三 駆け寄る邂逅
例年、春のお彼岸の札幌は、墓地もまだ残雪が多く、中に入って墓参りをする人の数は少ない。ただ、最近は温暖化の影響か、三月下旬には軒下や日陰以外の場所は残雪ゼロということも少なくない。この年も、お彼岸の中日には住宅地の雪が解けていたのもあって、光太郎は、様子を見がてら墓参に出かけた。
駅前のスーパーで供花を買い、歩いて一キロほどの幹線沿いにある墓地に着くと、内部は除雪がされていないのもあって残雪が目立っていた。それでも、先に訪れた墓参者がつけた足跡をなぞって、シャーベット状の雪が時折革靴に入るのを感じながらも歩みを進めた。
「わ…また来ている…。誰なんだよ一体」
毎度供えられている花は、いかにも仏花という白や黄色の菊などではなく、ガーベラやトルコキキョウ、オレンジがかったヤマユリといった、さりげないセンスの良さが光り、それでいて主張しすぎない選択というのだろうか、旧来のタブーなど気にしないといった小洒落さがある。勝手なイメージだが、紳士の三歩後ろを歩くような、控えめだが芯の強い女性の姿も浮かぶ。あの人骨は、爺さんが泣く泣く一年もせずに別れたという女性で、墓参しているのは、その子や孫なのだろうか。光太郎の想像は、どんどん膨らんでいった。
その夏も、同じく盆の少し前に人目を忍んだような献花があり、もはや旭家の面々にとっては「慣れっこ」になっていた。ただ、知りたいのは、誰がなぜどのように、ずっしりとした重さのある人骨を、赤の他人の墓に投げ込むに至ったのか。すべて混ぜて供養しても、今のところ祟りもない、いや、祟られても困る…といった現状では、もはや咎めるなどではなく、純粋に、その一点を知りたいだけなのだ。
お盆が明けた金曜の夜。光太郎は、仕事のあと久々に行きつけのゲイバー「ブリリアント」に顔を出した。札幌に戻った年、仕事先で知り合った同年輩に酔った勢いでカミングアウトされ、彼に連れられたのがきっかけで通うようになった店だ。十代の頃からゲイを自覚してはいたが、たまにネットの掲示板で男と会うくらいで、恋人がいたこともなければゲイバーに飲みに出ることもなかった。だが、その彼が十代の頃からゲイコミュニティーで伸び伸びとしてきた様子に触れて羨ましく思ったり、たまに飲みに出てはマスターの健一と話したりするうち、ひた隠しにすることもないと思うようになった。それから程なく、丘の誘いで田ノ上会計事務所が主宰する例のダイバーシティーセミナーにも参加することになるのだが。
どのバーでもそうだが、その日どんな客がいるかはドアを開けるまで分からない。毎回、「健さんとは話したいけど、あの絡みおじさんがいると嫌だな…」と、博打を打つような気持ちで入るのだが、その日は金曜のピークタイムに差し掛かるのに、珍しく先客は一人だけだった。初めて見る顔が、何やら健一と親しげに話し込んでいる。
「健さん、墓ってどうしているの? この前も深夜のニュースでやっていたけど、いま墓地が草生えまくって所有者不明みたいなの、全国あちこちで起きているんだってね」
「奥、行く?」
健一は、そちらの方を指さして、席につくなりすかさず熱いおしぼりを広げて光太郎に渡した。店の中央あたりには、40歳手前くらいだろうか、薄めの顔立ちをした優男風が先客で座っている。彼は、健一の顔を見たまま、こちらを気にしている素振りはない。
健一は、あまり酒が強くない光太郎に薄めの焼酎水割りにレモンを添えてテーブルに置くと、「今日はあなたたちだけだし、腰が固まってきたんで座るね」と言って、ハイチェアに浅く腰掛けた。
「光ちゃん、お盆はお墓参り行ったの? 近くだったよね」
「あぁ。先週行ってきました。また、謎の花が添えてあって」
きぬ子の納骨時に遭遇した「人骨事件」の顛末は、健一にも酒の肴程度で話していた。その場に居合わせた菩提寺の僧侶にも背中を押されて、人骨も友蔵や曽祖父母など先祖の骨壺と合わせて土に還したこと、いったい誰がやったのかも分からないが、将来墓じまいする可能性もあるので、咎めるのではなく連絡がほしい旨の貼り紙をしたこと。それら一部始終を改めて話すと、健一も、不思議がりなから食いつき気味に話を聞いてくれた。
「にしても不思議ね。誰なんだろう。来ているのは、やっぱり、お骨投げ込んだって人だよねきっと」
「親戚も少なくて、親しかった知人にも一通り聞いたけど、誰も来ていないって言われたんだよね。入れられてるのに気付く前から、誰が来てくれているんだろうとは話していたんだけど」
そんな問答の後で、光太郎は、隣の優男風が一瞬ピクッとして顔を引きつらせたのを見逃さなかった。明らかに、先ほどまでの柔和な表情とは一変している。生来の性格に加え、出版社勤務時代には週刊誌の取材記者をしていたことなどもあって、人の表情や細かな変化を見逃さずにキャッチしがちだ。明らかに、今の会話を受けて動揺しているようだった。
優男は、濃紺のぴっちりしたストライプスーツがよく似合う、光太郎が好きな塩顔メガネ男子で、ところどころ白髪が混じりながら、まだ若さも残るアラフォー風情が入店時から気になっていた。色白で、そつなく仕事をこなしそうな真面目さと、ちょっと気が弱そうな雰囲気が、まさにタイプど真ん中なのだ。そんなこともあって、そろそろ健一を交えて何かしらの会話に取り込もうと思っていた優男が、なぜか動揺している。
「健さん、ちょっとトイレ行ってくるね」
優男はそう言って席を立つと、光太郎はすかさず健一に
「何か悪いこと言っちゃったかな。今の人、なんかさっきまでと違って急に硬くなった感じがして」と訊いた。健一は、「え、そう? もともと物静かで大人しい人だから。気にしなくて良いよ」と、あまり意に介していない。
優男はトイレから戻っても、まるでこれから怒られるのを怯えて待つ中学生かのように、膝に手を置いて、足を小刻みに動かしながら、時折天井やキープボトルの棚を繰り返し見るなどして、明らかにそわそわとして落ち着きを失っている。それを見て、さすがに健一もいつもとは様子が違うと察したのか、「ねえ、具合でも悪いの?」と声をかける。
光太郎は、今の会話が何か彼の琴線に触れさせてしまったのかもしれないと思い、
「不思議なことがあって、健さんにはいつも話していたんですが。こっちの話ですいません」などと、動揺の元を探りがてら、当て気味のことを発してみた。そして、
「うちのお墓で、何年か前に祖母の納骨をしようとしたら、樹脂袋に入った人骨が投げ込まれていたんです。で、その場にいたお坊さんに、下も土なので一緒に撒いて土に還しましょうって話になったんです。それ以来、人骨を投げ込んだ人を探していて、お墓に貼り紙もしたんですけど、連絡は来ずにそのままっていう。あ、レアで変な話をしちゃってすいません…」と、やや興奮気味にまくし立てた。
優男は、ただでさえ白い顔をさらに青白くしながら、
「へぇ、そうなんですね。そんなことがあるんだ…。大変、でしたね。健さん、チェックお願いしていい? なんかちょっと飲み過ぎたかも…」と口走りながら、唐突に帰り支度を始めた。
動揺は収まるどころか拍車がかかっているようで、もう一刻も早くこの場を去りたい、そんな態度がありありとしていたが、光太郎は、その様子から「この人をここで逃してはいけない」という思いに駆られていた。ここを逃すと二度と会えないだろうし、直感的に、この人はお墓の何かを知っているか、そうじゃないとしても、一連の話を聞いて身につまされるような何かがあるのかもしれない。何かは分からないが、とにかくこの人を逃してはいけないと思った。好意や下心のようなものもない混ぜになって、それが行動の後押しになった。
「あっ、じゃあ自分もチェックで。すいません、僕も出るので待ってもらって良いですか」
光太郎が、すかさず健一と優男に声をかけると、一席あけて帰り支度をしていた優男は、さらにギョッとした顔を隠さない。健一は、「えっ、でも光ちゃん来たばっかりでしょ? もったいないから、その一杯は飲んでいきなさいよ」と少し強めに返すと、「はーん、分かった」と発して、あとはよろしくやりなさいよという目を添えて、にやりと微笑んできた。優男は引き続き動転しているが、光太郎は、グラスに半分以上残る焼酎の水割りを気合い入れを兼ねて飲み干すと、優男を柔らかに押さえつけるように見た。その圧に観念したのか、優男は軽く息を吐いて、窓の外のネオンに目を逸らした。
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