3.美しき人魚

「ベルシレー」は、古い言葉で「麗しきシレーヌ」という意味と、新しい言葉で「美しい砂浜」という二つの意味がある。長く真っ白い「白雪の砂浜」は、別名「シレーヌの庭」と呼ばれていた。人魚が月光浴をする、という伝承がある。


浜を守るように突き出た細い半島があり、「人魚の足留め」と呼ばれていた。大波が、まるで「足留め」されたかのように、ここで止まるからだった。


夏の終わりは雨風が激しい時期もあるが、だいたいは穏やかで温暖な気候だ。温泉にも恵まれ、昔から保養地として名高い。海の幸だけでなく、背景のラビアンカ高原からの、山の幸と名水にも恵まれていた。


港は、ほぼ純粋な漁港で、貿易船はほとんどナンバスに停泊するため、昔ながらの漁村の風景も色濃く残っている。海のもので、採れないものは真珠と海獣と流氷くらいだ、と言われている。




昔、ここで、俺とルーミがディニィに協力する少し前、「ある事件」が起こった。




この付近は、海の近くなのに、水のエレメントに偏りがなく、バランスの良い土地柄だった。しかし、当時の魔法院は、安定した土地のエレメント観測も行っていた。


問題の年、ベルシレーでは、冬場に土のエレメントが増幅せず、弱まるはずの水のエレメントが、不自然に強くなった。火と違い、爆発することはないが、海沿いである事から、ラズーパーリの事件を受けて、魔法院は警戒した。


冬から春は、「足留め」の外側の停泊所に、船と人が集まる。この時期、海流に乗ってやってくる、大型魚をとる船を出すためだ。


付近には普段は大型魚はおらず、採るならかなり沖まで出ないとならない。だが、沖に出るほど、モンスター化が危険な大型海獣の出現率が上がる。海獣系モンスターが、近海に出没するロサマリナと異なり、ベルシレーでは、漁民には、海でモンスターと戦って漁をする、という習慣は無かった。


魔法院は、外側の漁を見合わせるか、大型魚用の船は内側に停泊させ、毎日内側から出港するように要請したが、男爵(現男爵の父)は聞き入れなかった。


「今年は、嵐の季節は例年より穏やかに過ぎ、漁も養殖も順調だ。こういう年は、大型魚もよく採れる。だから、見合わせるのはあり得ない。」


「内側の停泊地から出ると、時間のロスになる。その分、領民に損失が出る。そんなことはあってはならない。」


と言うわけだ。


これらは地元としては最もな理由だ。確かに、穏やかな海を見て、急に避難しろと言われても、住民には、ぴんとこなかったろう。


だが、クキュトー男爵は領民には説明せず、自分の所で、話を止めていた。彼は、元は魔法院にいたが、当時の院長(宰相で、エスカーの師匠だったティリンス師)とは、別の派閥だった。恐らくこれが理由と思われている。


何もなければ問題は無かったが、何もないまま終わる訳はない、というのが、こういう話の約束ごとだ。


ティリンス師は、「研究補助」の名目で、エスカーと、魔法官を何人か気象観測所に送った。観測所は、魔法院と神殿の共同管理だった。古代神殿の研究所も兼ねていて、というより、神殿に観測所が間借りしているような物だった。エスカー達は、そこから観測船を出し、毎日、漁の様子を見た。


ある日、漁師の網に、「すごい大物の気配」が来た。途中まで、皆、喜びに色めきたったが、それは唐突に恐怖に変わった。網に引っ掛かったのは、大型化した、水の複合体のモンスターだった。


幸い、エスカー達の活躍で、死者は出なかったが、苦しんだモンスターは暴れ、断末魔に、船を二隻、巻き込んだ。元になった魚は、普段はもっと南の海の、比較的深めの海にいるタイプだった。当然、地元の者は見たことがなかった。南でモンスター化して、流れてきたのか、流れてきてからモンスター化したのか、詳細はわからなかった。結局、一匹しかいなかった所を見ると、前者だろう。


退治した後は、エレメントは戻った。


男爵は「代替り」した。もともとかなり高齢で、跡取りは既にいい年だった。引退の話は前から出ていた。


後から解った事だが、地元の漁師からは、


「海がおかしい。」


という声も上がっていた。普段は見ない派手な魚が網にかかったり、小型魚の中に、妙に歯が鋭いのがいたり、海草が急に爆発的増殖したり、などだ。養殖の貝や魚も、例年より大きく育った反面、天敵の食害の発生率も上がっていた。


後に、各地で起きたエレメント絡みの事件からしたら、小さな事件とも言えるが、地元には大事件だった。




ベルシレーに俺達が到着した時、グラナドは凄く歓迎された。


「町を救った、ヴェンロイド師の息子」


としてだ。


感謝を表明されるたびに、グラナドは、ほぼ表には出さなかったが、僅かに戸惑いの表情を見せた。彼からしてみれば、エスカーの子と言うことは、公の場では、良い意味で使われた事のない事実だったからだ。


「すいません。ご説明しておくべきでしたが。」


と、迎えに出た男爵の長男マルケスと、同行してきた神官のファランダと、新しい大学の学長に就任した、海洋学者のモビル博士に、同じことを言われた。


グラナドは、エスカーがしたことは知っていたが、領民が、今も強く感謝の念を持っている、とまでは知らなかった。


「別に、こだわっちゃ、いないよ。」


とグラナドは、俺だけに言った。


「魔法院には、前の院長の論文が、多量に残っている。研究を続ければ、嫌でも読まなきゃならん。


どれだけ有能な人物だったかは、読めばわかるからな。」


グラナドの言葉に、俺は勝手ながら、「救い」を感じた。


「だからと言って、それで『昔の人間関係』が、すっかり解決する訳じゃないが。」


と付け加えられたにしても。




当然だが、今の人間関係のほうが、より複雑で重要な物だった。




現男爵は、ずっと臥せっていた。ユッシと同じ発作たが、クーデターで、マルケスが死んだと誤報が入ったため、それで急に倒れたそうだ。


その時に、何かでもめて、現在の夫人(五人目)は出ていってしまった。離婚はしていない。双子の息子と娘のうち、息子は連れていったが、娘は置いて出た。現在は行方が知れない。


夫人は地元の漁師の娘だったが、母親は南クシウスの出身で、離婚して実家に帰っていた。その母親のところに行く、と言っていたそうだ。妻はともかく、連れ出された赤ん坊の息子を、取り戻そうとしないのは、ずいぶんドライに感じたが、クキュトー男爵家は、伝統的に、男子であれば長男次男の順番によらず、兄弟の仲で一番優れた者が継ぐ、という相続方法をとっていた。一見良い制度だが、昔の「優れた者」は「陰謀の果てに生き残った者」だ。シスピアの戯曲「マクガイア夫人」にも描かれた、血なまぐさい骨肉の争いが絶えなかった。


今は長子優先になっているが、争いの種は少ない方がいい、と思ったのだろう。


この出ていった五番目の夫人は、元は四番目の夫人についていた小間使いで、男爵とは、親子どころか、孫ほど年が離れていた。なお、四番目の夫人は、小間使いの妊娠を知ると、離婚してナギウの実家に戻っていた。しかし、元夫が倒れた、と聞いて、つてで優秀な医師と看護師を世話していた。庶民だが、ナギウの医師の娘で、結婚年数も最初の妻の次に長かった。マルケスを育てたのも彼女だった。


マルケスは、三番目の妻の息子だった。彼の母親が、ラエル家の姉妹の親戚にあたる。待望の息子を産んだ後、ほどなく肺炎で亡くなったそうだ。




ラエル姉妹は、ベルシレーに滞在していたが、男爵の屋敷ではなく、ラエル家の別荘にいた。


身内とは言え、いわゆる育ちの良いコーデラの女性は、自分たちだけで、独身男性のいる屋敷に、長々泊まり込んだりはしない。たとえその屋敷への訪問が目的でもだ。グラナドが男爵の屋敷に滞在するわけだから、尚更である。俺たちも、ミルファとカッシーは、大学の女子寮(まだ学生はいない)に、レイーラは、ファランダと共に、神殿の宿舎に泊まった。イシアほどではないが、ここの神殿は、古代遺跡の研究施設も兼ねていたため、設備は良かった。




グラナドは、大学で儀式に出る間に間に、例の郷土資料館に脚を運んだ。ユシーロ館長は、年配の男性を想像していたが、まだ二十歳過ぎくらいの、若い男性だった。最初に資料館を訪問した時、彼の祖母と名乗る女性が同行していて、いきなり泣きながら、グラナドに感謝の言葉を述べた。ただし、グラナドにではなく、エスカーに対する物だった。高齢のためか、その辺りの区別が着かなくなっていた。


「申し訳ありません。ヴェンロイド師に、私の父と祖父を助けていただいたので、どうしても、お会いしたいと言いまして。」


と、祖母を看護師に連れていかせた後、館長は恐縮した。グラナドはあくまでも笑顔で答え、レイーラやシェードは感動していたが、俺は、


「わかりますが、このような事は、事前に一言、お願いします。」


と、思わず口を出してしまった。あの老人に悪意があるとは思わないが、悪意のない者を利用しようとする者は、いるからだ。


ユシーロ館長は、もう一度恐縮し、改めて資料館を案内した。


私的には、旅の目的はこれだったからだ。


資料室内部に入ると、いきなり、


「グラナド!」


と、明るい声がした。ラエル姉妹がいた。声をかけたのは、ガーベラだった。


「二人とも、どうして。」


と、ユシーロは純粋に驚いていた。助手らしき青年が、


「お約束では?」


と、さらに驚いていた。


バーベナが、


「え、違うのですか?」


と、妹とグラナド、ユシーロを交互に見た。どうやら、ガーベラの「勝負」だったらしい。


俺は何か言いたかったのだが、何を言っていいか、わからなかった。舌を巻かれた、みたいな状態だ。呆れた、と言ってもいい。ハバンロは呑気に、


「警備の私達に、伝えてもらわないと。」


とグラナドに言った。


ミルファが同行していいるのに、遠慮ない態度だが、今回のガーベラは、露骨に間に入ってくるような事はなかった。パーティー会場と資料館では、同じ作法で、というわけには行かないから、当然ではある。会話も、資料や民間伝承の話に限られた。シレーヌの話は、バーベナから聞いた物だが、彼女は聞き役に徹していた。むしろミルファやレイーラを始めとする、女性陣と話していた。妹に「まかせた」ということになるのか。


肝心のシレーヌ族の話については、あまり進展はなかった。文献資料は民間伝承のみ、絵や彫刻、壁画の写しはあったが、シレーヌ族の鱗、と呼ばれている七色の扇形は、「虹貝」という、大きな貝の殻や貝母を加工したものだった。時代だけは古く、つい最近まで、信じられていた。


また、五年前まで、この地にも、シレーヌ族の能力を持つ女性がいたが、大変高齢であったため、既に他界していた。その人の子供や孫、ひ孫には、今のところは、能力を持った者は現れていないそうだ。


レイーラが、がっかりするかな、と思っていたが、彼女は、壁画に感動していた。プリミティブな絵で、人魚が何人も浜で甲羅干しをしている様子が掛かれているだけだった。人魚とわかるのは、両足が黒く塗られていて、鱗らしきラインが描かれていたからだ。


「元の壁画は、『シレーヌの抜け道』にあります。『足留め』を貫く、トンネルのような鍾乳洞です。残念なことに、水位が上がって、今は水没しています。これは、三代前の男爵が、模写させた一枚で、男爵家から、お借りしています。他の絵は人魚とは関係ないので展示していません。


壁画は古代神殿にもたくさんありますが、保存状態はこちらのほうが良かったのに、残念です。」


館長は語った。脇に展示してある古文書には、似た挿絵がある。こちらは、人魚が一人で、祭壇に寝そべっているが、ポーズは壁画の人魚とそっくりだ。壁画のほうは、上半身は裸だが、古文書のほうは、ベールのような服を着ていた。古代の文字で「海に出る祈り」とあり、人魚に向かい、漁師が祈りを捧げている。もう一枚似た絵があるが、そちらは水彩画で、人魚は魚の下半身をしていた。


「シレーヌ族は、水に関する能力があっても、下半身が鱗や魚ではありません。だから、人魚とは別物ですが、各地に伝わる話では、混同されています。年代は壁画が突出して古いので、自然に、はっきり描かれているものを一つ、と言えば、これですね。惜しいことです。」


と繰り返し惜しんだ。グラナドは、


「古文書のほうは、全体は見れないかな?」


と尋ねた。答えたのはガーベラで、


「海から来た女神に、豊漁と晴天を祈る、だけよ。」


と言った。だが、バーベナが、


「海からやって来た者に、豊漁を祈った、よ。」


と訂正した。館長が補足し、


「天候の部分は、『天に祈る』と書かれています。別々の対象に祈りを捧げているのですが、『天』に該当する絵がないので、両方とも、人魚に捧げているとも取れます。」


と解説した。


一通り見たあと、昼食は館の直ぐ外の古式な店で取った。予定の行動だが、姉妹も一緒なのは、予定外だ。カッシーが気を聞かせて、店に連絡していたが、予定の時間より、やや遅くなった。


だが、姉妹は、直ぐに帰宅することになった。今日は妙に温かく、冬服だと汗ばんだ。店はまず、冷たい飲み物を用意してくれたが、皆で飲んだとたん、ガーベラが叫び声を上げた。


飲み物は炭酸水だったのだが、彼女は炭酸が駄目だった。体質なのか好みなのかわからない。咳き込んで、むせた様子で、ようよう


「炭酸、飲めないのに。」


と泣きながら、店主を睨み付けていた。が、バーベナが医師に行く、と、さっさと連れ帰った。


店主は、店の子に、


「ラエルの下のお嬢様には、炭酸は出すな、と言っただろう。」


と叱ったが、店の子は、


「炭酸じゃなくて、ミネラウォーターの方を使いました。」


と言った。天然水は弱い炭酸なのだが、その店員は、炭酸とは認識していなかったようだ。地元の者にありがちで、と店主はグラナドに謝罪した。


「こちらが急に変更したから、かえってすまない。」


とグラナドが締めくくり、昼食の咳では館長も交えてシレーヌの話になり、姉妹の話は、それ以上はなかった。


午後はファランダの案内で、神殿の資料室を巡った。その時に、少しだけ、姉妹の話が出た。


お茶をいただいたのだが、今日は暖かいから、地元のミネラルウォーターもあります、とファランダに言われた。ハバンロが、


「さっき、こういうことがありましてな。」


と、語った。


ファランダは、ああ、そういえば、と、姉妹のエピソードを話した。


二人とも、一度、神官を目指したが、バーベナは魔法結晶との相性が良くなく、ガーベラは炭酸水も粉薬も駄目であきらめた、という話だ。


「魔法結晶は、子供のうちは水に馴染ませてとるのですが、そうすると水は炭酸になってしまいます。炭酸が苦手な人には粉末ですが、彼女はこちらも駄目でした。


オブラートでくるんで取り込めたのですが、後で吐き出してしまいました。バーベナさんのように、相性が悪いだけ、ではないようですが。」


これを聞いて、ミルファが、


「王宮でお菓子をもらった時、彼女、吐いた事があるわ。キャラメルとバターのクッキーだと思ったけど、塩辛い、て言ってた。


大人は『躾が悪い』と言ってる人がいたけど、ルミナトゥス陛下は、心配してたわ。」


と思い出話しをした。グラナドも覚えていて、


「クッキーじゃなくて、園遊会で出たパンだ。ソーダブレットに、個性的な味付けの果物が入ってた。リュイセント伯爵が好きなやつだ。


まあ、旨いかどうかは個人差があるか。パンは得にどうということはないが、果物は甘いか、塩漬けみたいな味か、極端だからな。」


と話した。


俺はふと、別ワールドで、


「無塩バターは悪魔の食べ物だ。」


と主張していたカルトを思い出した。魔族が栄えて滅び、伝説しか残っていない状態で誇張され、悪魔と伝えられていた。彼等には、塩や辛子、ニンニクを嫌う、という特徴があったからだ。


もし、ガーベラがそこに行ったら、魔女扱いだったかもしれないな、と、おかしな事を考えた。




しかし、今回の「符号」「塩」にはなかった。今までさんざん示唆されていたのに、俺は見落としてしまっていた。






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