5.三色菫のいわれ

グラナドを見分けた老人は、元は王都の役人だった。引退してすぐにクーデターで、王宮務めの息子を失った。義理の娘は、孫達を連れ、彼女の故郷のタルコース領に移り住んだが、自分は遠くに行くより、「老人の集まる開拓村」に来た。


グラナドは、魔法院に入ってからは、殆ど公務に出なかった。当時の魔法院の方針でもあった。成長期に人目を避けた事になるため、今、一目でそれと解る者は、王子の立場からすると、数が少ないほうだ。


グラナドがかけた労いの言葉に、老人は泣いていた。


彼は王都にいた頃は、グラナドの批判者だったかもしれない。年配者のほうが、そういう問題には厳しい。


ハバンロが、仲間だけになった時、


「貴方に厳しい団体の『古老会』という組織は、は、引退した役人や何かが中心と、聞いたことがありますぞ。カオスト公が支援しているというのも。」


と言ったが、当のグラナドは、


「彼がそうだと確証はない。そうだとしても、本来なら、平和に俺への批判だって続けられたはずだろう。」


と答えていた。ハバンロは感動していたが、俺はグラナドが、王族の心構えと、個人として抱く陰りを、一緒にしてしまわなければ良いが、と考えていた。




「お忍び」は終わってしまったため、ゴージュを出る時は、ソーガスを含めた騎士が五人、魔法官が三人、学者が一人、医師が一人、速攻で迎えに来た。学者と魔法官三人は、水源の調査のためで、医師はレパルド達のため、騎士はグラナドの迎えだ。責任者はソーガスになるので、彼より若い騎士ばかりだったが、オネストスの姿はなかった。ソーガスは冗談めかしく、「また新しい美人に捕まってまして」と言っていた。実の所は、別任務に着いたようだ。


メリーラは、意識は無かったが、大怪我も無かった。意識を回復した彼女と、仲間の証言によると、ケイヴィンは、メリーラを拐ったが、彼女の意思を完全に無視するつもりはなく、扱いは一応、紳士的だった。老人や他の移住者は、女性ボランティアがきたらしい、程度に思っていた。逃げ出さなかったのは、メンテナンスのため、宝石店に預けていた、結婚式用のアクセサリー(花の耳飾りなど)を、どうやったものか、ケイヴィンが手に入れていて、返してほしかったら、大人しくしろ、と言ったらしい。


彼女が意識を回復する前、ラルフの母と、メリーラの父が、婚約を解消する、しないでもめていた。ラルフ母サイドからは「婚約者のいる女が、宝石に釣られて男と外泊した。」(自分の息子との式に使う、特別な意味のある装飾品なのだが)、メリーラ父サイドからは、「そっちの身内だから顔を立てて、頼りない優男のレパルドに内密に頼んだのに、結局、おおっぴらになった。」(実力のあるギルドメンバーなのだが)、と罵声が飛び交った。だが、ラルフが、メリーラと結婚する意思に変わりない、もめるなら、二人で街を出る、とまで言い、ラルフ父とメリーラ母が後押ししたため、婚約解消は無くなった。ただし式は延期だ。




彼女が意識を無くしたのは、地下から「霧」が出た時に、一部吸い込んでしまったからだった。レパルドによると、


「地下から何か出てきた時に、俺は魔法盾で咄嗟に身を守って、彼女を盾に引き込んだが、立ち位置が離れていたため、カバーしきれなかった。霧が吹き出し、水が溜まる前に、動ける全員で地下から出た。彼女も、その時は自分で動けたが、出てから意識を失った。」


という概要だ。




ゴージュが大きな街ではないため、直ぐ出るつもりだったが、市民から、「素通りさせては街の名折れ」、との声が上がり、市長や街の名士を交えて、教会前のレストランで、遅い昼食会だけ簡単におこなった。関係者のうちでは、リロイとタマーラ夫妻の他は、カロフが来ていた。市長夫人が、「イマーラは心配だったけど、しっかりした子になったのね。」と言った時、タマーラはとても嬉しそうだった。


出発の時、駅で、市民から、三色菫の小さな花束を貰った。コサージュになっていた。グラナドは、他にも受けとる物があったので、「ちょっと持っててくれ」と、俺に渡してきた。


見物人の中から、「ああ、外れた。」「そう来たか。」「勝ちはいないな。」と小さいが興奮した声がした。誰に渡すか(おそらくミルファ、レイーラ、カッシーの誰か)賭けていたようである。


三色菫は、花嫁の飾り、だったか。ならミルファに、と思ったが、俺から渡すわけにも行かず、列車に乗ってから、グラナドに返そうて、とりあえずポケットに入れた。乗車して程無く、女性陣の個室の物入れの扉が固く、手伝って、と言われたからだ。固さは、扉のせいではなく、古いタイプの止め金が、一見そうと分かりにくい見かけになっていたからだった。


部屋に(グラナドと俺、ファイスで一部屋)戻ろうとすると、廊下にファイスがいるのが見えた。休憩室の車両との間にある扉の所にいる。グラナドはいない。


ファイスに聞くと、


「殿下は、カロフといる。」


と答えた。


カロフの部屋は、休憩室の車両を挟んだ隣だった。その向こうはソーガス達がいる。気にするほどではないかもしれないが、様子は見ておこう、と、一人で隣に向かった。


休憩室、といっても、構造上は大きな個室だ。廊下と壁はあるが、ドアはない。


「それじゃ、どう解釈しても、イマーラが一番悪い、は通らないんじゃないか?丸投げしてた奴等を責めろよ…と、それもどうか。ガキにガキの集団を任せて、ガキに責任取れ、は無いな、そもそも。」


とグラナドの声がする。


「違いないが、直接原因作った子が死んでしまうとな。一部連中の矛先は彼女に向かった。最終的には、彼女は無実、に収まった。後には、タマーラの言うところの、『悪くもないのに卑屈に謝るイマーラ』が出来たわけだ。」


カロフの饒舌が響く。


ファイスが遠慮したのは、ドアがなくて丸聴こえだからだろう。


「だから、メリーラとの結婚、母が昔の話をくどくど言い出さないか、心配だった。死んだ子の家族は、引っ越してしまって今はいないが、母は仲が良かったから。兄貴は逆らえないし。いや、もう、『逆らえなかった』、だな。」


続いて、グラナドが、メリーラは姉と妹とどっちに似てるか、と聞き、カロフが、中間くらいか、と答えた。


「結局、式は来月か、次は戻れるのか。」


とグラナドが聞いた。カロフは、「兄貴には悪いが」と前置き、


「実は怪しい。ほぼ定期的に引き受けてるのがあるし、来月の今ごろなら、たぶん重なる。依頼主は、今から行くクエストと同じ人だから、ついでに話して見る。本来はハンネルの仕事だったから、代わる、と言うかもしれない。」


と続けた。


「ハンネル…て事は、コホンのキズイショウバチ関連か?」


キズイショウバチ、ああ、今回の件と似てる、と言ってたな。機会があれば、聞きたいと思たていた。


だが、続く話は無かった。急に静かな社内に、対して大きくもない、列車の音が響く


「…いいや、あれは、もう冒険者ギルド案件じゃない。虫には違いないが、ツーガのアイスニードルだ。」


カロフの声が妙だ。腹を探るような緊張が支配する。キズイショウバチに何かあるのか。いや、違う。


「俺は、気にしてない。」


とグラナドの声。


「最初があれなら、確かにきつかったかもな。だけど、『質』は違うが、もっと酷い所から逃げてきたんだ。」


「グラナド…。」


「それに比べたら、まあ、『男はいつかは通る道』だろ?」


明るい声だ。笑っているのがわかる。また間が空き、もう一度、小さな声で、カロフがグラナドの名を呼んだ。


「悪い、今はそれは無しだ。」


と、グラナドが言った。言い方に聞き覚えがあった。


《俺は、そっちはやらない。》


最初に会った時に、グラナドが勘違いして言った言葉だ。


ひっかかり、部屋の中を見てしまった。


二人は、ゆっくり離れた所だった。正確に言うと、グラナドが長椅子に背を預け、カロフが離れる所だった。俺には気づいていない。気づいていたら、取れない距離感だ。


「昼間だしな。」


とグラナドが付け加えたが、カロフは、


「相変わらずだな。昼も夜も関係ないだろ、断るとなると。そういう時は、『他にいるから』と言わなきゃ、期待してしまう。」


と、気を悪くした様子もなく、軽く微笑んで、離れて座り直した。


「別に、そういう訳じゃ…。」


「いや、今さら。紹介された時、どっちか迷ったが、コサージュを渡したから。三色菫を。」


花は、俺のポケットにあった。潰れてはいなかった。


「ゴージュで、そういう意味のある花とは知らなかったよ。街の花、てのは聞いてたが。あいつが、たまたま近くにいたからだ。


そういえば、この時期の花じゃないよな?」


グラナドの声に焦りなどは欠片もない。カロフは、やや上機嫌に、そらされた話題をにやりと飲み込み、花の説明を始めた。


「聖女コーデリア関連でも、シスピア絡みでもないが、ちょっとした伝承があるんだ。


孤児の貧しい庭師がいた。腕が良かったので、後ろ楯が無くても、ある男爵に引き立てられていた。男爵には、三色菫の好きな、美しい一人娘がいて、二人は恋に落ちたが、身分違いの恋は、叶うはずも無かった。娘は、釣り合う家柄の相手と婚約した。男爵は、庭師を気の毒に思い、王宮の一流の庭師の弟子に推薦した。出立の日、二人は、『三色菫の季節には、私は貴方を想います。だから、貴方も私を想ってください。』と誓い、別れた。


歳月は流れ、娘は母になり、祖母になり、穏やかな老後を送っていた。ある秋の日、彼女の何十回目かの誕生日の事だ。夫には先立たれていて、彼女も患ってはいたが、子供や孫に囲まれて、穏やかに楽しく過ごしていた。そこに、王宮から、見事な三色菫の花束が届いた。季節外れだが、美しい花束には、手紙が添えられていた。


『先日亡くなった、恩師の遺言で、男爵夫人にお贈り致します。恩師と私たちの、研究の成果です。』


…男爵夫人は、花束を抱え、優しく微笑むと、静かに息を引き取った。」


「変わった話だな。でも、どこかで聞いた気がする。」


「まあ、よくある身分違いの悲恋の伝承だ。純粋に伝承じゃなくて、街の花が決まった時の創作だろうな。街の花は園芸品種のほうだから、秋も冬も咲く。この話の時代設定なら、多分、原種のほうだろうし。


確かナンバスにも似た話があったが、そっちは土地柄か、駆け落ちしてめでたしめでたし。地元贔屓な訳じゃないが、悲恋のほうが、田舎にはしっくりくる。何のしがらみもなく、叶ったら違和感があるだろ。この手の恋物語は。」


「確かに、ナンバスの話なら、悲恋にはなりそうにないな。」


「そうだな。叶うはずのない恋だから、物語になる訳だ。」


またしばらく、とは言っても数秒だろう、二人は無言だった。これは、何の仄めかしの物語だ。絶望なのか希望なのか、はたまた両方なのか。俺は、ドアが無い部屋に、踏み込む事ができなかった。


「ところで、それで思い出したが。お前、レパルドはどうするんだ?」


何故か急に彼の話になった。カロフは、


「そう来たか。」


と、ユーモラスな舌打ちをして見せた。


「…あいつにとっての俺は従兄弟、いや、『兄貴』だ。それ以外には成れないし、あいつもそれ以外は望んでいない。」


カロフは、一瞬、宙を見て、なんとも悲しそうな目付きになる。


そういう事か。俺は納得すると、一歩部屋に入り進んだ。


二人は気付き、揃って俺を見た。


「ラズーリ。」


彼が俺を呼んだ。驚きを少し、悪びれもせず。


俺は、部屋のほうで話したらどうか、とか、笑顔で、今来た風に言った。


カロフは、そういや、寝てない、ちょっと休むよ、と、知ってか知らずか、これまた笑顔で戻った。去り際に、まるで騎士のように、グラナドの手に敬意を示し、


「お休み、王子様。」


と、大袈裟に言い残して。


グラナドはこれには驚いたらしく、彼が去った後、しばらくぼうっと、そして我に返る、まで、定番をやってのけた。俺は、すれ違い様、彼の背丈は、ほぼ俺と同じだと言うことを、改めて考えていた。


「彼に、何か話でもあったのか?」


グラナドが、本当に何でもない調子で尋ねる。


「ああ…うん、たいした事じゃないが、彼から、今回の件は、『レパルドがやっつけた、キズイショウバチの件に似ている』と聞いてたから、ついでに少し話を聞いてみたいと思って。」


俺もまた、平常心で言った。


「何だ、部屋に行く前に言えよ。…最初にやったクエストだ。俺達、俺とカロフ、レパルドの三人と、コホンの養蜂協会の依頼で。山合いのアルビクカって所だ。


『最後の武人戦争』の時から、男手がずっと不足してる、とかで、見事に男は幼児と年寄りしか居なかった。収率と品質を楽に上げるために、キズイショウバチをこっそり仕入れたんだが、あいつらは、そもそもモンスターだ。ラッシルじゃ、寒いから大人しいが、コーデラじゃ、天敵がいない分、増えるわ暴れるわ。暖かいと毒性を増して、刺されると、幻覚を見るようになる。幻覚剤を大量生産できる、と促した詐欺師がいたんだな。後先考えずに闇雲に増やし、手に負えなくなった。


…クエストは大したことは無かった。ただ、夜中に、目を覚ましたら、上に人がいた。」


「え?!」


「村の女達だよ。だいたい、十代の未婚の娘達で、六人くらいか。俺はレパルドと同じ部屋で休んで、一人部屋じゃなかったんだがな。乗ってるのは、俺とレパルドに一人ずつだったが、残りは見てた。宿屋の娘が中心になって、『ギリギリまで誰が行くかもめたから。』とか。


女達の親は、表沙汰にしたくなくて平謝りの家族と、責任を取れ、訴える、という家族に真っ二つ。さすがに、宿屋は前者。俺が一歳ごまかして十四だと言うと、訴訟組は全員、平謝り組に変わった。


ギルドマスターには事情を話した。俺達はもう、何があっても、関わらなくてよい、と言われた。村はその後、合併で無くなったらしい。元の村人はどうなったか知らん。」


彼と、三人の、最初のクエスト。頭の中で、その意味を、皮肉に噛み締める。俺が黙っていると、


「別に大したことじゃない。夕飯の時の菓子に、何か混ぜたんだろう、俺は眠くてあまり覚えてない。


カロフの所にも一人行ってて、慌てて俺達の部屋に飛んできた。レパルドは俺よりぐっすりだった。カロフは菓子を食べなかった。レパルドと俺は沢山食べた。


睡眠薬でも媚薬でもなく、抗炎症剤だったみたいだ。魔法系じゃなくて、名前は忘れたが、眠くなる程度のやつだった。」


と、逆に心配されたようだ。


「なんで、そんな。」


とだけ、ようやく言った。


「よく分からんが、結婚相手不足だったからだろう。そこいらの村の因習で、大昔は、十六歳までに嫁に行って、二十歳までに子供を産まないと、着の身着のまま、村を追われるか、村の男全員を相手にしなくてはいけない、ってのがあったそうだ。


村の記録や郷土史にはなく、言い伝えだけの事だ。父様の改革を待つまでもなく、とっくに廃止されてたわけだが。


当時も、条件に当てはまる女はけっこういたが、村は出てないし、普通に生活してた。狩人族のキャンプの話にもあったが、おかしな方向の懐古趣味だったんだろう。そういう『しなければならない』っていう、脅迫観念みたいなのは、残って燻るからな。


俺にとっては、初クエストでこれは災難だった、ですんだが、レパルドは、これが原因で、当時の彼女と別れた。黒歴史だな。なんで彼女にが知ったかというと、レパルドを選んだ子は、諦めきれなくて、ナンバスまで、やって来たんだ。妊娠してる、と、親にも嘘をついて。すぐにばれたが。


どっちにしても、俺は、あの村の女の子達については、全員、顔も名前も覚えてない…。」


グラナドは、あ、と言って、言葉を切った。どうしたのか、と辛うじて平静に尋ねる。


「一人だけ、覚えてる。『ソフィ』か『ソフィア』か。夜中の女の子達は、俺たちが村に来たときから、けたたましくて、過剰な歓迎ぶりだった。その子だけ、落ち着いていた。現場に案内したがったり、何回も差し入れする女子に、『私たちでは、お仕事なんだから、迷惑よ。ガイドに任せて。』『食べ過ぎで、お腹を壊すわ。』と、冷静にたしなめてた。


あの子は、女子のリーダーだったみたいだ。宿屋の娘とは親戚だったが、言ったら反対するから、と、『陰謀』には誘わなかったそうだ。


彼女は事件の後、『ごめんなさい』と言ってたから、『君は関係してないから、気にするな。』と言っといた。


少し、ラールさんに感じが似てた。」


ラール、長身の色白、黒髪。ミルファにも受け継がれている、ラッシル系の特徴だ。アクティオス、カロフ、そして、俺。


口に出す前に、その考えを振り切った。


折よく、カロフの去った車両の方から、ソーガスが入ってきた。


「すいません、お邪魔でしたか。」


と恐縮し、背後に、「俺の部屋に」と言っていた。他の騎士もいるようだ。それを見て、グラナドは、


「いや、かまわない。戻るところだったから、お前たちで使え。」


と、俺の脇をすり抜けて戻った。俺は、すぐ後を着いていった。


ファイスは廊下におらず、ハバンロとシェードの部屋から出てきた所だった。シェードの、ありがとう、助かった、という声がした。


「物入れの鍵が分かりにくくて、危うく壊す所でした。」


と、ハバンロが顔を出して言った。


いかにもハバンロらしい台詞に、皆笑った。




そして、到着まで、キズイショウバチの話も、三色菫の話もでなかった。




ポケットの三色菫は、王都につくまで、再び忘れていた。




王都コーデリア、聖女の名を持つ、ツルバラの紋章の都に。


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