5.やるせなき者の挽歌(サフメル)
「真相」を知ったのは、ある夏の暑い日だった。俺は仲間と、会社のジムにいた。軽くトレーニングしていた。
アルビーコは、プラティーハに比べると、夏は涼しかった。それにしても、今日は暑い、でも、このまま暑い日が続くと、秋に活性化するはずのアクアドラゴンどもが、おとなしくなるから、いいか、と、サムが言った時だった。
館内放送で、通信室に呼び出された。「実家」から、電話だという。
ベルが慌てていて、シアスが警察に連れていかれた、と言った。何でも、店に取材に来た、王都の雑誌記者を殴ってしまった、という。記者は、母に勝手に取材しようとして、施設の職員に追い払われ、店に突撃したらしい。
≪タシアの件、冤罪だったの。犯人、解ったのよ。≫
俺は、慌てて休暇を取り、母の容態を理由に、プラティーハに飛んで戻った。
戻るまでには、シアスは釈放されていた。殴ったのではなく、突き飛ばしたら、たまたま客が取り落としたグラスに躓き、転んで足を捻った。
取材に来たのは、タシアの事件(ヒラル事件)の真犯人が、ヒラルではなく、手口から「火薬連続殺人」の犯人と同一だと認定されたからだった。
ラッシル側は、ヒラルに無罪は出したものの、後の展開に日和ったのか、ヒラルの可能性が高いとして、公式見解は、うやむやにしていた。俺達は、最初は疑ったが、最後は、ヒラルだと信じていた。信じるようにしていた。だから、青天の霹靂だった。
犯人が解った、とは言え、この段階では、まだ名前すら謎だった。ベルラインであった事件を受けて、警察が再捜査を始めた所で、どこからか、王都の雑誌に漏れたようだ。
記者は、結局、
≪ヒラル事件、冤罪!真犯人は?被害者の身内、騎士団長クロイテス伯爵のお膝元、硬く口を閉ざす!≫
という見出しで、記事を書いた。
だが、記事なんて、どうでも良かった。伯爵は抗議したかもしれないが、俺にとっては、犯人が逃げ切っている事のほうが問題だった。
俺は新たに警察に事情を聞かれた。その時、事件の時に見せられた、クレイのスケッチを、再び見た。やはりヒラルの顔が一番多く、タシアの言っていた、「ギョロ目で人相の悪い」男の絵は、彼のものしかない。一枚だけ、鼻を低く描いているものがあった。顔の傷も取ってある。他に、やたら唇の尖った男と、首筋に疣のある男と、三人ならんで、一枚に収まっている物だ。
俺は、この素描は見たことが無かったので、警官に尋ねたが、アトリエを後で取り壊した時に、追加で回収したものだろう、と適当な返事が返ってきた。
アルビーコに戻って暫く、なんだか、その悪党面が、頭から離れなかった。クレイのテーマからしたら、より醜く、悪しく描くのは当然だ。しかし、傷を無くしてしまうと、「顔の歴史」が変わる。気に入った顔だったろうに。
俺が鬱々としているので、サムとエリーネが気を使い、彼らの家の昼食会に、招待してくれた。エリーネの一家は、代々、地元で薬屋をやっていて、将来は薬剤師の資格のある、エリーネが継ぐことになっていた。サムは会社の出世頭で、店を継ぐ気はない、と公言していた。
昼食会が夕食会になり、聖女祭りなどの特別な日の集いになり、エリーネの祖母の葬儀に出て、サムの結婚式に出た。
そして、俺はエリーネと婚約した。
式は、サムの結婚式から、三ヶ月後に予定した。間が詰まっているが、エリーネの祖父の具合が良くないので、早めた。エリーネと二人で母やベル達に会いに行き、久しぶりにジャイロにも会った。彼はお祝いに、と、小さなピロスマスの模写をくれた。
それを持ってアルビーコに帰り、休暇明けに、エリーネと揃って出勤した。
そして、「特別任務」の話を聞いた。
ベルラインの警察から、アルビーコの警察を通しての話で、手配中の凶悪犯を、アルビーコで捕まえるから、狙撃部隊を貸してほしい、という要請だった。凶悪犯は、ベルラインの出身らしく、怪しまれたくないので、地元の者でなるべく固めたい、という話だ。(タルコース領とこの辺りでは、民族系統が少し異なるので、そのためだと思う。)
俺は地元の者には見えにくいが、腕を買われて、部隊に加わった。
ベルラインの警察からも、何人かやって来た。会合場所である銀行と、駅周辺は警察が固め、俺やサムは、森への入り口を警備する班になった。
前日に、犯人の親戚のクローディアという女性と、彼女の婚約者役の、ジョゼという警官に会った。ジョゼも犯人とは顔見知りだと言った。彼の上司が隊長で、犯人の似顔絵と写真を配った。写真は、学生時代の物で、質も写りも悪い。だから、絵の方が精巧で分かりやすい、と、隊長が言った。
似顔絵を見て、驚愕した。クレイの素描の、あのヒラルのデフォルメした顔が、そこにあった。いや、ヒラルの顔だと思った物は、この男の顔だったのだ。
「今回の対象は、ゴールラス出身の、クラマーロ・クラムール、ベルラインの『女学生殺人事件』他、現在、五件の容疑がある。ラッシルの『火薬連続殺人』も恐らく、彼の仕業と考えられている。
容疑者が巧みに逃亡している事から、背景を考え、証言を得るために、射殺はしない。やむを得ない場合は別だが、生きたまま捕らえること。」
と、隊長の説明が入る。
俺は、それをしっかりと聞いてはいたが、より食い入るように、似顔絵を見ていた。ティンクが、俺の様子に気づいて、声をかけたが、その声が響き、注目が集まった。
俺は、つとめて平静に、
「銀行内部で捕らえた方が、いいのでは、と思いまして。それか、駅に着いたところを捕まえるとか。いったん、取引を成立させてから、屋外に出していては、逃げられるのでは。私達の銃は、確かに室内向きではありませんが。」
と質問した。俺が関係者だとは、悟られたくなかった。
隊長は、銀行の職員の安全確保や、自筆の署名を取れるということ、現行法では、アルビーコから他の領地に行く場合のチェック機能を利用しないと、足留めが難しい、等々説明していた。
俺が終わると、サムが質問した。その間、俺は、クラマーロの妹という、若い女性の顔を見ていた。
やや釣り気味のアーモンドみたいな目。緩やかな波を打つ明るい茶色の髪。細い顎。クラマーロとは、似ていない。気の強そうな眉は似ているか。いや、クラマーロではなく、タシアに。
その中に、一瞬、気の弱そうな表情が出たかと思うと、傍らの警官、ジョゼに小声で話しかけた。ジョゼは、妙に柔らかい表情で、彼女に、何事か答えた。
ああ、これは、本当に、恋人同士だ。クレイが、タシアと恋愛中に描いた「囁き」に、甘い恋人たちが出てくる。彫刻のための下絵だったが、「我ながら傑作」と、パステルで色を着け、母の店に飾っていた。
「…すいません、それだと、そのお金で、保釈金を積んで、また逃げませんか?それだけのお金があれば。」
と、ティンクが最後の質問をした。隊長は、
「それは問題ない。逮捕後、今回のケースは、本人名義の預金なら、一時的にだが、引き出しは停止できる。」
と答えた。俺の後ろで、誰かが、
「死刑になれば、あの妹さんが継ぐのかな。」
と言っていた。何か、不謹慎な、との小声があったが、俺は細かく聞いてはいなかった。
警官の恋人がいるのに、兄は殺人鬼、では、苦悩は激しかっただろう。真面目そうな人だし。この捕り物、ここに至るまでの茨の道は想像できる。
だが、タシアが手に入れるはずだった幸せを、犯人の妹の彼女が手に入れるのか、と、俺は微かな憤りを感じていた。
何故かというと、彼女が今、着ている服が、タシアが花嫁衣装にしたがったドレスと、特徴が極めて似ていたからだ。タシアが着たがったのは、王都の有名デザイナーの物で、白や淡い色のレースを、ふんだんに使ったドレスだ。クローディア嬢のは、そのブランドの物ではなく、類似品のようだった。ライラック色の花模様のレースは多用していたが、かっちりとした外出着で、華やかなドレスではない。(固いタイプの服は、そのブランドにはなかった。)
白のみ使用した花嫁衣装は、注文で作るため、タシアの慌ただしい式には、準備出来なかった。だが、クレイの両親は、コーデラに戻ったら渡そう、と、イブニングドレスを特別注文していた。
結局は、葬儀の日にも、間に合わなかったが。
俺はこの時、かなり、熱心に、クローディア嬢を見ていたらしい。解散したあと、エリーネから声をかけられるまで、椅子から動かなかったからだ。エリーネは、当然、勘違いしたが、俺は、
「あの二人、たぶん、本物の恋人同士だろ。サットあたりが、後で賭けにするかもしれないから、気になったんだ。」
と答えた。エリーネは、
「いくらサットでも、これはネタにしないでしょ。なんなら、賭けてもいいわ。」
と笑っていた。
当日、俺は、サムと共に、銀行警備員の服を来て、取引の部屋の外にいた。何時ものモンスター用の銃ではなく、短い最新式の警官用の銃を持たされた。当初はモンスター用の銃を装備して森の入り口に張り込む予定だったが、警備員が丁度二人、急に休んだためだ。事情はわからない。
クラマーロが取引部屋に入る時、姿形ををはっきりと見た。
背は低いほうだ。低すぎ、というほどではないが、クローディア嬢のほうが、少し高いかもしれない。髪は黒い。丸顔で、鼻が低く、太ってないのに、顎がない。童顔の部類に入ると思う。
しかし、陰湿な感じの漂うギョロ目は、大きくはあっても、子供っぽさはない。ぶすくれた表情で笑顔などはなかったが、仮に笑ったとしても、無気味なだけだったろう。別に不細工ではないのだが、先入観を差し引いても、気味の悪い顔だ。
ふと、クレイが執着したのは、もともとは、この顔ではないか、と思った。だが、この顔は、世に残したくない、そう感じて、代わりにヒラルを描いたのではなかろうか。
考えているうちに、奴が部屋の中にすっかり入ってしまうと、微かな声以外は、聞こえなくなった。聞き耳を立てても同じだ。勝手に私語する訳にも行かず、皆、黙っていたが、サムが口を開き、俺に、
「少し楽にしろよ。」
と話しかけてきた。
「その様子だと、警戒されるぞ、たぶん。」
俺は、何か適当に答えなければ、と笑顔を向けた。笑顔だった、と、自分では思う。だが、それを確認する暇はなかった。
中から叫び声が聞こえた。女性の声だ。俺達は飛び込んだ。
クローディア嬢、警官のジョゼ、そしてクラマーロが、揉めていた。クラマーロとクローディア嬢の間に、ジョゼが入っていた。おそらく、何かがクラマーロの気に障り、クローディア嬢を殴ろうとした。それをジョゼが止めたのだろう。クラマーロの背後には、小柄な警官がいて、彼を捕らえようとしていた。
サムが咄嗟に、発砲しようとしたが、俺のほうが早かった。威嚇のためだ。弾は壁に当たった。
二発目を込めようとベルトをまさぐったが、これは連発式の銃だった。勝手が違って、不要な操作に手間取っていると、また女性の悲鳴がした。
クラマーロが、クローディア嬢の腕や髪を引っ張り、引きずって、バルコニーから出ていく。銀行の建物は、ある貴族が手放した別荘を、買い取った業者がホテルに改造し、それから銀行の所有になった物だ。天井の高い一階ホールは窓口と待ち合い、件の支店長室は二階にあった。大きな窓から、バルコニーの左右に、平らな屋根上の通路があり、伝って別棟に行く道がある。そこは軽く看板で立ち入り禁止が示されていたが、クラマーロは、妹を引摺りながら、看板を蹴倒した。
ジョゼが飛び出そうとしたが、クラマーロが倒した鉢や椅子、彫刻が邪魔になり、距離を開けられた。その間に、奴は、
「うるさい、近寄るな!」
と叫びながら、屋根の通路を後退る。クローディア嬢は、衿を捕まれていて、首を半分絞めらられた状態になり、ろくに抵抗が出来ないまま、引きずられている。
「西棟は閉鎖して、使ってない。あちらに行っても、何も。」
という銀行員の言葉に、ジョゼの
「待てよ!」
が重なる。彼も飛び出そうとしたが、小柄な警官が制止し、
「あれ見て。」
と早口で言った。
クラマーロの背後に、転送魔法で、エリーネが現れた。入り口の隊にいたから、下から見えたのだろう。彼女は、クラマーロを驚ろかせ、その隙に杖で殴り、奴がクローディア嬢を放したとたんに間に入った。そのまま、転送で逃げられたらいいのだが、エリーネは、直ぐの連続使用が苦手だった。
「離しなさい、仲間が撃つわよ!」
と叫んでいるが、杖は取り上げられていた。クラマーロは、仲間、という言葉に反応し、こちらを見た。
「撃て!」
誰がが言った。ジョゼが銃を構えるが、この距離じゃ、と歯がゆそうに答えていた。距離よりも、クラマーロが、クローディア嬢の手を掴んだまま、エリーネとも揉めているので、奴だけを狙いにくい。
「撃て!」
と今度はサムが言った。
「サフメル、お前なら出来る。」
アクアドラゴンとは、勝手が違うが、慣れた射撃だ。だが、俺はためらった。この状態だと、エリーネに当たるかも知れない。
クローディア嬢がジョゼの名を叫ぶ。彼女は、通路の柵の切れ目ぎりぎりに立っていて、水平な足場がほとんどか無く、あと一歩で落ちてもおかしくない。ジョゼが銃を構え直した。サムが、エリーネに、早く、クローディア嬢を、と声をかけた。
エリーネに当たる危険を侵してまで、クローディア嬢を助けるのか?タシアの代わりに、全てを手に入れる彼女を?犯人の妹を?警官を恋人にしても、その事実が覆るのか?
俺の銃は、一瞬遅れたが、ジョゼより早く撃った。エリーネが、二回目の転送に入りそうなタイミングに重なった。
銃声に驚いたのか、三人の間合いが、微妙に変わった。エリーネは、転送に入ったが、「ああ!」と叫んでいた。クラマーロは、一度、離れたクローディア嬢の腕を掴んで、引っ張った。
銃弾は、右肩に当たり、奴はクローディア嬢を放したが、同時に彼女は、高い屋根の上から、まっ逆さまに落ちた。
俺は、もう一発撃ち、これは奴の胸に当たった。右側だった。
警官が殺到する。俺は立ちすくんでいた。ジョゼが階段に向かい、クローディア嬢の名を叫ぶ。
俺は、ようよう、窓から下を見た。二階にしては遠い地面に、染まったレースが広がっていた。
※ ※ ※ ※ ※
クローディア嬢は病院に運ばれたが、直ぐに亡くなった。クラマーロは、同じく病院に運ばれたが、なんとか助かった。
しかし、絶対安静の重傷患者、意識が無かったにもにも関わらず、どうやったものか、三日目に、病院から姿を消した。逃げ出した、というには、あまりにも不自然に。
医師と看護師は警察関係ではなく、病院も普通の市立病院だ。見張りが手薄だったせいもあるが、何にしても、奴に意識がないのだから、動けるはずはない。回復してもしなくても、ベルラインの警察病院に移すと言っていた矢先の事だった。
クローディア嬢の死因は、最初は転落した時の、打ち所が悪かったからだという話だったが、後から、背中から毒性のある、土の魔法弾を撃たれたせいだ、と解った。
誰が撃ったかは、解らなかった。警察も俺たちも、いわゆるラッシル式のエレメント銃なんて、持っていなかったからだ。
ただし、属性効果はお義理程度で、土魔法の命中率補正はあるだろうが、仕込まれた毒がメインだった。病院は最初は銃の傷に気づかず、処置が遅れた。
新聞や雑誌の見解は、この銃弾はクラマーロを狙ったもので、彼は金を手に入れられなかったから、「組織」から始末された、という事だった。
しかし、事が起きたのは、金の名義が、きちんと書き換えられてからだった。裁判で事情が明らかになったが、サインをした後、クラマーロが、クローディア嬢の個人資産の分割を要求し、彼女が言い返して口論になり、
「ここに来る前に、内緒で遺言書を作った。私に何かあったら、ジョゼか、ジョゼの親戚に残すようになっている。」
という言ったそうだ。つまり、今回分割した分も含め、クラマーロには渡さない、ということだ。それで、奴が逆上した。
警官のジョゼが、遺産を受け取ったかどうかは解らない。二発撃った俺は裁判に呼ばれたが、責任は無しとされた。だが、エリーネが酷く責任を感じ、仕事は休職して、自宅療養する事になった。
俺達は、結婚は延期した。
だが、俺は考えていた。
俺達は、たぶん、結婚することは、無いだろう。裁判でも触れられなかった、タシアの件を、もうこれで、彼女に話せなくなったからだ。いや、話せなくなったように感じていた、のほうが正しい。
エリーネは、二回目の転送の時に気を付けていれば、一回目の時にも、他に格闘術の得意な仲間を連れていれば、と、クローディア嬢の事について、責任を感じていた。だが、俺は、彼女については、欠片も同情も責任さえも感じていなかったからだ。半ば清々しささえ感じる事があった。
それは、クラマーロが、俺の射撃が切っ掛けとなり、結局は始末されたんだろう、と考えたためだ。しかし、俺の溜飲が最も下がったのは、あのクローディア嬢の遺体、レースの死に装束で倒れている彼女を見た瞬間だった。
俺は、エリーネとも誰とも、この先、結婚しないし、子供も持たないと思う。自分が、エリーネやサムとは、同じ平和を味わえない種類の人間であると、覚ってしまったからだ。
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