第3話 美咲の秘密

誠一は深夜、目を覚ました。額には薄い汗が浮かんでいる。今夜も、他人の夢の中を歩いていた。


幻一郎から借りた『夜の航海者』を読み始めてから、誠一の「夢渡り」の能力は急速に向上していった。最初は偶然に近い形で友人の夢に迷い込んでいただけだったが、今では意識的に誰かの夢に入ることができるようになっていた。


ベッドから起き上がり、誠一は机の上に置かれた『夜の航海者』を手に取った。ページをめくると、夢の世界を探索する者たちの姿が描かれている。その姿に、自分の姿を重ね合わせる。


「僕も、こんな風になれるのかな...」


誠一は呟きながら、今夜の体験を日記に書き留めた。友人たちの夢。その中で彼らの不安や悩みを垣間見たこと。そして、夢の中で彼らを励ましたり、一緒に問題解決をしたりしたこと。


「みんな、大丈夫だろうか...」


明日、学校で様子を見てみよう。そう決意して、誠一は再び眠りについた。


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翌日の放課後、誠一は鵺瀬堂書店に向かった。幻一郎に相談したいことがあった。


「いらっしゃい、誠一くん」


幻一郎は、いつものように温かい笑顔で誠一を迎えた。


「どうだい?『夜の航海者』は役に立ったかい?」


誠一は興奮気味に話し始めた。「はい!本当に不思議なんです。本を読んでいると、まるで夢の世界の地図を手に入れたような感覚になって...」


幻一郎は静かに頷きながら、誠一の話に耳を傾けた。誠一は、この数日間の体験を詳しく語った。友人たちの夢に入り、彼らの不安や悩みを垣間見たこと。そして、夢の中で彼らを励ましたり、一緒に問題解決をしたりしたことを。


「でも、幻一郎さん。この能力、どう使えばいいんでしょうか。人の夢に勝手に入るのって、良くないような気もして...」


幻一郎は穏やかな表情で答えた。「誠一くん、大切なのは、その能力を使う君の意図だよ。人を助けたい、理解したいという純粋な気持ちがあれば、きっと正しい道を見つけられる」


誠一は少し安心したように頷いた。


「ただし」と幻一郎は付け加えた。「人の心の中に入るということは、大きな責任も伴う。慎重に、そして相手を思いやる心を忘れずにね」


「はい、わかりました」


その時、ドアベルが鳴り、美咲が店に入ってきた。


「こんにちは」


美咲の声は相変わらず小さく、顔色も優れない。


「美咲、どうしたの?」誠一は思わず声をかけた。


美咲は少し驚いたように誠一を見た。「あ、誠一くん...大丈夫、何でもないよ」


しかし、その言葉とは裏腹に、美咲の目には深い影が宿っているように見えた。


幻一郎が静かに声をかけた。「美咲ちゃん、いつもの場所が空いてるよ」


美咲は小さく頷き、奥の読書スペースへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、誠一は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


「幻一郎さん、美咲に何かあったんでしょうか」


幻一郎は遠い目をしながら答えた。「さあ、わからないね。でも、彼女にとってこの場所が安らぎになっているのは確かだ。ここで彼女は、自分の物語を書いているんだよ」


「物語...ですか?」


幻一郎は頷いた。「ああ、美咲ちゃんは驚くほど想像力豊かな子でね。彼女の書く物語は、まるで夢の中にいるような不思議な魅力がある」


誠一は思わず、美咲が座っている方を見た。小さな机に向かい、一心不乱に何かを書いている美咲の姿が見える。


「僕...美咲の力になれないでしょうか」


幻一郎は優しく微笑んだ。「そうだね。でも、焦らなくていい。美咲ちゃんが心を開くまで、そっと見守ってあげるのも大切だよ」


誠一は黙って頷いた。そして、ふと思いついた。


「幻一郎さん、美咲の書いた物語...読ませてもらえないでしょうか」


幻一郎は少し驚いたような顔をしたが、すぐに穏やかな表情に戻った。


「そうだね。美咲ちゃんの了承が得られれば、いいかもしれない。彼女の物語を通して、君は彼女の心を少し理解できるかもしれないね」


その日の夕方、美咲が帰ろうとしたとき、誠一は勇気を出して声をかけた。


「あの、美咲。もしよかったら、君の書いた物語...読ませてもらえないかな」


美咲は驚いたように目を丸くした。「え...私の...物語?」


「うん。幻一郎さんから、君がすごく面白い物語を書いてるって聞いて。もし良ければ、読ませてほしいな」


美咲は少し考え込むような表情をした後、小さく頷いた。


「...わかった。実は、つい最近書き始めたばかりの物語があるの。でも、まだ途中だし...たいしたものじゃないよ」


そう言いながら、美咲はバッグから十数枚の原稿用紙を取り出した。紙の端は少し折れ曲がり、何度も書き直した跡が見える。一番上の紙には『星霜の夢紡ぎ』というタイトルが書かれていた。


「これ...借りてもいい?」


美咲は少し躊躇したが、結局原稿を誠一に手渡した。


「うん...でも、優しく読んでね。まだ誰にも見せてないし、完成してないから...」


誠一は嬉しそうに頷いた。「ありがとう。大切に読むよ。感想、聞かせてもらってもいい?」


美咲は少し照れたように頬を赤らめた。「うん...でも、あまり期待しないでね」


誠一は軽く会釈すると、美咲は少し落ち着かない様子で店を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、誠一は不思議な高揚感を覚えた。


その夜、誠一は美咲の原稿を広げた。そこに綴られていたのは、想像を超える不思議な物語だった。


夢と現実が交錯する世界。主人公の少女は、夢の中で様々な冒険をする。しかし、その冒険は単なるファンタジーではなく、現実世界での悩みや葛藤が色濃く反映されているようだった。


誠一は夢中になって読み進めた。そして、物語の中盤で、はっとする場面に出くわした。


主人公の少女が、現実世界でいじめられている場面。その描写は生々しく、まるで美咲自身の体験のようだった。


「もしかして...美咲は...」


誠一は胸が痛むのを感じた。同時に、美咲を助けたいという強い思いが湧き上がってきた。


原稿を机に置き、誠一はベッドに横たわった。時計を見ると、もう深夜0時を回っている。美咲はきっと眠っているはずだ。


誠一は決意した。美咲の夢の中に入ろう。そして、彼女の本当の気持ちを知り、力になろう。


目を閉じ、美咲のことを強く思い浮かべる。『星霜の夢紡ぎ』に描かれていた情景を想像し、その世界に意識を向ける。


ゆっくりと、現実世界の感覚が遠のいていく。代わりに、不思議な浮遊感が体を包む。


誠一が目を開けると、そこはもう自分の部屋ではなかった。


無数の星が瞬く、広大な夜空。足元には、ゆらゆらと揺れる雲海。そして、その雲海の上に、一本の細い道が伸びている。


「ここが...美咲の夢...?」


誠一は驚きながらも、その幻想的な光景に見とれた。美咲の想像力の豊かさを、身をもって感じる。


遠くに、ぼんやりと人影が見える。誠一は、その影に向かって歩き始めた。


「美咲...僕に何か話してくれるかな」


そう呟きながら、誠一は星空の下、雲海の上の細い道を進んでいった。

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