第5話 脱兎君は何をしに来たのか?

 「で」

と、そのヒストリーを語った美寿枝みすえさんが、大塚おおつか万次郎まんじろう局長にきく。

 「脱兎だっと君はここまで何しに来たの?」

 脱兎君……。

 まあ「食い逃げ君」と呼ばれなかっただけましなのだろうけど。

 「それは」

と、さっそく押される報道局長。

 こんなので押されているようで、記者としてだいじょうぶなのかな、と七郎しちろうは思う。

 「新年度で、川路かわじ支局の建物が新しくなったんで、そのお祝いも兼ねて、視察で」

と、もと食い逃げ君の局長は口ごもりながら答える。

 七郎が横から言った。

 「いや。川路には、戦場報道で有名な河辺こうべさんって、まあ、元はうちの記者だったフリージャーナリストが住んでるってことで、ミーハーに挨拶に来たんですけど」

 本社の報道局長がすかさず

「ミーハーはないだろう、ミーハーは」

と、そこを問題にするということは、ほかは事実なのだ。

 ところで、美和みなさんのような若いひとに、「ミーハー」ってことば、通じるのかな?

 そのすえ美和さんは、報道局長のテーブルの横で、氷水のポットを持ったまま、足を止めている。

 「で」

と、美寿枝さんの冷めたひと言。

 「会えたの?」

 「いや、それが」

と大塚万次郎局長が照れ笑いする。

 「おうちまではたどり着いたんですけど、だれもいなくて、猫ばっかりで。トラ猫と白黒ブチとキジトラの色の濃いのとか、いろいろいましたよ」

 猫のことは言わなくていいのに、と、七郎が顔を上げてとがめるように万次郎局長を見た。

 しかし、反応したのは、横に立っていた今年から高校生の美和さんだった。

 「あの」

と遠慮がちに声をかける。

 「こうべさん、って、もしかして、河辺かわべ、河のへんって書いて、河辺こうべさんですか?」

 「おお、それそれ」

と編集局長は応じているが。

 「それ」で、いいのか?

 美和さんが

「わたしの友だちが、もしかするとその河辺さんの一族かも知れないんで、よかったら、きいてみますけど」

と言う。

 美寿枝さんが、その小さな目を開いて、美和さんのほうを見る。

 美和さんが、その美寿枝さんに

「あ、こないだ写真を持って来てくれた、初子はつね

と言った。

 美寿枝さんが、あっ、と小さく声を立ててうなずいた。

 「あの子ね!」

と言う。続けて

「写真が趣味ってことは、そうかも知れないわね」

 ということで、美和さんが、氷水のポットを台所のほうに置いて、スマホで電話をかけている。

 相手はすぐに出たようだ。

 「あ、初子? いま、どこいる? ……あ、いや。いま、うち、っていうか、清華せいか食堂にさ。そうそう。こないだのところの裏側、っていうか、初子がうちの父ちゃんに挨拶に行ったところ。うん。……そこに、戦場ジャーナリストの河辺さんってひとに会いたいって、新聞記者の人が来てるんだけど」

 本社の報道局長なんだけどね。

 まあ、細かいことは言わない。

 「えっ? 外国?」

 美和さんは声をひっくり返す。

 「……っていうか、アルケリって何かやばいニュースの! ……いやいやいや、そう、そのヴェリャ紛争って、今朝のニュースでやってたぞ。十何人とか死んだ、って。……うん。……うん。……じゃ、わかった。何分ぐらい? うん。わかった。じゃ、待ってる」

という電話のあと、美和さんは

「その河辺さんのお嬢さんが、いま、その河辺さんが何をしてるか、説明に来るということなので、ちょっと五分ぐらいお待ちいただけますか?」

と、テーブルに座っている三人に言った。

 とても大人びている印象だ。

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