レコーダーに収録された音声 冒頭から四十五分まで

 ……あー、あ。これで録音はされてるでしょうか? 買ったはいいけど、一度も使ったことがなかったので、録れてるのか心配で。

 ……一応、赤いランプはついてるので大丈夫なんですよね、きっと。信じて話しつづけます。

 えっと、今デジタルレコーダーに向かって喋ってる、松井咲乃って言います。聖クレール女子学園高等部二年です。美術部に入っています。

 今はー、部活が行われる美術室にいます。この学校で私が一番好きな場所です。もちろん、私以外誰もいません。誰もいない美術室で小っちゃい機会に話しかけてるのってシュールですよね。もし、今の自分の姿を映像で見たら「何だこいつ」って笑っちゃうだろうなあ、って思います。

 話がそれましたね。本題に戻ります。

 なんで、こんなことしてるのかってことですよね。檜山・エリオット・真子について話しておきたいことがあったからで……あっ。

(ガタン、と何かが倒れる音)

 ごめんなさい、思いっきり椅子倒しちゃいました。これも音声に入っちゃいましたよね? あーあ、ちょっと驚いただけで恥ずかしい。斜め前にある姿見を見たのがいけなかったんです。もう見ないようにします。さっき描いた絵だけ見てます。それなら大丈夫なので。

(カタン、という音)

 ――失礼しました。話に戻ります。

 この学校に通ってる人なら、生徒でも先生でもほとんどの人が、檜山・エリオット・真子が亡くなったことを知ってると思います。

 檜山さんは、いや、真子は私の親友でした。彼女が私のことどう思ってたかは知らないですけど、あの子と一番親しくしてたのは多分私です。一年のときは違ったけど、二年のときはクラスも一緒でお弁当とかも毎日一緒に食べてました。私も真子も、他に友達はいませんでした。


 真子は自宅で亡くなりました。自殺です。お風呂場で、カッターナイフで自分の手首を切ったんです。最初に真子が亡くなってるのを見つけたのは、仕事から帰ってきたお母さんで、風呂場の白いタイル全面に血だまりが広がってたそうです。真子のお母さん、それを目の当たりにしたとき、どんな気持ちになったんでしょうか? 真子が亡くなったというのを知った日から、ずっとそれが気になっています。私がそんなこと考えたってしょうがないんですけど。

 真子は、その、すごい子でした。「すごい」って一言で言うとわかりづらいかな。「優れてる」って意味です。本当に私と同い年なのかな、たったの十何年しか生きてないのかなって不思議に思うぐらい。

 真子は私と同じ、美術部でした。とにかく絵が上手でした。なんでも上手に描けるんですけど、風景画を好んで描いてたなと思います。

 真子が描いた絵を初めて見せてもらったときは言葉を失いました。美術室の窓から見下ろしてる街を描いたものでした。電線とか誰かの家の屋根とか、細かな光景はデフォルメしてあって人によっては「雑だ」とか言われるかもしれないんですけど、色遣いがとにかく上手なんです。夕暮れ色のオレンジから、紺の夜の色に移り変わっていく空の描き方に衝撃を受けました。変わりゆく空の境目の色のグラデーションが繊細で。あの色遣いは、努力だけじゃ得られない真子の天性のセンスだと思います。真子が持ってたのは美術的才能だけじゃなくて、勉強もできました。英語も数学も体育も、何でも。苦手な教科は多分なかったんじゃないかな。常に成績は学年上位でした。そこも私の憧れでした。

 でも、一番「羨ましいな」と思っていたのは、真子のルックスでした。「何だ、見た目が全てなのか」とか言われそうですけど、逆に言えばそれぐらい綺麗な顔って印象に強くのこるじゃないですか。

 真子はそれぐらい、ずっと眺めていても飽きないぐらい綺麗で。イギリス人のお父さん譲りのブルネットの髪はつやつやで、見る度うっとりしていました。本人は「地毛申請しなくちゃいけないから面倒」とか言ってたんですけど、そんなことどうでもいいじゃないと思えるぐらいあの子の髪が羨ましかった。そもそも、地毛の色が黒じゃなかったら学校に届け出をしなきゃいけないっていうのおかしくないですか? 人が持って生まれたものなのに失礼ですよね。

 ごめんなさい、話がそれました。真子のルックスでもう一個羨ましかったのは、瞳の色です。小学生の頃、テレビ番組のフィンランド特集でグリーンとブルーが重なったオーロラの映像を見たことがあります。真子の瞳は、そのオーロラのブルーでした。はしゃいだりすると、青いビー玉の中みたいにキラキラ輝くんです。

 見た目も、頭脳も、美的センスも何でも持ってました。読む本だってセンスが良かった。

 部活がない放課後は、私たち二人で図書室に行って本を読んで過ごしたりしたんですが、真子はいつも海外文学を読んでいました。私なんかお手上げの英語の詩とかも日本語の訳文じゃなくて原文で読めるんです。

 あるとき、真子がT・S・エリオットの『荒地』を読んでいたことがありました。今だったらイギリスの偉大な詩人だってわかるんですけど、あのときの私は無知だったから「作者と苗字が一緒だから読んでるの?」とか馬鹿な事聞いてしまったんですね。

 でも、あの子は怒ったりすることもなく「言葉の使い方が好きだから」と言って、流暢な英語で「死者たちの埋葬」の朗読をしてくれました。意味はさっぱりわかりませんでしたが、真子が読むと単語のひとつひとつが全部美しい言葉に聞こえるんです。思わずうっとりしながら聞いていました。もう一度「四月は残酷な月」から始まる朗読を聴きたいのですが、それももう叶わないんですね……(鼻をすするような音)。


 ……ごめんなさい、また真子との思い出話になってしまいました。話を戻します。

 真子は美術部でいじめられてました。長所と短所は紙一重ってよく言いますよね。だから、敵もできたんだと思います。主導になってたのは、三組の片桐樹里さんです。同じクラスになったことはなくて、部活以外では体育とかクラス合同の授業で一緒になったことしかないのですが、片桐さんの話に「うんうん」とか「そうだよねえ」って同意ばっかりする取り巻きの女子数人に囲まれてました。クラスカーストは上位に入る子だったと思います。

 片桐さんも美術部で絵を頑張ってました。かなり上手な方だったと思います。顧問の波野先生もよく褒めてました。「モチーフの特徴をよくつかめてる」って。

 でも、真子の作品と比べてしまうと見劣りするっていうか、ぱっとしなくなるんです。並べてしまうと、ダメ。片桐さん以外の作品でも、真子の絵と並べるとどうしてもそうなってしまうんですけど。

 当然というか、片桐さんはそれが気に入らないようでした。美術準備室でイーゼルの準備をしてるときに、彼女が真子の陰口を叩いてるのを聞いてしまったことがあります。「なんであの子の絵ばっかり目立つんだ。むかつく」って。気持ちはわかります。片桐さん以外の美術部員でも、そういう風に思ってた子は多いはず。

 真子に明確な悪意が向けられるようになったのは、二年の夏からでした。部活が始まった水曜日、真っ青な顔をした真子に「私の絵筆見てない?」と聞かれたことがあります。美術室の奥に筆とかパレットを乾かしておくスペースになってるテーブルがあって、前回使って洗った三本を全てそこに置いていたのに見つからないんだそうです。「テーブルの下とか、周りを見ても落ちてないの。どうしよう」って。

 道具の盗難はありうることでした。たとえ筆を干していなくても美術部員はみんな、使わないときは各々の絵の具セットを持ち帰りもせず、不用心にも準備室の棚にしまっていたので、本人が知らない間に誰かが盗むなんてことも簡単だったはずです。

 真相はおそらくそういうことだったんだと思います。真子が背を向けている美術室後方、片桐さんと取り巻きの子たちがにやにやしながら真子を見ていました。「ああ、あの子たちがやったんだ」と直感しました。結局絵筆は出て来なくて、真子は新しいものを買うしかありませんでした。

 部活内での真子へのいじめは続きました。もちろん、顧問の波野先生がいないときだけ。下書き途中で真子が席を立ったとき、絵をゴミ箱に捨てたり、筆を洗った後の色水が入ったバケツを持った片桐さんが絵を描いてる真子にぶつかったり。「ああ、ごめん。私、ドジでさあ」とか言ってみせたりするんですけど、傍から見ればバレバレなんです。

 私はそれに気づかないふりをしてました。真子への仕打ちを見る度「早く、こんなこと終わらないかなあ」って背中に冷や汗をかきながら、震える手で筆を動かすだけでした。そうです、傍観者です。真子は私の親友だとかのたまっておきながら、卑怯で最低ですね。どうあがいても言い訳にしかなりませんが、怖かったんです。「やめなよ、そんなひどいことするの」って、片桐さんたちに言えばどんなことになるか。今度は私が標的になったと思います。彼女たちの悪意が私に来ないように、と願いながら知らないふりをしました。でも、私には才能のかけらもないのでそんなもの向けられるはずないんですよね。本当に馬鹿で最低です。

 彼女たちの自分への行為がわざとで、悪意があったってことに真子も気づいてたはずです。あの子、頭良かったから。それでも、彼女は黙々と自分の作品を描き続けてました。

 その年の秋、真子の努力が実りました。夏休みにうちの美術部員全員が東京都の高校生を対象とした絵画コンクールに向けて作品を作って応募したんですが、見事真子の静物画が金賞に選ばれたんです。半分に切られて中の実がよく見える西瓜と、江戸切子のグラスを描いたものでした。やっぱり色使い、特にグラスにかかった陰影を白と黒でうまく塗り分けたのが評価されたようです。

「すごいじゃん、金賞だよ」って本人じゃない波野先生が嬉しそうにしてるのに、当人は「そうですね」って少し微笑んだだけでした。見ようによっては「謙虚」というより「卑屈」に見えたかもしれません。

 それから……。(数秒の沈黙)……すみません、本当はこのこと言いたくないんです(泣く声)。でも、言わなくちゃ。私と真子のためなので。


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参考文献

T・S・エリオット、福田陸太郎・森山泰夫注解(1967)『荒地・ゲロンチョン』、大修館書店。

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