ラブラット・ハウス

鈴代羊

第一章・血操の吸血鬼と氷操の吸血鬼

第1話・とある館の噂

 何時、こんな感情を抱いたのだろう。

 数年前かもしれないし、最近かもしれない。

 もう覚えていない。

 もう思い出すこともできない。

 もう……思い出すこともないと思う。

 最初は、楽しくやっていた。

 でも、段々とす楽しくなくなっていった。

 一緒にいるのに飽きたわけではない。

 友情に冷めたわけでもない。

 友達はいる。一人はいる。

 学校にいないだけだ。

 そう、決してボッチというわけではない。

 なんとなく、一人で行動するようになった。

 教室に着いたら、自分の席で一人で読書を始める。

 休み時間には、図書室に籠もるようにした。

 昼には、そこで弁当を食べている。

 別に虐められてはいない。

 虐められるようなこともしていない。

 私が離れているだけ、距離を置いているだけ、至って簡単な話。

 しかし、理由は迷宮入り。私の人生はミステリーじゃないけどね。

 周りから見たら、私は冷めきっているだろう。薄氷だと、皆思うだろう。

 ーーもしくは、氷塊かな。それも、棘々しい氷塊。

 分厚くて、頑丈な氷塊。

 いや、歯車かもしれない。

 世界がしっかりと回るように、それぞれの役割を果たす歯車。

 歯車には、大小さまざまのサイズがあるだろうが、才能を遺憾なく発揮する典型的な天才は大、努力を怠らないバカ真面目な逆は小、私は何の変哲もない凡人(逆なんかあるわけない)で中くらいのサイズだろう。

 なんの才能もなく、努力もしない私には、それくらいが丁度いい。

 丁度良すぎるくらいに丁度いい。

 逆に拒絶感がする。

 まあ、周りからどう見られようが、どう思われようが,私はどうとも思わない。

 傷つきもしないし、ムカついたりもしない。

 もしかしたら、ありえないかもしれないけど、周りは気を使ってるかもしれない。

 こんな私に気を使っているのかもしれない。

 周りの環境を拒絶している私を。

 流れに逆らって、逆走している私を。

 そう思うことはすぐに止めた。

 私が、私をどう見て、どう思うか。

 それが、今の私にとっての判断基準。

 私が生きていくための指標。

 結局は、自己満足してるだけ。

 私は、退屈していたのだろう。

 機械的な生活に、変わることのない日常に。

 やっぱり飽きている、と言ってもいいかもしれない。

 この感情の色はーー灰白色かな。

 感情は乏しすぎるし、感性なんかも元からない。

 誰かへの共感なんてモノは、この際どうでもいい。

 どうでもよすぎる。

 どうでもいいこと私代表だよ。

 こんなことを考えているのは、私だけだからね。

 電気のついていない薄暗い部屋で、抱え込んでいた枕に口元を埋める。

 口周りにほんの少しの冷たさが触れる。

 窓の外には、今にも雨が降りそうな雲が漂っていた。

 その上、薄く霧がかかっている。

 たしか、今朝の予報で雨が降るはず。

 はあ……雨がこの悩みも何もかもを流してくれないかな。

 そんなことを考えながら、不変と退屈の世界を今日も生きていく。



 薄暗い雲に隠れた太陽の薄暗い日を浴びながら、いつも通りに学校への支度をする。

 なんだか今日は、いつも以上に湿っぽい気がする。

 部屋の隅に立てている姿見を見ながら、通っている霧滝きりたき高校の制服に着替える。

 十二月下旬が近づいてきた十二月十八日、十二月中旬。

 コートに似ているブレザーの袖に、我ながら華奢な細々しい腕を通す。

 濃紺のスカートを穿く。

 紺のタイツを履く。

 襟から、藍色の長髪を出す。

 少し崩れた後ろ髪を櫛で直す。

 変わらない作業のような支度を終える。

 まるで機械だ。

 毎日の思考の最初の文言は、この感想から始まる。

 この思考も機械的だな……。


「はぁ……」


 小さく溜息を吐く。

 綿のような形の白い息だった。

 こんな風に鬱憤も、悩みも吐き出したい。

 思考に浮かんできた弱みを無くすように、頭を爪で掻く。


「っ……」


 少し血が出た。

 爪に挟まった血と掻き取られた頭皮が混じったそれをゴミ箱に捨てる。


「はぁ……」


 また溜息をつく。

 部屋の真ん中に設置しているテーブルに、置いてあるコーヒーカップを持ち上げ、口に運ぶ。

 まだ少しは湯気が出ていた。

 三秒ほど、カップの中に注がれた無糖コーヒーを飲む。

 少し微温ぬるくてーー苦い。

 ……でも、私にはコレが丁度いい。

 カップをテーブルに戻す。

 学校から帰ってきたら、食洗機に入れとこ。

 ベットに置いていた鞄を持ち上げ、壁に掛けられている時計を見る。

 七時十分、金曜日。

 学生にとって、二番目に最高の日。

 やっぱり一番は、土曜日。

 土曜日サイコー。今日は金曜日だけど。

 しかも今日は、先生たちの会議(三学期の話か?)があるそうで、授業は四時間目までの大サービス付き。

 更に三連休付き

 最高中の最高。

 神様、仏様は、本当にいたんだ。

 全学生の願望が成就された。

 そう思えるほど最高な日。

 このまま水曜日も休みにしてくれ。

 あとテストも。

 ま、無理か。

 月火水木金土、それが今の一週間。

 休みは二日だけ。

 たまに三日。

 だいぶ昔だと月月火水木金金だっけ?

 戦時中の話だったはず。

 ま、もう、そんな時代じゃない。

 そんな時代に戻ってしまったら、世界は今度こそ間違いなく壊れる。

 そんな誰も聞きもしないし、知りもしない、私の『今、戦争が起きたら、あなたはどう思う?』の答え。

 普通の回答すぎて、返品できるなら返品してー……。というか買ってすらない。

 チーン。

 あ、レンジが鳴った。

 トトト、と歩いていき、レンジの中から少し焦げた食パンも取り出す。


「アチチ」


 出来立てのチョイ焦げパンを二つに分ける。

 パンの繊維と言うべきか悩むところが、右と左に分かれていく。

 中に残っていたのだろう蒸気が顔にかかる。


「うわっ」


 ビックリした、目をギリギリで閉じてよかった。目にかかったら……イテテ。

 もしもの想像をして、存在しない痛覚を認識する。


「ふぅ〜ふぅ〜」


 熱がまだ冷めそうにないパンに、ゆっくりと息を吹きかける。

 数秒後には、パンの熱は手に馴染んできた。

 よし、そろそろ食べ頃だ。

 パンに齧りつく。

 口にパンの柔らかな感触が広がる。

 少し遅れて、鼻にパンのほのかな甘い香りが届く。

 最後に、心を和ませる満腹感が腹を満たす。

 はぁ〜パンって、本当に良いな〜。

 一人なのに声に出さない感想を思いつく。

 朝食も食べたし、丁度いいタイミングだ。そろそろ話をもとに戻すべきだ。

 なんとも真っ当な意見。さすが、私(思考内会議に出席してる一人)。

 なら戻そう。

 閑話休題。

 全学生のさらなる願望が叶うなら、水曜日も休みになるべきだ。

 そう思うが、そんな上手くいくわけない。

 それでも、このサイコーな時間を楽しもう。

 もしかしたら、登校中にスキップしてしまうかもしれない。

 そんなことをしたら、私のキャラが崩れてしまう。

 補強する暇もなく崩れ落ちる。

 難防陥落のハリボテと化す。

 ので、スキップはなし。

 ……鼻歌にするか?

 いや、やっぱりヤメた。

 登校中も、授業中も、下校中も落ち着いて、さっさと家に帰って、まだ読めていない小説を読もう。

 オールもしよう。どうせ明日も、明後日も、明々後日も休みだ。

 休みは好き勝手に過ごしてやろう。

 そう考えていた私は、無意識に鼻歌を歌っていた。

 話を戻した途端、これだ。

 ウッキウキじゃん、私。

 音楽でもかかったら、踊ってしまうのじゃないか? 今なら。

 ま、そんな映画みたいなことは起こるわけがない、あり得ない。あり得なさすぎる。

 玄関から道路に出た瞬間にトラックに轢かれることもない。まず、ここは一軒家じゃない。

 アパートだ、それも個人所有のアパート。

 一階とかじゃなくて、二階とか三階に突っ込んでくるのか? トラックとかが。

 もし突っ込んできたとしても、異世界転生なんかはしない。

 世の中、そんなご都合主義にいかないよ。

 断言なんかしてるけど、昔は信じていたさ。

 異世界転生も、異世界召喚も。

 卒業したというのか、年をとったのか、まあ、簡単に言えば大人に近づいたんだ。

 大人に近づいた、とか言ってるけど、数年後に自分が酒を飲んでる姿を想像できない。

 酒を飲んでるのが、大人とは限らないけどね。未成年なのに調子こいて、酒を飲んだような奴もいるしな。

 みんなは、こんな悪い子にならないように、酒は二十歳になってからだよ、なんていう教育番組でもやらないようなことを誰かさんに言っておく。誰もいないけどね。

 私だけだよ。自分に言い聞かせているのかもしれない。

 こんなことを言うキャラじゃないけどね、私。


「はぁ……」


 三度目の溜息を吐く。

 私には、こんなキャラは合わない。

 変な思考のせいで調子が少し狂った。

 

 ガチャ。

 扉にロックが掛かる音がする。

 よし、これでオッケー。

 これで泥棒なんか入ってこないぞ、安心安心。

 ……なんとも小学生のような思考。

 これは偏見か、ああ、大人に近づいても偏見を考えてしまう……社会に出る前に治さないと。

 それに鍵を掛けただけだと、普通に侵入されるよ……。

 窓とかを割って、侵入してくるよ。

 もしくは、ドアを抉じ開けて……凄い音鳴りそうだけど。

 誰かが警察に通報してくれるよ……きっと。

 でも、泥棒が家に入ってくるのは……一人暮らしの私にとって、それは最悪だよ。

 鬼は外、福は内みたいにーー泥棒は務所むしょ、座敷わらしは家に、的な何かを。

 でもな〜、座敷わらし居なくなったら、家が終わるじゃん、潰れるじゃん。

 そして、何処か別の家が同じ結末を辿るんだろうなー。

 頭を振って、思考を遥か彼方に飛ばす。

 まず、私は一人暮らしではあるが、居候だ。

 個人所有のアパートは、私の所有場じゃない。

 そんなことを考えながら、空を見上げる。

 空の表情は曇っていた。

 下手したらどころではなく怒号が飛んでくるぞ。


「雨……降りそう」


 そう呟いた。

 雨だけで済んでくれ、そんな思いを胸中に秘めながら。

 あ、傘を持ってきてない。……面倒くさいから取りに行くのやめよ。


 階段を下りていると、階下から元気な声が届いてくる。


早上好おはよう!」


 中国語で挨拶をしてきたのは、階下のカフェで働いている李織いおり

 ショコラのような黒色と、大人しめのオレンジ色の髪が混ざっているツートンカラー。

 それをポニーテールに結ぶことで、可愛らしさが天井知らずになっている。

 ポニーテール……羨ましい。

 こんな髪型したいな〜、試しにやってみようかな?

 えっと、なんの話をしてたっけ?

 ああ、李織の話か。

 たしか……日本人と中国人のハーフだったはず。

 名前の由来は、知らない。知ろうともあまり思わない。

 名前の由来を聞いて、何がどう変わるのだろうか。

 何も変わらないだろう、普通は。

 話を李織のことに戻そう。

 父親が日本人でカフェの店長、母親が中国人でカフェの副店長。そして私が居候させてもらっている個人アパートの所有者。

 そして、李織がカフェの看板娘である。

 太陽そのモノのような笑顔を振りまく、天真爛漫な彼女に、多くの客は魅了されている。

 そんな娘に両親は深い愛情を注いだ。

 厳選したコーヒー豆にするように。

 おっと、例えが悪かった。

 味わいはしない。

 厳選もしない。

 コーヒー豆じゃない。

 これくらい言っておこう。

 たった一人の愛娘だ。

 そして、私のたった一人の親友。

 そんな両親の自慢の娘である李織に対して、私はツッコんだ。

 ツッコんだ、というより告白した。

 大事な告白だ。

 人と関係を持つ上で大事な事を一つ。

 秘密の告白は、一度はした方が良い。

 関係が深くなるかもしれない。

 関係が浅くなるかもしれない。

 どっちかのギャンブル(ギャンブルも二十歳からね)。

 変わらないこともあるけどね。

 無くなることもある。

 ま、そんな訳で私の告白。


「私、中国語わからない」


 中国語が分からない告白だった。

 分からないふりだけど。

 いや、なんとなくは……少しくらいは分かるけど、単語くらいなら……だけど。

 挨拶とかは分かるよ。

 長話になると、分からなくなるなるんだよね……。


「…………」

「…………」


 お互い無言になる。

 き、気まずい。

 私の告白の意味を理解した李織は、少し慌てながら、


对不起ごめん纱丽沙莉!」


 私の名前を呼んで、謝った(雰囲気で分かった)。

 謝らなくていいのに……。

 簡単な中国語しか分からない私が悪いのに……。

 帰ったら、勉強かな……中国語の。

 でも、あの小説の続きを見たい……。

 今年の本屋大賞受賞作、私の尊敬する片衣利波和守かたきりわかもの新作である『無銘真贋』。

 世を支配していた将軍を斬った刀が、誰によって打たれ、この世に誕生したのかを突き止める為に旅を始める。

 ジャンルは、時代劇ミステリーだったはず。

 千ページ以上の超長編の、四百六ページ目だったはず。

 今、読めてるところは。

 全千五百ページ。

 脳内で会議(一方のことしか考えていないけど)を開いていると、李織が満面の笑顔で言った。

 この場合は、言い直しで合ってるかな?


「改めて、おはよう! 沙莉!」


 言い直しで合ってるみたい。

 その太陽のような笑顔を見て、私は微笑みながら返事する。


「おはよう李織」

「にっひひー」


 そんな可愛らしい声で李織は笑った。

 純粋無垢で無邪気な子供のような笑顔(笑顔の例えって、本当に色々あるね)。

 それが、私は好きだった。

 感傷に浸っていると、李織の顔が少しだけニヤける。

 疑問に思っていると、後ろ手で持っていた弁当箱をハイッ、と渡してくる。

 それを見て、私は確信した。

 今日の弁当は、自信作か。

 それを右手で受け取り、感謝を伝える。


「いつも忙しいのに、ありがとう」


 私の言葉に笑顔の李織の顔が更に崩れ、左手で頭を掻きながら、恥ずかしそうに言った。


「エッへへ〜もっと褒めて褒めて〜」


 その言葉に呆れながら、


「はいはい」


 優しく返答をして、弁当箱を受け取ってない左手で李織の頭を撫でる。

 私に撫でられて上機嫌になった李織は、


「私は今日、休みだから。沙莉の部屋でおベンキョーしておくね」


 日本生まれ日本育ちだが、李織の日本語にはまだちょっとした違和感があるから、毎日少しずつ日本語の勉強をしているのだ。

 そして、先生はこの私。

 慣れない口の動きで日本語を喋る李織の姿を見ながら教えているのが、私はとても楽しみにしている。

 

 いつもの日常。

 私の唯一の楽しみ。

 何が起きても、崩れてほしくない光景。

 ずっと側で見ていたい笑顔。

 いつでも一緒にいたい親友。



 一年二組。それが私の所属するクラス。

 後ろの扉を開けて、教室に入ると、男子の騒がしい声や、女子のSNS等の話が聞こえてくる。

 今日も変わらない光景。

 少しは変わってほしい光景。

 退屈で死ねるような光景。

 教室に入って早々に呆れながら、自分の席につく。

 座る時に溜息もした。

 そのタイミングで、担任である小柄な女性の先生が扉を開けて、教室に入ってくる。

 担任の名前は、井崎杏菜。

 小麦色で中央分けのショートボブ、薄琥珀色の瞳が可愛らしく覗いている。

 身長は、教卓から肩が出るくらい。

 小耳に挟んだ噂によると、年齢が三十路に近づいて、今だに結婚できてないのを気にしているそうだ。

 恋人もいないそうだ。小さくて可愛いのに。


「お~い、ホームルーム始めるぞー」


 そんな担任の声が聞こえると、話し合っていた男子も、笑い合っていた女子も自分の席につく。

 全員が着席したことを確認した担任は、クラスの委員長に指示を飛ばした。

 いつも通りの学校の一日の始まりだ。


 そして、いつも通りの学校の終わり。

 金曜ということもあるだろうが、更に途中には自習があったことにより、授業はいつもより早く終わった気がする。

 今日の李織の弁当(玉子焼き美味しかった)の中には、まるで愛妻弁当だった。というか、間違いなく愛妻弁当だった。

 なにせ、ご飯にハートマークがあったからだ。

 渡す相手を間違えたのではないか?

 ん? 待てよ、愛妻弁当ということは、つまり! 李織に彼氏が出来たのか!? それは一目見て、李織に相応しいか確かめないと!

 まるで一昔前の父親のような思考である。

 下校の支度をしながら、考えるのを一旦止める。

 さて……帰って、中国語の勉強をするか……そしたら、小説の続きが読めるぞ!

 授業中に思いついた帰った後の作戦を脳内で復唱する。

 余りにも簡単に思いつく作戦すぎる。

 しかし、この作戦に穴などない。

 そう確信しながら席を立つと、思い出した。

 李織に彼氏が出来たか聞かないと、勉強ついでに尋問しよう。

 そう思い立ったと同時に、クラスメイトの少女二人のとある会話が聞こえた。


「ねぇ、知ってる? あの噂」


 その会話は、噂話だった。

 なんだ? 恋愛関係か?

 質問されたもう一人の少女が、答える。


「噂? もしかして裏山の上にあの館?」


 それに対して、質問した少女は首を縦に振る。


「そうそう、その館」


 なにやら、恋愛などではなく、奇妙で興味深い噂があるらしい。

 しかも館だと! 小説好きには堪らない噂だ。

 ミステリーの匂いがする、もしくはホラー。

 もしかしたら、どっちも!

 そう心の中で少しばかり興奮する。

 私がそんなことを考えているのを知らずに、少女は噂の館について語りだした。


 少女が語った館の噂は、余りにも現実味がなかった。

 その館は、濃い霧に囲まれていること。

 その館は、無人のはずなのに人がいる気がすること(気がするって……)。

 そして、一番コレが現実味のげの字すらない話だった。


 ーーその館には、吸血鬼が住み着いているらしい。

 ヴァンパイア、バンパイヤ、ヴァンパピール、ラミアー、エンプーサ、ブルーカ、ドルド、グール、キョンシー。

 いろんな呼ばれ方と、いろんな種類がある吸血鬼。

 日光に焼かれて、大蒜を嫌い、十字架を忌み、聖水に溶けられ、聖書を恐れ、鏡を避ける。

 種類も多ければ、弱点も多いのか、どんな不死身なバケモノだ。

 まあ、いいや、そんなオカルトじみたモンスターが、バケモノが、怪物が、人外が。

 それが、あの山の館に住み着いている。

 その言葉を聞きながら、窓の外を見る。

 窓の外には山が立ち尽くしていた。

 山は山でも、裏山だけどね。

 裏山はあるのに、表山が存在しないのか。

 学校の裏に山があるから裏山があって、学校の表に山があれば表山になるのかな?

 裏門があるなら、表門(正面門)があるのと同じで。

 学校に表裏があるのかは別として。

 その山の森の奥には、館が建っている。

 それにしても、あの山……霧深すぎない?

 ホラゲーレベルに霧が濃いぞ。

 私がまた、そんなことを考えているのを知らずに、その話を聞いた少女は、そんな噂話を信じられない、という顔をした。

 それに対して、噂話をした少女は、


「せいぜい噂程度だから」


 と、注釈をいれた。

 それを聞いた少女は、


「だよね〜」


 と、軽く安心した。

 二人は噂話が終わると「あの店のクレープを食べに行こう」、と言いながら教室を出ていった。

 教室には、私しかいない。

 『噂程度だから』

 その言葉が、頭の中で繰り返される。


「その噂……気になる」


 無意識のうちに、私はそう呟いた。

 時刻は、午後十二時二十三分。

 まだ雨は降っていない。

 今、山を登ったとしても、門限の八時までには帰れる。



 作戦変更。

 学校からの帰路についた私は、脳内で呟いた。

 口にしていたかもしれないが、まあ、いいや。

 半径十メートルには、私以外いないのは分かってるし。

 というか、人っ子一人としていない。

 閑散としている。静かすぎない?

 もしかして、異界入りした? 赤い濃霧はかかってないけど。

 死してなお動く屍なんかもいないし、ただ、人が周りにいないだけだろう。

 それにしても……異常だな。

 まだ昼間なのに、街中に人がいないなんて。

 だんだん怖くなってきた……ん?


「何あれ?」


 道路の真ん中に標識がある。

 よく見てみると、標識の表示は真っ直ぐだった。

 濃霧がかかっていて、道に迷いそうだから、標識の通りにしてみるか……え?

 振り回される髪を気にせずに、辺りを見渡す。

 半径二メートルしか見えない。

 いつの間にか、濃霧がかかっていた。


「なんなのよ、これ」


 未知数の不安と、ほんの少しの恐怖を感じた。

 スマホのライトを点ける。

 効果は薄いが、頼もしい明かりが辺りを照らす。

 明かりを標識に当てる。

 標識は真っ直ぐの矢印が描かれているだけだが、ライトで照らすことによって、文字が見えた。

 真っ直ぐの矢印の上に〈裏山の館〉、と書かれていた。

 裏山の館。教室で聞いた噂、囲む濃霧、人がいる気がする。

 ーー吸血鬼が住み着いている。


 先程まで私の中にあったはずの不安と恐怖は、好奇心と探求心に変わっていた。

 明かりを標識が指す方向に向ける。

 視線の先には、裏山の館が建っていた。

 私は、その館に向かって走り出した。

 館の噂を確かめるために、個人的な興味のために。



 ギイィィィィ。

 重々しく軋む音を立てながら、館の正面玄関である両扉が開いた。


「コホッコホッ」


 随分長く放置されていたようで、埃が表現もできないほど凄いことになっていた。

 辺りを飛ぶ埃を手で払いながら、ホールに入る。

 上にはシャンデリア。両横には、埃を被っているが絢爛豪華な扉。正面には踊り場の先が二つに分かれている扉と似たような装飾が施されている階段。

 そして、後ろには重厚で最も埃を被っている閉められている両扉。

 ………………!?


「まっ、待って待って待って待って!!!!」


 生まれて初めての絶叫かもしれない。

 いつの間にか閉められている扉を握りしめた拳で叩いたりしても、思いっきり蹴ったとしても、ガッシリと閉められている扉はビクともしない。

 逆に私の拳と足が痛い。

 つま先を押さえながら、思い出す。

 ホラあるある。いつの間にか出口の扉が閉められている。殴ったり、蹴ったりしても、銃で撃ったりしても、傷つきも壊れもしない。

 正しく絶望的状況である。

 今朝、映画のような展開はしないと言ったが、前言撤回。

 しました。はい、映画のような展開しました。

 するとは思っていなかった。いや、こんな噂の館に来た時点で既に映画のような展開だが、出口が閉められたのは痛い。痛すぎる。

 どうしよう。

 思いつく言葉は、それしかなかった。

 それくらいしか思いつかないでしょ、普通。

 窓から出るか? でも、それだと来た意味がない。

 一番、出口を確保しておけばいい。

 二番、出口なんて気にせずに突き進む。

 三番、この館に住む。

 四番、ここで死ぬ。

 五番、携帯で助けを求める。

 まずは、一番からやってみよう。

 そこら辺に倒れていた等身大の燭台を持ち上げ、蝋燭を立てる先で窓に槍のように突き刺す……なんてことはなかった。

 精々カスリ傷がついた程度だ。こんなんじゃ何時までやっても小さな穴すら空かない。

 一番はバツ。

 次は二番。

 心の準備が……。

 二番は先送り。

 次は三番。

 こんなところに住んだら、李織に会うのが大変だし、部屋から荷物を持ってくるのも大変だ。

 買い物にも山を登り降りしないといけない。

 三番もバツ。

 次は四番。

 一ッ番イヤッ!!!

 こんなところで死ぬなんて!

 四番もバツ。

 次は五番。

 一番マトモな考え。

 携帯の電源をつける。

 圏外だ。

 五番もバツ。

 残った番号は、二番。

 ……嫌だな〜。

 でも、これしかないんだよね。


「ふっ、ふぅ〜ふぅ〜……」


 無駄に緊張しながら、深呼吸をする。

 もうこうなったら、やってやる!

 吸血鬼だろうがなんだろうが来たら、これで殴ったりしてやる!

 先程の燭台を両手に武器として構えながら、階段の一段目に足を伸ばす。



 薄暗い廊下に、古びた床を踏みしめる音が響く。

 少しして、暗さを払拭する明かりが射し込む。

 円錐形の明かりは、廊下に散らばって埃を被った本の山や、食品のゴミを順番に照らしていく。

 最初は思いもしなかった。

 まさか、ジャコビアン様式の洋館の中は散らかりに散らかっているなんて。

 まあ、放置された古い建物だ。

 それなら、こうはなるか。

 ……ん? なら何で食品のゴミがある。

 しゃがみ込み食品の賞味期限を確認する。


「……今年の!?」


 食品ゴミの中から持ち上げたアンパンの袋をもう一度確認する。目を擦りもした。

 間違えない、今年のだ。

 袋に記されている賞味期限は十二月二十六日。

 誰かが、ここにいた。

 目的は何? アンパンだから張り込み? いやいや、ナイナイ。

 それなら何なんだ……。

 私は、犯罪者のアジトなのではないかと、考えていた。

 無人のはずなのに、人がいる気がする。

 そうなると、噂の通りになる。

 本当に犯罪者がいたら、どうやって逃げよう……。

 この燭台武器で対抗する?

 もし犯罪者がこの館にいたら、という思考を走らせていると、変な気がした。

 気配と言うべきか、第六感的なものだった。

 既に、私の視線はそこに釘付けになるようになっていた。

 廊下の突き当たりの部屋にライトを向ける。



 雨が降り始める。

 霜霧のような雨が降る。

 桐の葉に雨粒が当たり、弾ける。

 傘など持ってきてすらない少女は、扉のドアノブに手をかける。

 力を加えずとも、いとも容易く扉は開かれた。

 廊下以上に暗い部屋だった。

 明かりを点けよう、と思い、壁に付けてある片切スイッチを押してみたが、点く気配は全くしない。

 仕方なく、スマホのライトで辺りを照らす。

 右、左と確認するお腹くらいの高さの棚に化粧台。

 これといって、おかしな物はない。

 中央を。目の前を照らす。

 寝台があった。

 いたって普通の天蓋ベッドだ。

 純白のカーテンが、中と外の境界線になっていた。

 おそるおそる目を閉じながら、燭台でカーテンを開ける。

 ………………? 何も起きない。何もないのかな?

 目を開けてみる。

 ……っ!?

 廊下の突き当たり、その部屋の中央を陣取っている天蓋ベッドのカーテンの向こう。

 それは棺桶だった。

 西洋風の棺桶だ。

 この館には、吸血鬼が住み着いている。

 しかし、目の前にある棺桶には十字架は描かれてはいない。

 小さく安堵の息を吐く。

 それでも油断はできない。

 もしかしたら、腐乱死体があるかもしれないからだ。

 た、試しに開けてみるか……。

 やけに心臓の鼓動が早く感じる。

 呼吸も少し荒くなる。

 意を決して、棺桶の蓋を持ち上げる。

 棺桶を閉めていた蓋が、奥の暗闇に倒れて消える。

 鼓動が更に早くなる。

 呼吸もどんどん苦しくなってくる。

 過呼吸に近しい状態だろう。

 左手で胸元を押さえる。

 止まって、止まって止まって止まって止まって止まって止まって止まって止まって。

 鼓動が暴れる、獰猛な獣のように暴れる。

 棺桶の中から二体のソレが上半身を起こす。

 上に乗っかっている一体は、薄白銀色の長髪。下の乗っかかられている一体は、白銀色の微妙に長い髪。

 二体の美人のソレ。

 二体の瞳は透明な鏡のように、私の姿を映していた。

 二体の瞳に、私の瞳の翡翠色の燐光が浮かぶ。

 二体の口が少し開く。

 心臓の鼓動が、激痛のように響く。

 絵に描いたような綺麗な歯が見える。

 しかし、そのうちの犬歯にあたる歯が、鋭く尖っていた。

 吸血鬼の歯。獲物の首元に噛みつき、生き血を吸うために鋭く尖り伸びた歯。

 それが私の目の前で、ギラギラと輝いている。

 私は、もう一息もできていなかった。

 視界が徐々に狭まってくる。


「吸、血……鬼……」


 バタン。

 絞り尽くされたような掠れている声で呟き、私は床に倒れた。

 この時、私は生まれて初めての気絶を経験した。

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ラブラット・ハウス 鈴代羊 @suzusirohituji

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