3.一つの顔

グラナドは、腕を塞がれながらも、風魔法で気流を作り、ゴウスロにぶつけた。彼は吹き飛んで、俺の部屋との壁に当たり、床に落ち、自分でガスを吸った。壁に突進した時、大きな音がして、皆起きてきた。


ゴウスロは、魔封環を持っていたが、粉々に砕けていた。ユリアヌスの物より、かなり細いが、厚みがあり、重さもある。鉄で土台を作って、オリガライトを被せているようだ。砕けているので、見ただけでは、この程度しかわからない。


ガスは官製品だった。派手な色に、未知の要素を疑ったが、シェードが、


「なんだ、水中用のやつじゃないか。」


と言って、種類を一瞬で判定した。レイーラも、


「ガスにするために、かなり薄めていますけど、それでも人に向けるようなものじゃ、ありません。」


と言った。


この派手な色は、水中で見分けやすいようにする為だそうだ。本来は、液状で、注射器のようになった銛の先端に、仕込んで使うらしい。霧状にするために気化剤(ドライアイス?)と混ぜたようだが、そのため重くなり、部屋にあまり拡散しなかった。


通常は、鮫や大型の海獣系モンスターに使う。滅多に使用しないが、港では万一に備えて常備している。強力なものだ。が、薄めているため、レイーラが一通り浄化をかけると、グラナドは、直ぐに回復した。


ハバンロは、ゴウスロの喉元を締め上げ、


「誰の差し金か、白状しなさい。」


と詰め寄った。ミルファは、レイーラと並んで、寝台に腰かけ、グラナドを見ている。彼は、心配する女性二人に、


「大丈夫、ほとんど、奴が吸った。」


と言っていた。ゴウスロも回復したのだが、耐性に差があるため、まだ上手く喋れなかった。


駆けつけた仲間は、ゴウスロがグラナドを誘拐しようとした、と思っていた。それには、ゴウスロは首を降っていたが、それを、


「今更、何を言い訳を。」


とハバンロは更に締め上げた。薬が完全に切れても、あれでは喋れまい。


別棟から、男爵の一家が起きてきた。ゴウスロをクローゼットに押し込み、先に駆けつけた仲間には目配せし、やって来た男爵一家には、


「寝掛けに、少年三人(グラナド、ハバンロ、シェード)がふざけていて、枕投げで、寝台から転げた。」


と説明した。男爵は、それで簡単に納得した。家人も大半は不審に思った様子はない。ガスはすでに色を無くして効果切れだった。だが、長男夫妻は、何か悟ったらしく、アダレア夫人は、


「お義父様、後は私たちがしますから、お休みになってください。お薬が効いて、眠いでしょう。」


と、義父を連れて、夫に、目で某か合図をし、出て行った。長男ナウルは、訳知り顔の男性の年配の使用人に、


「組合事務所に行って、解毒剤をもらってきてくれ。お前なら、私の使いと言えば、余計な詮索はされないだろう。」


と言いつけ、他の家人も、大男三人を除いて引かせた。彼は、


「水中用の薬剤に、揮発性の薬剤を混ぜて、花の香りを着けた物です。


港の組合の倉庫から、材料の薬剤が流れているらしい、と言うことで、調査していましたが。灯台もと暗しでした。」


と言い、続けて、


「ゴウスロ、出てきなさい。」


と言った。


ゴウスロは、自分で出てこれなかったので、ハバンロがクローゼットから取り出した。


ゴウスロは、少し舌が回るようになっていたが、まさか本当の事は言えまい。俺達も説明はどうしよう、と考えあぐねていたが、ナウルは、彼なりの解釈をした。


「申し訳ありません。カッシーさん。」


と、いきなりカッシーに謝罪した。


ナウルは、ゴウスロが、カッシーの部屋に忍び込もうとし、一階下のグラナドの部屋に、間違って入ったのだと考えていた。来客用の別棟とはいえ、自分の家で、それはどうかと思ったが、ゴウスロが否定しなかったので、俺達も否定はしなかった。


カッシーは、


「間違いとはいえ、殿下にこのような真似をしたのですから、家の中の事、ではすみませんよ。明日、クロイテス様にも報告いたしませんと。」


と、「女官風」のしゃべり方で言った。ナウルは、


「朝まで、反省室に閉じ込めて置きます。」


と答えた。ゴウスロが急に暴れだした。俺は、余計な事を言ったら、攻撃するつもりで、剣を構えた。ファイスもだ。


だが、大男の一人が、呂律の回らない舌で何か言おうとするゴウスロを、


「ぼっちゃん、静かに。」


と気絶させ、引きずるように連れ出した。


反省室は、ただの小屋だが、明かりと窓がなく、拘束して中にいれ、鍵を掛けておけば、一人では抜け出せない、と、ナウルは説明した。


二人目の大男が、


「でも、若旦那、ゴウスロぼっちゃんには、悪い友達がいますぜ。サフルなんか、子分みたいだし、助けにくるかもしれません。組合の牢のほうが、良かあないですか?」


と言った。それに三人目の大男が、


「お前、頭使え。サフル達は、ここにいないだろ。ぼっちゃんが反省室なんてわかるもんか。わかっても、お屋敷に、どうやって入る?組合の牢のほうが、ザルだぞ。」


と答えた。ナウルは、三人目の言うことをあらかた肯定し、


「お恥ずかしい話です。港の職員も、船乗り達も、クーデター以来、流れ者が増えて、質が悪化しておりまして。彼らのような古参の者たちの、手に余る事態になることもすくなくありません。


父は弟が、跡取りでないから、と、自由にさせていたのですが、それが行きすぎてしまいました。


この薬、不埒な連中が、『情熱の吐息』などと呼んでいる物です。まさか弟が関わっていたとは。


明日、父にも話して、厳しく処分いたします。」


と、続けて再度謝罪した。つまりは身内に任せてくれ、と言いたいのだろうが、それではうやむやにされてしまう。奴が何をしようとしたか、考えただけでも殺してやりたくなるが、それとは別に、クーデターに関与していたなら、見逃す事は出来ない。また、どうみても麻痺と睡眠のガスなのだから、ナウルの言う用途に、直接結びつけるのは苦しい。


グラナドは、


「私の側近の女性達は、魔法や武術の心得がある。実害はないが、クロイテスには話す。」


と、落ち着いて言い、


「彼は、家出した間、何処にいたか、聞いているか?」


と訊ねた。ナウルが答えるより前に、カッシーが、


「王都の魔法院で働いていた、と言ってました。薬はそこで手に入れた、とも。その当たりは、詳しく聞かなくては。」


と言った。王都で手に入れたのは、足元に転がって破片になっている魔封環もどきのはずだが、カッシーは薬の話にした。ナウルは、驚いたようで、答えに困っていた。その時、タイミング良く(悪く?)、先に解毒剤を取りに出た男が戻った。


「港まで行く途中に、カインの家に寄りました。末っ子が今朝、海から戻っているので、解毒剤を持ってるだろう、と思いましたので。」


ナウルは、部下の機転を軽く褒め、解毒剤をグラナドに差し出した。半透明の青い錠剤は、官製品用の物だった。グラナドは直ぐには飲まず、礼を言って、後は明日、と、男爵家側の人物を下がらせた。


ゴウスロの事がなければ、主従の仲が良好で、団結の固い、平和な地方貴族の一家に見える。事実、そうなのだろう。だが、良いものが、良いものを生むとは限らない。


薬は、一応、確かめた。シェードとレイーラが、海中用のガスの解毒剤で間違いない、と言った。グラナドも問題ないだろうと言ったが、浄化なら、レイーラの魔法で充分だったので、念のため飲まずに置いた。


レイーラとファイスは部屋を代わった。シェードとハバンロは、寝る前に一回りしてくる、と出た。カッシーは、男爵に反省室の場所を聞いて、作りを確認してくる、と、ファイスを連れて出た。ミルファは、グラナドに着いていたいようだったが、そう言うわけには行かないので、部屋に戻した。レイーラが、自分の部屋で、暫く話そう、と言ったので、あまり遅くならないように、とグラナドが声をかけていた。


俺は、自分の部屋に戻る所だが、ファイス達が戻るまでは側にいよう、と、一人残った。


寝台の側に所在なく立っていると、グラナドが、


「こっちへ来て、座れ。」


と言った。椅子を持ってこよう、と寝台を離れ用途したが、手を引かれて、寝台に座ってしまった。


「今更、だろ。」


と、軽く肩にもたれてくる。


「海獣用のやつだろ。少ししんどい。」


と言いながら。俺は、グラナドの頭はそのままに、


「薬、いるか?」


と聞いた。


「この状態で飲んだら、効きすぎる。いらん。クロイテスも、リンスクで言ってたろう。」


そういう話だったかな、と思い出していた所に、記憶の流れを断ち切るように、


「聞かないのか?」


と言われた。


聞いて答えてくれるだろうか。いや、意外にグラナドは、今まで、何か聞いたら、微妙な問題でも、素直に話してくれたとは思う。しかし、俺は、答える代わりに、姿勢を少し変えて、グラナドが、より体重をかけやすいようにした。彼は、ほんの少しだが、微笑んで、また頭を預ける。顔はよく見えない。


「ベルビオ。ナクスグ、イーシェン。」


さっき、ゴウスロの口から出た、人名らしきものだ。魔法院に攻めこんだグループだろう。クーデターはテスパン以外の首謀者を持たない(事になっている)ため、初めて聴く名だ。


「そう言われても、顔と名前が一致するのは、ベルビオだけだが。顔を塗ったり、ターバンを巻いたりで、素顔なのは、彼だけだった。


でも、特に印象の強烈な顔、という訳じゃない。もう数年たったら、完全に忘れた。でも、もう、違う。」


「それは、助けたからか?」


彼は少し首の角度を変えて、俺を見て、


「ピウファウムが、ベルビオの顔をしていたからだ。」


と言った。





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