筈…其方、何をもってアマリィを断罪しようとした」


この場の始まり、ベガが恐る恐る口にした断罪は御粗末なものであった。


被害者であるマリア以外の証言がないイジメ

名の記載のない投書による陰口の報告

本来その場にいる筈のないアマリィによる傷害…


特に傷害事件に関しての口述の際、王は目を見開き激昂した。


「アマリィはこの一年学園に通わず、外交官につき実地にて学んでおった。

 課題の提出のため顔を出す事はあったが授業は出ず、その間常に王国騎士が護衛しておる…

 そのアマリィがどうやってその令嬢を害する事ができるのだ!」

「外交…?そんな、女がなぜ…」

「他に学ぶべき人間がおらんからだろう!

 学院での成績さえ満たしておれば学ぶのは其方であったのに、女に現をぬかし成績を下げ続ける為代わりにアマリィが学んでいたのだ!」


外交官という専門に行う者がいる以上、王が全ての外交をする事はない。

しかし、国同士のやり取りのなかでは王にしかできない場面も多く、その為の知識として外交を学ぶ必要があった。

また次代を背負う者としての顔見せの意味もあるこの大事な時期をベガは全て逃していた。


「影からの報告を受けながらも、改心する瞬間を期待しておったが…婚約破棄を言い渡した時、その希望も潰えた。

 最早其方は玉座に値せず…母が暮らす東の離宮へと移るがよい」

「なっ!?そんな、私はこの国唯一の王子…私以外には誰もいないはずです!」

「その為にアマリィは正妃となるのだ」


ふと、気遣うように向けられた視線にアマリィはやんわりと微笑み、王へ頷いて見せる。


「王子である其方に婚約破棄をされれば、如何にアマリィが素晴らしい令嬢であろうと国内での縁談は難しい。

 他国への縁談を取り持つ事も可能であったが…」

「この国の民である事は私の誇り…嫁ぐことが難しいのならば修道院に入り安寧を祈る心づもりでございました」

「…ここまでの気持ちを裏切り、嫁がせるわけにもいかぬ。

 其方を発端とする問題を解決する為の苦肉の策として、婚約破棄をされた場合余の正妃となる事が内々で決まっておったのだ」


自分は王に見捨てられたのだ、とベガはそこまできてようやく気が付いた。

正妃を失い、側妃を娶らない王にとって自分は唯一の跡継ぎであるという甘えに囚われ、自身の背負う罪を忘れ放蕩を繰り返していたベガの足元が粉々に打ち砕かれる。


「では…私は…俺は…どうすれば…どうなるというんだ…」

「父親と変わらぬ男に嫁ぎ、子を成さねばならんアマリィよりも自分の心配か…呆れた男だ。

 其方の処遇は先程伝えた通り、東の離宮へ移り二度と王城へ足を運ぶ事を許さぬ。

 王位継承権は当面の間保持するが、王子または王女が産まれれば剥奪するものとする」


事実上の幽閉を言いつけられたベガはその場に頽れ、マリアは逃げようとするものの騎士たちに囲まれその身柄を拘束された。

貴族は新たな正妃を歓喜と拍手で迎え入れ、アマリィは安堵するように微笑みながら王の腕へ寄り添った。







その後、王とアマリィの婚姻は貴族は勿論全国民に正式に通達されあらゆる祝福が送られた。


一年もの間外交官につき隣国へ足を運んでいた甲斐もあってか、かつて末娘を失った隣国王家からも喜ばしい事として受け入れられた。

大きな歳の差は確かに存在するものの二人の関係は非常に暖かで、婚姻から数年後には王子を二人に姫を一人と子宝に恵まれる事となる。


「なぁ、アマリィよ」

「はい陛下」

「余はたまに思う事があるのだ」

「まぁ、なんでしょう?」

「…若く美しい其方には別の幸せがあったのではないか…と」


王子達と姫、メイドや侍従が戯れに駆け回る庭園を見ながら王と、正妃になったアマリィは庭園の一角に絨毯を引き穏やかな陽光のなかにいた。

華美なドレスではなく手触りのいいワンピースに包まれたアマリィの膝に頭を乗せ、王は見上げた眩しさに目を細める。

アマリィ婚姻以降、日々の暮らしの中で支えになり、時にはお互いを磨く砥石となる存在は王にとって既にかけがえのないものとなっている。

しかし、それを思うと同時に事情があったとはいえ娘と言っても差し支えない年齢の少女を妻、そして母にしてしまった罪悪感は拭いきれずにいるのも確かだった。


アマリィは王の真摯な表情に少しの間呆気にとられたようだったが、すぐに目を細め、たまらないとでも言うように笑いだす。


「まぁ、そんな…フフ、陛下ったら」

「笑うような話ではないと思うのだが…」

「だって貴方、そんな真剣なお顔で可愛らしい事を仰るんですもの。

 尊敬し、愛する御方の傍にいられて可愛い我が子まで授かって…これに勝る幸せなんて、大陸探したってないというのに」


白髪が目立ち始めた王の前髪をかき上げ、その額に口付ける。


「今、愛すると言ったか?余の事を」

「あら?婚姻式での誓いを嘘だったと思っていらしたの?」

「いや、しかし…」

「…ここだけの話、私の初恋は陛下ですのよ?

 初めて入城した時に玉座に座る姿を見て、一目惚れをして」


談笑しながら慈しむように王の髪を梳くアマリィの顔は、学生だった頃の凛とした無表情と違い春の女神のように暖かなものであった。


すぐ後ろに控えるスピカはそんなアマリィの姿にかつての主を重ね眦に涙を滲ませるが、すぐに新たな主への想いから涙を拭うと穏やかに照らす太陽を仰ぎ見た。






ベガ王子のその後

東の離宮に移ったが、母が既に毒杯により死んでいる事を知り逃亡を図ったが、その最中に事故死。

王とアマリィの婚姻後に事実が公表されたが殆どの国民から嫌われていた為葬儀は王族とは思えぬほどごく簡素なものとなった。

マリアは様々な罪に問われるが裁判中に逃亡、国境を越えたらしいという報告を最後に消息を絶っている。

この事により彼女は国外追放と同様に扱われ、周辺国へ姿絵と共に注意すべき罪人として通達された。

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星を背負う月 氷下魚 @komai_0815

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