レコーダーに収録された音声 一時間十六分から最後まで

 片桐さんの絵を、真子の黒い絵の具で汚したのは私です。誰もいない美術準備室に忍び込んで、真子の絵の具セットを開けて黒いチューブを取り出し、美術室の乾燥棚に載せられていた片桐さんの絵の上にチューブの中身を塗りたくって、その場に捨てました。何もしてない真子に罪をかぶせたんです。

 あの日、部活が始まる数時間前の昼休み、「今日の部活の準備をしたい」と嘘をついたら、簡単に波野先生から美術室と準備室の鍵を借りることができました。あの先生は、良い意味でも悪い意味でも人を疑うってことをしないんです。もし、先生が「真子はそんな陰湿なことするような子じゃない」って固く信じていたら、「ちょっと落ち着いて、みんなで考えてみよう」って言ったかもしれないし、その結果、真犯人は私だったって気づくこともできたかもしれません。でも、そうじゃなかった。そう考えると、波野先生は馬鹿です。

 真子は私の憧れでもあり、コンクールで金賞をとってからは憎悪の対象になりました。

 悔しいとか、嫉妬とかじゃないです。だって、意味ないでしょ。何の才能もない私があの子を妬んだって何の意味もない。真子みたいに絵も上手くないし、勉強もできないし、綺麗な髪も目も持ってないし!

 (すすり泣く声)

 ずっと、嫌だと思ってました。真子の絵は、コンクールに出すべきじゃなかった。あの絵が、評価されないわけない。

 (嗚咽)

 賞をとったら、真子の才能が、綺麗な顔が、あの子の存在が、大勢の人に知られてしまって。真子が私の手の届かない遠くに行ってしまうような気がして。檜山・エリオット・真子っていう完璧な女の子を知ってるのは私だけじゃなきゃダメなのに。

 だから、だから。完璧な真子に傷をつけなくちゃ、って思いました。

 ……あははっ、ふふっ。本当にもう、どうかしてますよね。しょうもない小細工で真子を陥れて、大切な真子を失ってしまった。その挙句、私はあの子の親友とか本当どうしようもないよ。

 ……ふふっ、謹慎を食らった日の真子が帰り間際ありましたよね。あれ、絶対「うらぎりもの」でしょうね。

 (数秒間の泣き笑い)

 真子は頭がいいから、片桐さんの絵を汚した犯人が私だってわかってたに決まってます。だから、死を選ぶ最後まで私を恨んで、パレットに私の名前を書いた。私が片桐さんにしたのと同じように黒い絵の具で。

 見方によっては、こうも思えませんか? 絵里さんが言っていた私宛ての付箋なんて本当は最初からついていなくて、中身だって実はとっくに絵里さんの確認済みで、真相を知った彼女が私への恨みを込めて渡してきたのかも。

 でも、私は真子が私だけに宛てたものとして絵の具セットを残してくれたんだと信じてます。「真犯人はあんたでしょ、ちゃんと知ってるからね」っていうダイイングメッセージなんだって。

 きっと、そうです。じゃなきゃ、今でも私の隣に真子がいる説明がつかないから。

 トイレの洗面所の鏡、教室の窓ガラス、浴槽の水面。いつだって、どこにだって真子が私の隣にいるのが見えます。もちろん、私だけです。いつでも私のそばにいるんです。絵里さんから絵の具セットを受け取ったあの日から。

 録音を始めた最初に私が驚いたのは、何となく視線を向けた姿見にも真子の顔が映ったからです。でも、怖かったんじゃありません。本当に美しくて貴いと思えるものを見ると、見ているこちらが恥ずかしくなって、思わず取り乱してしまう。そういうことあるでしょう?

 本当に綺麗でした、吸い込まれてしまいそうなぐらい。

 実は、真子にいつも見つめられてるのが嬉しくて、とうとう自分で描いてしまいました。私が今喋りながら見つめているのはそれです。正面を向いている真子の顔です。その美しい目に映っているのは、どんなものなのでしょうか? ……なあんて、ふふっ。

 写真とかは見ないで脳内に焼き付いた真子の顔を頼りに描いたので、目以外の部分はおざなりになってしまいましたが、目だけは力を入れました。それでもやっぱり本物の美しさには負けるけど、あまりの美しさで取り乱してしまうこともありません。

 写真はね、もうないんです、一枚も。全部捨てたり、焼いたりしました。だって、どれも綺麗じゃないんだもの。そんなものなくても、私の手で完璧な真子を残すことができるから必要ありません。

 あ、そろそろレコーダーの電池が持たないかも。二時間近く喋ってしまいましたね。

 録音を終える前にやってみたいことがあります。私の手元には、真子の絵の具セットと私の絵の具セットがあります。残ってる青と紺の絵の具を使って、姿見を塗ってみようかと思うんです。真っ青な世界にも、真子の綺麗な目は映るのか。疑問に思ってたんです。絵の具なんてまた買えばいいし、やってみますね。

 (ガチャガチャ、と何かをいじる音)

 (遠ざかっていく足音)

 (十数分の沈黙)

 ……はあ、はあ。終わりました。真子のはともかく、私の青い絵の具は結構残ってたんですけどもうどっちも使い切っちゃって。姿見の上半分は真っ青です。私の姿も美術室も映りません。……あっ。でも、見てください。って、見えないか。真子の目が映ってます!

 (パチパチ、と手を叩くような音)

 すごい、すごい! 安い絵の具の青と真子の瞳の青は混ざらないんですね! あははっ、あっはははっ、当たり前か!

 ……あの、あの、もしかして私は自分の目で真子を見てるんじゃないのかな? だって、変じゃないですか? 青く塗ってるところにも真子の目が映るって。あっ、いいこと思いつきました。

 (ドアの開閉音)

 (近づいてくる足音)

 やっぱりあった、彫刻刀。前ハンコを作ったときのやつ、まだ持ってた。これを、こうして。

 (ぐちゃぐちゃと濡れたような音)

 はあっ、ふふっ、すごい、不思議な感覚。目を閉じてるわけじゃないのに、何も見えないって。不思議な感覚。このぬるぬるしてるのは私の血? やだ、臭い、気持ち悪い。うえっ。

 (えずく声と、吐瀉音)

 ううっ、げほっ。最悪、血に酔ったみたい、吐いちゃった。何やってんだろ、私。

 ねえ、真子。私どうしちゃったんだろうね? 真子がいなくなってから、ずっとおかしい。何で、死んじゃったの? そんな遠くで見てるだけじゃなくて、またこっちに戻ってきてよ。あっ。

 (人が倒れるような音)

 いたい、ぶつかっちゃった。これなに椅子? 机? なんでもいいや。真子、やっぱりあなたの瞳は綺麗だね。暗闇の中でも、あなたのオーロラブルーはよく見える。ううん、違うね。他の余計な色がないからより美しく見えるんだね。私、あなたの目が、大好きだった。嘘、あなたの全部が大好きだった。私だけの真子。ふふふっ。

 ……痛い。

 痛い痛い痛い、どうしよ、目が痛いよ。助けて助けて、真子。さっきは全然痛くなかったのに。なんで、なんで。うあああああ。

 (うめき声)

 (何かにぶつかる打撃音)

 痛いよ、痛い。でも、私だけじゃないんだよね。真子も同じような、ううん、もっとひどい痛みを経験してたんだよね。私のせいで。ごめん、ごめんね。全部私のせいだね。謝ってもどうにもならないけど、ごめん。

 (べたり、べたりと床を這いずるような音)

 ……はあっ、はあっ、あった。ここにあると、思った。これで、こんどは、ここをこうすれば。

 (うめき声)

 (再び、濡れたような音)

 ふ、ふふっ、あははっ。あーはっはっは……。

 (ヒステリックな笑い声)

 ふふっ、あったかい。血って、こんなにあったかいんだ。真子もお風呂場で、自分の血があったかいんだってことに気づいたりした? ――うん、うん、そっかあ。そうだよね。よかった、私もあなたといっしょだ。

 ……うん、そうだよ真子。私ももうすぐあなたのところにいける。ありがとう、ずっと見ていてくれて。ごめんね、辛い想いをいっぱいさせちゃって。それでも、あなたは私のところにいてくれたんだよね。ずっと、見ていてくれたんだよね。嬉しかったよ。

 (深い呼吸音)

 ……真子?

 ……大好き。

 (録音はここで終わっている)

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