第3話

「今日何からだっけ、授業」

「覚えてないのかよ……」

 俺はあきれながら、逢桜の持っている六法全書を指差す。

「あっ、法学か~」

「それで持ってきていたんじゃないか?」

「いや、なんか六法全書買ったら自慢したくなっちゃって......」

「はぁ」

 俺はあきれた視線で逢桜を見つめる。こいつも頭はいいはずだし、何なら学年でもトップに近かったと記憶しているのだが……。

「どうしてこうなった……」

「履修はほとんどまさくんと同じだから、正直あんま覚えてなかったんだよね。まぁ、結果オーライ!さすが私!」

 こいつのポジティブさ、見習いたいがここまでくるとあほそのものなんだよなぁ。

「おまえ取りたい科目はちゃんととったのか?」

「まさくんいつもうるさいから2個くらい面白そうなのとったよ~」

 うるさい言うな。

「それならよし、大学は本来、勉居をする場所だからな。」

「相変わらず変なとこでまじめだねぇ、高校のころからたまに授業さぼったりするくせに」

 それはどうしても必要な仕事が入ったからなのだが……まぁ説明していないのでしょうがない。俺は両親にすら、この仕事を打ち明けていない。徹底した情報管理、これ大切。

 友人や家族には、「WEBサイト作成のバイト」と言ってごまかしている。

 まぁ、大学に入ってからは本当の意味でさぼることも往々にしてあるのだが……それは普通の学生でもよくやることなので許してほしい。

 

「まぁ、それは別ってことだよ」

「ふーん、まぁいいけど」

 てんてんてんてんてんてんてんてーん(注:チャイム音再現)

 ふいに授業初めのチャイムがなった。気が付くといつの間にか、さっきは人でごった返していた正門前もほとんどいなくなっている。これはやばい。

 当然だが、走っても間に合うことはなかった。走り出した時点でチャイムがなっていたから当たり前である。大人数授業だったとは言え、最初から2人して遅刻とは心象が悪い。


 コーン、コーン、コーン

「次は日本国憲法についてです。資料はアップロードするので、各自持参するように。」

 始業よりかはいくらか文字で表しやすい(それでも伝わらないだろうが)チャイムが鳴ると同時に、教室の空気が弛緩した。

「ふいぃぃぃ」

 逢桜も疲れたらしい。

「疲れたか?」

「そりゃあねぇ……100分はやっぱ長いよ」

 大学の授業は、大学にもよるがうちは100分もの間、授業が行われる。単純に、高校の授業が50分としたら二倍もの間、ぶっ通しで授業が行われるのだ。普通におかしい。俺でさえ疲れて集中が途切れるのだから、逢桜なんかはもっと疲れただろう。心優しい教授なんかは中に休みを設けてくれる人もいるが、それもごくごく一部。

「まぁ、同感だな。でも、次もその次も授業あるが……本当にそんな調子で大丈夫なのか?」

 逢桜は俺と同じ授業を取っているので、逢桜はこの後4コマあるはずだ。すると逢桜はつぶれたヒキガエルのような顔になり、ついでに

「うげーーーー」

 と、まさにつぶれたヒキガエルのような声を出した。

「いつの間にお前はつぶれたヒキガエルになったんだ?」

「そりゃなるよ、二か月休んだと思ったら最初からフルスロットルかぁ……」

「そりゃ最初から授業を詰め込んだお前が悪い」

「そうだけどさぁ……、はぁぁぁぁ……」

 すんごいため息である。どんだけ学校だるいんだよ。

「これから先が思いやられるな……」

 本当に。

 あぁ、そういえば。

「次の授業、根木も一緒らしいぞ」

「おぉ、ねっぎー!ひさしぶりに会うなぁ、相変わらずどっか探検してるのかな?」

「確か、春休みは九州まで自転車で行ったとかなんとかだったような」

「ねっぎー、あいかわらずだね……」

 次の授業のために、逢桜と一緒に移動する。都心に作られたビルキャンパスは全体的にきれいで、建物も新しいものばかりだ。都心の分、敷地は狭いがその分移動がしやすいというメリットがある。だから、10分という休み時間でも比較的簡単に移動することができた。

 真新しいエスカレーターに乗り、六号館の四階、403教室へ足を運ぶ。200人は入れそうな大教室でありながら、ひときわ異彩を放つ、でも俺達には見慣れたやつがいた。

「どうも」

「こんにちは、ねっぎー」

「よう、二人とも久しぶりだな」

 筋骨隆々とした、ぱつぱつのスポーツウェアを来たこいつは根木圭壱。大学に入ってからの友人で、英語と第二言語のクラスが同じだったことから仲が良くなった。大切な友人の一人だ。こいつは探検部という何をしているのかよくわからんサークルに所属していて、よくどっかに”探検”しに行ってる。さっきの九州までのサイクリングも、その一環だろう。

 ちなみに、春なのに根木の肌は少し焼けていた。

「九州まで行ってたんだっけ?」

「そうだぞ、めちゃくちゃ楽しかった!これ、土産な」

 そういって、カバンの中から博多ラーメンのセットと阿蘇の描かれたパッケージのクッキーを渡してくる。

「自転車だから日持ちするものしか買えなかったんだ、すまんな」

 いや、それはいいし、もらえるだけでありがたいのだが……。

「なんで自転車で行ったんよ?」

 そうそう、逢桜、それを聞きたかった。

「決まっているだろう?探検部だからさ」

「いや、答えになってないだろ......」

 てんてんてんてんてんてんてんてーん(注:チャイム音再現)

 ちょうどチャイムがなってしまい、結局探検部というものについてよく理解できないまま授業が始まるのであった。

コーン、コーン、コーン

 再び、弛緩した空気が流れる。

 それと同時に根木は立ち上がったと思うと、

「じゃあな、二人とも。今日から三日間、館山(ちーばくんの足あたり、千葉県民はよくちーばくんで場所を例える)に行かなきゃならねぇんだ」

 そういって、さっさと行ってしまった。相変わらず、よくわからないやつである。結局探検についても聞けなかったし。

 そのあと残っていた一コマを片付けると、もうすっかりあたりは暗くなっていた。

「ふうーーーっ」

 逢桜が大きく伸びをした。まぁ、その気持ちもわかる。いきなり三コマの授業を通しで受けるのは、俺でもきついものがあった。

「ね、この後何か食べ行こうよ?どうせ予定ないでしょ?」

 逢桜が、どこか期待したような目でこちらを見てくる。俺はこの後市ヶ谷にある防衛省に行かねばならないのだが……ここまで期待した感じで見られるとなかなか断りづらいものがある。まぁ断るんだけど。

「この後はバイトあるから無理だ、すまん」

「え~、かわいい幼馴染と一緒にご飯行く以上にバイトは大事なんですか!」

 かなりむくれた様子である。自分でかわいいと言ってしまうのはどうかと思うが、それはそれとして……正直、申し訳ない気持ちもある。だとしたら、ここで公務員の秘儀、”誠意を見せる”を使ってもいいかもしれない。

「わかった、今度なんかおごるよ。千五までな」

 そういったら、逢桜はにぱーっという効果音が出ていそうなほど顔をほころばせた。わかりやすく現金な奴だ。

「絶対だよ、私忘れないからね!」

「はいはい、俺も忘れないよ」

 苦笑いしながら、逢桜を見送る。逢桜の姿が見えなくなったのを確認してから、逢桜の向かった方向――市ヶ谷駅方面へ、後を追うような形でむかう。そして、どこか浮かれた大学生のような気分から気持ちを切り替えた。ここからは、仕事の時間だ。


 俺は市ヶ谷の外堀沿いを歩き、防衛省方面へ向かう。先ほど防衛省といったが、正確に言えば今日の目的場所は、防衛省に隣接している内閣衛星情報センターである。ここは内調の組織の一つであり、その名の通りこの国が飛ばした衛星の画像情報を集め、分析している。身近なところでいえば、大規模な災害が起きた際にその地域の画像を収集し、どの道路が壊れ、生きているのはどこか。どのくらいの規模の災害派遣が必要か。というのを大まかに判断する。

 

 今回は、ある団体に関する調査報告を行うための会議が行われる。場所は、防衛省のすぐ横に備えられた、内閣衛星情報センターCSICE……内調の関連機関だ。最も、行くのは俺一人ではない。

 市ヶ谷駅を通り過ぎて、橋を渡る。そこでいったん立ち止まり、後ろをついてきていた仲間に目配せをする。すると彼女は、すっと人込みを抜け俺のもとへやってきたのを見て、声をかける。

「よう、美玲」

 二人目のくそハイスペック美少女、桜木美鈴。俺と同じ昭法大学法学部に属する。キラキラと長い黒髪をなびかせ、そこまで大きくない身長ながら、スタイルはすらっとしていて可憐。日本人ながら、どこか異国のお嬢様のような堀の深い顔立ち。その白い肌は逢桜よりさらに白く、今にも透けて景色の向こう側が見えてしまいそうだ。俺と同い年の大学生で、俺の仕事におけるパートナーで、もう一人の友人だ。といっても、彼女の所属は内調ではない。公安だ。

 公安、と一口に言ってもその種類は多い。彼女が所属しているのは、その中でも特に仕事内容がわかりやすい公安警察だ。わかりやすく言えば、コナンに出てくる安室さん。

 所属している警察官の三分の一程度が、一般的に「ゼロ」の呼称を受ける極秘の中央指揮センターからの命令を受けて任務にあたる。これは某少年探偵もので聞いたことがある人間も多いだろう。警察庁警備局の理事官が指揮する極秘センターである「ゼロ」の任務はその多くが極秘で、内調に属する俺も知ることはまれだ。内調も内調だが、公安もかなりの謎に包まれている機関だろう。……最も、世界各国で謎に包まれていない情報機関などないだろうが。

 彼女がこの年齢で公安に所属しているのは、俺と同じで前に直接スカウトを受けたからだと聞いたことがある。そのスカウトされたきっかけを、俺は知らないが。彼女に与えられた任務は、俺の護衛。

 え、おまえ護衛されるほどの人間か?とか言わないでほしい。俺もそう思ってる。だが上京と同時につけられてしまったうえ、俺は運動がくそ苦手なのでいざという時に普通に危ないのである。なので正直、助かるといえば助かる。

 彼女の体術と射撃能力は何度か見たが、どれも目を見張るものがあった。頼りになる護衛だ。女子に守られる俺って……とも思わなくもない。おまけに、そこまで厳密な護衛というわけでもなく、それぞれが別の場所にいることも多い。

 ついでに彼女は少し特殊な立ち位置で、俺から仕事を頼むことも許され、俺が携わる仕事の閲覧も許可されている。もちろん「ゼロ」の指令は最優先だが、彼女に対して入ってくることは滅多にない。

 だから、彼女の立ち位置を表すなら護衛兼俺のお手伝いさん……と言ったところか。実際、人手があるのはめちゃくちゃ助かるのでこの面でも大いに助かっている。

 あれ、振り返ると最初は渋ったけどメリットしかないぞ、これ。

 

 さて、今日は彼女も同席して内調と公安、それと公安調査庁である内容について会議が行われるのだが……その的に、少し心配している。様子を見るにいつもどおりだが……彼女、何せ表情が動かないことが多いので内面がよくわからない。

 とりあえず、いつもの調子で軽く話しかけてみる。

「今日は何してたんだ、学校にいなかったが」

「え~、何してたと思う~?」

 いつもの彼女とは思えない、明るくキラキラとした声色と表情……。

「今日はそういう任務だったのか?」

 そう聞くと、彼女は満面の笑みからすっと無表情になる。

「いや……やってみただけ、です」

「お、おう」

 急におとなしい、たどたどしい口調になる。こちらが彼女の素の姿。素では人見知りであり、ある程度仲のいい俺でもこんな感じだ

。なので、ほかの初対面の人らとはもはや。文字通り、会話ができないのだ。

 ……しかし、彼女はそれを打ち壊すやべー才能を持っている。それが、先ほどちらりと見せた――卓越した演技能力。そして、演技の最中は素の人格を無視して、まったく新しい人格としてふるまうことができるのである。それが彼女の才能。正直言って、先ほどのも元から知っている俺に違和感があっただけで、声色や表情に全く違和感はない。初めての人ならば、普通に素だと思うだろうし、彼女は素を隠して人と接することが多い。

 とはいえ、いつもはこんなことをしてこない。彼女は俺に気を許しているので、素でも普通に話すことができるからだ。

 と、いうかぶっちゃけ。

「それ、恥ずかしくないのか?」

「今回のは、ちょっと恥ずかしかった」

 いや、お前も恥ずかしかったんかーい。少しほほに赤みがかかっている。ただ、その横顔も相も変わらず、あまり表情が動いていない。まぁ、美少女ではあるのだが。大体の道行く人は、彼女の美しさに気を取られて振り返る、そういうレベルの美少女だ。ただとりあえず、彼女が割と本気で恥ずかしがっていそうなので話題を変える。

「そういえば、美鈴は履修どうしたんだ?」

「?正成と大体同じにした。当然」

 倒置法つかうレベルで当然なのか?

「去年もほとんど同じでしょ?」

「……そういえばそうだな」

 こいつ、護衛だと言って俺と同じものばかり取るのだ。別に履修くらい粋なものをとってもいいと思うのだが。と、いうか何なら言語のクラスまで俺と同じクラスに来たが。

「それで学年主席だろ?一応護衛されてる側としては立つ瀬がないな」

 そう、こいつ学年主席なのだ。護衛に時々割り振られる任務をこなしながらこの成績は正直バケモン。俺はこと勉学に関して人よりはできるが、才能というほどのものもない。

「?別に、正成ほどじゃない」

「いや、俺には勝ってるだろ。俺はGPA3.55なんだから」

 GPA……高校でも数値が付けられたと思うが、大体それと同じ。0が最低、4が最高だ。まぁ、4は現実的に不可能なのでほぼ無視。それで、彼女のGPAといえば……

「3.9だもんなぁ……」

「正成、てっきり私より高いかと思ってた」

「そんな奴がいたらそれはもう人類やめてるだろうな」

「そんなに?」

「そんなに」(即答)

 

それ以降は会話もなく縦に並んで歩く。左手に防衛省に展開するPAC3(弾道ミサイルを迎撃するためのミサイルだ)が見えたら、もうすぐそこのビルだ。ただ、最初から内閣衛星情報センターに入るわけではない。そんなことをしたら一瞬で敵に身バレするだろう。隠れて情報を収集する我々にとって、顔ばれは仕事生命の終了だ。仕事の際は、相当慎重に行動しなければならないのだ。

 ということで、最初に入ったのは、センターに隣接するJICAの施設。一般の人間でも、ここには立ち入ることができる。表面上俺と彼女はJICAにボランティアで来てる学生、という設定だ。JICAの人事システム上にも、俺たちの名前は登録されている。――余談だが、ここに併設されたカフェのメニューにはJICAに関連する様々な国のメニューがあり、たまによくわからない料理が出ていたりするので、興味があれば来てみるといいかもしれない――。

 その施設に入り、少し奥まった場所にある階段を降り、地下1階へ、地下に行くと関係者用の扉があるので、キーを通してそのまま通路を歩けば、センターの地下1階に到着だ。

 今日の会議場所は地下1階なので、そのまま会議室B103と書かれた部屋に入る。部屋に入ると、太い声で声をかけられた。

「二人ともお疲れさん」

「お疲れ様です、室長」

 筋肉でスーツがぴちぴちな彼こそが俺の直属の上司、武口勇夫内閣情報官だ。内調のトップに位置し、また国内に存在する情報機関のとりまとめも行うスーパーエリートだ。でもその実優しく、俺もそのやさしさに助けられたことも多い。気さくな方で、本当にいい上司に恵まれたと思う。

「相変わらずひょろいなぁ、お前。そんなんだから女の子の護衛を付けられるんだぞ」

まぁ、たまにうざいと思う時もあるけど。

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