第4話 こじか食堂と清華のヒストリー

 この店のお嬢さんの美和みなさんが店を見ることになった。

 美寿枝みすえさんはテーブル席の椅子に軽く腰掛けて話す。

 こじか食堂はまだ若かったころの美寿枝さんが始めた。美寿枝さんは小鹿こが美寿枝、「小さい鹿」と書いて「小鹿」なので、食堂の名まえを「こじか」とした。

 ここは陽明ようめい通りという幹線道路に沿っているけれど、川路かわじ市の中心からは離れていたので、まわりはほとんど田んぼか畑だった。そこに龍田山たつたやま小学校や白姫しらひめ高校などの学校が点々とある。あとは、交差点のところにだけ、雑貨屋や、そのころの日本にはたくさんあったたばこ屋が集まっている。美寿枝さんがここにお嫁に来たときにはそんな感じだったという。

 ところが、そのあとすぐ、この一帯は変わり始めた。

 農家が土地を手放し、田んぼや畑の跡が住宅になったり、オフィスになったりし始めた。とくに、駅前にあった会社が、手狭になったというのでこのあたりにオフィスを移転してくるようになった。

 美寿枝さんの家、小鹿家の隣もビルに建てかわり、そこの一階におしゃれな喫茶店が入った。

 そのおしゃれな喫茶店の若奥さんと美寿枝さんは友だちになった。その若奥さんと話をしているときに、若奥さんは美寿枝さんに

「このあたり、お昼を食べるところが少ないみたいで、お昼になるとうちに行列ができるんだけど、コーヒーやお茶を出す店のつもりで始めたから、さばききれなくてね」

と言った。

 それをきいて、美寿枝さんはこじか食堂を開くことを決めた。

 美寿枝さんは、親よりずっと歳上の伯父さんから、中国式の餃子ギョーザの作りかたを教わっていた。伯父さんが満洲まんしゅう国で満洲人に教わったというから、時代が感じられる。満洲人というのは、満洲民族ではなくて、満州国に住んでいた漢民族のことなんだとあとで知った。

 ニラを入れず、豚肉と白菜だけで仕上げる。最初のころは本場らしさにこだわってすい餃子ギョーザを中心に出していたけど、日本では焼き餃子が圧倒的に「普通」だということで、途中から焼き餃子中心に変えた。

 ニラが入っていないので、昼間に食べてもだいじょうぶ、という評判ができた。昼ご飯に食べに来る会社員とか、学校の帰りに腹の虫押さえに食べて行く高校生とかが来るようになった。

 豚肉と白菜だけを包んだのがいちばん安い餃子で、最初は十個ひと皿八十円で出していたけど、大塚おおつか万次郎まんじろう少年が白姫高校に来たころにはそれが百五十円になっていた。それが、いま「再現」してもらった餃子であるらしい。

 大塚万次郎少年がここに通っていたのはバブル時代だった。そのころには、陽明ようめい通り沿いには田畑は少なくなり、住宅やオフィスが増えていて、こじか食堂は繁盛した。

 ところで、このあたりは、もともと農地だったこともあって、区画が入り組んでいた。複雑な多角形の土地があったり、用水路に沿って不規則に伸びる道があったりした。田んぼや畑だったころには、あぜ道を通ればさして不便ではなかったのだろうけど、家が建ってしまうと入り組んでいてわかりにくくて不便だ。

 そこで、そのバブルのころに計画が立てられて、区画整理が行われることになった。

 こじか食堂は小鹿家の家の離れを利用していたが、食堂が繁盛すると狭くなり、母屋の住居の一部分まで食堂のスペースにとられてしまうまでになっていた。そこで、その離れ部分を区画整理事業に合わせて建て直すことにした。

 こじか食堂はいったん閉店、近くの家と話し合って敷地を合わせ、そこに、二階、一部は三階建てのビルを建てた。その一階で、こじか食堂は店名も清華せいかとして再開した。

 清華が一階に入り、二階と三階は区画整理に参加したほかの家の住宅だった。美寿枝さんの一家は、昔の家のうち、区画整理にかからなかった母屋の部分を残して、そこを増築して住むことになった。

 もともと餃子や中華麺を中心とする中華系の店だったけど、清華になってからは、丼物やカレーも出す「街の定食屋」にしたという。

 それからさらに十年ほど経ち、清華に美寿枝さんの後継者をどうするかという問題が起こった。

 美寿枝さんには男の子と女の子の兄妹きょうだいがいた。いったんは美寿枝さんの息子が跡継ぎに決まったけれど、その息子さんはそのころの成長分野だったITに興味があって、食堂の仕事をやりたいとは思っていなかった。

 そんなとき、二十歳になったばかりのその妹が、店で修行中だった料理人と仲良くなって、店内駆け落ちをしてしまう。

 で。

 その「店内駆け落ち」とは?

 「二人で、お嬢さんをください、この人と結婚する、とか言って、料理人部屋に立てこもってしまってね。まあ、そのころには、もうその子のお姉さんがおなかの中にいたらしいんだけど」

 その子、というのは、これから高校生という歳で、とても落ち着いた顔で氷水のポットを持って席を回っている美和みなさんのことだろうけど。

 そのお姉さんがいるのだ。

 できちゃった婚、または、既成事実婚?

 で、美寿枝さんはその「店内駆け落ち」を認め、料理人だったその幸吉こうきちさんというひとを店主に据え、後継者にした。長男のほうは、自分の願望どおり、IT関係の事業に戻ったという。

 その幸吉さんの弟が経営の才能というのがあるひとで、どんどんと事業を拡大して成功させた。

 店での営業のほかに、仕出し弁当も始め、お惣菜そうざい屋さんも市の中心に近いところに開いて、現在にいたる。

 店は、その幸吉さん兄弟に任せて、美寿枝さんは引退していた。

 ところが、拡大した結果、清華の本店を見る人がいなくなり、美寿枝さんが復帰した、ということだった。

 それが、少年大塚万次郎が食い逃げ常習犯だったころから現在までの、こじか食堂と清華のヒストリーだ。

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