第4話 交錯する想い

朝日が差し込む教室で、誠一は机に伏せたまま目を閉じていた。昨夜の美咲の夢の余韻が、まだ体の中に残っている。星空の下、雲海の上を歩いた感覚。そして、遠くに見えた人影。


「おい、誠一!大丈夫か?」


啓太の声に、誠一はゆっくりと顔を上げた。


「ああ...うん、大丈夫」


啓太は心配そうな顔で誠一を見つめている。


「お前、最近ボーっとしてることが多いよな。何かあったのか?」


誠一は少し躊躇いながら答えた。


「実は...アルバイト先で、美咲って女の子に出会ってさ」


「へえ、女の子か」啓太の目が急に輝いた。「で、どんな子なんだ?」


「うーん、すごく物静かで...でも、想像力が豊かな子なんだ。それで、彼女に会ってから、よく変な夢を見るようになって...」


啓太は興味深そうに聞いている。「へえ、その子のこと、気になってるんだな」


誠一は少し赤面しながら答えた。「まあ...ね」


「それで、その子、何歳くらいなんだ?」


誠一は少し考え込むような表情をした。「正確には聞いてないんだけど...制服を見る限り、たぶん中学生じゃないかな」


啓太の表情が変わった。「中学生か!お前まさか、ロリコンじゃないだろうな?」


「違うよ!」誠一は慌てて否定した。「数歳年下ってだけで、ロリコンじゃないって。それに、年齢なんて関係ないよ」


啓太はニヤリと笑った。「冗談だよ。でも、その美咲って子に惹かれてるのは事実なんだろ?」


誠一は黙って頷いた。


「まあ、恋愛相談ならいつでも受け付けてるぜ」啓太は誠一の肩を叩いた。「年の差なんて気にすることないさ」


「ありがとう、啓太」


誠一は少し安心したように笑った。しかし、心の中では依然として複雑な思いが渦巻いていた。美咲への気持ち、そして「夢渡り」の能力のこと。誰にも話せない秘密を抱えたまま、誠一は深い考えに沈んでいった。


授業が始まり、誠一は教科書を開いた。しかし、先生の話に集中できない。頭の中は、相変わらず美咲のことでいっぱいだった。彼女の書いた『星霜の夢紡ぎ』の一節が、何度も頭の中で繰り返される。


「星空の下で、少女は独り佇んでいた。周りには誰もいない。でも、彼女は寂しくなかった。なぜなら、星々が彼女に語りかけていたから...」


美咲は、本当にこんな孤独を感じているのだろうか。誠一は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


放課後、誠一はいつものように鵺瀬堂書店に向かった。美咲の原稿のことが、頭から離れない。


店に入ると、幻一郎が優しく迎えてくれた。


「いらっしゃい、誠一くん。今日はどうかな?」


誠一は少し躊躇いながら、美咲の原稿のことを話し始めた。


「幻一郎さん、美咲の物語...読ませてもらいました」


「ほう、そうかい。どうだった?」


「すごく...痛みを感じる物語でした」


誠一は言葉を選びながら話す。


「主人公の少女が、周りの人たちに裏切られて...でも、それでも前を向こうとする。その姿に、美咲自身の経験が反映されているような気がして...」


幻一郎は静かに誠一の言葉に耳を傾けていた。


「誠一くん、人は時として、自分の痛みや苦しみを物語に昇華させることがあるんだ。それは、現実と向き合うための一つの方法なんだよ」


誠一は黙って頷いた。


「でも、幻一郎さん。僕、美咲を助けたいんです。でも、どうすればいいか分からなくて...」


幻一郎は優しく微笑んだ。


「誠一くん、人を助けるというのは難しいことだ。特に、相手の心の中に踏み込むというのは、大きな責任を伴う」


誠一は真剣な表情で幻一郎を見つめた。


「でも、君には特別な力がある。その力を使って、美咲ちゃんの心に寄り添うことはできるかもしれない。ただし、忘れてはいけない。最終的に美咲ちゃんを救えるのは、美咲ちゃん自身なんだ」


誠一は深く考え込んだ。自分にできること、そして美咲自身が乗り越えなければならないこと。その境界線が、少しずつ見えてきたような気がした。


その時、ドアベルが鳴り、美咲が店に入ってきた。


「あ...」


誠一と美咲の目が合う。美咲は少し驚いたような、そして何か言いたげな表情をしていた。


「美咲...」


誠一は声をかけようとしたが、言葉が出てこない。美咲も何か言おうとして、躊躇っているようだ。


二人の間に、言葉にならない緊張が流れる。その時、幻一郎が静かに声をかけた。


「美咲ちゃん、誠一くんが君の物語を読ませてもらったそうだよ」


美咲は驚いたように目を丸くした。


「え...そうなの?」


誠一は恥ずかしそうに頷いた。


「うん...すごく素晴らしい物語だったよ。ありがとう、貸してくれて」


美咲の頬が、わずかに赤くなる。


「そう...良かった」


美咲は小さな声で言った。そして、少し考え込むような表情をした後、おもむろにバッグから何かを取り出した。


「あの...これ、読んでくれる?」


差し出されたのは、数枚の原稿用紙だった。紙の端は少し折れ曲がり、何度も書き直した跡が見える。


「新しい物語...書いてみたの。まだ途中なんだけど...」


誠一は驚きながらも、嬉しさを感じた。美咲が自分に心を開こうとしている。そんな気がした。


「うん、もちろん!ありがとう、美咲」


誠一が原稿を受け取ると、その厚みに少し驚いた。美咲の創作への情熱が伝わってくるようだった。


「わあ、結構書いてるんだね」


美咲は少し照れたように頬を赤らめた。


「う、うん...夜遅くまで書いちゃって...」


「楽しみにしてるよ。しっかり読ませてもらうね」


美咲は少し安心したような表情を見せた。


「じゃあ...また感想、聞かせてね」


そう言うと、美咲は軽く会釈して、奥の読書スペースへと向かっていった。


誠一は美咲の後ろ姿を見送りながら、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。まだ小さな一歩かもしれない。でも、確かに二人の距離は縮まっている。


幻一郎が、誠一の肩に優しく手を置いた。


「ゆっくりでいいんだよ。二人とも、自分のペースで前に進めばいい」


誠一は静かに頷いた。そして、美咲から受け取った原稿を大切そうに胸に抱きしめた。


その夜、誠一は再び美咲の夢の中に入ることを決意した。今度こそ、彼女と話すことができるかもしれない。


目を閉じ、美咲のことを強く思い浮かべる。美咲が書いた新しい物語の一節を、頭の中で反芻する。


ゆっくりと、現実世界の感覚が遠のいていく。


誠一が目を開けると、そこは美咲の夢の中だった。前回と同じ、星空の下の雲海。しかし、今回は雲海の上に、一軒の小さな家が浮かんでいる。


家の窓から温かな光が漏れている。誠一は、その家に向かって歩き始めた。


ドアの前で立ち止まり、深呼吸をする。そして、恐る恐るノックをした。


「どなたですか?」


中から聞こえてきたのは、間違いなく美咲の声だった。


誠一は勇気を振り絞って答えた。


「美咲、僕だよ。誠一」


一瞬の静寂の後、ゆっくりとドアが開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る