二 辿れない足跡


「その人」から相変わらず連絡はないが、光太郎は、いつもどこかでそのことを気にする日々が続いていた。

 光太郎が札幌に帰って間もない頃、同級生で弁護士をしている遠山貴行の紹介で、共通の知人である経営コンサルタントの丘俊和と初めて飲みに出かけた際、ふとした会話の流れからゲイであることをカミングアウトした。丘は国際情勢や社会問題にも関心が広く、一体いつ勉強しているのかというほど博識で、光太郎も遠山も、彼がもつ泉のような知性に惹かれていた。

 その丘が所属する田ノ上会計事務所が、クライアントや広く一般向けに主宰するダイバーシティーセミナーを企画して、光太郎や遠山も登壇することになった。ちょうど、渋谷区や世田谷区で同性カップルなどのパートナー制度が導入された時期で、日本でもLGBTやダイバーシティーに関する世間の関心や関連制度拡充への機運が高まっていた。そんな流れもあって、初回開催時は地元新聞やテレビ局が取材に訪れて、それなりに注目された。光太郎も知己の女性記者から、催しの告知と絡めてゲイ当事者であることを顔と実名を出してカムアウトしないかとの誘いを受け、紙面と電子版で全国デビューした、忘れられない人生の節目にもなった出来事だ。

 気心が知れたそのメンバーとの飲み会でも顛末を話すと、一同の食いつきっぷりは想像以上だった。納骨をしようとしたら、そこに見ず知らずの人骨が無造作に投げ込まれていたというのだから、驚くのも無理はないだろう。ましてや、核家族化に加えて、お墓という存在すら疎遠になりがちな昨今では、相当レアな体験かもしれない。「へぇー。そんなことあるんだ。でも、それだとたしかに警察に届ける人は多いかもね。無許可で、赤の他人の墓にお骨を投げ込むなんて。もちろん禁じる法律もあるし、バレたら捕まるから。混ぜちゃったなら後の祭りだけど、なにかの犯罪で処分に困った人骨の可能性とか、考え出したらいろいろあるもんな」

 遠山が、さらりと法律論も交えて感想を走らせると、光太郎は「それだって考えたけどさ」と、やや表情を曇らせた。そして「もちろん、あの場で自分を含めて、そこまで深刻にせず一緒に撒いてしまうとか、おめでたい家だと思ってるよね。すぐ警察に届けないにせよ、いったん持ち帰るとか方法はあったかもしれない。けどさ、後付けなら何とでも言える気もするんだよね。うちのやり方が正解なんて全然思ってもいないけど、とおちゃんだったら咄嗟に完璧な対応するんでしょうね」と当てこすった。

「いや、別にケチをつけたくて言ったわけじゃなくて。単にいろんな可能性があるかなと思って…」と、遠山は、ムキになった光太郎をなだめるように軽く肩を叩いた。

 なぜか不穏になった空気を変えようと、田ノ上会計事務所の所長である田ノ上千恵子、通称ハルさんは「光太郎さん、それは良いを行いしましたね。徳を積んだと思いますよ!」などと、バリバリのキャリア・ウーマンとして一時代を築いてきたが、それをまったく感じさせぬ持ち前のほんわかさで、励ましとも肯定ともつかぬことを言った。どこか、他所様に言うのは憚られることなのだろうという、ある種やましさのようなものを抱えていた光太郎にとって、安堵に似た心強さを受け取っていた。

 光太郎は、その墓地が綺麗に区画された管理事務所もしっかりあるような場所ではなく、隣接の神社から連続する小高い丘のような敷地に墓が点在した場所ゆえ、あんなことに遭遇しても、即座に対応してもらえないことなどを滔々と説明した。そして、別段その場で瞬時の判断を迫られていたわけでもないが、どうしようかと悩みあぐねていたら、善道住職が微笑みながら「すべて一緒に蒔いて土に還しましょう。倶会一処ですし」と即答してくれたことで一同が納得して、背中を押された気持ちになったことも添えた。

 人骨はいったい誰なのか、おそらく、見ず知らずの誰かが埋葬場所に困って、通りすがりにぶっ込んでいったんだろうと続けると、すすきのでゲイバーなど数軒を経営するユウタが、

「それさぁ…。お墓に入っている、先祖に関係のある人とかなんじゃないのかしら。たとえば、お爺ちゃんの愛人とか、生き別れた誰かとか。そもそも、赤の他人が通りすがりのお墓に入れていく? その前からお参りしているとかいう人もいるのなら、お墓の場所もしっかり把握してお参りに来ているわけでしょう?」

 ほんの一瞬静まり返ったのち、光太郎は、ハッとしたような顔をしてユウタを見た。さしたる根拠もなく無防備に「赤の他人が通りすがり説」を思い込んでいただけに、第三者が話を聞いて直感的に感じたことが真実に近いのではと、これまた無防備にそう思っていた。

「ファミリーヒストリーじゃないけど、戸籍とか調べてみたら? 光ちゃんが知らないだけで、愛人と昔からそんな約束をしていたとか。で、お婆ちゃんも、そのことを織り込み済みで、墓の中で『あら、あなたも来たのね』なんて言っているかもよ」

 ユウタはこんな調子で、軽口を叩きながら隙あらば笑いを取ろうとするが、その、独特で鋭い考察には舌を巻くことも多い。ハルさんは人生の大先輩だが、ユウタと遠山は光太郎と同年輩で、それぞれにまったく別の歩みをしてきているのもあって、それなりに長い付き合いで、その都度生々しい出来事を話すたびに何かと新鮮で参考になることも多くある。

 帰り道、光太郎は考えるほどに、祖父である友蔵の愛人、あるいはそうではないとしても、何らかの関係があった人という可能性が高いのかもと思っていた。高校卒業まで同居して爺ちゃん子を自覚してきたものの、自分の知る友蔵は、物心がついてからの、祖父としてのごくごく一面に過ぎない。果たして、若い頃に何があって、婆ちゃんとはどのように知り合って結婚に至ったのか。そんな彼を取り巻く人間関係は、当然ながら、あまりに知らないことが多すぎるのだ。

 どの人でも、子供や孫、パートナーにも言わず、ついに「墓場まで持っていったこと」の一つや二つあるのだろう。そう考えれば考えるほど、この巡り合わせで何かしらの「秘密」にふれたいという思いが膨らんでいた。

 あくる日、光太郎はもみじに、友人たちとそんな話をしたことを話すと、もみじは少し沈黙した後に「それなら話すんだけどさ」と言い始めた。光太郎は、これから自分に黙っていた真実が出てくることを当然ながら覚悟して、やや身構えた。

「今まで言っていなかったんだけど。お爺ちゃんね、お婆ちゃんと結婚する前、別に結婚していた人がいたの。終戦の年に、樺太から引き揚げてきてすぐに結婚して、理由は知らないんだけど、一年もしないうちに泣く泣く離婚したんだって。それが、このことに関係あるのかは分からないけど。でも、その人だって再婚したかもしれないし、そもそも、お爺ちゃんが、うちのお墓に入れなんて言うかなぁ」

 まったくの初耳だったが、もみじも、きぬ子が認知症になってグループホームに入ったあと、姪の千鶴子とお茶を飲んだときに聞いただけで、それ以上のことは分からないという。そして、もみじは友蔵が載った戸籍を見た際、たしかに別の人と離婚の記載はあったが、見ず知らずの女性の名前で、名前も覚えていないと言った。



 そうして「人骨投げ込まれ事件」から二年が過ぎたある日、突然光太郎の夢に友蔵が出てきた。死別して二十年余り、爺ちゃん子だった光太郎が、直後からその登場を願っていながら一度も夢に出てきたことがなく、こんなにも出てこないものなのか、あっさり成仏できているからなのか…などと半ば諦め気味だったのだが、ここで機が熟したとばかりの、視覚的にも鮮やかな登場だった。

 光太郎は、夢の中でありながら、半分は平時の自分自身もそこにいる意識で、人骨の件を聞くなら今しかないと焦った。そしてすかさず、

「あ、聞きたかったんだけど、ほら、お墓に入っていた、あの知らないお骨は誰??」

と当ててみると、

「あー。渡辺のかっちゃんだよ」

と、友蔵は微笑みながら、やけにはっきりと答えた。あまりに明瞭な返答だったので、飛び起きて、忘れないよう、すかさずその名を枕元にあるスマートフォンのメモ帳に残した。

「渡辺のかっちゃん。へぇ。誰なんだ…」

 翌朝、光太郎はその名前があるのかないのか、区役所の開庁を待って友蔵の戸籍を取り寄せた。そこには、たしかに祖母のきぬ子と結婚する前に別の女性と入籍し、離縁した旨の記載があった。しかし、そこに記されていたのは、「渡辺」でも「かっちゃん」でもなく、「末吉久栄」とある。夢に出てきた友蔵がはっきりと口にした「渡辺のかっちゃん」とは一体…誰なのか。

「誰だよ渡辺のかっちゃんって。全然違うじゃねーか…」

 善道住職に助言をもらった翌日には、墓に言われた通りの内容を書いて貼り紙をしたが、二年が過ぎても一向に音沙汰はない。把握しているだけでも、お盆と春秋の彼岸前、人骨の命日をおぼしき前後と、年に四、五回はお参りに来ているというのに。もっとも、墓参する人と人骨を投げ込んだ人物が同じ、あるいは関係者という確証もない。ただ、親族に聞いても誰も行っていないという経緯からも、その人は何かを知っているのではないか、仮に関係がなくても、身内以上に頻繁に墓参する理由が知りたいと思った。

 もみじが、やや唐突気味に話し始めた。

「他に誰がいるだろうかね。あとは…、お爺ちゃんが樺太にいた頃に、孤児を引き取って、引き揚げてきてからも暮らしの世話をしていた人がいるとかって言っていたんだよね。お婆ちゃんから聞いたんだけど、その人には身寄りがなかったらしくて、前の家の2階を幸田さん一家に貸す前に下宿していたとかって。そのあと、水車町の辺りに住んでいるとかって言っていたかなぁ」

 友蔵がきぬ子と結婚する前に、理由は不明だが泣く泣く別れたという、その久栄という元妻かもしれないし、その軍隊の後輩? という人かもしれない。あるいは、通りすがりの人が埋葬場所に困って、投げ入れやすそうな墓にという可能性だって消えてはいないだろう。少なくとも現時点で、人骨がどこの誰かを確かめる術はない。DNA鑑定をしてもらえば、性別や年代など一定のことは分かるかもしれないが。

 謎の墓参者と墓で鉢合わせることがあるかもしれない。万が一の時には捕まえて話を聞くか、あわよくば、貼り紙を見て電話をしてきてくれたら良いのだが、それは期待できないことも承知の上だ。ただ、期待薄だとしても、善道住職の言う通り、こちらから「ボール」を投げ続けておくことに意味があると思っていた。

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