2.昔の悪意

船はエルゴルの港に寄港した。ここは大きな港だが、貨物船専門で、客船は、普通は、隣の港のオルガルに停まる。だが、オルガルで密輸組織の摘発があり、港は半分が封鎖されていた。


二つの港町の領主のウルゴールト男爵は、大貴族ではなかったが、貿易で儲けてた。土地こそ狭いが、資産家だった。そういう人物の常として、政治には無関心ながらも、貪欲だった。


誰の派閥でもなかったが、グラナドの一行が寄港する、といち早く聞いて、自分の屋敷にグラナド、街で一番の宿を、騎士団に提供した。オルガル郊外にに騎士団の契約宿舎があり、エルゴルとオルガルは近かったのだが、好意は承ける事にした。クロイテスは、晩餐は男爵の屋敷で共にした。


男爵の妻は他界していた。屋敷には、長男のナウルと妻のアダレアと、その幼い息子達が三人いた。男爵の長女ソニアラは、オルガルの屋敷にいて、夫ともに「手広く」やっている、そうだ。


男爵は豪快な人で、ナウルは大人しめだった。ソニアラはどっちに似てるか、多少、気になった。


「いや、後は末っ子のゴウスロだけが心配で。これがまた、何をやっても半端で、賭け事と女遊びばかり。剣はちっとはましだったんですが、何せ根気がありません。生まれついての、ろくでなし、ですな。


このままじゃ良くない、と、長女の夫が、仕事を見繕ってくれたのですが、それも満足にできませんでした。妻は甘かったので、もって生まれた性質は変わらないから、と言ってましたが、そんなのは甘えです。


せめて向く仕事に、と思って、港の警備の仕事をさせていましたが、ぷいっと家出したのが四年前、ようよう戻ったのが、一年ちょっと前です。


賭け事で勝ったとかで、少しばかり、金は持っていたのですが、うちに戻りたいなら、その金は預かる、真面目に働いたお金で、全部償ってから、改めて返す、それでもいいか、と言ったら、しぶしぶ承知しました。賭け事はなんとか止めさせましたが、女遊びの方は…。」


「お父様、淑女達の前ですよ。」


「おや、すいません。まあ、完全に遊びという訳じゃないようなんですが、結婚より前に、信用を回復しませんとな。今は、屋敷の使用人に混ぜて、一からやり直させている所です。」


メイドが珍しい南方の果物を運んできたので、話題は、その果物の話になった。その後も、あれこれ変わった。


クロイテスが宿に戻り、ミルファ、レイーラ、シェードとハバンロが部屋に引き取り、ワインの話題が終わったころ、ナウルが、そろそろお休みに、と気を利かせた。


俺とファイス、カッシーは、グラナドの部屋を軽くチェックした。カッシーは俺たちより、細かい部分に行き届いている。グラナドが、大袈裟だ、と言った時に、屋敷の者が、


「お休み前に、ご用はございませんか。」


と、聞きに来た。


「ああ、ないよ。ご苦労。」


と答えたグラナドを、彼は妙に熱心に見つめていた。


グラナドは、どうかしたのか、


と尋ねた。


「お久し振りでございます、殿下。私は、ここの次男のゴウスロです。王都で、お仕えさせていただいてました。魔法院では、お世話になりました。」


グラナドは、わずかに首を傾げて、彼の顔を見た。本当に覚えが無いようだった。だが、王子の立場上、「覚えていない」という返答は出来ない。


ゴウスロは、魔法官には見えなかった。個人差はあるが、魔法官はあまり、男性的な外見にならない。魔法官だけでなく、魔力が一定以上高いと、その傾向がある(このため、身長や体格、運動能力も必要な神聖騎士は、魔法官よりも狭き門と言われている)。目の前の彼は、ナウルよりは男爵に似て、骨太で、大柄だ。ただ、背のわりには、筋肉はなさそうだ。剣が得意と聞いたが、持ち前の体格のリーチに任せて、綿密な鍛練はしてないように見える。髪はオーソドックスな茶色、目は黒だ。顔立ちは、南東コーデラ系のもの、という意外に、あまり特徴がない。よく見ると、父親の面差しが、あるにはある。が、父親にある、豪放さは感じられない。


「ベルビオ、ナクスグ、イーシェンは、バラバラになり、会えませんでしたが、殿下はお元気そうで、何よりです。」


ゴウスロは、笑顔だった。何だかへつらうような調子が、理由もなく不快に感じられた。


グラナドは、黙っていた。得に何の感情もないように見えた。


「明日は早い。もう何もない。」


と言っただけだ。


「祭りもありますし、ゆっくりなさっては。お話ししたいこともありますし。」


「残念だが。」


「そう仰有らずに、是非。」


嫌な物を感じた俺は、脅してでも、彼を追い払おうと思った。だが、カッシーがいち早く、


「殿下は、お疲れです。お前、無礼でしょう。」


と、居丈高に言った。発音もいつもと少し違うが、何より、彼女がこういう話し方をするのは、初めて聞く。


ゴウスロは、彼女の剣幕と、俺とファイスの様子を見て、引き下がったが、恐れ入った様子はない。まだ不遜に思える笑顔で、退出した。


「ろくでなしって親に言われた時は、同情したけど、本当みたいね。厚かましい、というか。」


「カッシー、お前…。」


「ああ、リスリーヌさんの口調を、真似てみたの。宮廷の女官に見えたかしら。もっとも、彼女は、こういう事は言わないだろうけど。」


グラナドは、「お前」の後は、放心したように黙っていた。ゴウスロの事を聞こうと思っていたのに、カッシーが俺の手を引っ張り、ファイスと三人、


「お休み。」


と強引に部屋を出た。


グラナドの右に俺、左にファイスの部屋、カッシーは階上だった。だが、二人は、俺を、俺の部屋に引きずって行った。


客室は全て、広い寝台が二つ、寝台に転用できそうな大きなソファが二つずつある、豪華な物だった。カッシーは、グラナド側の壁にある、これまた豪華な棚と、彫刻、壁掛けをチェックし、小さな火を出しながら、


「これなら、窓ガラスのほうがいいわね。」


と言った。


「ラズーリは、あたしと一緒に、グラナドのバルコニーに。ファイスは、ここにいて、合図したら、ドアから飛び込んで。」


俺は理由を聞いたが、カッシーは、


「ああいう奴は、また来るわよ。」


と言い、何か道具をガラスに当てた。俺達は、耳を寄せて、中の音を聞く。静かだ。一度、ファイスがバルコニーに出て、「来たぞ」と言った。中では、ノック音がする。


グラナドが返事をする。誰かが、入ってきた。


「休む、と言ったが。」


「殿下にはお世話になりましたから。」


ゴウスロの声だ。


「殿下に、お願いがあるのです。父は、事業の総てを兄と姉に任せ、私は使用人あつかいです。法的に、不公平ですよね。殿下に、お口添え頂きたく。」


「それ相当の事はしたんだろう


。男爵の言い方からすると、お前は事業資金を使い込んだか、持ち逃げしたか。


いずれにせよ、私が口を挟む問題ではない。法的に問題があるなら、法的に解決しろ。」


「…ベルビオ、ナクスグ、イーシェン、他の連中も、みんな、バラバラでした。イーシェンなんて、なんとか、服で奴と見分けが付きました。ナクスグはともかく、ベルビオまで、とは。彼は、ナクスグから、貴方を守ろうと…。」


「お前たち、クーデターで、何人、殺した?そんな真似をするなら、覚悟もしておく事だ。」


話が見えた。ゴウスロは、魔法院に攻め込んだ奴等の一人だ。だが、それで、なぜ、グラナドを脅せると思ったのか。


「…何をする、止めろ!」


「魔法って、こうやって懐に飛び込まれたら、何もできないんだろ。これ、便利だよなあ、取って置いたんだ。」


カッシーが叫ぶ。ファイスが向かう。俺は、魔法、今初めて使う、上の付与した水の上級魔法を、窓ガラスに放った。


窓ガラスは、氷となり、四散せずに、重そうに落ちた。俺は中に飛びこんだ。


床には、ゴウスロが転がっている。薄いピンク色の煙が、寝台から床に流れ、薄く広がっている。


グラナドは床にいた。寝台にもたれている。俺は抱き上げ、寝台に寝かせた。


グラナドの様子からすると、麻痺ガスと睡眠ガスのミックスのようだ。麻痺ガスは黄色、睡眠ガスは青、混ぜた物は緑色のはずだが、このガスは違う。香りも、やたら甘ったるい。拡散せずに、下に溜まっていた。


「…大丈夫だ。とっくに飽和してる。この程度じゃ、無理だ。」


と、消え入りそうな声。ガスの色が少し薄れ、床に金属片が散っているのが見えた。


「…ラズーリ…大丈夫だ。ガス玉の弱い…結構、強いな。輪っかは、破壊したから。」


グラナドは、眠ってしまった。カッシーは、レイーラを呼んでくる、と部屋を出た。ファイスは、剣でシーツを切って、紐を作る。


「手伝ってくれ、こいつを縛る。」


俺は、眠るグラナドをそっと抱き下ろし、ファイスを手伝い、気絶している「夜盗」を縛り上げた。




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