第3話
「さて、ライラよ…全て説明してもらおう」
マリアベルが祖父と思しき人物に連れられて入ったのは、貴族街と平民区域の間にあるカフェの個室だった。
当初は貴族街を目指していたのだが、マリアベルが貴族街に立ち入る事ができないと伝えるとすぐさま貴族と商家の商談で使われる事が多いこのカフェへと行き先が変更された。
貴族が出資しているのだろう、外装や内装…店員の応対まで洗練されたその店の中でマリアベルは自身が浮いているように感じそっと俯く。
貴族が同伴していれば平民でも貴族街に入る事はできた。
が、そもそも平民としてすら登録していないマリアベルが入ろうとすれば当然止められるし、下手をすれば不法入国者として捕縛される可能性すらある。
不法入国といえば平民区域も本来ならそうなるのだが、そこは貴族街と違い商人や流民が多い事から騒ぎを起こさない限りは身分を確認される事はない、所謂グレーゾーンの扱いだ。
だからこそ、何者でもないマリアベルの外出が許可されたのだ。
「…こ、この方は、マリアベルお嬢様にございます。
御年10歳になられる…アベル様とリナリア様の御息女です」
「アベル達の子である事など、その顔を見ればわかる。
説明すべきは私達がこの子を知らぬ理由だ。
………あの時の子は、神の元へ戻ったという話だった筈だ」
「……その、マ、マリアベル様を出産されてすぐ、リナリア様が心を病まれた為…回復を待つ間、アベル様の指示によりずっと離れでお世話を…」
「離れだと…?まさかあの庭師小屋ではあるまいな!?」
激昂した祖父の声にマリアベルは肩を震わせる。
今まで自分が庭師用の小屋に住んでいたとは知らず、咄嗟に横目でライラを見ると泳ぐ目がそうなのだと告げていた。
「なんということを…!無念な結果だと10年間も私達を騙し、大切な初子を不当に扱っていたというのかっ」
「も、申し訳ございません…!ですが、ですが……うぅっ…」
ライラは目に涙を浮かべながら唇を噛んでいる。
自分の住まいが庭師用のものだったことも初めて知ったマリアベルは怒る祖父に対しどうすればいいのか…一体この後どうなるのか皆目見当がつかず、俯き目の前のココアにたっぷり載ったクリームが溶けていくのを見つめているしかできなかったが、そんなマリアベルへ声を掛けたのは祖父の隣に座る祖母らしき女性だった。
「マリアベル…と呼んでいいかしら?
初めまして。私は貴方の祖母、フェミアよ。貴方は自分の事を何か知っていて?」
フェミアは柔らかな微笑みを浮かべながらマリアベルに問いかける。
マリアベルは横から向けられるライラの視線にありのままを話してもいいのかと悩んだが、悩んだ末にこうなってしまっては何もかも手遅れなのだろうといつの間にか乾ききっていた唇を開く。
「……侯爵夫人が、私を、お姫様ではないと仰いました。
屋敷のお庭に私のお墓がある事も、私が死産の子だと…そう言う事になっているのも、知っています」
「お嬢様!?どうしてそれを!」
ライラにとってマリアベルはいつまでも赤子も同然なのだろう。
生まれてすぐの記憶を持っているなど夢にも思わず、ふとした時に大人びていると思う事はあってもまだまだ幼い子供なのだとその内側の成長や情報を得て広がった知識に気付かないまま、何も知らない子供だからと思い過ごしてきた。
「子供は大人が思うよりもずっと早く成長するし、周りを見ているものだ。
当主に逆らうことが恐ろしかったとはいえ…ライラよ、お前はその所業の惨さを理解した上でアベルを止めることも儂やフェミアに連絡することもせず、洗礼も受けさせぬまま十年もの間この子を隠していたのだな?
後継者を育てる乳母として教育を施したお前が、貴族の洗礼がいかに重要か知らなかったとは言わせんぞ」
「…申し訳ありません…処分は、いかようにもお受けいたします…!」
「……これは既にお前を処して済むような話ではない。
今すぐに屋敷へ戻りアベルに伝えよ。今後我が孫娘であるマリアベルの一切は儂が預かり、正当な身分が用意されない限り屋敷には戻さぬとな」
「そんな…!」
話は終わりだとライラから視線を外し立ち上がったグラウスは、マリアベルの横に膝をつき幼さの残るその顔を見つめる。
息子が選んだ伴侶として嫁いできたリナリアと瓜二つの顔立ちと自身の妻フェミアと同じ茶色の髪と緑の瞳。
十年前、死産の知らせを受けた孫娘が本当は生きていた…喜びが溢れる反面、十年もの間何も知らず過ごしていたという罪悪感が沸々と湧き上がる。
「…マリアベルよ」
「っ…」
小さな手を自身の両手で包み、祈るように頭を垂れたグラウスにマリアベルは身を固くする。
祖父母という存在に限らずアベルよりも年嵩の人間と接したことのないマリアベルはやや乾燥し、硬いその感触に動揺したのだ。
「今まで気付く事が出来ず…本当にすまなかった。
儂はグラウス・フィーガス…お前の祖父に当たる者だ。
今から儂が暮らす領地の屋敷に連れて行きたいと思うが、共に来てくれるだろうか」
マリアベルは白髪の混ざったグラウスの金の髪を見ながら答えを探す。
ライラはアベルへの言付けを命じられたにも関わらず一向に退室しようとせず、マリアベルの動向をじっと見つめている。
嫌だと、戻りたいと、そう言えばライラやアベルは喜ぶだろう。しかし、マリアベルは今日僅かでもあの小さな離れから外に出た、息苦しさのない呼吸が十分にできる正常な世界を知ってしまった。
今まで普通の事だと思い込み見ないようにしていた現実を、ライラと暮らす離れがいかに苦しいかを肌で感じてしまった。
父か祖父…どちらの手を取るべきかマリアベルは必死に考え、やがてグラウスに向けて頷く。
「…はい、一緒に行きます」
祖父母がどんな人物であれ、望んでくれるのなら少なくとも考える時間くらいは与えられるだろう。
そんな結論から出た答えだったがグラウスは安心したように…けれどやはり悲し気な表情を浮かべありがとうと呟いた。
去り際も、マリアベルは悲鳴のように名前を呼ぶライラを振り返る事はしなかった。
この日の選択はマリアベルの人生において最も大きなものだろう。
小さな足が確かに自分の道へと踏み出したのだ。
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