第5話 やりたい事とやり残した事。
季節は夏から秋に変わる。
仕事をすれば年末商戦。
年末メニューの話しになる。
ファミレスも他飲食も同じだろうが、クリスマスはバイトが入りたがらない月末週でしかないし、年末年始もなんか混む月末月初でしかない。
イベントごとへの憧れなんかは早々になくなる。
憧れが捨てられないもの、憧れを捨てさせてもらえなかったもの、そんな人々が早々に辞めていく。
それだけだった。
・・・
そんな年末が見えてきた9月半ば。
谷根千の次のデート地は清澄白河駅集合だった。
清澄白河は、昨今カフェの街になっていたので、ブラブラしてコーヒーを飲み、清澄庭園で時間を潰す。
そしてそれを広島紫は「とても楽しかったです」と言う。
本当か?と気になって、休みが被らずに夕飯だけ共にした日に、「広島さん、無理してない?」と聞くと広島紫は「嫌ですか?」と質問に質問を返してきた。
「嫌とかはないんだけど、僕に気を遣って無理とかしてない?」
市原黄汰が更に質問を返すと、「あれが私のしたい事です」と広島紫は答えた。
「え?」と聞き返すと「嫌ですか?」とさらに聞かれる。
「嫌ではないけど、理想のデートコースとかを聞いてもいいかな?」
市原黄汰は「なんとまぁ」と口にしないで済んだが、広島紫は都立庭園愛好家だった。
成程、それで六義園と清澄庭園、そしてその前に申し訳程度の観光をするのかと納得をした。
「それなら言ってくれたら、もっと清澄庭園も、六義園も時間取ったのに」
「いえ、また行けばいいので、一周回ってベンチで落ち着いて景色を見て、喧騒から離れてホッとひと息付ければ十分なんです」
また?
そう、広島紫は四季折々、市原黄汰の意見がなければ、東京都の庭園を巡回したがっていた。
「嫌がらずに着いてきてくれる市原さんはありがたいです。友達は違う庭園でも二度目は嫌がります」
市原黄汰はようやく大体のことが読めた気になった。
奢りご飯を極端に嫌い、性交渉を忌避し、デートは都立庭園に行きたがる。
しかも何度も行くし、一回がそんなに長くない。
それこそ市原黄汰のように年上で、アクティブに動けば疲れてしまう男性にはちょうどいいが、広島紫と同年代の男達は退屈極まりない。
仮に趣味がカメラか何かの男性なら、うまく行くかも知れないが、性交渉もお断りで、カメラを構えて撮影しようとしても、「もういいです。帰りましょう」なんて言う広島紫とはやっていけない。
「それなら広島さんはどんな所で何をしたいの?」
「本当は冬の小石川後楽園に行きたいのですが、冬で寒いですし、一応考えたのは春になったら飯田橋に集まって、釣り堀で釣りを少ししてから小石川後楽園まで歩くルートです」
キラキラと話す広島紫はとても可愛らしい。
娘に対する気持ちに近い。
市原黄汰が穏やかな笑みで「いいよ。何個か候補を立てておいて」と言うと、広島紫は嬉しそうに「ありがとうございます!」と言う。
「まあ、やりたい事はやっておくに限るよ」
つい感傷的に呟いてしまうと、広島紫が「市原さんにはそういうものは無かったのですか?」と心配そうに聞いてきた。
「はは。ずっとこの仕事だからね。やれる事はやったけど、できなかった事は早々に諦めたよ。そしてもうこの歳だからね。今度はやれる時間ができても身体がいう事を聞かないよ」
「何がしたかったんですか?」
市原黄汰は過去を振り返りながら、ポツリと「心残りはキャンプやバーベキューかな?」と呟いた。
「やれば良かったんだけど、意気込んだ日は台風直撃で、後始末とかそういう方が面倒で、もうやろうとは思えなかったよ。本当、この歳になると用意も大変で、せっかくやっても若い頃みたいに、食べられないし飲めないしね」
情けなさそうに笑ってアイスティーを飲む市原黄汰に、広島紫が「市原さんはお酒を飲まれるんですか?」と質問をした。
「少しね。広島さんは?飲みたかったら頼んでいいんだよ?」
「1人では飲みませんが、お付き合い程度なら飲みます」
「じゃあ今度は居酒屋さんご飯にしようか?」
「はい。よろしくお願いします」
普通のカップルならこの後があるが、広島紫にそれはない。
食後にさっさと駅で「ありがとうございます。楽しかったです」と言って駅に消えていく。
これが同年代ならうまくいくわけがない。
翌週の市原黄汰は、クレーム対応と問題を起こした店舗のヒアリングで、スケジュールが大幅に変わる。
その結果、その翌週の休みが広島紫と被る事になった。
[市原です。今週は土曜日と日曜日にクレーム対応で南地区の方に行きます。代休は水曜日にしました]
[広島です。お疲れ様です。連絡ありがとうございます。それでは水曜日に時間をください。その日は昼前に会って、夜を回るくらいまで空けてもらえますか?]
なんとも味気ない。
[わかりました。決まったら連絡をください]と送ると、可愛らしい猫のスタンプが届く。
いまいち掴みどころのない不思議な女性。
それが広島紫だった。
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