松井咲乃の遺作

暇崎ルア

Yちゃんから聞いた話

 高校を卒業してから早六年、同級生であるYちゃんから連絡をもらい、ありがたいことに杯を交わせることとなった。

 絵を描くのが得意だったYちゃんは高校を卒業してから、都内の著名芸術大学に入学。在学中、作品を作り続けると同時に高校教師の資格取得のために頑張っているということは知っていたのだが、卒業後の進路までは知らなかったので、上野の飲み屋につくなり聞いてみた。

 現在は、都内にある聖クレール女学園の高等部で美術教師として働いているという。 大学で図書館司書の資格を取りながらも活かせる現職に就かず、宝の持ち腐れと化した私とは大違いである。

 職場はどこかで聞いたことのある学校名だったが、中学時代の進学先を決める時期にいくつか女子校を調べたから、その中の一校で覚えているのかもしれないとそのときは思った。

「それで、教師生活はどうなの?」

 熱い白熱電球がぶら下がった二人掛けの席。ビールを一口あおってから、Yちゃんは「色々あるわ」と曖昧な答えを返す。

「色々って何だよ」

「色々だよ。楽しいときもやめたいなー、ってなるときも。ま、仕事ってそういうもんだよね」

 それからしばらくYちゃんは「生徒たちの流行りについていけない」とか「みんな元気すぎてパワー全部奪われそう」などと楽し気に話していたが、ふと「あ、でも」と真顔になり、言葉を切った。

「去年の春先はかなーり大変だったんだよね。あたしが入る直前にね、生徒が二人亡くなるって騒動があったの」

 えっ、と自分でも驚くぐらい大きな声が出た。

「ほとんど先輩の先生からの又聞きなんだけど」と前置きしたうえで、Yちゃんは語ってくれた。

「あたしが入る二〇二二年春前までに高等部二年の子二人が亡くなっててさ」

「二年生が二人も? ……待って、それ聞いたことある。いじめが原因で自殺とかじゃなかった?」

 Yちゃんは「そう、それ」と大きく頷いた。

「一時期、ワイドショーとかでこぞって取り上げられたからね。あたしが入ったときはようやくほとぼりさめかけてたけど、それでも学校前で記者に話しかけられたりして大変だった。こっちは、新米教師で大変だっていうのにさ」

「聖クレール女学園」の名をどこで知ったのかを思い出した。現役受験生時代に目にした学校ではなかった。

 発生から一年以上経った今でも「都内女子校 いじめ自殺」と検索をかければ、古い記事がいくつも出てくる。それまですっかり記憶の彼方だったが、去年の私は数多の中の記事の一つを目にしていた。

 概要をかいつまむと、二〇二二年の二月頃に、Yちゃんの職場となる前の高等部に通っていた二年生の女子生徒Bが美術室で自死を遂げていた。

 現場には遺書のようなものが残っており、その内容にはBが亡くなる前の二〇二一年十月にこれまた、自宅で自死を遂げていた女子生徒Aの死因に関する話が残されており、学校内でのいじめが関連していることが発覚。まずいことに、このいじめには、生徒だけではなくAとBが所属していた美術部の顧問が関わっていたことも示唆されている。

「正確に言うと、遺書というより録音なんだけどね。ボタン一つ押せば簡単に録音できるレコーダーにBの話が入ってた。私も新卒で入ったときに聞かせてもらったけど、結構生々しかったな」

 Bは当時美術部員だったらしく、レコーダーは美術室に残っていたのだそうだ。

「これも先輩の先生から話聞いたんだけど、直後の美術室はすごい有様だったみたい。首を刃物で切っての自死だったからものすごい量の血だまりだったうえに、痛みで酔ったのか吐瀉物なんかも残ってたって」

 刺身や焼き鳥をつまみながら聞くには生唾が込みあがってくるようなものだったが、Yちゃんの話に引き込まれざるを得なかった。

「ニュースに取り扱われちゃったのは、どっかから音声内容が漏れたんだよね」

 内容が内容のため、録音の存在は学校内の教員だけでの秘密になるはずだった。しかし、どこからかは不明だがPTAや他の保護者たちに漏れ出し、臨時保護者会などが開かれたり、聞きつけたマスコミが詰めかけたりと大騒ぎだったという。

 最終的に学校側は美術部員や顧問に確認を取ったうえで、いじめを事実として認め、謝罪と説明の会見を開いている。

「当然、当時の美術部顧問の先生は責任感じたり、保護者から責められたりで体調崩して辞めちゃったらしいのね」

 Yちゃんはその件の美術教師の後任として入ったということになる。

「身体もだと思うんだけど、メンタルも酷く参っちゃってたみたいね。鏡をじっと見ながらぶつぶつ喋ってたり、授業中話をしていたかと思ったら、急にやめて黒板に絵を描き始めちゃうとかしてたみたい」

「そりゃ、気の毒に」

 集団で大きなトラブルが起こると、責任を背負わされて潰れてしまう人が必ず一人は出てくる。

 現場にはもうレコーダーともう一つ、Bが描いていた絵のキャンバスが残されていたという。

「Aの顔が描かれてるらしいんだけど、ちょっと不気味な絵だったんだって」

「どういうこと?」

「目だけが異常にリアルに描かれてる、らしいよ。私も現物見たことはないから、それ以上はよくわからない」

 その絵は事件直後にBのご遺族の元に渡されてしまったようなので、Yちゃんも実際に見たことはないという。

「でさ、話変わるけど、あなたホラー好きだったよね?」

 酔いで顔を赤らめたYちゃんは、にやりと笑った。

「何でそうなる?」

「部誌でも書いてたじゃん。それにこの間も『奇想と恐怖』に短編載せてたもんね」

 それからYちゃんは、本名とはかけ離れた私のペンネームを何事もないかのように言ったので、口に含んでいたコーラサワーで大いにむせることとなった。

 高校の文芸部員時代から愛用しているペンネームを社会人になった現在でも流用したことが仇となった。

彼女の言う通り、ホラー小説界隈では名の知れた文芸誌に何気なく短編を送ったところ、編集部のお気に召したようで、ささやかな原稿料と共に先月の発売号に拙作が掲載されたのだが。

「な、何で、知ってるの?」

「大学時代の後輩が表紙のイラスト描いてたから買ったんだよ。そしたら、目次にあなたのペンネーム載ってるもんだから、おおーって。ちゃんと読んだよ。普通に面白かった。それも踏まえたうえで、例の音声聴いてみたくない?」

 ホラーの物書きへのネタ提供という目的で、Yちゃんが今日私を呼び出したのであろうということにそこでようやく気がついた。

「聴けるなら聴いてみたいけど、レコーダー残ってるの?」

 もしかしなくても門外不出だったりなんじゃないだろうか。

 私の心配をよそに、Yちゃんは「大丈夫、大丈夫」と、いつの間にか広げていた青い扇子をひらひらさせた。

「絵はないけど、レコーダーなら学校にあるんだ」

 絵はかろうじて遺族に引き取っていただいたものの、「娘の肉声を聞くのは辛すぎるので、持っておけない」と遺族が受け取りを拒否したため、学校側が保管しているのだという。

「職員室のある場所に置いてあるの、この間発見したんだよね。こっそり持っていけば誰にもバレないと思う」

 Yちゃんは昔から時々、周りが思いもよらぬなことをする子だったことを思い出した。現代風に言えば「サイコパス」とでも言えるかもしれない。

 翌週末、再び同じ店で会ったYちゃんから透明なジッパーバッグに入れられたレコーダーを渡された。国内大手音響機器メーカー製の立派なものだった。

「二時間ぐらいあるし、結構生々しい箇所もあるから視聴注意ね」

 私は休日の午後を利用してレコーダーの内容を最後まで聴いたのだが、二時間という物理的なものにとどまらない重厚な音声だった。

 以下に載せる文章は、私が女子生徒Bのテープレコーダーを聞き、Yちゃんの承諾を取ったうえで文章に書き起こしたものだ。

 文中には女子生徒AとBの具体的な人名が書かれているが、私の方で変更した仮名であることを事前に記しておく。

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